エバー・アフター

02

も一応受験生なので、公延はしばし連絡を断っていた。確かアナソフィアの受験の時もそうだった。その頃公延は初めてのバスケ部の1年間が終わろうとしていたところで、なおかつから距離を置こうと決めて1年というところだった。しかし今思い返してもは割とあっさりとアナソフィアに受かった印象がある。

公延の母もの母もアナソフィアだが、ほど高性能という感じはしない。一体あの体質はどこから来たんだろうと考えていた公延の視界に、宗像の目立つ姿が飛び込んできた。なぜ目立つかといえば外見がきれいな上に、彼女は身長が173センチあるからだ。女子のバレーやバスケ選手の中に入らない限りは目立つ。

もハイスペックだが、宗像もパッと見では死角がないなと思いつつ、公延は宗像が驚かないように歩く速度を緩めて近付いていった。今はひとり、赤木がいないのでいい機会だ。

「よー、寒いな」
「木暮くん。こんにちは。本当に寒いですね」

赤木と言い合いでもしない限り、宗像は言葉遣いが丁寧な女の子だ。なぜか同い年の赤木や公延にも敬語で、しかしかっこつけたり嫌味でそうしている風でもない。彼女にとってはそれが当たり前のようだった。同じハイスペックでもとはまた違うんだなと公延は妙に感心していた。

「この間は悪かったな。勢いとはいえ、失礼なこと言っちゃって」
「木暮くんは何も言ってないでしょう。木暮くんに失礼なこと聞いたのは私の方です。ごめんなさい」
「いや、だからオレは気にしてないって」

宗像がぺこりと頭を下げると、艶やかな黒髪がとろりと流れ落ちる。

「自分たちがちょっと珍しい状況にあるのは自覚してるし、宗像じゃなくてもよく聞かれることだから」
「そうなんですか? そういう時どうするんですか?」
「相手によるけど別に話して困ることなんてないから、ある程度は話すよ」

なんだか都合のいい展開になってきたなと思いながら、公延は出来るだけ笑顔を作った。

「宗像もまだ話聞きたい?」
「えっ!?」
「実はさ、宗像のこと話したんだ。そしたら会ってみたいって言ってて」
……彼女さんが?」
「あはは、年下だよ」

ちょっと強引だったかなと思いつつ、しかし宗像は目を丸くして公延をまじまじと見詰めている。どうしたものか返事に困っているんだろう。しかしもちろん強要はしない。は大いに興味をそそられただろうが、ゴリ押しするような理由もない。

「今受験真っ最中だから、終わったらになるけど」
「あっ、そ、そうよね、高3なんですよね」
「入試終わったら遊びに来るって言ってたけど、それもまだもう少し先だしね」

とは種類が違うが、そもそもは公延も人に警戒心を抱かせないルックスの持ち主である。少し戸惑っていた様子の宗像だったが、意を決したように居住まいを正すと、軽く咳払いをして頷いた。

「お言葉に甘えて、お願いします」
「オッケー、じゃあ連絡先聞いてもいい?」
「れっ、連絡先だなんて彼女さんが怒りますよ」
「いやその彼女が会いたいって言ってるんだから大丈夫だよ」
「あっ、そ、そうね、じゃあちょっと待ってください」

宗像はあたふたしながら手帳を千切ると、整った字で連絡先を書いて寄越した。こんな美人で頭も良くてパーフェクトに見える宗像だけど、なんだかアナクロだなあと思いつつ、公延は手帳の切れっ端を受け取った。ハイスペックなところはと同じだけれど、宗像の方が世間知らずのように見える。

敢えて赤木のことは話題にせず、公延は宗像と別れた。手の中の手帳の切れっ端に目を落とせば、メールアドレスと電話番号、そして整ってはいるが堅い印象の字で彼女のフルネームが書かれていた。

宗像 美須々

むなかた、みすず――なんだか名前の字面も堅い。公延はメモの内容を携帯に入力せずに、自分の手帳に挟んだ。赤木にあんなに風に偉そうな口を利いた手前、自分も気を付けなければ。これはこのままこうして保管、が来たらに預ければいい。

の携帯には湘北バスケット部の部員ほぼ全員の連絡先が入っているし、とうとう昨年の夏には藤真と清田も入ってしまったが、それはそれ。これからずっとそんな風に過ごしてなどいられないから。そんな思いに駆られた公延は、湘北を卒業する時にノリで交換してしまったクラスの女子のアドレスを数件削除した。

「お疲れ様でした」
「ありがとー!」

入試を終え、公延の部屋にすっ飛んできたである。公延が買ってくれたケーキを目の前にしてニコニコ顔だ。入試も自己採点ではほぼ問題なし、アナソフィアから一緒に受験した数人とも同じような感触で、今年もアナソフィアからの進学は例年通りという結果になりそうだ。

上機嫌でケーキをパクつくに、公延は美須々のメモを差し出した。

「んっ、なにこれ」
「ベルちゃんの連絡先。彼女も会ってみたいって」
「えっ、マジで!? てかうわ、字、堅!」

も本当に高性能な人間なのだが、こうして美須々と比べると世間一般からはみ出た感はない。

「あれからどうしてるの、ベルちゃんと赤木くん」
「それが、赤木の方がちょっと避けてる感じだな」
「やっぱ赤木くんはベルちゃんのことあんまりよく思ってないのかな」
「そんなことも言わないんだけどね」

ケーキの消えていくスピードに驚きつつ、公延はこの一月ほどのことを思い出す。

「宗像がどうとか言うより、宗像への接し方についてオレに突っ込まれたのが驚いたみたいでさ。去年まで散々あいつに心配かけてああだこうだと怒られてたのはオレたちだろ。それが急に逆転しちゃったもんだから」

しかも公延に言われたことは間違ってはいない。美須々も一応女の子だ。

「ただ去年までの時点では、別に宗像のことを悪く言ったりとかはなかったよ」
「良くも言ってないけど?」
「いや、彼女の頭のよさとかは本当に感心してた」

そういうところは赤木もあまりぐずぐず言ったりはしないタイプだ。毎日のように喧嘩していたとしても、意味もなく罵倒したりだとか、そういうことは決してしない。それはもよくわかっている。

「だから、まああれだよ、なんで宗像がしょっちゅう突っかかって来るのか、わからないという感じ」
「はあ〜ん、そーいうことおー」
、三井じゃないけどその顔ほんとやめた方がいいぞ」

はいっそ嫌味なくらいににやにやしている。

「私、日曜の夜には帰るから、ベルちゃんの都合が付けばいつでもいいよ」
「と思ってさっきメールしといた」

今日は金曜である。未だ付き合っていることをお互いの親にカミングアウトしていないので、は週末を岡崎と緒方と受験お疲れプチ旅行に行っていることになっている。東京の岡崎の親戚の家に2泊。東京で遊んで来るという体だ。の進学を機に告白しようかという流れになっているが、まだ決めていない。

それから1時間ほどして、返信が遅れたことを謝罪する文章が長々と続いた後にようやく土日ともどちらも空いているという連絡が来た。と公延の方も特に外出の予定はなかった。それなら早い方がいいか、と翌日に会おうということになった。

「人見知りな感じではないんだよね?」
「というか、むしろ接客みたいになっちゃってる」
「なんか新しいなそれ、それはそれで可愛いんじゃないか」
「オッサンか!」

昼を一緒にと返信すると、1分もしないうちに返信がきた。これまた堅い文章で了解する旨が書かれている。はまたにやにやしている。も女の子といえばアナソフィア女子の他には彩子と晴子くらいしか親しくない。美須々はそれとはまた一線を画すキャラなので、楽しみなんだろう。

入試が終わり、せっかくふたりきり解禁になったというのに、はにやにやしてばかりで、公延は少し面白くなかった。ベルちゃんが楽しみなのはわかるが、それは明日。今は関係ない。辛抱強く宥め続けた公延は、日付が変わる頃になってやっとを抱くことが出来た。

翌日、宗像家と公延のアパートの中間あたりで待ち合わせた3人は予め調べておいた店に入った。昼時なので混雑しているが、仕切りのある席があるので長話にはちょうどいい。美須々と駅で初めて顔を合わせたは遠慮なく歓声を上げ、天性の人たらし能力を発動、美須々もさっそくその勢いに飲まれた。

「こんなこと言ったら失礼なんですけど……少し意外でした」
「よく言われるから大丈夫です! ベルちゃんて呼んでもいいですか?」
「ベル?」

の勢いに飲まれた美須々はうろたえている。が、あえて公延は口を挟まない。多少突飛なことを言い出しても不快感を抱かれないのがなので、好きにさせておいて大丈夫。はきょとんとしている美須々に、ベルちゃんの名について簡単な説明をしている。

さん、赤木くんとも幼馴染なんですか?」
さんなんて、なんかむずむずしちゃう。呼び捨ててください! 赤木くんは公ちゃんと同じ中学なんですよ。それで……中1の時だったかなあ、公ちゃんの家に勉強かなんかしに来て、ご飯食べてて、あまりの大きさにびっくりして。そうだなあ、彼氏の友達って言うより、お兄ちゃんみたいな感じです」

美須々はすっかりのペースに乗せられていて、の語る「公ちゃんと赤木くんと私物語」を興味深そうに聞いている。公延にしてみればそんな話面白くないんじゃないかと思えるのだが、意外にも美須々の食いつきがいい。一応は赤木を褒めたりしつつ、ざっくりと話をまとめ、一息ついた。

「それじゃ木暮くんはその約束を守って……? なんだか未知の世界過ぎて想像もつかない」
「ベルちゃんは好きな人いないの?」

の語り口にほろほろと絆された美須々はすっかり緊張が解け、あれだけ頑なに使っていた敬語すらなくなっている。公延は今更ながらにを怖いと思った。そういう意味では、そんなを追い詰めた三井も藤真もすごい。やっぱりあいつらはどこか人とは違うんだろうな。

そんなことを考えていた公延をよそに、美須々は大いに慌てた。手と首を振り、頬を染めている。

「わ、私なんか!」
「私」
「なんか?」

つい身を乗り出したと公延に美須々はたじろいだ。少なくとも美須々のような美貌と頭脳と家柄があって「私なんか」が出てくる確率は相当低いはずだ。しかもこれが安っぽい謙遜だというならともかく、美須々はいたって真面目。本当にそう思ってるらしい。

「ええっと、私なんかっていうけど、ベルちゃん可愛いし勉強もできるし、何も――
「そんなことは、勉強って言ったって、うちは私大だし、もっと高い法学部はあるし、見た目なんか別に」
「別にっていう見た目してないと思うよ……
「そ、そんなこと初めて言われました」
「は!?」

は素っ頓狂な声を上げ、そして公延とちらりと目を見合わせ、まだ照れている美須々を少しずつ質問攻めにしていった。根掘り葉掘り探りを入れられている風に聞こえないよう慎重に話を運び、はこの宗像美須々の自己評価のずれを全て引き出した。

つまり彼女は、ハイスペックだけれど厳格な家で厳格な性格に育ってしまい、一族の、しかも本家筋の使命として決まった大学の法学部に優秀な成績で入学、卒業、そして司法試験に合格することをほぼ義務付けられており、性別関係なく同世代の人間にとって大変魅力のない状態になってしまったようだ。

美しいし頭もいいが、知れば知るほど面白味のない人間なのである。

「一族全員弁護士とかそういう……?」
「いいえ、検察に入った人もいるし、公務員もいるし、民間企業の人も多いし」
「ベルちゃんは何を目指してるの」
「今はまだ司法試験まで辿り着くことしか。だけど私も弁護士は向かない気がするの」

照れくさそうに笑っているが、弁護士でも検察官でも、こんなのが公判に出てきたらさぞ怖かろう。だが、CGと見紛うほどの美貌だけれど、笑うと目元が緩み、少し不規則な並びの歯が見えてとても可愛い。それが私なんかとだいぶ現実と乖離した自己評価になってしまっているのは可哀想な気がしてきた。

かと言って、あまりぐいぐいとその低すぎる自己評価から引きずり出すのも余計なお世話だ。は追及の手を止め、大抵の人がコロリと騙される優しい笑顔を作る。このの笑顔が作り物と判別できるのは、今のところの両親と木暮家の計5人だけである。

「ベルちゃん、春休みになったら今度は私と遊びに行かない? 女の子だけでどこか行こ!」
「えっ、いいの、いつでも呼んで下さい」
「じゃあ公ちゃんがもらった連絡先、私ももらうね」

太陽のように輝く作り笑顔だった。本当にアナソフィア女子は恐ろしい。そうして連絡先を交換した美須々と夕方には別れて、と公延はまたアパートに戻る。美須々と別れたは、公延の手をふらふらと揺らしながら、一転して真面目な顔でため息をついた。

「ベルちゃん、友達いないみたいだね」
「あー、やっぱり? 男はもちろん、実は女の子と一緒にいるところも見たことないんだよな」
「可哀想って言ったら失礼なんだけど、それでも私ベルちゃんをこんな風にした宗像家は嫌い」

きっぱりと言うに、公延は苦笑い。確かに今日と話している美須々は本当に楽しそうで、にこにこしていて、ちょっと人よりきれいだというだけで、まるでどこにでもいる普通の女の子に見えた。

「春休み、ふたりでどこ行くの?」
「緒方に会わせようと思う」
「そっ、それはまた――

とアナソフィア6年の間仲の良かった緒方は、家柄以外は美須々とほぼ同等のスペックを有する女の子だ。身長も高い。しかし美須々と違って緒方は常に自信に溢れ、攻撃的に生きるのが信条といったような猛者だ。どんな反応が出るのか想像もつかないが、まあ緒方もアナソフィア女子である。心配はない。

「赤木くんのことは一旦忘れる。私、それとは関係なくベルちゃんと仲良くなりたい」
「それもいいんじゃないか。宗像、今日本当に楽しそうだったから」

むしろそういう意味では赤木の方はオレがフォローしてやらないとなと公延は思う。一月ほど前に言い合ったのを最後に、赤木と美須々は言葉も交わしていない。何も強引にくっつけることはないが、が美須々と普通の女の子のように遊びたいと思ったのと根本的には同じだ。赤木の方も頑なすぎるから。

「しかし本当にアナソフィア女子っていうのは怖いなあ、アナソフィアの女の子は信用できん」
「ってそういう風にみんな高校生くらいで気付いてくれればいいんだけどねえ」
「宗像もそれにコロッと騙されてるのかと思うとちょっと気の毒だな」
「騙すって何よ! 悪意の欠片もないっていうのに。公ちゃん最近黒くなってきたんじゃないのー」

そう言いつつ、は公延の腕にぺたりと寄りかかった。