エバー・アフター

03

がアナソフィアを卒業し、美須々が春休みに入ってすぐにふたりは緒方と共に遊びに出かけた。直前まであれやこれやと心配していた公延だが、なぜかがしょんぼりした顔をして帰ってきた。

いわく、緒方は172センチ美須々は173センチの長身でふたりともきりりとした美人、手足も長く、その間に挟まれたは何だか卑屈になってしまったのだという。これには公延も大笑いで、だけどがそんなことで卑屈になったら天罰が当たるというものだ。慰めてやりつつ、公延はずっと笑っていた。

「それで、宗像は大丈夫だった?」
「なんというか……友達と遊ぶのは中学以来だとかで……
「は!?」

こんなことなら岡崎も引っ張り出せばよかったとは後悔している。美須々はまだ緊張気味だったそうだが、と緒方にふたりがかりで解されてゆるんゆるんになってしまったという。案の定緒方も美須々がかわいいと言い出し、美須々は無防備にもあれこれと喋ってしまった。

ちなみにそれに気を良くした緒方が前年の演劇部の演目の一節を諳んじると、美須々は顔を真っ赤にしていたらしい。さすがに女子校で年間平均6.4告白を誇ったイケメン女子である。場所はカラオケだったというが、あの美須々をいきなりカラオケに連れ込むと緒方が怖い。

「例のバスケ少年の弟くんは、周防くんていって、画像見せてもらったけどやっぱりすんごい美少年だった。ベルちゃんよくわかってないみたいだったけど、今スタメンみたいよ」
「え!? 高校から始めて秋月のスタメン!? 桜木みたいなやつだな……
「あと、幼稚園からずっと私立で、地元に知り合いはゼロ。唯一父親の先輩とかいう人のところにいた子と遊んだことがあって、それくらいしか記憶がないんだって」

言いながらは肩を落とし、ため息をつく。しょんぼりしていたのは卑屈になってしまったからだけではないらしい。美須々は人が羨むような要素を全て持っているように見えるが、あまりに孤独だった。

「それがさ、周防くんはバスケに夢中でさ、なんかどうも親とかも周防くんにうるさく言わないみたいで、ベルちゃん、そんな中で赤木くんに突っかかってたのかと思ったらさ――

はしょんぼりした上に鼻までぐずぐず言わせだした。

「ついさあ、ベルちゃん自信持ちなよとか緒方と散々突っついちゃって。それをベルちゃんが否定しまくるもんだから、なんかつい調子に乗っちゃって、ほんとに、公ちゃんごめん」
「えっ、何言ったんだよ」

こんな風にが謝るなど滅多なことではない。公延はぎくりとして背筋を伸ばした。

「ベルちゃんを素敵だなって思う男の子はいっぱいいるよ、例えばほら赤木くんとかどう? って聞いちゃった」

はしょんぼりしているが、公延はブハッと吹き出した。不用意な一言には違いないだろうが、女の子同士で騒いでいる時のことなのだし、そんなに深刻な顔をするようなことか? と公延は思う。正直、美須々がそう聞かれてなんと答えたのかも興味がある。

「ベルちゃん、ちょっと恥ずかしそうな顔、して。あれっ、やっぱり? って思ったんだけど、それは一瞬で、すぐに真面目な顔になって、言うんだよ」

私なんかには、もったいないわよ――

または肩を落としてため息をついた。

「例えば……三井とか、桜木とか、宮城とか彩子とか、桜木軍団とか」
「うん、そうだね。みんな血相変えてベルちゃんおかしいよ、って言うだろうね」
「それで散々冷やかすんだろうな」
「それで赤木くんも真っ赤になって怒るんだよ」

も公延も、しょんぼりしながら力なく笑った。

「赤木くんはどう? もうずっとベルちゃんに会ってないんでしょ」
「うん、最初はちょっと気にしてたみたいだけど、最近は特に何も。オレも言わないし」
「そっか。まあ、赤木くんだしね、期待はしてないけど」

ふたりにどんな気持ちがあるにせよ、もう手を出すべきではない。ももうこれまでにしようと考えている。今日はつい調子に乗ってしまったけれど、二度とあんなことは言わないと固く心に誓った。美須々とは友達。赤木のことは関係ない。

「さてじゃあ公ちゃん、帰りますか」
「ああもう、こっちの方が気が重いよ……

そろそろ日が暮れる頃だが、と公延はこれから実家に帰る。この春休みの間に、それぞれ自分の親に付き合っていることを打ち明けることになったのだ。はともかく、公延は気が重いしなんだか恥ずかしい。恐らくどちらも気付いているだろうから、余計に。

4月、も大学生になり、公延や赤木も2年に進級して間もない頃のことだった。久々に赤木と公延がふたりでいるところで美須々に遭遇した。公延は少し緊張してしまったのだが、なんと美須々はにこにこの笑顔で手を振って来た。これには赤木も目を丸くしている。宗像がなんかおかしい。

「お久しぶりです!」
「お、おう……久しぶり」
「探してたんです。会えてよかった。木暮くん、これちゃんに渡してもらえませんか」

ぽかんとしている赤木に構わず、美須々はバッグの中から小さな箱を取り出すと木暮に手渡した。どうやらお菓子の箱のようだ。きらきらした白の包装紙が細いピンクのリボンで飾られている。

「直接渡したかったんだけど、春休みの間に都合がつかなくて。お願いできますか」
「オレもすぐには会わないんだけど、大丈夫かな。これ食べ物だろ」
「すぐに悪くなるものじゃないから急ぎではないんです。だけど、送った方がいいのかな」

話が通じている美須々と公延の間で、赤木は頭の上にクエスチョンマークを浮かべていた。何が何だかわからない。久しぶりに会ったと思ったら美須々は明るい笑顔だし、「ちゃん」だし、公延まで親しげに話している。

ちゃんを紹介してもらったんです」
「は?」
「それで、もう2回位一緒に遊んでもらってるんですよ」

美須々はにっこにこのまま赤木を見上げて説明している。赤木も虚を突かれてぼんやりしているし、今年の初めまでしかめっ面で言い合いをしていたようには見えない。これが効果なのか、美須々の本来の姿なのか、それだけが謎だ。効果だとしたら恐ろしい。

「そうですよね、おふたりはこれから忙しいんですものね。じゃあ送ることにします」
「オレらは確かに時間ないけど、宗像も忙しいの?」
「いえ私は特には。だけどちゃん学校始まったばかりでしょう」

だからダメ、と美須々が言いたそうなので、公延も赤木もあえて言わない。は障害物の方が避けて通るタイプの人間だから気を使わなくても大丈夫、などとは言わない。

「でもまたゴールデンウィークに遊んでもらうんですよ」
「へえ、どこ行くの」
ちゃんのお宅。海にも連れて行ってもらうんです!」

の自宅、イコールオレらの地元!!!

公延と赤木は揃って顔を背け、吹き出した。しかもの家ということはつまり隣は木暮家である。

「時間があったら湘北にも連れて行ってくれるって言ってたんですよ」
「ちょ、それはやめて!」

のことだから、可愛い桜木でも見せたいと思ったのかもしれないが、それだけは勘弁してくれ。公延は泡を食ってどうかそれだけはと美須々に向かって手を合わせた。しかもそこには赤木の妹、晴子もいるのだから。

「わ、わかりました。湘北は行きません……
「なんで湘北なんか行こうと思ったんだ」
「県立高校って見たことがないんです!」

美須々があんまりにこにことそんなことを言うものだから、またふたりは絶句してしまった。そう言われてしまうと行くなと釘を差すのも可哀想な気がしてくる。が、絆されてはならない。そこにいるのは桜木と晴子だけではないのだから。しかもその桜木世代が3年生なのだから。

「今は多少改善されてるって話も聞くけど、湘北ってのは素行の悪い生徒も多いんだ。も夏休みに来たことがあるくらいで、普段は絶対に来るなって言ってあるんだよ」

公延が説明してやると、美須々はまた真剣な顔で頷いた。

「そうですか、ちゃん可愛いものね。それは確かに危ないでしょうね」
「えっ!? いやまあ、うん、それもそうなんだけどね」

また赤木が目を丸くしている。美須々の自己評価の低さについては何も話していない。しかもこの変容ぶりできっとわけがわからなくなっているだろう。さっきから殆ど口を利いていない。

「それじゃあ、また。バスケ頑張ってください」
「ありがとう。またな」

結局赤木は言葉らしい言葉を発しないまま美須々と別れた。というか、別れ際にバスケ頑張ってくださいだなんて、今のは本当に美須々だろうか。繰り返すが、これが効果なのだとしたら恐ろしい。

「木暮、これは一体――
「あー、えーと、ちょっと話長いんだけど、夜、時間あるか」

何時間とかかるわけじゃないが、数分で終わる内容でもない。また、誰が聞いているかもわからない学校でペラペラ喋りたくもなかった公延は、学校からそのまま自分のアパートに赤木を連れて帰った。普段ひとり暮らしにはちょうどいいサイズのアパートだが、赤木が入ると途端に狭くなる。

このところに料理を教えてもらっている公延は赤木に手料理を振る舞った。なんとなく疑わしい目を向けていた赤木だったが、既にから合格が出ているものを出したので、普通に旨いと零した。人のいないところで話したかったし、自炊なら安上がりでいい。

「桜木みたいなやつだな……
「ははは、ほんとだよな。中学の時も運動部だったらしいし、相性がよかったんじゃないか」
「しかしたちには呆れるな。とんだ開心術じゃねえか」

今回の場合は途中から美須々の方も進んで心をこじ開けられたくなっていただろうが、それにしても以前以後での変わり様は凄まじい。生まれ持った素養にアナソフィアのマナークラス6年分が加わると、ちょっとした特殊能力にも等しい。

「人の……しかも女の子の気持ちなんてよくわからないけどさ、宗像、寂しかったんだろうな」

赤木は返事をしない。しかし公延は正直に思ったことを言う。

「ああやって喧嘩腰にでも人と接する方法くらいしか、知らなかったんだろうな。ちょっと遠いけど、宗像もアナソフィア行けばよかったのにな。も及ばない完璧超人になってたかもしれん」

ようやく赤木は頬を緩め、ふんと鼻を鳴らして笑った。美須々がアナソフィアなど、恐ろしい組み合わせだ。

ともあれこれで、美須々の変容についてと、彼女がなぜああも厳格でギスギスした性格だったのかは赤木にも説明がついたし、納得もできたようだ。赤木は何も言わないが、公延もこれで手を引こうと思っていた。

美須々と仲良くなったのは。そのおかげか、美須々は赤木に突っかかってこなかった。その変化が美須々にどんな風に作用して、それが赤木にまでどう作用しても、もう自分には関係ない。これ以上は一方的で余計なお世話だ。流れのままに行けばいい。

「そういやどうだったよ、親にカミングアウトしたんだろ」
「ああ、うん……オレどうしても言えなくて、に言ってもらったんだ」
「おいおい、情けねえな」
「だけどその方がよかったんだよ。面白いくらい何も言われなかった」

これも効果か。赤木はまた頬を緩ませ、鼻で笑った。

ゴールデンウィークに入り、は予定通り美須々を地元に呼んだ。が言い出したことではなかったのだが、美須々は近場に遊びに行くという経験が殆どないらしく、東京に住んでいながら、神奈川県には2度しか足を踏み入れたことがないという。海に至っては見たことはあるが入ったことはないという、もはや異世界レベル。

「夏休みはもちろん塾よ。お盆の頃には人が集まるから、親戚の子と遊んだりもしたけど」

に海に連れてきてもらった美須々は上ずった声で話している。美須々の両親は母親が宗像家の人間で、父親が入婿。父の実家とは殆ど交流がないし、祖父母には数えるほどしか会ったことがないという。その祖父母も埼玉の都市部近辺にいるというから、夏休みに田舎に行くという経験もない。

美須々は恐る恐る波打ち際に歩を進めると、短く悲鳴を上げた。が手を取ってやると、息の荒い美須々は頬を染めながらギュッと握り返す。は泣き出しそうな心を抑えこみ、努めてふざけ、はしゃぎ、騒いだ。

「そういえば、親戚の子が自慢するのよね、今年はどこに連れて行ってもらったとか、行くんだとか。弟はそれを羨ましいってグズグズ言ってたんだけど、私はそういうの、思ったことなかったの。だって、それの何が楽しいのか知らなかったから。自分の置かれてる状況を当たり前と思ってたのね」

この日美須々は家に一泊、話を聞きつけた緒方が東京から帰ってくるわ、岡崎までやってくるわで、ベルちゃんはすっかりアナソフィア女子たちに懐いてしまった。深夜、女の子が4人も集まれば話す内容は自ずと恋の話になるのだが、この日揃ったのは少々状況が特殊なのばかりで、美須々が驚くだけの話になってきた。

「ご、ごりまっちょ……
「そう。こうね、固くて平坦なのじゃなくてね、ポコッと出っ張ってるのがいいの。ちょっと柔らかそうな」
「私はそんなに見た目にはこだわらないよ。むしろ少し崩れてるくらいの方が」
「ふたりともそういう方とお付き合いしたことあるの?」
「うーん、残念ながら。女子校だったし。今は探してるところ!」
「私もねえ、気を付けないと不倫か援助交際になっちゃう」

少々丈の足りていないの服を借りた美須々は、クッションを胸に抱いて目を白黒させている。ただでさえ俗世間から隔絶されて育ったような彼女なので、緒方と岡崎の嗜好に度肝を抜かれている。

「ベルちゃんは? 好みとかそーいうのないの」
「えっ、私!?」

岡崎に聞かれた美須々は声が裏返った。が、はあえて助け舟は出さない。と付き合うようになってから、美須々は女の子の思考というものに対しては、積極的に自分で考えるようにしているらしい。今も頭が高速回転しているだろう。頭をかくりと落として、しきりに捻っている。

「まあだいたいみんなさ、面白いとか優しいとか言うんだけどさ、そーじゃないだろって話だよね」
「あー、岡崎ちゃん、今そういう中にいるわけね」
「はははー、緒方、お前のそーいう鋭いとこ嫌い」

仕方あるまい、アナソフィアは県下トップクラスの中高一貫校、片や岡崎の通う専門学校は芸能系の科が中心で、他にも美容系と観光系の専門がある。まあまずアナソフィアクラスの生徒はいない。というかアナソフィアでこの手の専門学校へ進学というケース自体が特殊だ。岡崎は馴染むのに苦労しているらしい。

その岡崎の横でうんうん唸っていた美須々は、やがて顔を上げると難しい顔をしてぼそりと呟いた。

「これって……好みになるのかな」
「おお、どんなんよ」
「わ、私より大きな人……
「いやそれ好みじゃなくて条件でいいじゃん」
「条件!? そんなつもりはないの、ただほら、背が高いのは嫌がられるから」

緒方がベルちゃんの肩を抱いてうんうんと頷いている。だが岡崎の言うように、これは好みというよりは絞り込み条件と言った方が正確であるような気もする。も口を挟む。

「例えばさ、メガネとか髪型とか、緒方じゃないけど体のパーツとか」
「メガネ……ちゃんは木暮くんて好みなの? 幼馴染なんでしょう」
「そういうことになるんだと思うんだけど、たぶん逆で、公ちゃんが好きなので公ちゃんがタイプなんだよね」
「まああんたは生まれた時には横にお兄ちゃんいたわけだしね」

簡単にいえば刷り込みだ。悪い言葉で言えば、慣れてるあれが一番いい、ということだ。

「去年の夏にインターハイ見に行った後ね、公ちゃんの友達とそのままお昼食べに行ったの。女の子私だけで、他にはえっと確か8人くらいいて、中には顔でモテてるような、周防くんみたいな人もいたんだけど、どうもだめなんだよ。客観的には公ちゃんより美形ってわかるんだけど、公ちゃんの方がかっこいいの」

また美須々は目を白黒させ始めた。公延が普通の人に見えるだけに、これも充分特殊な方に入るだろう。本人に許可は取っていないが隠すようなことでもないので、は一応婚約済みであることも説明した。突き出された左手に、美須々はとうとう顔を真っ赤にして口をあわあわさせている。

「つ、付き合ってるんじゃなかったの?」
「今は付き合ってる状態だけど、何か届けがいるわけじゃないし、口約束といえばそうなんだけど」
「付き合ってなくても20年近く一緒にいるわけだしねえ」
「てか実質的に付き合いだしたのが2年前くらいなんでしょ、その前は何もなかったの?」

うろたえている美須々をそのままにして、緒方が身を乗り出してきた。このふたりもと公延の関係を知ったのは半年ほど前という状態で、ある程度説明は受けているが、詳しい話などは殆どしていない。

「公ちゃんが頑なに拒絶してたもんで、毎年私の誕生日にチューしてもらうっていうのくらいかなあ」
「ちっちゃい頃から習慣だったん?」
「まさかあ、中1の時に無理矢理させた」
「無理矢理て! お兄ちゃんご苦労なさったなあ」

けたけた笑う岡崎が突つくので、話はそのまま初めての夜の件にまで及んでしまい、とうとうその話に至ったところで美須々が前のめりに倒れた。アヒル座りでクッションを抱いたまま、ぺったりと半分に折れてしまった。

「あわわ、大丈夫」
「ご、ごめんなさい、わた、私ちょっと本当にわからなくて」
「ベルちゃんごめん、無理しないで、他の話しよう」
「い、いいの、私に構わないで! ちゃんたちがおかしいんじゃないんだから」

だが、こんな様子の美須々の前で続けられる話でもない。アナソフィア3人はできるだけ緩いカーブで話を逸らせながらソフトな恋バナに戻し、美須々が疲れて眠ってしまう頃までには全く関係ない話にまで軌道修正できた。薄暗い部屋の中でクッションを抱いたまま眠る美須々に添い寝した緒方はにやにやして楽しそうだ。

「確か年上のはずなんだけど、ベルちゃんほんとに可愛いね」
「いい男見つかるといいね。これ、ツボに入ったら相当可愛いぞ」

岡崎も真剣に頷いていたが、はまた何も言わず、余計なお世話なのだから赤木のことなど考えてはいけないのだと自分に言い聞かせた。例えばこの美須々の可愛さをわかってくれる男が現れて、それが赤木でなかったとしても歓迎してやれと繰り返し言い聞かせていた。