ウェルメイド・フィクション

06

ひと月4週あるとして、高野とが週末にやって来る割合としては、が1、高野が3という状態になっていた。何しろ安定した勤めの高野は週末を全てケイトに充てることができるし、実家が裕福な家庭らしい彼は収入のすべてを自由に使うことができるそうで、ケイトへの支援金額は右肩上がりだ。

支援と言っても、基本的に女子ふたりは生理用品や化粧品などなくても命には関わらないけれどないわけにはいかないものが中心。時枝は最近トイレットペーパーとティッシュペーパーの人になりつつあるが、現在子育て中の彼女も支援額は月に2000円前後というところだ。その点ではの方が多いかもしれない。

なので高野の支援はほとんどが食事。外食もたまにはするけれど、一緒に食事をする名目で買ってきた食材を全て置いて帰るので、日々のケイトの食費にはだいぶ余裕が出てきた。以前のように見切り品で凌ぐということもなくなってきたし、毎週末には缶チューハイまで飲めるというおまけつき。

それにしても、とケイトは考える。

に「高野がどんな人なのか、わからなくなっちゃって」と聞かされた時、彼女もまた妙に不透明な彼の向こう側へ漠然とした不安があることを自覚した。ケイトと付き合いたいと言う割に自分のことはあまり話さないし、が来ると聞かされれば絶対に来ない。

高野とは何の確執もないし、というかは今でも藤真と付き合っているのだし、みんなで会おうかという話になってもおかしくないはずだ。なのに高野はそんなことは言い出さないし、と聞くと「女子会を邪魔するほど空気読めないわけじゃないよ」と笑って誤魔化す。

多くを話さないけれど、どうやら藤真だけではなくてあの頃の仲間――花形、長谷川、永野とも殆ど会ってないようだ。永野とは一応姻戚関係にあるわけだが、あっちは新婚だからと言ってはこれまた多くを話さない。話すことがあるほど会ってないんだろう。

それとなく話を向けてみても、女の子とは違うよと言ったり、3年前帰ってきた時に会って話してるから、などと逃げ腰な答えが帰ってくるだけ。それが逆に引っかかるケイトだったが、やっぱり追求する気はなく、週末に食材を持ってやって来る高野をいつも通り迎え入れた。

「年を考えてもゼロってのは絶滅危惧種じゃねーのか」
「えー。時枝もだけど」
「アナソフィアってのはそんなんばっかりか」
「そんなこともないよ、は隣のお兄ちゃんと一緒に散々遊んだって言ってたし」

ゲームのことだ。ケイトは家がテレビゲーム禁止主義で一切経験がなく、時枝も親にそういう興味がない上に、本人もテレビゲームの類は好きではない。この点では同い年の幼馴染がいたの方が一般的な感覚の持ち主といえるだろう。

スマホゲームとかしないのかと聞かれたケイトがテレビゲームすらもやったことがないと言うので、仰天した高野がハードごと持ってきてくれたというわけだ。初めて見るテレビゲーム機にケイトは興味津々、セッティングしている高野の手元を凝視している。

「何やるの、難しい?」
「難しくなさそうなの持ってきたけど」
「てかゲームってどんなのがあるの」
「そこから!?」

例えゲーム禁止の家に育っても、中高生の頃に友達や彼氏と触れ合う内に覚えていくことなのだとしたら、ケイトはとことんゲームには縁のない環境で過ごしてきたといえる。はともかく時枝はゲーム嫌いなのでお泊り会をしてもやらない。アナソフィア女子は生徒同士でゲーセンには行かない、ケイトはおっさん趣味。

「古いの持ってきて正解だったな」
「古い方が面白いの?」
「ていうか、単純で操作が簡単なのも多いから」
「うんうん、そうだよね、私初心者だもんね!」

高野はなんとPS2を引っ張り出してきた。これならPSソフトもPS2ソフトも遊べるし、PSゲームなら高野の言うように携帯機のような単純操作のゲームも多いし、何しろタイトル数が異常に多い。ケイトがゲーム面白いと思ったら、自分の好みに合わせて遊んでみることもできるし、格安な中古品も多い。

そんなわけで、ゲーム機のコントローラーを手にしたことすらないというケイトの初ゲームである。高野自身は雑食で、RPGでもアクションでも何でもやる。最近はFPSが多いが、ケイトにはハードルが高いし、女の子なのだからいきなりそんなものやっても面白くないだろうと考えて、古いヒット作を持ってきた。

「パ……パラッパラッパー。絵がかわいい」
「音に合わせてボタンを押すゲーム」
「へー! 出来るかな〜」
「最初はボタン少ないし、ダンサーなんだからリズム感はあるだろ」
「おお、何だそれ試されてるな!!」

そして1時間が経過。

「やばい面白いー!!! 止まんないいいい!!!」

ケイトは少し酒が入って赤い顔をさらに赤くして大興奮、パラッパラッパーが気に入ったらしい。やっとタマネギ先生をクリアできるようになっただけだが、それでもステージを繰り返し繰り返し、飽きもせずに遊んでいる。

「ゲームってこんなに面白かったのか……
「それ置いてくから好きなだけ遊んでいいよ」
「え!? 何で!? 悪いよ!」
「それもう古いやつだって言ったろ。今使ってないから大丈夫」
「マジか! やばい廃人になりそう!! 時枝に説教されそう〜!!!」

高野はちらりと持ってきたPSゲームのラインナップを見る。可愛い絵柄のRPG、パズル、シミュレーション。どれもそれなりに廃人要素があるが、無害な内容のものばかりなので万が一時枝に見つかってもそれほど怒られないで済むはずだ。

「そうかあ、みんなこういうので遊んできたんだねえ」
「こういう音ゲー、花形は超ヘタクソ」
「それっぽーい!」
「あいつはパズルとか異常に上手いけどこーいうのはほんとにダメ。藤真も割と下手」
「そーなの? そんな風に見えないんだけど」
「自分のタイミングでやりたいらしいんだよな」

ケイトはそれを想像してケタケタと笑った。想像すると可笑しい。というかそんな風にしてみんなでゲームとかしてみたくなった。普通は小学生や中学生の頃にそんな体験をするんだろうが、何しろ経験がない。今すぐと藤真と花形を呼びたい。超ヘタクソだという花形と勝負したい。

「いやー、時が経つのを忘れるねこれは……
「ソフトも全部置いてくから、色々やってみたら」
「うおお、マジかありがとう! てかトイレ行くのも忘れるなこれは!」

ぴょんと立ち上がったケイトはうきうきとトイレに向かった。ゲームがこんなに面白いものだとは! 世の中にはまだまだこんなに面白いものが隠れていたとは! そして勢いよくトイレのドアを閉め、ルームパンツに手をかけたところで気がついた。トイレットペーパーの補充を忘れていた。時枝ペーパーを取ってこなければ。

ケイトがドアを開けて飛び出すと、驚いた高野が手から何かを落としてバラ撒いていた。小さな粒状のものが床に落ちて転がる。高野は水のペットボトルを手にしている。

「何だよびっくりした。落としちゃったじゃん」
……それ、薬?」
「え? ああ、これか。そう」

ケイトはトイレットペーパーのことなどすっかり忘れて高野のすぐ側に滑り込んだ。

「昭一、具合悪いの?」
「悪くないよ、見ればわかるだろ」
「じゃあその薬何?」
「アレルギーの薬だよ。飲み忘れてたから」
「アレルギー? 病気じゃないよね?」

ケイトの顔が真剣なので、高野は拾い集めていた薬をテーブルの上に置くと、彼女の頭を撫でた。

「オレが今にも死にそうに見えるか? 大丈夫だからそんなに不安そうな顔するなよ」
……それなら、いいけど」
「てかトイレ行ったのにどうしたんだ。紙なかったのか」

鼻で笑う高野を尻目に、ケイトは時枝からの差し入れのトイレットペーパーを引っ張りだし、またトイレに戻った。便座に腰掛け、ケイトは両手で口元を覆って激しい動悸を宥めようと意識的に呼吸を繰返す。

アレルギー? そんなの初めて聞いた。毎日飲むような薬だったのなら、どうして初めて見た? なぜ隠れて飲むような真似をした? 病気じゃないというけれど、全ての病気が外から見て簡単にわかるなら手遅れになったりしない。アレルギー、それはあんなに細かく何錠も薬を飲むようなものだっただろうか? わからない。

高野が健康であろうことはあまり疑っていない。本当に病んだ人の顔色の悪さ、肌の冷たさ、力のない目、それには嫌というほど覚えがある。けれど、例え彼が飲んでいた薬が気休めのサプリだったとしても、人が薬を飲む姿にはまだ胸がざわついて仕方ない。

大丈夫、あいつは大丈夫。もしかしたら超便秘なのかもしれないじゃん。もしかしたら健康マニアでサプリ飲まないと落ち着かないのかもしれないじゃん。大丈夫、ヒコさんのようにはならない。もう誰も失ったりしない――

しかしこの夜、一度不安に思ってしまったケイトはぎこちなくしか接することが出来なくて、ただ無心でゲームをして、22時頃帰っていった高野の後ろ姿をずっと見つめていた。

少しずつ自分なりに考えを進めてはいたけれど、何しろタイミングが悪かった。高野が薬を飲んでいるところを目撃してしまった翌週、まずは時枝の子供が突然高熱を出して入院した。ただしこれは重大な病気ではなく、大事を取って一晩入院しますか、というところで、その報せだけが届いてしまってケイトは冷や汗をかいた。

次に、ケイトの専門進学を支持してくれた父方の祖父が癌の疑いがあるといって精密検査になった。結果はシロで、祖父は検査料欲しさに騙されたんじゃ、と怒っていたけれど、何しろ癌にはトラウマがあるケイトにはとてつもないダメージだった。時枝の子供の件と合わせておっさんを亡くした時のことがありありと蘇ってきてしまった。

母親や時枝からメールで連絡が来ただけで吐き気がし、結果が出るまで恐怖に震えていた。その間週末にやってきたが泊まってくれて、一晩中ゲームに付き合ってくれてもずっと怖かった。

双方無事とわかっても、一度出てしまった恐怖が引っ込むのには時間がかかり、これには高野が貸してくれたほのぼのとしたゲームに随分助けられた。ゲームなんて勝負をつけるものだと思っていたケイトは可愛い絵柄に油断していたRPGで号泣、また見解を改めるに至った。

そしてまた週末、金曜の夜。高野は今日はスーパーに寄らないで直接行くからと連絡を寄越してきた。

スーパーに寄らない分早めに到着した高野はダンボールを抱えていて、しかしそんなことよりも彼がマスクをしていたので、ケイトはまた恐怖がぶり返して全身が冷たくなった。おっさんが入院している時、院内では必ずマスクをしていた。医師も看護師も来客もみんなマスクをしていた。

「どうしたのそのマスク……
「おお、忘れてた。いやー、今日事務所で風邪っ引きの人がいて――何だよ顔色悪いぞ」
「本当に? 嘘じゃなくて?」
「そんなこと嘘ついてどうすんだ」

ダンボールを下ろした高野はマスクを引っ張って外すと、丸めてポケットに突っ込み、バッグの中からペットボトルの水を取り出した。マスクしてたおかげでなんとなく口の中が篭ってる感じがすると言い、水を飲む。

「あとこれな、ウチお歳暮とかお中元とか大量に来るんだけどいつも余るんだよ」
「おせいぼ……
「油とか醤油とかジュースとか洗剤とか色々入ってるから使えるものがあれば」

ダンボールの上をトントンと指で叩いた高野はしかし、部屋の中に上がろうとしない。それをケイトがおやっと思った時、彼はペットボトルをバッグの中に戻すと、ドアノブに手をかけて体を半分外に向けた。

「また食材とか足りなかったら明日にでも――
「ちょ、ちょっと待った」
「どうした」
「帰るの……?」

が来ない週末は殆ど一緒に過ごしてきたというのに、一体どうしたんだ。ケイトは帰ろうとした高野の服の裾を思わず掴んで引き止めた。だが、高野の手はドアノブから離れない。ケイトの方を向いているのも顔だけだ。

……風邪、伝染ってるかもしれないしさ。この間怖がらせちゃったし」

見上げているケイトの頭をポンポンと撫でた高野は、心なしか疲れたような顔をしている。ケイトは首を振り、裾を掴んでいる手が白くなるほど力を入れた。怖い。高野の薬、時枝の子供、祖父の癌疑い、全部全部怖い。私は何度も何度もヒコさんを失った時のような苦しみばかりを繰り返すんだろうか。

「おい、大丈夫か、疲れてるんじゃないのか。オレ帰るからゆっくり寝た方が……
「昭一、何隠してるの」
「はあ?」

やっとケイトの方に振り返った高野は、服の裾を掴むケイトの手を両手で包み込んでゆっくりと揺らす。

「どうしたよ、何かショックなことでもあったのか」
「話をすり替えないで。ねえ、何を隠してるの」
「隠すって何だよ。どうしたんだ一体。何でオレが隠しごとしてるとかそんなことになってんだ」
「藤真も知らない!」

ケイトは上ずる声で腹から言葉を絞り出した。

「もう子供じゃないんだからみんなそれぞれ色んな事情があるのはわかるけど、だから、子供じゃないから余計に心配になるよ。関西にいた頃のこと、院に進んだってこと、こっち帰ってきてからのこと、友達の藤真ですらよく知らないって、それって普通のことなの? あの時、六本木で何してたの?」

と話をしてもそれほど不安は感じなかった。高野だけじゃない、あの頃の仲間のことは信じているし、信じたかった。けれど、自分がトイレに立った隙に薬を飲もうとしていたところを見てしまって以来、の言葉が改めて重くのしかかってきた。

一体、この人ってどんな人だった? 10年前と同じ? それとも……

「何でそんなこと気になるんだ」
「何でって、心配だからだよ」
「大丈夫、何も……みんなに迷惑かけるようなことは何ひとつないって」
「そういうことじゃないでしょ!」
「それはケイトの方だろ」
「何でよ!」

服の裾を掴んでいたケイトの手を引き剥がすと、またゆったりと包み込む。段差のある玄関だけれど、高野は少し屈み込んでケイトの顔を覗き込む。ケイトの目は怯えてちらちらと揺れている。

「答え、まだ出てないんだろ。だけどその答えはケイトの中にあるもので、オレの事情は関係ない。てかオレの事情を気にして考えるようなことじゃないじゃないか。そういうのはちゃんと自分の中身と向き合って、それで結論を出すべきものだろ。人の事情に左右されたらダメだ」

それは正しいのかもしれない。とりあえずのところ、問題になっていたのは高野が何かを隠しているかもしれないということではなくて、「おっさんではない」高野がケイトにとって向き合える相手になり得るかどうか、ということだったのだから。それが大前提である限り、高野の事情を織り交ぜるのは確かに順序が違う。

ケイトは再度首を振る。

「だけど、だけど心配なんだよ。私こんなんでも元カレ死んでるし、何か最近具合悪くなったりする人いっぱいいるし、あんたはあんたで私に隠れて薬飲んでるし、こうやって会いに来てくれるけど、私あんたのこと全然知らないんだもん。10年前の高野昭一しか知らないんだもん。今ここにいるのはその頃と同じ人なの?」

ケイトの怯えた目に見つめられた高野は小さくため息をつくと、かくりと首を傾げた。

……ケイト、知らない方がいいこともあるよ。それはほら、ドラマや映画みたいなことじゃなくてもさ、誰だって色々大変な思いして生きてるじゃん。この歳になれば、高校生の頃みたいにそれだけでピュアな生き物ってわけでもないだろ。それはケイトも同じじゃん」

しかしそんなことを言われれば余計に気になる。ケイトは包まれた手をぶんぶんと振り回す。

「私には、話せない……?」
「ていうわけじゃないけど、聞いても面白くないしな」
「面白いか面白くないかの問題じゃないじゃん」
……ケイト、やめよう。オレはケイトのこと好きだし、本音ではくっつきたいって思ってるよ」

振り回された手をそっと押し戻した高野は、真剣な目でそう言ってきた。オレのことを根掘り葉掘り聞きたいのかもしれないけど、こっちはこっちで近くにいるなら触れたいと思ってるんだぞ。そういう、ある意味では牽制のための脅しだったのだろう。だが、高野の一言がケイトの最後の壁を打ち崩した。

「オレたちはまだ友達だろ。そんなに深刻になるなよ、オレのことなんかどうでもいいって」

勢いよく手を振りほどいたケイトは、手を伸ばして高野の胸ぐらを掴み、怒りに満ちた目で睨んだ。

「どうでもいいわけないでしょ、あんた何言ってんの……!?」
「ケイト落ち着いて、怖いならどこか遊びに行こうか」
「昭一、ちゃんと私の目、見て。私も怖いけど、あんたも怖がってる」
……ケイト、オレもう帰るから」
「だめ、帰ったらあんたもう二度と私と会わないでしょ」
「そんなことないって、またご飯食べようぜ」
「昭一、お願いだから」

ケイトの手に手を重ね、高野は顔を戻すと、低い声で呟く。

「ケイト、帰るなっていうなら、泊まりだぞ。その意味はわかってんだろうな」
……そうやって脅せば解放すると思ったら大間違いだバカ。答え出たから、泊まっていけ」
「は!?」
「答え、出た。私あんたのことどうでもよくない。だから全部話して。泊まってっていいから」

厳しい顔をしていた高野は一転、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして固まった。その隙を突いたケイトは彼の首に両手をかけて力任せに引き寄せ、驚いてグラついた体がバランスを取り戻したところで唇を押し付けた。ケイトの記憶にある限り、3度目のキスだった。