ウェルメイド・フィクション

05

「私、OKの返事なんかしたっけなあ……
「でも腹減ってんだろ」
「ちくしょう、みんな貧乏が悪いんだ」

に全てをブチ撒けた次の週末、再び金曜の夜である。今週はが来ないと聞かされた高野は両手に食材を持って訪ねてきた。ちゃんとした答えが出ていないというのに彼を部屋に入れるのはどうなんだろうと悩む暇もなかった。何しろ「もしもし、今アパートの近くのスーパーにいるんだけど何食べたい?」である。

おっさんとの4年間は金に困ったことはなかった。自分の稼ぎは4割も家に入れていたけれど、おっさんと一緒にいれば財布を開くことは殆どなかった。そういう意味では人の金で楽をすることは既に経験済みだし、その額はたちの支援の比ではないから、いくら高野が金で釣ろうとしても効果はない。

なので、ケイトは「いくら貧乏でも金で心は売らん」と冗談めかして宣言した上で、あれが欲しいこれが欲しいと買い物を頼み、やっぱり情けないのと罪悪感で肩を落としつつも、高野の金で肉を食っている。というか肉が食べたいとケイトが言うので、高野は道すがらホームセンターでホットプレートまで買ってきた。

「牛丼以外の牛肉久し振りだ!」
「でもたまに来てくれるんだろ」
「先週も来たよ。この間はコラーゲン鍋だったけど」
「コラーゲン……とケイトだろ。いらないんじゃないの、そんなの」
「アラサー舐めんなよ」

女子の苦労も知らずにこれだから野暮な男は、と鼻で笑ったケイトだが、

「気にしすぎだろ。全身つるつるだったじゃん」

そう言われて口いっぱいに頬張った肉を吐き出しかけた。

「ご飯食べてる時にそういうこと言うな!」

しかも全身つるつるなのはダンサー時代にほぼ全身脱毛してしまったからだ。おっさんの希望で多少は残してあるけれど、夏場の衣装などで露出する部分は全て処理済みだ。その上費用はほとんどおっさん持ち。

かー、藤真もそうだけど全然会ってねえなー。変わらないか?」
「ええと……変わったといえば変わった」
「どういう意味?」
「高校生の頃とは違う意味で超キレイ」
「わかりやすいな……
「それをあのバカ、ずっと放置してんだから」
「バカって藤真か?」

勝手にスイッチが入ったケイトはまた肉を口の中に詰め込み、鼻を鳴らした。

「だってそーじゃん、大学は一緒だったけど、またあいつキャーキャー言われてコンパだー何だーって連れ回されて女に付きまとわれて、その度に時枝がキーキー怒ってさ」

もちろん藤真は自ら進んで浮気心を抱いたことはない。だが、がそういうことで心を痛める度に、身長が174センチに到達してやっと成長が止まった時枝が怒り狂っていた。こちらも183センチで身長が止まった藤真は2度、時枝に巴投げをされている。

「だけどまだ付き合ってんだろ」
「言ったじゃん、私たちもうアラサーなんだよ。さっさと嫁にもらってやれっての」
「大丈夫だよ、そんなに遠い話じゃないって」
「あんたも楽観的だなほんとに」
「だってそうだろ、どのみち藤真はがいなかったら生きていけない」

高野があまりにもさらりと言うので、ケイトは缶に口をつけたまま止まった。

……そうなの?」
「えっ、そうだろ?」
「うーん、藤真とはそれでも会ってる方だと思うけど、そういうの、見えないからなあ」

それに、はよく藤真のことで愚痴を言うけれど、藤真は高校時代からケイトや時枝には親切で紳士的だった。それが余計にを傷つけていたわけだが、今になってみると、そうした藤真の態度が「よそゆき」の態度だったのだと思うと、少し寂しかった。

と一緒に会うこともあったけど、優しいし穏やかだし、よくわかんないんだよね」
「まあそれも藤真の一面ではあるけどな。平気平気、もうすぐだって」
「そんならいいけど……

ケイトも自分よりは翔陽の仲間であった高野の方が藤真のことはよく知っているはずだという先入観がある。なので、まあこいつが言うならそうなんだろうと納得した。

「てか永野はどーだったの。結婚したって言ってたけど、彼女いるなんて言ってたっけ?」
「あー、成人式の頃はどうだったかな」
「てか藤真は知ってたはずでしょ。何にも言わないんだもん」
「言えなかったんじゃないか、結婚の話題なんて。去年の話だぞ」

あり得る。ケイトはまた缶チューハイを傾けつつ、頷いた。

「でもケイトだけ仲間はずれにしてたわけじゃないぞ。身内だけで会食した程度だったから」
「えっ、そーなの。あんたたちはみんな結婚式とか行ってるもんだとばっかり」
「おが……時枝もしなかっただろ」
「まあそーね」

時枝の場合は神前式だったので、まさに身内だけの挙式。友人を呼んでパーティ、なんてこともしなかった。

「でも時枝はほら、ドレスに憧れがあるタイプじゃないけど、普通は着たいじゃん」
「こっちも嫁はあんまり……
「人の嫁にその嫌そうな顔はどうなの」
「人の嫁だけどオレの従姉妹だからな」
……………………は?」

初耳のケイトは目玉が飛び出そうなほど目を見開き、斜めに傾きながらよろよろと缶をテーブルに置いた。

「あんたの、従姉妹が、永野と、結婚したの?」
「そう」
「どーいう……
「別にオレが紹介したわけじゃないんだけどさ。たまたま知り合って」
「永野と親戚になっちゃったのか」
「そう」
「うわあ……

ケイトは歪んだ顔で笑っている。友達が身内になるなど、想像すらも出来ない展開だ。

「オレは時枝の方が驚いたよ。ろくなマッチョがいないってうるさかったけど、見つけるの早かったなと思って」
「まーね。大学入ってすぐだし、まあほら、あそこもの遠い身内みたいなものでしょ」
「いや、知らん。そーなの?」
「あれ?」

時枝の夫はの友人である。の幼馴染と中高一緒で、自身もよく知る関係だったが、それでも時枝と知り合ったのは同じ大学に進学したからだ。こちらもたまたま会話をするきっかけがあり、その時に時枝がアナソフィア卒業生に与えられる指輪をしていたことからの話題になった。

「幼馴染みたいなもんです、親友です、あれ? ってな感じだったらしい」
「それもすげーな。永野んとことほとんど同じじゃん。翔陽です、従兄弟がいました、あれ?」
「それでどっちも結婚してんのかよどんだけ世界狭いんだよ作り話か」

缶チューハイとはいえ、酒量が進んできたケイトはへらへら笑いながらベッドに寄りかかって足をばたつかせた。テーブルの上の肉はきれいになくなり、空き缶が並ぶだけになってきた。軽く酔ってきたので、高野の金でたらふく肉を食ったことへの罪悪感はすっかりなくなっている。

「でもそっかー、高校時代の仲間と家族になっちゃったのか。それもいいねえ」
「さっきうわあとか言ってたくせに」
「いや、私もと時枝なら家族になってもいいなあと思ってさ」

高野の方も姉妹ではなくて従姉妹だ。独立した家庭になってしまえばそれほど密接な関係ではないだろうし、その距離感を想像したケイトはと時枝ならそのくらい親しくなっても構わない気がして頬が緩む。時枝の子供も可愛くて大好きだ。もしダンスしたいと言ったらいくらでも教えてやりたい。

妄想でニヤニヤしつつ、手にした缶チューハイをくるくる回していたケイトの隣に高野がするりと滑りこむ。

「オレは?」
「何が」
「オレが家族になるのはどう?」
「飛躍しすぎじゃないの」

お腹もいっぱいになって、ほろ酔い。前回と違って意識のはっきりしているケイトは真横に並んで座り膝を立てている高野をちらりと見ると、そう言い捨てて缶チューハイをあおる。高野の気持ちにはものすごく感謝しているが、何しろ自分自身の在り方というものがグラグラ揺れている真っ最中だ。流されてなるものか。

と時枝なら、って言ったじゃん」
「オレはダメ?」
「ダメとかそういう問題じゃ……。時間くれって言ったでしょ」

ちゃんと考えたいと思っているのだ。自身のおっさん愛好症は何があっても揺るがないと思っていたのだし、けれど高野の気持ちを無下にもしたくないし、そんな大事なことをうーんと首を捻って30秒で決めてしまいたくない。ケイトは嫌そうな顔にならないよう気をつけながら、高野を見上げた。

「これでもいっぱい考えることがあるんだよ」
「それを急かすつもりはないけど、アリかナシかで言ったらどっちかなと」
「今はっきり言えることは、現時点での『アリ』は藤真や花形たちでも同じ『アリ』だからね」

これは正直なところだった。高校3年間を楽しく過ごした仲間であることは絶対に覆らない。例えば家族になっても嫌じゃない、そりゃあ翔陽5人組みんな同じだ。ケイトに女の子の従姉妹はいないけれど、もしそういう親戚がいて、それと誰かが結婚しても嫌じゃないに決まってる。

それを聞いた高野はしかし、緩く微笑んでそっとケイトに抱きついた。

「それでもいいや」
「って、ちょっと何くっついてんだ」
「先々週べったりくっついて離れなかったヤツが何言ってるんだ」
「だからそれは! もー!」

肩にのしかかって来る高野の頭を押しのけようとしたケイトだったが、こちらもゆる〜く酔っているので力を入れるのがだるい。それを察した高野は鼻で笑って長い腕でケイトの体をくるみ込む。

「ケイト、チューしたい」
「やだ」
「この間何回もしたじゃん」
「私の中では1回しかしてない」

まったく記憶がないので、既に深い関係になっている前提で来られても困るのだ。ケイトにとっては、先々週の朝に一度だけキスした記憶があるだけ。それが最初で唯一の確かな事実なのだ。

「あんたが嘘ついてるとは思わないけど、やっぱり記憶はないし、だから私はあんたとは1回しかキ――

キスしてない、と最後まで言い終えられなかった。押しのけようとして押さえていた頭がひょいと動いたかと思ったら、またキスされていた。しかし今度は前回ほど混乱していない。すぐに顔を引くと、おでこの真ん中をパチンと掌底で叩いた。高野は笑っている。

「これで2回目」
「完全にマイナス査定だけど」
「えー」
「えーじゃない」
「えっ、じゃあもしかして泊まるのもダメ?」
「ダメに決まってんだろ。何で泊まれると思ってたんだ」

憤慨気味に鼻息荒く言ったケイトだったが、高野はまだにこやかに微笑んでいる。

「近くにいたらまたそばにいて欲しくなるかなーと思って」

そりゃあ全力で甘やかしてくれる人がそばにいてくれるのは嬉しいに決まってる。けれど、それを流されると言うんだ。ケイトはつい抱きつき返してしまいたくなるのをぐっと堪えて首を振る。

「あのさ、高野」
「昭一でいいよ」
「よし、じゃあ昭一、私ちゃんと考えるって言ったじゃん」

また不意打ちでキスが迫ってこないように、ケイトは高野の顔を両手で掴んで真正面から話す。

「あんたのこと嫌いなわけじゃないし、大事に思ってるし、気持ちは本当に嬉しいし感謝もしてる。今日も美味しいもの食べさせてくれてありがとう。だけどお願いだから時間ちょうだい」

ケイトが厳しい顔をしているので、高野も真顔になって頷いた。

「ごめん、急かすつもりないってさっきも言ったのにな。近くにいるから、くっつきたくなってさ、つい」
「気持ちはわかるよ」
……今度は外でご飯食べるか」
「今度って……

体に巻き付いていた高野の腕が離れると、ケイトは少しホッとして肩の力が抜ける。

たちと同じだよ。まあ遠くないし平日でもいいけど、ご飯、また奢るよ」
「だから物や金で――
「そういうつもりじゃないって。どんな結果になっても、ケイトがひもじい思いしてるのは放っとけないから」
……ごめんなさい」
「謝るようなことじゃないだろ。プラス査定にでもしてくれたら嬉しい」

ちゃんと、ちゃんと考えよう。自分はいったいどうしたいのか、ちゃんと考えよう――そう固く決意したケイトは、遠慮がちに繋がれた大きな手をギュッと握り返した。

とは言うものの、ケイトは何とかダンスで仕事が出来るように毎日奔走していて疲れていたし、と高野が奢ってくれなければ普段通りの倹約質素生活だったし、そういう日々の中では考えると言っても中々思うように結論は出なかった。

だが、高野の方はそれを一向に気にする気配もなく、週末にが来ないとわかると食材片手にやって来るし、平日でもケイトの予定が空いてしまったら外で食事を奢ってくれたりと、一緒にいる時間がどんどん長くなってきた。しかし、一応2度目のキス以来、あのような一方的な接触はしてこない。

部屋に入れるのはつい警戒してしまうケイトだったが、高野は入れてくれとは言い出さないし、入ったとしてもだいたいいつも22時頃には帰っていく。キスもねだらない。というかどうしても必要がない限りは触れようとはしなくなった。それはまるで高校生の頃に逆戻りしたかのようで、ケイトも気が休まる。

そして合間にが遊びに来ると、ぽつりぽつりと考えていることや感じたことなどを話し、にまとめてもらったり、抜け落ちていそうなところを補ってもらってりする。

そうやってケイトはケイトなりに高野のことを考えていた。

……ねえそういえばさ、高野は六本木で何してたの?」
「何って……いや、聞いてない」

どうしてもそのことが引っかかっていたはさり気なく口に出してみたのだが、もちろんケイトも知らない。というかケイトはそんなことを気にしていなかった。

「実家はこっちでしょ。ケイトは打ち合わせだったろうけど、偶然会うような場所かなって」
……言われてみればそうだね」

翔陽時代は寮に入っていた高野だが、実家は神奈川県内だし、とケイトもそれぞれ学生の頃は東京で生活していた時期があるが、今はみんな地元に戻ってきている。県内で偶然遭遇したならともかく、なぜ六本木だったのか。ケイトも言われて初めてそれが引っかかった。

「ケイト、余計なこと言ってほんとごめん。だけど、私ちょっと不安で」
「どういう意味?」
「なんか、高野がどんな人なのか、わからなくなっちゃって」

テーブルに置いた手を見つめながら眉間にしわを寄せたは、低い声を絞り出す。

「健司も学生時代の頃のことはすっぽり抜けてるって言うし、臨床心理士のこともこの間初めて聞いたっていうし、別に高野が悪い人になってるんじゃないかとか、そんなことは思ってないんだけど、あんまり空白が多いもんだから、もうあの頃の高野ではないかもしれないと思うと、ちょっと怖くて」

ケイトはしかし、の言いたいことはよくわかったので、大きく頷いた。

「わかるよそれ。私も最初、この人ってどんな人だったっけ、この人のこと何も知らないって思った。確かにの言うように、六本木で何してたのかとか言わないし、今も自分のことはあんまり話さないし、そういうところ、ちょっとアレッて思うこともあるよ。だけど、変な言い方だけど、信じてるんだよね、私」

はケイトの言わんとしていることがわからなくて、首を傾げる。

「誰でも高校生の頃のままだなんて思ってないけど……なんていうのかな、と時枝はもちろん、あいつらも長い時間を一緒に過ごした仲間で、それなりにいい所も悪い所も知ってるし、みんなそれぞれ色んなこと乗り越えてきてるんだから抱えてるものが重かったり暗かったりするかもしれないけど、それでも信じられる人たちだって思ってるんだよね。信じられるというか、信じていたいというか」

それを絆されているのだと言われてしまえば、反論はできないかもしれない。高野がケイトに優しくするのは何か下心あってのことだと言われれば、それを見抜けなかっただけでしかない。それでも楽しい高校時代を一緒に過ごした仲間である彼をそんな風に疑いたくなかったのだ。

の不安もわかるよ。ひとりだけ遠くに離れてたし、元々冗談も多い人だったしね」
「ケイトが安全なら私はそれでいいんだけど、もし何かおかしいなって思うことがあったら、すぐに言ってね」
「もちろん。てかみんなにも会いたいって言ってたよ。5人、中々揃わないだろうけど」
「あはは、健司は今ちょっと顔合わせづらいみたいよ」

昨年、藤真は所属していたプロチームとの契約更改の前に引退を決めた。まだそれから1年と経たないとはいえ、現在彼は定職についていない状態である。仕事がないわけではないし、現役時代の年俸はが厳重に管理していたので貯蓄もある。なので生活は問題ないが、何となく恥ずかしいのだろう。

それに、お互い一目惚れで恋に落ちて13年である。いい加減と結婚したらどうだと突っつかれるのも嫌だ。そういう理由で最近は花形たちともあまり会っていないらしい。顔を合わせればみんな同じことを言うからだ。

「私もしばらく会ってないからな〜会いたいなみんな」

にんまりと笑って体を揺らしているケイトと一緒に笑いながら、は心に重くのしかかって来る不安を払い除けようと必死だった。ケイトの決断に余計な横槍を入れるつもりはないのだが、どうしても心配になってしまう。

だってケイト、私たちだけじゃなくて、健司も知らないんだよ。それって普通のことなの?