ルーザーズ&ラバーズ

Side-F 11

ナナコの場合は家どころか部屋からもほとんど出ないので家庭訪問だが、登校してるなら社会科準備室である。は滅多にしない早起きのせいで1日授業を爆睡して過ごした後、米松先生との面談だったことを思い出して、教室を出た。落ちこぼれ部や脱落者はだいたいこうして毎月面談をしている。内容は主に雑談。

「今日はどうした、延々寝てたらしいじゃんか」
「ちょっと朝早かったもんだから」
「夜遅かった、じゃなくて早起きか。感心感心」
「夜型人間が何言ってんだ」

米松先生は愛情深いベイマックスだが、だからといって品行方正というわけではない。高校教師としての節度はもちろん守っているが、学生時代は「そりゃもうひどかったもん」だという。ついでに学生時代は「とんでもないイケメンだった」と言って憚らないが、そこは誰も信用してない。

すっかり寒くなってきたので、日当たりの悪い社会科準備室はハロゲンヒーターが用意されていて、それは生徒優先なので、米松先生は首にマフラーをぐるぐる巻きにしていて、首がなくなっている。頭の次は肩。

「寝てないせいだったのか。なんか顔が違うなと思ってたんだよね」
「顔、違う?」
「違うっていうか、ちょっと緩んでるかな。最近はずっとキリキリした顔してたしね」

米松先生は愛用のプーさんマグで大好きな自家製ホットはちみつレモンを飲んでいる。面談の時は生徒にも振る舞われるが、生徒が一杯飲み干す間に先生は3杯飲む。は自分の手のひらの中のマグを覗き込み、ぼんやりと映る自分の顔に首を傾げた。顔が違う? それならきっと藤真のせいだろう。

「先生って自称イケメンだよね」
「自称じゃなくてほんとにイケメンだったんだから。髪もフサフサだったし」
「じゃあ彼女とかいっぱいいたの」
「おっ、とうとう恋バナか!? 先生は真面目に恋愛の人なので、そんなに大量にはいなかったよ!」

米松先生はマグを机に置いて身を乗り出した。この先生、男子でも女子でも、とにかく恋バナ大好き、恋愛推進、みんなの恋を応援しちゃうぞー! という人であった。だが、先生と恋バナなんか絶対無理、という生徒も多いので、自ら進んで話してくれそうなケースに遭遇すると目の色が変わる。

「恋バナってわけでもないと思うけど……好きな子とそうでない子の違いって、何?」
「そりゃ好きな子は好きな子、そうでない子は友達! …………ていうことじゃないわけね」
「男の人の場合、好きな子って、そうでない子と比べた時に、何が違うの」

先生はちょっと困った顔をして鼻をこすった。

は、誰かを好きになったことないの?」
「あー、そういうんじゃなくて、何て言ったらいいんだろう」

親とも関わりのある米松先生のこと、全て正直に話すには内容が突飛すぎる気がしたし、いくら生徒ラヴなベイマックスでも「そんなことけしからん!」と思われてしまったら困る。は、真実は覆い隠したまま聞きたいことだけ聞き出す言葉を見つけられなかった。めんどくさいからいいや、もう。

「つまりね、好きな子ってわけでもないのに、同じベッドでくっついて寝ても平気なのって、どういう意味?」

ごくごく真面目な顔をしているの目の前で、米松先生はゴフッと音を立ててはちみつレモンをこぼした。マフラーが濡れてしまったし、淹れたてホットなので、熱い。先生は慌ててマフラーを引き抜く。

、そういう相手がいるの?」
「いるっていうか……まあそこはちょっとスルーで」
「色々ツッコミたい気もするけど、よしいいだろう」

この米松先生面談は必ず1回目に先生の方から「誓約書」を受け取ることで始まる。誓約書の内容は第一に「相手が例え親でも校長でも、面談の内容は絶対に他言しません」である。なので何でも話してね! というお願いがつく手前、米松先生はツッコミを飲み込み、姿勢を正す。

「まあ、今ほら、ソフレだっけ? 添い寝する関係の友達っていうやつ、あんなんもあるしねえ」
「それとはちょっと違う気がするんだけど」
……それはさ、そんな距離にいるのに、何で手を出してくれないのとか、そういうこと?」

米松先生は心配そうな顔で頬を人差し指で掻きながらボソボソと言ったが、はすぐに首を振った。途端に先生はぷるん、と表情が緩む。わかりやすい。

「女はさ、くっついて寝るだけだって平気でしょ。普通の恋愛とかじゃなくて、つらいこと分かり合える関係で、それで一緒にいると落ち着くから、くっついて寝るのも何だか幸せだったんだけど、男子ってそういうの、どうなんだろうって思って。女と同じなのかなって」

やっと話が見えた様子の米松先生は咳払いをひとつ。つらいこと分かり合える男子、か。

は『その人』のこと、どう思ってるの」
「最初はすごいウザかったんだけど……今は大事な相棒って感じかな」
「くっついて寝たりしてる時に、それだけじゃなくて、キスしたいとか、思ったりした?」
「うーん、ぶっちゃけ話が深刻すぎてそれどころじゃなかった」

ついでに言えば、藤真は顔の造作が大変良い人物なので、はどこか現実味がなかったという気もしている。カノンと並ぶと作り物みたいで、自分の方の現実感のなさも手伝って、バーチャルリアリティか何かかと思えるほどだった。だから、生々しい感覚もなかった。

「じゃあ、『その人』もそうなんじゃないかな」
「普通男と女だと違うって言うでしょ、それでもそうなの? それか、ただ単に私が可愛くな――
、そういうのはやめなさい」

落ちこぼれ部を長くサポートしてきた米松先生はとても優しいし、滅多なことでは怒ったり叱責したりしないけれど、自虐だけは許さない。勉強や部活の成績はもちろんのこと、外見や家庭環境趣味趣向まで、どんなことでも自虐はいかんというのが米松先生の基本方針である。

もっとも、自虐だけでなく他人を侮辱するようなことも許さないし、要するに米松先生の方針の根底にあるのは、それが自己であれ他人であれ、心を傷つけるような行為は許さんというところにある。

、君たちの関係は充分普通じゃない。だから一般論でどうなの、って言っても参考にならないだろ。きっと『その人』もを大事な相棒と思ってて、といると心が安らぐから、興奮しないんじゃないの」

一応頷いているだが、納得できないらしい。ならば仕方ない。米松先生は腹を括って咳払いをひとつ。

「何せ、藤真くんを理解できるのはだけだろうからね」

またマグに目を落としていたは勢い良く顔を上げて、目をまん丸にしている。

「何でわかったの……
の深刻なつらいことを分かり合える相手が他にいる?」
「いるかもしれないじゃん……ナナコのことかもしれないじゃん……
「そんなの可能性の話だろ。それに、が脳震盪やった時、言ってたんだ、藤真くん」

彼女は――オレです。去年のIHで、今年の予選で負けた、あの時のオレなんです。

「自己愛に似た感情と言ったら乱暴かもしれないけど、つまり恋愛とも友情ともかけ離れた場所にあるんだな」
「ふうん……説明しづらいね」
「先生はとても優しい心の繋がりだと思うよ」
「そうかなあ。甘え合ってるだけって気もしてきて……
「それでふたりは堕落するの? そんなのどっちも性に合わないだろ。だったらいいじゃん」

やっぱり納得していない様子のだが、少し気が晴れたらしい。

、藤真くん――というか男子的に言うと、恋愛関係でもない相手とくっついて寝られるなんて、男として意識されてないのかな、なんて言い換えることも出来るんだよ。そう考えるとわかりやすいだろ」

先生はぬるくなってしまったホットはちみつレモンをレンジにかけるため、席を立つ。

「恋人同士みたいなことをしなくても、今はと藤真くんはお互いが必要で、心から理解し合える相手で、傷を癒やし合うことが出来るなら、それでいいんじゃないかなあ」

傷が癒えるかどうか、それはわからない。だけどそれを確かめるためにもは藤真についていこうと思ったのだ。ただグズグズと変えられない過去を愚痴り合うだけの関係で終わるのか、それとも階段を1段登れるようになれるのか、それは時間が過ぎてみないとわからない。

「いつかか藤真くんか、『大事な相棒』が『好きな人』に変わることがあるかもしれないしね」
「想像つかないけど……
「恋愛なんて想像がつかない方が面白いんだよ。そうしたら、その時改めて向き合えばいいと思うな」
……そっか」

先生は温め直したはちみつレモンを口に含むと、にっこりと笑った。もつられてふにゃりと笑う。そりゃあ普通ではないかもしれないけど、私たちの関係は優しい心の繋がりなんだから、甘え合ってたっていいじゃん――そんな安心を得たは、すっかり冷めたはちみつレモンを飲み干すと、社会科準備室を後にした。

さて、を見送った米松先生は小さく息を吐いて椅子に深々と身を沈め、腕を組んだ。あの藤真くんとがね……。一瞬ぎくりとしたほどには悪い状態ではない。も藤真も、陶酔耽溺して学校に来なくなってしまうようなタイプではないし、そういう点ではあまり心配していない。

しかし、ふたりとも3年生で、2学期は半分以上過ぎているし、つらい経験をした高校生同士でいられる時間は残り少ない。その短い間に揃って過去の呪縛から解き放たれればいいが、どちらも、もしくはどちらかだけ取り残されてしまったら、一体どうなってしまうだろう。

その上ふたりの進路にはだいぶ隔たりがあって、藤真はまた推薦でバスケットの強い大学へ進む。の脳震盪騒ぎの時に聞いた話では、確か誰でも知ってるようなバスケットの強い有名私大だったはずだ。対するは内部進学で海南大。地元ののんびりした大学である。

藤真くんは女の子に添い寝してもらって癒やされて、すっきりした気持ちで進学していけるかもしれない。だけどは? 藤真くんのように評価されてるわけではないし、家庭環境もゴタついているし、それが藤真くんと過ごすことだけですっかり癒されるもんだろうか――

米松先生は窓から深まる秋の空を見上げて、静かにため息を付いた。

「何、今日も親いないの」
「ううん、今日はいる」
「外泊オッケーなん?」
「友達んとこ泊まってくるって言ってきた」

米松先生との面談があった週の金曜、はスポーツバッグを抱えて藤真家にやってきた。これから塾だというカノンに迎えられたは、またダイニングでお茶をもらっていた。カノンは家事を兄に丸投げしているけれど、出来ないわけではないらしい。美味しいお茶だった。

「じゃあ今日はふたりで迎えに来てくれんの?」
「えっ、私あんな速度で走れないけど」
「いや走らなくていいじゃん……健司が歩けばいいじゃん」

そしたらファミレスでご飯食べて帰りたいとカノンは言う。

「ひとり外食まだ慣れなくてさ。てかねえ、の方はどうなの。健司のこと好き?」
「直球だな。たぶん、て感じ」
「ふたり揃って同じこと言うなよ……
「だからそういう状態なんだってば」

カノンが面白くなさそうな顔をしたので、は落ちこぼれ部と脳震盪の件を話した。やはりカノンは特に驚きもしないで聞いている。体験談を聞くというよりは、状況説明を受けている、といった様子だ。

「まあ、あれで健司も甘ったれだから、がいてくれると嬉しいんだろうな」
……甘ったれ? 健司が?」
「そう」
「まさかあ……

仮にも海南と首位争いをしていたチームの監督で主将の藤真が、と疑っただが、カノンは至極真面目な顔になり、顔の前で手をパタパタと振った。

「そりゃバスケ部ではちゃんとやってるだろうけど、それと普段は別の話で」

藤真家の本宅はだいぶ離れたところにあって、兄の健司が翔陽に進学することが決まった中3の秋、カノンもまたキッズモデル業から足を洗う決意を固めたところで、海外に仕事が増えていたふたりの両親は翔陽に通いやすいこのマンションを購入した。カノンも翔陽でいいというので、話が早かった。

「だけどうちがそういう状態なのって今に始まったことじゃないし、私も忙しかったし」

両親は仕事で家を空けっ放し、妹は休みとあらばモデル業に勤しんでいて、藤真は地元で黙々とバスケットを頑張っていた。なので愛情不足なのだとカノンは解説する。そのくせ責任感が強く、バスケットは順調でリーダー的立場になってばかり。弱音を吐ける相手も場所もなかった。

「同じ境遇だからってのは、に甘える言い訳って感じもするけどな」
「そっか……
「いや、だからも遠慮しなくていいんだよって話」

理解し合える唯一無二の存在同士なのかと思っていたがあからさまにがっかりした顔をしたので、カノンはまた真面目な顔で手をパタパタと振った。

「健司にはに話しただけじゃない事情ってのが必ずあるはずだし、それはも同じでしょ」
「まあ、そうかもしれないけど」
「そんなの言い合ってたらきりがないし、たぶんでも好きならいいんじゃないの、それで」

カノンも米松先生みたいな結論でまとめに入ってきた。はそれが少し可笑しくなって鼻で笑った。だがそれなら、自分は自分の都合で藤真に甘えていいということになるんだろうか。それはちょっと嬉しい。

兄が帰るまでは誰も来ないんだし好きにしてて、と言い残し、カノンは出かけていく。は藤真の部屋に入ると、少し換気をして、ベッドにばったりと倒れこんだ。あの夜と同じ、藤真の匂いがする。全身を包み込み、気持ちが緩む匂いだ。はそのままゆっくりと眠りに落ちていった。

すっかり眠り込んでしまったが目覚めたのはそれから数時間後のことで、玄関ドアの鍵をガチャリと開ける音に意識を取り戻し、がばりと起き上がった。気付けば部屋は真っ暗で、制服のままだった。

「ここにいたのか。あれ、もしかして寝てた?」
「おかえり」

ダイニングの方へ先に行ってみたらしい藤真は、部屋に戻るなりそう言ってゆったりと微笑み、ベッドに歩み寄った。はベッドを這い出ると藤真の手に掴まって立ち上がり、そのまま抱きついた。藤真も抱き返して、また髪を撫でる。

「家は平気なのか」
「ダンス部の友達何人かで泊まるって言ってきた」
「荷物多いな」
「月曜の朝まで……いられればと思って」

髪を撫でていた手が一瞬止まり、そしてはきつく抱き締められた。少し窮屈な感じがするが、藤真の匂いがすぐそばにあるのは心地よかった。ここには落ちこぼれも脳震盪も、何もない。

「オレは部活あるよ」
「平気。待ってる。夜、一緒にいられればいい」
「週末はずっとカノンいるけど……
「それも平気。彼女気を使わなくていいから、楽」

それを聞いた藤真は吹き出し、抱き締めたの体をゆらゆらと揺らした。

「じゃあ、今日は一緒に迎えに行こうか」
「あ、そうして欲しいって言ってた。ファミレスでご飯奢ってくれるって」
「マジか。そんなことしてもらったことないぞ……

しかしそれは22時過ぎの話だ。既に部活終わりで腹ペコの藤真と一緒に、はキッチンへ向かった。ふたりで食事の支度をして、適当にテレビでも見ながら食事をし、食べ終われば片付けをして、そしてカノンの迎えに出かける時間になるまではリビングのソファでくっついていた。

は藤真の肩に寄りかかりながら、頬が緩む。甘ったれ同士、今はこれでいい。