ルーザーズ&ラバーズ

Side-F 08

何か文句ある? という顔で「踊ってるだけ」だと言っただったが、ライヴハウスは無料ではないので、そうそうしょっちゅう中に入れるものでもない。それでもは3日と開けずにAtmosphereに通っていたし、中に入れない時は入り口周辺や階段降りてすぐの狭いロビーでだらだらと過ごしていた。

知り合いのスタッフはダンス部の先輩のいとこ。ダンス部の先輩に連れられて初めてAtmosphereに来たのは高校1年生の時だった。以来たまに顔を出していたので、先輩のいとことはもちろん面識があるし、最近ではのような「中に入らないけど遊びに来てる」という知り合いが増えてきた。

年齢は様々、下は中学生から上は40代まで幅広い人脈ができていく。藤真は危ないというが、可愛い女の子を引っ掛けようというような手合いはAtmosphereにはいない。どちらかと言えば、のように不貞腐れて同類と群れているのが気持ちいいというタイプの方が多い。

だから、アウトローぶって店の前でたむろしていても、そこに集まっている人々の殆どは「普通の人」であり、恐らく藤真が危惧しているような事態にはなりえないのである。危ないのだとすれば、Atmosphereからの帰り道の方がよっぽど危険だ。の自宅マンション付近は人通りが切れるのが早い。

という状況には間違いないのだが――

「またぁ?」
さんこそ」
「人のこと言えないでしょ、なんでこんなところがランニングコースなのよ」

フードを目深に被った藤真は、Atmosphereの入り口脇にしゃがみ込んでいたを見下ろしていた。

「今から帰っても家に着くのは23時過ぎるんじゃないのか」
「あー、まあそんなもんかな。もう少し遅いこともあるけど」

面倒くさそうに髪をかき回すの正面に藤真もしゃがみ、顔を覗き込む。

さん、帰ろう」
「またそれ? 自分の好きな時に帰るから、構わないでよ」
「家の前まで送っていくよ。帰ろう」
「しつこいな! 何なのこの間から。友達でもないっていうのに」

は勢い良く立ち上がると、Atmosphereの階段を降りていった。真正面から藤真に見つめられると、苛々が加速する。やたらと整った顔をしているけれど、それをボコボコに殴ってやりたい気がする。心配してるようなことを言うその横っ面を張り倒してやりたい。

私の気持ちがわかる、だって? 冗談じゃない。何をどう比べても私たちの方が負け犬なのに。

そうやって藤真がを見かける度に声をかけ、帰ろうと言えば言うほど、は逃げた。Atmosphereの爆音の中に逃げ込み、自分をなくして意識もなくして、ただ音の洪水の中で体を動かしていた。そうすることでしか、自分の真ん中に空いてしまった穴を埋められなかったから。放っておけば、広がるばっかりだったから。

だが、藤真はいっこうに諦めようとしない。ある程度決まった時間になると現れる藤真は、を見つけると必ず近寄ってきて、帰ろうと声をかけた。はもちろん取り合わない。何度かそんなことを繰り返したので、は時間が来るとAtmosphereのロビーなどに逃げるようになっていた。

「あの子、あんたのことよっぽど好きなんだね。相手してあげたら?」
「そういうんじゃないって」
「じゃあ何なの」
「知らなーい。ワルイコトしてはイケマセン! ていう考えなんじゃない」

ダンス部の先輩のいとこであるスタッフは、ロビーで小さくなってしゃがんでいるの隣で煙草をふかしている。Atmosphereに入り浸っていても、は煙草は吸わないし、酒も自分からは飲まない。ただこうして近くで吸われてしまうと髪や服に匂いがつくので、それだけが困りものだった。

「それなら学校にチクるとか、そういう手段に出そうなものだけど」
「学校違うから」
「んふふ、色々面倒くさいんだねえ」

今日も着ている服はそのままゴミ袋に突っ込んで、母親がいない間に洗っておかないとな――はそんなことをぼんやり考えながら、フライヤーで埋め尽くされているAtmosphereの階段を見上げていた。

細く長く急な上り坂の階段が、這い上がれない自分と重なる。

誰も彼も、足を上げて1段ずつ登れば出口にたどり着くって、そういう綺麗事を自慢気に言いたがるんだよな。だから自力で上がってこい、出口まで来たら仲間にしてやるよ、じゃあな! って感じで、偉そうなこと言うだけ言ったら1段目が高くて登れない私たちを置いてさっさとどこかに消えるんだよな――

藤真もそれと同じ。私を心配してるわけじゃない。私を思っているわけじゃない。そういう「正しい理屈」で覚醒させてやらなきゃと思ってるだけ。そういう自分が気持ちいいから、諦めないだけ――

は階段から目を逸らし、フロアから漏れる爆音に意識を集中して、瞼を閉じた。

「健司、何か最近変じゃない?」
「変て、何が」
「それがわからないから聞いてるんでしょ」

数日後、藤真はに逃げられた後、駅から伸びる大きな通りを制服姿の女の子とふたりで歩いていた。

「国体の時はちょっと楽しそうだったけど、また急に腐った顔してるからさ」
「そんな顔してるか?」
「してる。いつもじゃないけど、迎えに来てくれる時はそういう顔してること、多いよ」

頭に引っ掛けたままのパーカーのフードに手を差し入れ、藤真はボリボリと首筋を掻いた。つまり腐った顔をしているのは、に逃げられるからだ。最近では声をかける前にさっさとAtmosphereの中に逃げ込まれることも多い。どうしても階段の下まで追いかけていく勇気が出ない。ライヴハウスなんか入ったことがない。

「何か悩みがあるならカノン様に言ってみな」
「言ったらカノン様は何してくれるんだ」
「いや、特には」
「だろうな。だいたい、お前が何かしてくれたっていう記憶がない」

制服姿のカノン様は、16歳、高校1年生。名は藤真加音、藤真の妹だ。

カノンは週に何度か駅前の塾に通っており、その終わる時間が遅いので、兄の健司がランニングがてら迎えに行っている。つまりAtmosphere周辺を通るのも、自宅からカノンの塾への通り道だからだ。

「冬の予選てまだ先だよね。中間も別に関係ないし」
「悩みってほどじゃないよ、平気だって」
「あ、ごめん、心配はしてない」

藤真はかくりと頭を落とす。カノンは自分で様付けをするくらいなので、だいたいいつも偉そうだ。カノンのこの女王様的振る舞いは、彼女が小学生の時にキッズモデルをやっていた経験による。仕事中はともかく、それを離れるとカノンはちやほやされて育った。その名残が消えない。

ただ、カノンが幸運だったのは、勉強が好きだったことだ。中学に入り、キッズモデルの仕事が少なくなってきたあたりで、自分の成績がひどいことに気付いたカノンは焦った。その上、中学1年生の時に、40代の男性に真剣な告白をされて幻滅。モデル業から足を洗う決意をした。

そんなわけでカノンはまだ受験など遠くても塾に通っている。真面目な翔陽の生徒だが、結果的に女王様キャラだけが残った。それでも顔が美しいので嫌味ではないし、キャラなだけで意地悪もしないので、兄同様翔陽ではとても好かれている。というか兄が少々スター的存在なので、そのせいもあって学校生活は安泰である。

……お前さ、モデルやめた後って学校平気だったのか」
「うーん、でももうやりませんって決めた頃は仕事少なくなってたし、知ってる子も少なかったし」
「仕事がなくなって学校だけになっても変わらなかったか?」
「すげえ太った」
「そーいうことじゃなくて……

そして、仕事のためと思って食事制限をしてきたカノンは、仕事と決別すると好きなものを好きなだけ食べるようになり、一時はかなり体重が増えた。が、そこは家族のセーブが入ったことと、縦に伸びる時期と重なったので、現在は細過ぎず太過ぎずのちょうどいいところだ。

「だけど、ちゃんとごはん食べられるのってすごいことだったんだよ。生理もちゃんときたし」
「だからそういうことじゃなくて……

カノンの初潮は周囲より遅く、もう仕事やめるからいいや、と1日3食普通の食事を摂り始めて3ヶ月でやってきた。因果関係は不明だが、とりあえずカノンは無理な食事制限が初潮の妨げになっていたと言って憚らない。

「ええとねえ、ひとりだけ。ちょっと変になったのは」
「変?」
「1コ上の女の先輩。小学校同じで、私がモデルやってたこと知ってて、それをなぜか自慢してたんだよね」

自分の後輩がモデルをやっているのだと仲の良い友達に話して自慢し、それを嘘だと思われたくないから一緒に遊ぼうと言われた。もちろんカノンは断った。その先輩とは面識がある、という程度で、仲良しじゃない。その上自分を所有物のように扱われるのは気分が悪かった。当然逆ギレされた。

逆ギレが凄まじいので、むしろ自慢された先輩の友達の方がカノンを心配し、それがまた先輩に火を付けて、彼女を孤立させた。そのあたりでカノンは一切の接触を絶ったので、その後はどうしたかわからない。

「なんでそんなこと聞くの」
「ちょっとみんなと違うわけだろ。そういうのって、どうなるんだろうと思って」

まさかのことを話すわけにも行かないし――と考えて言葉を濁していた藤真だったが、前方に当の本人を見つけて息を呑んだ。酔っぱらいの中年男性に絡まれている。藤真は一瞬で頭に血が上る。だから言ったじゃないか! その場にカノンを置き去りにして、藤真は走りだした。

そして、と酔っぱらいの間に滑りこむと、低い声で一喝。

「だから帰ろうって言ったじゃないか!」
「わ、ちょ、何いきなり!」

の手首を掴むと、藤真はぐいぐいと引っ張ってその場を離れる。上背のある男が出てきたので酔っぱらいはさっさと退散したが、藤真の方が頭から湯気が出ている。驚いたので引きずられるままになっていたは、今度は急に止まったので、藤真の背中に顔を強打した。セカンドインパクト起きたらどうする!

「急に止まらな――
「どしたのその子」
「その子って言うな」
…………どうなってんの?」

が痛む鼻をさすりながら藤真の手を振りほどくと、目の前にまつげバサバサの美少女。

さん、だから言っただろ。危ないって。もうやめろよこんなこと」
「別に捕まってたわけじゃないって。ていうか何であんたがそんな怖い顔してるわけ」
「ちょっと待って話が見えないんだけど、だから誰よ」

怖い顔の藤真、呆れてげんなりする、その間でカノンは混乱している。

「彼女いるのに人のこと構ってる場合か。ほんとに余計なお世話だから!」
「ちょちょちょ、彼女違う!」
「余計なお世話? あのな、あんまりこういうことが続くなら、牧に言うぞ」
「はあ!? あいつは全くこれっぽっちも関係ないでしょ!」
「ふたりともいい加減にしろ!!!」

言い合いに発展しかけた兄と謎の女の間に入ったカノンは、両手を上げてふたりの口を押さえた。

「健司はちょっと黙ってて。お姉さん翔陽の人?」
……違うけど」
「だけどこいつの知り合いなんだよね? 私、彼女じゃなくて妹」

カノンの手も振り払っただが、カノンのきりりとした目に気圧されて勢いを折られた。

「お互い色々言い分はあるんだろうけど、ぼーっとしてたら23時になるからね。タクシーで帰る。いい?」
「そんなのいらな――
「私がタクシーで帰るの。あなたの希望なんか聞いてない!」

今度はカノンに手を取られたは、あまりにオレ様なカノンの勢いに飲まれて引きずられていく。

「家どこ?」
「だからそんなのいいって――
「健司知ってるんでしょ、ほらさっさと走って並んできて!」

3人は藤真が並んで確保したタクシーに乗り込み、カノンを間に挟んでと藤真が俯いているという状態での自宅へ向かった。そしてをマンションの前で下ろすと、カノンはビシッと指をさして言い放つ。

「おねーさんも大人しく家に帰りなよ。じゃあね!」

ポカンとしてるを残して走り出したタクシー、料金はカノン持ちである。彼女は勉強も好きだがお金も大好き、キッズモデル時代の収入は70パーセント自分に寄越すように親と取り決めてあったらしく、小金持ちだ。財布の中を確かめたカノンは、兄と少し距離を取ってため息をつく。

「で、誰よ」
……海南の子。3年」
「海南!? ああ、この間ので知り合ったの」
「まあ、そんなところ」
「何かずいぶん不貞腐れてたね。久しぶり見たな、ああいう子」

藤真とカノンが帰宅すると、もう0時を過ぎていた。腹が減ったとカノンが騒ぐので、藤真はおにぎりと味噌汁を用意する。カノンは顔に似合わず和食好きである。そして自分では用意しない。

「別に詳しいことはどうでもいいけど……あんまり深入りするなよ」
……しないよ」
「するって顔してるな」
「そんなことない」

音を立てて味噌汁を啜るカノンを藤真は睨んだ。

「別に深入りしたっていいけど、それで困るの健司でしょ。冬だって予選これからなのに」
「だから、深入りなんかしないって言ってんだろ。今日はたまたま――
「あの子のこと好きなの?」

カノンは藤真の言うことなど聞いていない。自分が聞きたいと思ったことを言う。

「そういうわけじゃ……
「ふうん。にしては何か執着があるみたいだけど」
……そういう顔、してたか?」
「今もしてる」

おにぎりを頬張りながらフガフガ言っているカノンに、藤真はまたため息。話してもいいけど説明が長いし、しかも内容はが落ちこぼれ部で脳震盪でゲロ引っ掛けられて、という話だ。のことを考えると、あまりペラペラ喋っていいものかどうか、迷う。

「好きとか執着とかはよくわからないけど、ただ……放っておけないというか」
「少女漫画かよ」
「どういう意味だよ」
「それって普通は好きなんだろうと思うんだけど」
……だとしても、嫌われてるから」
「はあ?」

自分たち兄妹がハイスペックであることに自覚があるカノンは、つい声を上げた。そりゃ珍しい。

「だから余計に執着しちゃうとか?」
「そういうことじゃ……ないと思うんだけど」

漬物をバリバリかじると、カノンはまた音を立ててお茶を飲む。

「はっきりしないね。そういう風に健司の気持ちが見えないから、ああやって拒否られるんじゃないの」
「オレの気持ち?」
「なんかよくわかんないけど放っとけない、なんて説得力ゼロだし」

空腹が満たされたカノンは腹を撫でて、眠そうな目をしている。藤真は食器を片付け、またため息。

「しかもそんな適当に心配されても別に嬉しくないし」
「そういうつもりでもないけど」
「だけどああいう夜遊び、させたくないんでしょ?」

子供の頃から大人の中で仕事をしてきただけのことはある。カノンはの状況を見抜いている。

「なんかよくわかんないけど気になるのでやめなよ、なんて言われたって、はあ? ってなるだけじゃん」

キッチンの明かりを落とした藤真は、返す言葉もなくて、肩を落とした。それはそうなんだけど――

「あの人、名前なんていうの」
さん。
をどうにかしてやりたいって思うなら、まず自分が本気になりな!」

そう言うとカノンは大あくびをしながらバスルームに消えていった。藤真はダイニングの椅子に崩れ落ちると、髪に手を差し入れてこめかみの傷を掻きむしった。は自分と同じ、あの日あの時の自分と同じ、だから放っておけない。だけど――

オレの気持ち、オレの本気って、一体何なんだろう。