ルーザーズ&ラバーズ

Side-F 07

唯一の大会には出場できず、再検査の結果が問題なしにならない限りは復帰も不可。には、もうダンス部に残る理由が残っていなかった。指導する側として参加すると言っても、そもそもが3年生の秋なのである。は休養している間に自主的に引退した。不慮の事故とはいえ、ダンス部すら弾き出されてしまった。

その上、いつまでも部屋で腐っていても退屈なだけだったが登校すると、体育館で何があったのかということは同学年の間では随分広まってしまっていて、特に脳震盪の衝撃で嘔吐してしまったことが話題の中心になっていた。落ちこぼれ部のネタとして申し分ない。

バスケット部が講習を受けているように、ほとんどの運動部が、実績のある部ならなおさら同じように講習を受けているはずで、頭部にダメージを食らった時には激しい嘔吐を伴うことがあるということくらいわかっているはずだ。けれど、は面白がってそれをネタにする輩の餌食になった。

もちろん牧はそのネタを振られれば、 非常時だったのだから不可抗力だと説明したけれど、そういう答えが欲しいわけじゃない。何も気にしていない、無事でよかったと繰り返した牧だったが、それはいつの間にやら「不可抗力でとんでもない目に遭った」と勝手にアレンジされて広まっていった。

「針の筵ってこういうことを言うんだね、勉強になるわ〜」
、笑いごとじゃないぞ」
「だからってどうしようもないじゃん」

面倒くさくなってしまったは、昼になると米松先生のところへやって来て弁当を食べるようになっていた。彼は社会科準備室を根城にしていて、落ちこぼれ3部も部室は一応ここになっている。

「それはそうなんだけど、だからほら、軽音においでよって言ったじゃん」
「今から楽器練習すんの? 私ナナコの妹だけど、別に歌は上手くないんだよ」

姉のナナコは合唱部脱落者である。

「そうなんだけど〜!」
「いいよ先生、どうせ今学期中にはみんな引退するんだし、それが終わればすぐ卒業だよ」
「そんな悲しいこと言うなよ〜! 卒業ったって5ヶ月も先なんだぞ」
「大丈夫大丈夫、自由登校もあるじゃん。受験もないし、中間過ぎると授業も適当になるんでしょ」
「適当とか言わないの」

例えば牧のように推薦で外部進学というパターンならともかく、海南には外部進学クラスが2つほどあり、残りは全て基本的に内部進学クラスとなる。受験クラスは秋頃からさらに加速して受験に備えるが、内部進学クラスは授業も緩やかになるし、そのせいでギリギリまで引退しない3年生も多い。

「暇になりそうだな〜。今まで部活ばっかりだったから」
、学校、おいでよ」
「大丈夫だって。私ナナコみたいにセンシティブじゃないから」

だが、いくらセンシティブじゃなくても、こそこそした陰口はなくならないし、はげんなりしてきた。姉のように心に傷を追って部屋に閉じこもるわけではないけれど、逆に気持ちがささくれだって苛々してくる。

その上、下校する時には必ず体育館の脇の通路を通らなければならない。そこでは相変わらず国体代表が練習をしていたし、時折ダンス部もいるし、そこを抜けていかなければ帰れないなど、とんだ拷問だった。の苛々は募る。

それでも、9月を乗り切り、10月の声を聞けば少しはマシになるはずだ。ダンス部は大会が終われば第一体育館には来なくなる。国体が終われば合同練習もなくなる。バスケット部は引き続き第一体育館を占拠するだろうが、それはずっと昔から変わらない。今更気にするようなことじゃない。

そう考えて、早足に体育館の脇を通りすぎようとしていたは、横から声をかけられた。

「あっ、さん、大丈夫?」

藤真だった。

「退院したってのは聞いてたんだけど……その後、大丈夫? 症状とか、出てないか」

つい足を止めただが、翔陽のバスケット部のキャプテンだと思うと、素直に彼の顔を見られなかった。しかし藤真が気にせず体育館を出てに歩み寄ってくるので、はまたつい、一歩下がる。

……何もしないよ」
……ごめん、大丈夫、何も出てない」
「もう再検査終わった?」
「これから」

がそんな様子なので、藤真は後ろで手を組み、体を屈めないようにしている。

「オレも前に頭怪我したんだけど、練習に完全復帰するまでは時間、かかったよ」
「そう……
「あのさ、オレ、さんの気持ちわかるよ」
「は!?」

あの日のことをちゃんと謝罪し、そしてお礼を言わなきゃならないのかという葛藤の中に落ち込んでいたは、その言葉に顔を跳ね上げた。そんな言葉、落ちこぼれ部の部員しか言ってはならない言葉のはずだ。

「わかるわけな――
「勝ってたんだ、試合。だけど、この怪我のせいで負けた」
「はあ?」
「3年の先輩たちのIHを潰したんだ」

今度は前髪をかき上げた藤真の方が少し目を逸らす。手を離すとパサリと前髪が落ちてくる。

「しかも、その後監督が急病で辞めちゃった。冬も海南に負けた。今年は絶対勝とうと思って必死に練習してきた。だけど今度は湘北に負けた。もう海南とかIHとかそんなレベルの話じゃなくなって……予選1試合で3年生の夏が全部飛んだ。オレたち……オレもずっと負けっぱなしなんだよ」

藤真の場合、1年2年とIHには出場しているので、勝ちがゼロというわけじゃない。それでも海南と牧がいる以上はいつでも2位だったし、去年は怪我でIHを去り、今年は思わぬ伏兵によりIHへの道すら絶たれた。

「だから諦めるなって言いたいの」
「そういうわけじゃないんだけど……ただその、気落ちしてないといいなと」
……落ちないわけないじゃん。そっちは少しも落ちなかったの?」
……落ちたよ。めちゃくちゃ凹んだ」
「何が言いたいの? 意味わかんないんだけど……

ゲロ引っ掛けておいて、翔陽だから口も利きたくないというのはマズいだろうという遠慮が先立っていただが、藤真の言うことが要領を得ないので、どうでもよくなってきた。彼が何を言いたいのかわからないし、自分にも言いたいことはないし、は顔を上げてきっと睨んだ。

「その、元気出して欲しいなと」
「それって出そうと思って出るものじゃなくない?」
「そうなんだけど」
「私の気持ちがわかるならわかるでしょ、もう全部どうでもいいの、終ったの」

肩にかけていたバッグをかけ直し、ストラップを両手で掴んだは低い声でまくし立てる。

「落ちこぼれ部、負け犬、何とかしがみついてたダンス部も飛んできたボールで終了、文化祭もないし、3年だから引退、内部進学で受験なし、学校来れば毎日毎日牧とあんたにゲロ吐きかけた女だって言われて、それで毎日楽しいハッピー! なんて人いるわけないじゃん」

藤真は言い返せなくて少し俯いた。の状況がよくわかるだけに、いい言葉が見つからない。

「藤真くんは進路、決まってんの?」
「え。 ああ、一応、推薦で」

言ってからしまったと口をつぐんだ藤真だが、もう遅い。

「バスケで推薦もらえたの? すごいね、負けっぱなしでも推薦もらえるくらい上手いんだね」
さん――
「すごい、勝ちっぱなしのうちのバスケ部だって全員もらえないのに、やっぱりすごいね翔陽のキャプテンは」

藤真が反論しないので、は日々の苛々が噴き出してきた。

……私の気持ちがわかる? ふざけないでよ、一緒にしないで」

それは本音であり、そしての中に蓄積された毒だった。

「何度バカにしたら気が済むの。翔陽なんか大っ嫌い」

ぽたりとの目から涙が落ち、藤真の爪先の近くに落ちた。そのまま立ち去る、藤真はつい手を上げたが、その手をどうするつもりなのか自分でもわからなくて、すぐに戻した。

の気持ちは、本当によくわかる。彼女の苛立ち、苦しみ、虚脱感、全てこの3年間の間に繰り返し体験してきたことだ。そりゃあ程度は違うだろう。本当に負けっぱなしのよりは藤真の方が「勝ちの経験」は多い。けれど、それは道半ばの過程にある「勝ち」であって、手に入れたい結果じゃない。

学校が針の筵なのもよくわかる。人はすぐ藤真をイケメンだのなんだのと囃し立てるが、決勝リーグにも届かなかった今年はとうとう「結局一度も海南に勝てなかったね」と何度も言われた。「監督なんて荷が重かったんじゃないの」と付け加える人もいた。

そんなことは自分が一番よくわかってる。監督不在の緊急事態の中で、それしか手段がなかった。しかし結果はこの有様。予選で負けた時は部員たちに顔向けが出来なかった。3年生のスタメンがお前のせいじゃないと言ってくれなかったらどうなっていたことか。

大っ嫌い――その言葉に彼女の全てが詰まってる。

体育館脇の通路を吹き抜ける風が藤真の前髪を揺らす。もう1年が過ぎたというのに、今でも傷跡が疼くことがある。負け試合を思い出すたびに傷はじわりとしたむず痒さを生み、過去は振り返るまいとする藤真を記憶の中に引きずり込む。怪我をした時、湘北に負けた時、この世の全てを呪った。何もかも大っ嫌いだった。

藤真はふいに、涙目で睨み上げていたを抱き締めたくなった。

皮肉なもので、藤真との会話をきっかけにはグレた。グレたと言ってもたかが知れているが、「大っ嫌い」が自分自身をも蝕んで、ますます全てがどうでもよくなってしまった。一応真面目に学校には来ているけれど、どうせストレス発散のターゲットだし、何も面白いことはない。

10月になり、ダンス部は例年通り練習の成果を披露してきただけで帰ってきた。やはり問題点ばかり指摘され、観客の拍手だけを持ち帰ってきた。と同じ脱落3年生はここで引退、大会が終わって気が楽になったので、も交えて米松先生の部屋で昼を過ごすようになったが、の不貞腐れは治らなかった。

落ちこぼれ部で過ごした日々、最後の大会すら奪われてしまったことで、の中にあった意欲や希望が燻っていた。かといって発散する場所があるわけじゃない。中間が終わると文化祭の準備が始まるが、クラス展示以外にやることもないし、部活動が盛んな海南の場合、クラス展示は蔑ろにされるのが普通だ。

何もかもが面白くない。何か面白いことはないだろうか。燻る心と体を満たすものはないだろうか。

中間が終わると、そんな心を抱えたは夜の街をふらつくようになった。

自宅最寄り駅から数駅で、そこそこ大きな街に出る。駅周辺に商業施設が集中していて、放射状に大きな通りが伸びていく。その通りからまた網目のように細かい路地があって、そこには種々様々な店舗がひしめき合っていた。しかしその割には風俗営業店が少ない街でもある。

の目当てはその一角にあるライヴハウス、Atmosphereだ。

以前はバンド中心だったそうだが、数年前に店名が変わったのを機に、半分くらいクラブになってしまったような店だ。はクラブっぽくなってきてからの客である。細長いビルの1階に入り口があり、鉄格子のシャッターの向こうに地下へ降りる階段が伸びている。

階段を降り、フロアに入れば爆音が待っている。暗いフロアにはステージの光がちらほらと届くだけで、よく見なければ人の顔を判別するのも難しい。その中に紛れ、上下左右の感覚もなくして音の中に揺れていると、大っ嫌いな現実から切り離されたように気になる。それが気持ちいい。

一応ライヴハウスなので、開場も早いし、終演も早い。は学校が終わるとさっさと帰宅し、着替えて出かけ、23時頃には帰ってくる。毎日のことではないし、母親は別居中の長男のところに行くこともあるので、は自由に夜遊びをすることが出来る。

引き籠っている姉は文字通り部屋から出てこないので、それも心配ない。としては一緒に行こうよと誘いたいところだが、まだ姉の傷は深く、迂闊には触れない。

時期的には文化祭の準備で遅くまで学校に残るような頃だが、はそれも適当に切り上げて帰り、自宅の様子を見計らって夜の街に繰り出す。もう夏も遠く、日没の時間が少しずつ少しずつ早まり、燻るを飲み込む夜が長くなってきていた。

そんな10月も半ばのことだ。薄暗くなりつつあるその街を駆け抜ける影があった。数本の大きな通りに網目のような細かい路地、やがて駅から離れるにつれて商業施設が少なくなり、会社とマンション、そして住宅街へと変わっていく。その影は割と駅に近いマンションからふらりと出てきて、細かい路地を走っている。

人影は路地を通って駅まで向かうと、制服を着た女の子と待ち合わせて、今度は表通りをふたりで歩いてマンションまで戻る。それが週に何度か繰り返される。

ある日、はたまたまこの人影の通り道をフラフラと歩いていた。Atmosphereから一番近いコンビニへ抜ける通りで、喉が渇いたから水を買いに行こうと思っていた。コンビニで水を買い、一口飲むと、元きた道をのんびり歩き出した。その時である。

さん!? 何やってんのこんなところで」

人影は藤真だった。は目を丸くして立ち止まる。

……そっちこそ」
「オレは地元だけど、さんこの辺りじゃないだろ」
「何で知ってるのそんなこと」
「病院行った時に、マックス先生だっけ、あの人が牧と話してた」

藤真はの進行方向に立ちふさがり、頭に被せていたパーカーのフードを跳ね除ける。

「女の子がひとりでうろつくような場所じゃないよ」
「関係ないでしょ……
「関係なくても危ないよ」
「ナンパ待ちしてるわけじゃないって。ほらそこの、Atmosphere

ペットボトルを持つ手で指をさしただが、藤真は目を逸らさない。

……あんなところ出入りしてるのか」
「あんなところって失礼な」
「地下のライヴハウスだろ。そんなところで何してんだ」
…………踊ってるんだけど」

夜遊びのを正論で窘めているつもりだった藤真は、ウッと息を呑んで黙った。

「立ってひとりで踊ってるだけ。バク転もヘッドスピンもなし、終わったら帰る」
……再検査、どうだったの」
「全く問題なし、授業程度なら運動解禁、だけどアクロバットはしばらく控えて下さい、だって」

冷たい水を飲みながら鼻で笑うに藤真は一歩近寄る。

「それでこんなところに来てるの」
「前からたまに来てたけど」
……ひとりで?」
「そう。スタッフに知り合いがいるし、別に困ることもないし」

は何か文句ある? という顔をしている。藤真はその腕を取って引いた。

さん、帰ろう」
「は? いやまだ知り合と話すし、何それ」
「こんなところ、いない方がいいって。オレ、送るから帰ろう」
「いらないからそんなの……てかあんたもこんなところで何してんのよ」

手を振り払ったに、藤真はまたフードを頭に被せて首を傾げた。

……走ってた」
「あ、そ。じゃ、ランニング頑張ってね〜!」

は藤真を振り返ることなくスタスタと歩き出し、逃げこむようにしてAtmosphereの階段を駆け下りた。

なんなのアイツ。バカみたい。

ペットボトルをウェストに挟み込み、はまた爆音の中に消えていった。