ルーザーズ&ラバーズ

Side-F 01

神奈川県にある海南大学附属高校は、とにかく部活動が盛んなことで知られている。

盛んなだけではなくて、運動部でも文化部でも、やたらと強い。大学創設から数年遅れて誕生した附属高校であるが、クラブ活動が活発になってきたのはこの30年ばかりのことで、最初のきっかけは男子バスケットボール部だった。良い監督が赴任したことでバスケット部は徐々に強くなり、監督赴任から5年目で県を制した。

その勢いに乗じて他の運動部にも実績のある監督やコーチが雇い入れられ、海南はまずは運動部が強い学校になった。その後、少し遅れて文化部も指導者が変わったり活動内容を改めるなどして、徐々に好成績を残すようになってきた。

部活動が強い高校としての先駆けとなった男子バスケット部などは、「強豪校・海南」の象徴にもなり、20年ほど前からは「県下最強」の座を他の高校に譲り渡したことがない。のみならず、全国大会でも上位入賞はするし、歴代の主将はそのまま名門と呼ばれる大学のチームに呼ばれていく。

当然近隣の地元っ子だけでそんな人材は確保できないので、スカウトによるスポーツ推薦がまず増えた。すると強豪校に憧れた越境入学も増え、強いところに強い者が集まって、海南は雪だるま式に強くなっていった。

また、そんな「強豪校・海南」というブランドを確立させたのは、学校側の徹底した投資とサポートである。

遠方からの進学に備えた学生寮、優秀な生徒に対する学費の免除、トレーニング機器、広く快適な部室、天候に関わらず練習ができる施設、移動のための大型バス、メンタル・フィジカル両方へのケア、高校卒業後の進路に対する強力なサポートなどなど……

また、校内イチ「強い」バスケット部ですら、「まだ一度も日本一になったことがない」という点が逆に人気を呼び、是非とも自分の手で目指す部を日本一に押しあげたいという意欲に溢れた生徒がドッと押し寄せるようになった。ここ数年の間では毎年1学年で2クラス分くらいの越境入学者を迎えるまでになっている。

そんな中、その問題自体は10年以上前から確かに存在していたのだが、海南は強豪校としての看板を押し出すことに夢中だったし、あくまでも個人的なことだったし、誰も彼もがそこから目を背けていたのは間違いない。

つまり、落ちこぼれ問題である。

海南自体はそれほど高偏差値の高校ではないし、大学ものどかな校風の中堅どころ。なので、勉強についていかれなくなって留年してしまうような生徒はまずいない。落ちこぼれるのは、部活での話だ。

例えば海南イチ強く実績もある男子バスケット部の場合、実にその半数近くが中学時代に主将・副主将を経験した生徒である。中学の時点で好成績を収めてやってくる場合も多いし、毎年数十人という大量の新入部員を迎えるけれど、相次ぐ退部で卒業する頃は一桁になっている……ということは珍しくない。

中学時代にトップだった経験を胸に入部し、しかし初日から実力により序列が出来てしまい、下から数えた方が早い程度のプレイヤーなのだと思い知らされてしまう。そうすると、その日の内に折れてしまって戻って来られないこともある。最悪、学校すら去って行ってしまう。こちらは越境入学者が顕著だ。

とうとうピーク時には部活で落ちこぼれてしまったがゆえの退学者が年間で10人を超えてしまった。

しかしそれでも学校側は積極的にそれを改善しようという気がなかった。ダメになってしまうのはあくまでも個人の責任であり、戦力にならない選手が辞めていくことを惜しむ理由もない。中学時代の実績で推薦入学させて学費も免除していたりすればなおさらだ。支援は打ち切り、嫌ならはいさようなら。

いやちょっと待て、これは大変な問題じゃないのか、という声がなかったわけではない。ただ、それこそ問題が顕在化してきた10年ほど前、海南は既に強豪校ブランドが定着しており、指導者たちはそんなことにゆっくり時間をかけている暇がなかった。忙しいので誰かやってくれれば、という状態。

そうして年々悪化していく落ちこぼれ問題に対し、ただひとり積極的に取り組み始めた教師が現れた。

彼の名は米松。通称ベイマックス。名前からではなく、見た目で。

米松先生は15年ほど前に海南に赴任してきた歴史の先生である。その頃はまだ落ちこぼれ問題が目に見えて深刻でなかったのだが、たまたま彼が副担任をしたクラスから、部活でいわば「二軍」に落とされてしまったことで不登校になり摂食障害を起こし、結果的に退学してしまうという生徒が発生してしまった。

米松先生は落ち込んだ。髪がゴッソリ抜け落ちるほど落ち込んだ。

そして改めて周りを見渡してみると、強豪チームでその能力を遺憾なく発揮している生徒と、そこから弾き出されてしまった生徒は明暗がくっきり別れてしまっていて、前者は毎日明るく元気に充実した日々を過ごしているのに対し、後者はだいたいどんより曇ってうじうじしていた。

ところでこのベイマックス――最近ではマックスと呼ばれているが、とにかくアツい教師であった。物腰は穏やかで優しいのだが、その中身はメラメラ燃え盛る愛情の炎でいっぱい、というような人物であった。そんなわけで、いち教育者として、我慢の限界を超えてしまった。

彼は髪の抜け落ちた頭を坊主刈りにすると一念発起、落ちこぼれ生徒の救済に乗り出した。

米松先生の救済計画は、既についていかれなくなってしまった部活の方に戻すのではなく、新たに居場所を作ることで自信を取り戻し、高校生活を全うできるよう促すものだった。特に害はないので学校側も彼の好きなようにさせていたし、そうは言ってもすぐに成果など上がらないので、事実上の放置であった。

だが、米松先生は生徒人気がとても高く、救済計画関係なしに、とても慕われる先生だった。何しろ見た目がベイマックスである。ぼよんと太っていて色白で、丸い頭は坊主刈りで可愛らしい。しかし何よりも生徒大好き! みんな大事なオレの子供たち! という彼の愛情が人気の礎である。

他にも彼が人気のある先生である理由はたくさんあるのだが、とりあえずそんなわけで米松先生に救われた生徒は少しずつ増え始め、華々しい活躍と卒業後の進路で目立つ生徒の影で、「先生ありがとう、先生のおかげで学校楽しかった」と言って卒業していく生徒も現れるようになってきた。

さて、海南における「強い部」の筆頭は先にも述べた通り男子バスケット部である。それを先頭に男女とも運動部は軒並み強い。地区や県を制することがなくても、負けっぱなし、なんていう部は基本的には存在しない。

次に文化部の方であるが、こちらはとにかく吹奏楽と合唱部が強く、運動部よりは少数ながら越境入学者が現れる部になっている。また、吹奏楽は基本的に初心者お断りという、いっそ潔いほどの実力主義で、高校のクラブ活動だということも忘れがちな様子である。

他にも部員数の少ない地味な活動の部もないわけではなかったのだが、海南が強豪校としてのブランドを前面に押し出すようになってからというもの、そういう小規模なクラブに入部を希望する生徒自体が減り始め、米松先生が救済計画に乗り出した頃には、「あって普通」レベルの部が存在しない状態にまでなっていた。

もちろん学校側は潰した覚えはない、希望者がいないだけ、という姿勢を崩さない。一応間違いではない。

かといって、例えばバスケット部を辞めてしまった生徒に「手芸やろうよ」と言っても相手にしてくれるわけがない。文化部を辞めてしまった生徒に「トライアスロンやろうぜ」と言っても無理なのと同じだ。米松先生は頭を抱えた。元いた部の同好会を量産しても面倒見切れないし、そんなの余計にみじめだ。

そこでひとまず米松先生は、どの部からの脱落者が多いのかを調べ始めた。すると、部の種類以前に、男女比がおかしなことになっているのに気付いた。男子の方はバスケット部の脱落者が異常に多いだけで、全体数で見ると女子より少ない。対する女子はあちこちからボロボロと脱落者が出ている。

女子の方の筆頭はまず体操部とチア部と合唱部だった。体操部と合唱部は元々男女混合の部なのだが、なぜか女子ばかりが入部してくる女の園になっている。次いで吹奏楽部、水泳部、テニス部などと続く。だが、後半3つの部からは不登校などが出ておらず、米松先生の調査によると、学校の外でも続けられる競技などであれば、落ち込まないということのようだった。やはり居場所があればいいのだ。米松先生は確信した。

落ちこぼれた同士で集まり傷を舐め合うようなことは何の解決にもならない、向上心を育てる妨げであるという横槍はもちろんあった。だが、退学するよりはよっぽどマシである。向上心云々以前の問題だ。まずは自信を回復し、部活に囚われている心を開放し、毎日明るく学校に来られるようにするための措置だ。

米松先生は丸い頭を悩ませた。男女混合が可能で、運動部文化部関係なく活動できるものはないだろうか。

最初に思いついたのはサーフィン部だった。海は近いし、必ず学校から出なければならないので校内で所属していた部を眺めながら活動する必要もないし、大きな自然と触れ合うのはいいストレス解消になると思った。しかしこれはボードなどの予算がかかり過ぎることと、ド素人米松先生ひとりでは安全上の問題が残った。アウト。

次に思いついたのはハイキング部だった。これも学校を出て海や山へ行くし、動植物や史跡で勉強にもなって一石二鳥。よっしゃこれだと喜んだ米松先生はイメージするコースを歩いてみた。自分がヘバッてしまい、翌日は筋肉痛でガニ股になっていた。アウト。

安全で安価であれば内容なんかなんでもいいと思っていた米松先生は頭を抱えた。このあたりで、だったらもうその時々で好きなことする「アクティビティ部」とかどうだろうと投げやりなことを考えたのだが、唯一彼の活動に肯定的で応援してくれている校長から「それはただ遊んでるだけ」とつっこまれた。アウト。

スリーアウトで気力が尽きかけた米松先生はそもそも文系の人である。運動部で落ちこぼれた子たちが一体どんな活動なら自信を取り戻せるかもわからなかった。そんな頃、当時バスケット部の主将をしていた生徒がいるクラスの副担任であった米松先生は、いい話を聞く。

海南男子バスケット部の主将というポジションを任される生徒というのは、バスケットの技量が抜きん出て秀でていることはもちろん、なぜか毎年人格者であることが多くて、この年の主将くんも米松先生の活動に賛同して、協力できることがあれば何でも言って欲しいと言い出すような生徒だった。

ただし、男子バスケット部の主将ということは、即ち海南の頂点であり顔にも等しい。脱落者たちの目につくような協力は出来ない。そんなわけで、米松先生は生徒指導室でこっそり脱落してしまった生徒というものはどんな子たちなのかと聞いてみた。

「基本的にはオレと同じだと思います」
「どういう意味?」
「オレは中学の時に県で2位になりました。1位の中学にいたヤツが今G組にいます。2週間で辞めました」
「えっ、なんで!?」

米松先生はぼよんと身を乗り出す。先生文系だからよくわかんないんだけど。

「1位のチームで試合経験もあったけど、出っぱなしのスタメンじゃなかった。強い中学にいただけで、その時の4ば……キャプテンは今東京の高校にいます。だけど1位のチームの人材だと思って入部してきたはずです。うちはそういうのを特別扱いしたりしないので、ショックだったのかもしれないです」

それはわかる。中学時代が栄光の時代であればあるほど落ち込み方が激しい。

「だけど、それ以外は同じなんです。バスケ好きで強くなりたい。そう思ってなかったら海南になんか入りません」
「ええと……じゃあ、その気持ちが満たされるというか、取り戻せるのは」
「勝つことです」
「えっ?」
「勝負をして、勝利することです。文化部はどうか知りませんけど、僕たちは勝つことが目的なんです」

米松先生は納得して大きく頷いた。そりゃあ一生懸命努力して自分の納得するプレイができればそれもいいだろう。しかしそれで惨敗では意味がない、というわけか。勝利という形で結果が返ってくることが何よりの達成感、ということらしい。

「でも例えば中学生と試合して勝ったってダメですよ。自分で強くなって自分で勝ちたいんです」
「それは……そうだよねえ。あのさ、例えばの話なんだけど、もし君が……
「僕は絶対辞めません。一度も試合に出られなくても、逃げ出す方が嫌です」

米松先生は今度こそ大きく頷いた。これだ。海南の主将たる器と、途中で折れてしまった生徒たちの絶対的な差はここだ。目的は同じ「勝つこと」で間違いない。だけど、主将くんには「絶対に逃げたくない」という信念があった。恐らく脱落してしまった生徒たちは、この信念を保ち続けられなかったんだろう。

「もし想像するとすれば、怪我なんかで現状以下になってしまったら、ということくらいかと思いますが、両足両腕が使えなくならない限り、僕はバスケ辞めないと思います。それか、うーん、実は最近ちょっとBMXに興味があって、それならと思いますけど。だけどやっぱり僕はバスケがいいなあ」

そんな風にちょっと興味が持てる他の競技だったらやる気になるかと米松先生が聞くと、主将くんは首を傾げた。あんまりその気にはならないと言いたいような顔だ。

「バカにしてるわけじゃないし、オレも同じですけど……そういう意味ではプライド、高いんですよ」
「ああ、そうか……
「君はバスケ着いていけなかったけど、こっちならどう? って聞こえると思います」

米松先生はがくりと頭を落とした。ああもうどうしたらいいんだよ。

「だったら全然関係ないことの方がマシだと僕は思います」
「例えば?」
「うーん、そうだな、例えば、女の子にキャーキャー言われるようなこと」

主将くんは照れくさそうに言ったが、米松先生は突然目の前が晴れた。それだ。それしかない。自信喪失したもので自信回復しようとするから綻びが出る。だけど、女の子からキャーキャー言われる、思春期の青年にとってはそれがとてつもない称賛になりうる。

「そういうのって調子に乗っちゃったりして諸刃の剣だけど、少なくとも楽しい気持ちにはなると思います」
「自分もまんざらじゃないって思えるかな」
「そりゃそうですよ。そういうの、ちょっと怖いですけど」

主将くんは逃げ腰だったけれど、米松先生はむくむくと沸き上がってくる明るい未来予想図に鼻息が荒くなってきた。主将くんを帰した彼は生徒指導室でぼよんと跳ね、よっしゃー! と腕を突き上げた。何しろ米松先生、女の子からキャーキャー言われるような活動には覚えがあって、なおかつ海南にはそういうクラブがなかった。

かくして、海南大附属高校に18年振りの軽音楽部が誕生した。

「だからってそんなに簡単に女の子がキャーキャー言うわけがないんだよな」
「あの、思いつきは悪くないと思います。むしろいいと思います」
「慰めはけっこうだよ……

軽音楽部を立ち上げ、脱落者を引きこもうとした米松先生だったが、なかなかうまく行かず、3年目を迎えても部員はたったの3人。いつか米松先生にいいアドバイスをした元主将くんが顔を出してくれた時も、たるんだお腹を撫でながら不貞腐れていた。

「音楽は嫌だって言われたんですか?」
「いやその、吹奏楽とか合唱を脱落した子と一緒にしちゃったんだ」
「そ、それは……
「あと、運動部の子はじっと座って練習できないっていうのもけっこういて」

全部ひとまとめにしようとしてしまったので、早々に米松先生の計画は破綻した。だが、元主将くんの言うように、思いつきは悪くない。ただ、脱落者のプライドに触らないように誘導し、なおかつクラブ活動を楽しんでもらえるのがとても難しいというだけだ。もちろん米松先生は諦めたわけじゃない。

「うーん、確かにそうですね。あはは、実は僕もじっとしてるのは苦手です」
「だけど体を動かすとなるとねえ……
「バンドの横で踊らせればいいんじゃないですか〜?」

元主将くんはニコニコ笑いながらそんなことを言い出した。米松先生のお腹がぼよんと波打つ。

「それだ……
「はい?」
「君は本当にすごい。海南バスケ部のキャプテンを務めただけのことはある」
「先生、大丈夫ですか」
「もちろん大丈夫、それでいいんだよ、何しろ困ってたのが――

女子の運動部脱落者たちだから。米松先生はうきうきと頬の肉を揺らし、手帳を引っ張りだしてゴソゴソとメモを取る。このアイデアは忘れないようにメモっておかねば。

……さっき、今年の主将と話しました」
「うん?」

メモを取るのに夢中になっていた米松先生は、元主将くんの低い声に顔を上げた。

「今年の新入生も既に半分いないそうです。それを彼は『負けてしまった』人たちなのだと言いました」
「まあ、そういうことになるのかな」
「僕は、そう思いたくありません」

主将くんは米松先生から目をそらすと、少しだけ険しい顔をした。

「僕は海南の3年の時に、IHで4位でした。大学でも2年目までは負けてばかりでした。だけど、それは好きなものを諦める理由にはならないと思ってます。それに僕は、負けても勝っても、それが人の価値になるとは思ってません。そういうのはコートの外の、見ているだけの人が言うことです」

元主将くんはそっと目元に手を伸ばした。彼は大学に入ってすぐ、額の骨が陥没する大怪我をした。怪我は完治したし、今でもトップクラスの選手だが、少々人相が変わってしまった。内面にも傷は深く残ったに違いない。

「先生、負けることが悪いことだなんて、思いますか?」
……いや、思わないよ」
「あくまでも目的は勝つことです。それは変わりません。だけど、僕は負けることからも逃げたくない」

元主将くんは少し微笑むと、ギュッと手を握り合わせた。

「先生、負け犬は逃げ場を探してます。だけど、そんな場所は、ないんです。どこにも。だから、どうか彼らに居場所を作ってあげて下さい。逃げこむ先じゃなくて、移動してきただけだって、教えてあげて下さい。僕たち脱落しなかったのと同じ高さにいるんだって、言ってあげて下さい」

元主将くんはにっこりと笑う。その言葉に、米松先生のお腹がキュッと締まった。