エンド・オブ・ザ・ワールド

End of the World. supplement

ミライと未来編3

(数日後、3月下旬、リリー・ローズにて)
「よくもまあ勝手なことをしてくれたわね。人には過去を変えるなとか言っておきながら」
「通報ひとつ満足にできなくてしくじった人に言われたくないけどね」
「それで? 何の報告よ」
「だから戸籍が手に入るかもしれないって話」
「まったく、何の話かと思えば……。それで? 愛しの旦那様と本当の夫婦になれるのーって自慢しに来たわけ?」
「それは否定しない」
「しなさいよ!」
「だから保険証はもういい」
「ああ、そういえばそうね。なるほど、そしたら子供も作れるわね」
「ま、まあね」
「トントン拍子って感じね」
……そうかな」
「羨ましいわ。愛する人と一緒になって家庭を持つなんて、誰でも出来る当たり前のことじゃないのよ。みんなそういう自覚が足りなさすぎるわ。それを口を開けば愚痴愚痴文句ばっかり、だったらさっさと離婚でも一家離散でもすればいいじゃない。それが出来ないのは誰かのせいじゃないわ。自分のせいじゃないの」
……そうだね」
「ふん、感謝してもらいたいくらいだわ」
「そういう意味ではしてるよ。私の世界を作ったのは百合だから」
「あらそう。正直だと気持ち悪いわね。まあいいわ、世界なんて自分というフィルターを通してでしか見えないものだもの。そのフィルターが変われば世界は変わる。タイムマシンなんかなくたって、世界は変わるのよ」
……ほんとだね」
「でも世界は私と兄にとっては、あまりに意地悪で優しくなかったわ。だから捻じ曲げてやったのよ」
……うん」
「いつかその報いが来るならそれでもいい。あんたたちがこの世に生きてることは、私がそうやって世界を捻じ曲げてやった、優しくない世界への復讐の生きる証拠になる。だから精々、幸せになることね。それが私の復讐なのかもしれないわ」
……またね百合。樹さんに、よろしく」
「あら、もう帰るの。ミモザのポプリがよく出来たんだけど、いる?」
……いらない」
「ふふん、でしょうね。持っててもいいことはないわよ」

(2時間後、とあるバーにて。鉄男と岩田氏)
「やあ、悪かったね。こんなコソコソと。コソコソするのはやめようって話したばかりなのに」
「いえ、先日はすみませんでした」
「何を言うんだ。事件は起きた。春美が出かける予定だった次の日だったけど、ミライちゃんの話は真実だったことが証明されてしまったからね。ミライちゃんが言ってたように、本当に世界は変わってしまった」
……翌日聞いた話なんですが、職場の後輩の妹が、丸の内線に乗る予定だったそうなんです」
「乗らなかったのかい?」
「その日の朝、仏壇に飾ってあったお祖母さんの写真が落下してきて、嫌な予感がした母親が必死に止めたとかで、難を逃れたと言って、真っ青な顔をしてました」
「ふふん、よく聞くよなあ、そういう話って。タイムマシンがなくても、奇跡は起こる」
「その話をしたらミライも気が楽になったみたいで」
「君もちょっと楽になったんじゃないのかい」
……はい」
「今日ここに来てもらったのはいくつか用件があるのと、今後について少し話をしたいと思ってね」
「はい。オレもそのつもりで来ました」
「ミライちゃんには?」
「その職場の後輩と飲んでくると言いました」
「よしよし、いいだろう。僕は例の件で昔の知人と会ってくることにしておいたから、今頃ミライちゃんと春美はクミさんも誘って楽しんでる頃合いだ」
「例の件……
……今探してもらってる。一応20代前半の女性で、関東ならなおよし、どれだけ遠くても北陸、東北南部、中部くらい、死ぬまで使えるものにしてほしいと頼んである」
「それはもちろん、無料というわけではないですよね?」
「そりゃあそうだ」
「ええとあの……
「その話がまず1つだ。金額を教える前に、僕と折半で用立てるってことに納得してもらうよ」
「え!?」
「この件に関しては僕と君が共犯関係である必要があると思うんだ。だから、お互いこのことを墓場まで持っていく約束の意味も込めて、折半。それがこの話を先に進める条件だ」
……わかりました」
……現ナマ確約で200万。折半で、100万だ。あるかい?」
「あります」
「結構。まあまだ支払いにはもう少しかかるから、ミライちゃんにちゃんと説明しておきなさい。でも僕と折半だなんてことは黙っておいてくれ」
「わかりました」
「で、用件とは話が前後するけど、先に今後の話だ。鉄男くんこの間、春美にバレて今の生活を追われることになったりしても、逃げるところがないと思って焦った……と言ってたね?」
「ええ、はい」
「僕も後でそれをちょっと考えたんだが、それでなくともこの辺りにはミライちゃんの実の親がいるんだろう?」
……はい」
「そういうリスクも含めて、『避難所』ってのはあった方がいいと僕も思うんだよ」
「避難所、ですか」
「そう。それでちょっと思いついたんだけど、あの新潟の家、手に入れたらどうかな」
「えっ?」
「君が子供の頃に住んでた家だよ。元は借家だけど今は廃墟みたいになってるって言ってただろう? サトルくんに紹介してもらってリフォームでもすれば、ちょっとした別荘くらいにはなりそうじゃないか」
「はあ……
「それに、君が、今この神奈川で生活をしている君が、新潟のあの町の出身で、どんな風にしてこの町に移ってきたかということを知るのは、ごく限られた人間にならないか?」
「はい。母やはる、サトルたち現地の人を除けば、社長とクミさん、オレが小学生の時の担任、それから県立医療センターの神経内科の先生がひとり」
「うん、いいところだね。そのくらいで情報が止まってるんだね?」
「はい。自分がずっと記憶喪失だったことも含めて、特に誰かに打ち明け話をしたことはありません」
「ま、する意味もないしなあ」
……確かに、言われてみれば、ミライの親ですら、オレが新潟出身だなんてことは、知らないはずです」
「未だに友達付き合いがあるのかい」
「いえ、それほどでも。向こうが今プロのバスケ選手ですし。縁を切れない事情があるのでたまに連絡は取ってますが」
「ふぅん、そこはまた改めて聞くとして、つまりミライちゃんがご両親とニアミスするリスクは相変わらず存在してるわけだね」
「それは、はい、そうです」
「だが、僕らも含めて君たちの支援者もこの辺りに集中してるからね。リスクを承知でここに暮らすことにはなるけど、メリットの方が多いような気がする」
……確かに、一時的に身を寄せられる場所があった方が、いいですね」
「そうだろ? まあ何も今すぐ買って来いということじゃないけど、どうだろう、僕の思いつきは」
「いいですね。オレたちにとっても思い出の場所です」
「まあその、君と春美には悲劇の場所でもあるけど」
「リフォームで直しちゃえばいいんじゃないですか」
「まっ、そうだよな。幸いサトルくんも近くに住んでるし」
「そういえば結婚考えてるみたいです」
「サトルくんかい? そいつはいい。家業を継いで家庭を持った幼馴染が近くにいるなら心強い」
……そうですね。あの家は、そうですね、そうか……
……ただ、あんまり先延ばしにしない方がいいというのもある。でないと無意味だ」
「それは……はい」
「例の件もあるから蓄えがどんどん出ていくことにはなるけど……
「あ、ええと、それがですね、貯金をしていたのには他にも理由があって」
「おお、未来のことかな」
「まあそうです。今から4〜5年後くらいに、オレが大病するそうなんです」
「えっ……?」
「ミライの話では、30前くらいに大病をして、だけど一応治って退院はしてくるらしいんですが、1年ほどは生きてるのがやっとというような療養生活だったそうなんです。その間、ミライの親が食事に招いてくれたりして、助けてくれて、そこで幼いミライと出会います」
……それこそミライちゃん自身の本物の記憶だね?」
「はい。なので、ミライが記憶しているよりもしっかり治療ができる環境を用意しておこうという話になって、保険とか、貯蓄とか、ええとその、酒を控えたりタバコをやめたりと、対策を」
「僕も大病は経験があるけど、心構えもなく突然病魔に襲われたショックというのは負担が大きいんだよな。ふむ。そうすると、ミライちゃんの記憶より予後が軽く済むかもしれない可能性もあるね」
「かもしれません。ミライの話では、当時のオレは天涯孤独で行くあても仕事もなく、歩いてやって来て飯を食って、また歩いて帰っていったと」
「つまりやはり君はミライちゃんが現れなければ春美と再会することもなく、病気に倒れても頼るのは友人夫婦しかいなくて、今これだけ親しくしている社長夫婦とも疎遠で、今の仕事は続けていなかったことになるね」
「そうだと思います」
……もちろん詳しくは聞いてないよ。けど、君は10代の頃かなりヤンチャだったそうだし、それがそのまま20代を過ごしていたら、そうなってもおかしくはないか」
「その病気をきっかけにヤンチャする体力も気力も失ったらしく、ミライの記憶では介護施設で働いていたと」
「想像つかないね。おおよそ君を知る人がもっとも想像できない職業じゃないだろうか」
「自分でもそう思います。病気がよっぽど堪えたんだろうと」
「なるほどな。それは確かに蓄えが全ての助けになる。いやはや、こっちは世事に長けた大人だと自惚れて君たちのことを甘く見ていたけど、ずいぶんしっかりと覚悟をして生きてきたんだね。大したもんだ」
「いえそんな」
「それじゃあ避難所と療養のことはまたミライちゃんや春美も交えて相談しよう」
「はい」
「というかあの家、僕が買おうかな」
「えっ!?」
「老後はあっちで過ごしてもいいなと思ってさ。それで君たちに残すんだよ。これは春美が喜ぶぞ」
「それは……
「まあまだ決まったことじゃないさ。君はヤンチャしてたっていうけど、ちゃらんぽらんなところがないねえ」
「はあ」
「じゃあ次だ。調べてほしいと頼まれてた件」
「あっ」
「普通に新聞に載ってたよ。白鬼母ハデス――冥王と書くんだな。ひどい名前だ」
……ほんとにひどいですね」
「彼は逮捕されてから約2年後に死んでる」
「え!?」
「獄中で自殺されてしまったらしい。新聞にはどうやって自殺したのか詳しく記されてなかったけど、まあ逮捕の時点で相当中毒が進んでいたようだしね」
「そう、ですか……死んだ……
「次に弟の方だけど、あはは、こっちは海王と書くのか、これも施設に入れられてたらしい。けど、腐っても白鬼母なんだねえ、どうやら今は北関東の方にいるようだ。一族の者が預かってるのかもしれないよ。まあ、ごく近所にいるわけではないみたいだから、そこは安心していいんじゃないかな」
……すっかり白鬼母関係の会社や工場が少なくなりましたね」
「そりゃあそうだ。この兄弟の時点でほぼ本家だし、脱税やらなんやら、不祥事が続いたからね。白鬼母はミライちゃんに成敗されてしまったんだよ」
「そう思うと巻き込まれた無関係な人に申し訳ない気もしますが」
「しかしクミさんに聞いていた昔の君とはほんとに別人だな」
「やっと最近記憶を失う前と失った後の自分が混ざりきった感じがしてまして」
「そうなんだよな。君の場合まずそれで君自身が一度分断されてる事情もあるから……
「荒れてた頃の感情を忘れたわけではないのですが、あの頃の、ええと喧嘩だとか、そういうことへの熱意とか意欲みたいなものが湧いてこないんです」
「むしろ当時は発散できないものが内部に溜め込まれていて、それが間欠泉のように吹き出していたんじゃないのかい?」
「そういうのも、あったと思います。暴れてる時の頭の中が真っ白になる感じが好きで、ひとりで集団を叩き潰したりすると薄っすらと腹の底が満たされるような気がして。バイクが好きなのも同じ理由からでした。ヘルメットも被らずにスピードを上げると全身がエンジン音でいっぱいになって、そのまま風と同化するような錯覚を覚えて」
「記憶の蓋が開いて、隠れていた過去が溢れ出てきたことで、そんなことでぽっかり開いた穴を埋める必要がなくなってしまったのかもしれないね。それでなくともいつもそばにはミライちゃんがいるし」
……はい」
「例のものが手に入ったら、本当に籍を入れるかい?」
「はい。すぐに」
「いやあ、春美と結婚した時を思い出すよ。僕も人のこと言えた結婚じゃなかった。なんせ知り合って1週間くらいでプロポーズしたんだからね」
「そうでしたね」
「だけど、この人をこのまま手放してはいけないと思っちゃったんだよなあ」
「はるはその場で受けてくれたんですか?」
「まさか。落ち着けって言われて、まともにとりあってはくれなかったよ。だけど僕の方は今春美をひとりで帰したら二度と再会できないような予感がして、食い下がった。あんまり僕が折れないんで、春美は渋々『とにかく治療が最優先』だと言いながら、せめて3ヶ月交際期間を置けと言ってくれてね。で、きっちり3ヶ月後にもう1回プロポーズしたんだ」
「それでOKしたんですか」
「春美のやつ、すっかり忘れててね。やだまだそんなこと考えてたの!? って目を白黒させてた。でもまあ、それで結婚したって言ったって、僕は治療、春美も無理のきかない体、夫婦っていうより病人同士が寄りかかりあって生きてる感じだったね。まさに生きてるだけで精一杯だったよ」
「この5年間、実はオレたちが籍も入れてないただの同棲で、夫婦なんかじゃないことを疑った人はいませんでした」
「他人の認識なんてそんなものだよな。10年ほど前にうちの近所でも事件があってね、息子が母親の死を隠して4年もの間年金を不正受給していたんだけど、そのおっかさんが死んだことに両隣の家ですら気付かなかったんだ」
「例のものが手に入ったら、そんな風に生きていかれると思いますか」
「そう、そこも含めてもうひとつ、今後のことについてだ」
「はい」
「実はこの店、近く閉店する予定なんだ」
「はあ」
「鉄男くん、ここで商売をやらないか?」
「え!?」
「今の仕事が悪いというわけじゃなくて、ミライちゃんのことを考えると、僕は自営業がベストな選択だと思うんだよ。実はここのオーナーとは古い知り合いでね。マスターが引退したがってたし、オーナーの方はリタイアメントで東南アジアに移住を考えてるらしくて、僕なら格安で譲ってくれると言うんだ」
「は、はあ……
「幸い僕は酒が趣味。いくらでもアドバイスをしてやれる。君も飲むのは好きだし、しかも昨今の男子には珍しく嫁さんに丸投げせずに台所に立つそうじゃないか。料理も出せる」
「そ、そうですけど」
「何なら今の仕事をアルバイトに戻して兼業したっていいし、体を壊した時にはみんなで維持さえしておけば、君は雇い主に遠慮することなく自分のペースで仕事に戻れるぞ」
「確かに……
「というかあそこにいるマスター、体調も芳しくないらしくてね。早めに店を畳みたがってるのをオーナーがなだめすかしてる状態なんだ。僕がうんと言えばこのまま店を放り出してくれるかもしれないぞ。看板を直して新装開店、あとは徐々に作り変えていけばいい」
「社長はどう思いますかね」
「うーん、ある程度事情はわかってるんだし、別に裏切り者扱いするようなお人には見えなかったけどね」
……オレ、接客できますかね」
「接客なら今でもやってるじゃないか。元々ここはあの寡黙なマスターの店だし、まあそりゃ若いお姉ちゃんがおしゃべりを楽しみにやって来るような接客は出来んかもしれないけど、君は男に好かれるから僕は心配してないんだよ」
「そ、そうですか……?」
「好かれるってのはちょっと語弊があるかな。同性から見て安心感があるんだよ」
「はあ」
「というか心配なら最強の助っ人がいるんだから、しばらく助けてもらったっていいじゃないか」
「最強……誰ですか」
「何言ってんだ、春美だよ! 元ナンバーワン! それはそれで接客のプロだ」
「あ」
「接客なんてそれを見て覚えればいい。君はふざけてはしゃぐミライちゃんのあしらいが上手いし、すぐに慣れるよ。どうだい」
「そ、そうですね」
「環境が変わる不安はもちろんあるだろう。僕は何も、さあ僕の思いつきに従いなさいというつもりで話してるわけでもない。だからこれは僕が君に持ちかける『話』でしかないから、もちろん結論はミライちゃんと話して決めて欲しい。話に乗ってくれなくても僕はへそを曲げたりしないから」
「はい」
……ただ僕は、ミライちゃんと生きていきたいという君の覚悟を応援したいんだ。僕が春美とそうなりたいと思った時に、助けてくれる人はひとりもいなくて、改めて地域の保健師さんや、民生委員だとか、そういうところの助けがどれだけありがたかったか知れない。春美も僕も過去は暗いけど、ふたりして命拾いをして所帯を持った、その恩返しは社会にしていきたいと思っていたからね」
……ありがとうございます」
「春美はいつか君たちに子供が出来ないかと楽しみにしているよ」
「そうらしいですね」
「結婚してるのになんで作らないんだって、あちこちから突っつかれてたんじゃないか?」
「子供もそうですし、家を買わないのかとか、色々ありました」
「まあ、そのうち病気するので今のうちに貯金しないと、なんて言えないもんなあ」
「それもありますし……オレが、子供は」
「苦手かい?」
「というか、子供を近くで見たことがなくて、正直自分が父親になれるとは」
……過去が過去だからね。まあそれは無理をするようなことじゃ――
……でも、今は欲しいです」
「うん?」
「子供が欲しいと言うより、ミライと自分を繋ぐものが、欲しいんです」
……そうか」
「夫婦、家族、それを証明する、といいますか、ミライがこの世に存在しない化物なんかではないという、証拠が」
「ミライちゃんを、本当に愛してるんだね」
「はい」
「よくわかるよ。僕も春美を心底愛している。僕の魂ごと救ってくれた人だ」
……はい。オレの世界を、変えてくれた人です」
「世界なんて、いとも簡単に変わるな」
「ええ」
「僕はいっそ世の中の全てを憎んでいたけど、こっちが世界を愛するようになると、愛されるようになるんだな、不思議なことに」
「そう、ですね――
「最近はよく思うんだ。このままただ日々を送ってろうそくが消えるようにこの世から消えていくもんだろうと思ってた人生が、こんな年で急カーブをきるなんて、5年前の僕なら欠片ほども信じなかった。だけど、オレの人生、こりゃあまだまだ楽しそうだぞ、ってね」
……はい」
「大丈夫、きっと君の人生は面白いことで溢れているよ。それを探していこうじゃないか」