エンド・オブ・ザ・ワールド

End of the World. supplement

リリー・ローズ編3

(一ヶ月後、百合から連絡がないので気になって店を訪ねる)
「ありゃ、休みだ。定休日じゃないのに」
「まあこんな趣味性の強い店だから、いきなり休んでも平気だろうけど」
「裏に回ってみよっか。営業してないだけでいるかもしれないし」
(店の裏側に回り、通用口のドアに手をかけると、開いた)
「百合ーいるー?」
(返事がなく、どうしたものかと逡巡していたふたりの近くで軋む金属音が聞こえる)
「何この音……ってうわ!!!」
(ドアの影から車椅子に乗った男性が現れる)
「い、樹さん……
「えっ!? これ樹さん!?」
(ふたりが驚いているところに百合が2階から降りてくる)
「誰かと思ったら……勝手にドア開けて入ってくるなんて、どういう躾されてるのよ」
「だ、だって、休みだったから」
「今日は兄の具合がよくてね。だから連れてきてるの。客なんかどうでもいいわ」
(無表情の樹が店内をウロウロしている)
「樹さん、車椅子は操作できるんだ」
「実は体は言うほど悪い状態じゃないの。足と目はきかないけど、例えば健康診断で悪いところはない感じって言えばいいかしら。だけど精神の方が壊れちゃってるからね」
……百合、それで」
「その話は兄のいるところではナシよ。日没前に兄を帰すから、暗くなったらまた来てちょうだい」

(日没後、改めてリリー・ローズを訪ねるミライと鉄男)
「樹さん、家にひとりなのか」
「まさか。ちゃんとヘルパーさんを雇ってるからそこは問題ないわよ。ていうか両親も祖父母も健在だし、うちは私の叔父や大叔母も同居してるからね。それに、兄は暗くなるとほとんど意識がないから」
「暗く……どういうこと?」
「それは私にもわからないわよ。医者だって『どうしてでしょうねえ』って言うだけだもの。とにかく兄はああして明るい時間帯なら車椅子を自分で動かしてウロウロすることもあるけど、日が沈んで暗くなるとほとんど動かなくなっちゃうのよ。太陽光で動いてるロボットみたいにね。だからもうそろそろ眠ってしまう頃合いかしらね。寝てしまえば朝まで起きないしね」
……それで、百合」
(深く大きくため息をつく百合)
「お察しのとおりよ。ある程度干渉は出来るけど、どうしても別れないのよあのふたり」
「やっぱり……
「やっぱりってどういう意味よ」
「百合、これは私の憶測だけど、樹さんとルイさんは、付き合って、喧嘩しながらも愛し合って、そしてあの事件で離れ離れになる、そういう運命なんだと思うんだ。それはもう、決まっちゃってることなんだと思う。不確定要素で、決まってなくて、フワフワ浮いてる運命じゃなくて、ふたりが生まれた時には決まっていたような、そういう感じがずっとしてた」
……ひどい話ね。あなたの言うことが真実なら、兄は20代で足の自由と視力を失って、まともな精神活動も出来なくなって、生きる屍みたいな人生を少なくともあと20年は送ることになるのよ」
……そうか、未来の時点でも樹さんに変化は」
「何よ、そんな人生。兄の人生って一体何なの。そんな苦しみだけの――
「百合、それは私たちにはわからないことだよ。もしかしたら神様みたいな存在が何もかもコントロールしてるのかもしれないし、誰がどこでどう繋がって、誰の運命に影響しているかなんてこと、私たちみたいな人間ひとりの手に負えるものじゃないよ」
「達観してるのね」
……慣れてしまったとは言え、百合、私はここにいる限り、死ぬまで『存在しない存在』なの。出来る限り私という自己を薄く引き伸ばして隠れるようにして生きていかなきゃいけないことに変わりはないの。元々何かに干渉して運命を捻じ曲げようなんてこと、出来る存在じゃないんだよ」
「どうせ他人事だものね」
……百合、ひとつ、気休めを言ってもいい?」
……何よ」
「もし過去への干渉が成功して、樹さんが難を逃れたとする。怪我もしてない。ルイさんとも別れられた」
「理想的ね」
「そう? そしたら樹さんは、いつかまたあなた以外の女と知り合って、いつかあなたの元を去っていくんだよ」
(椅子から飛び上がる百合)
「ルイさんと別れた樹さんが『百合、僕が間違ってたよ。これからはずっと一緒にいよう』なんて言い出すと思ってた? 樹さんは中学生の百合に対して『もっと普通の女の子になってほしい、友達とか、彼氏とか』って願ってるような人だよ」
「そ、それは……
「そうか、樹さんは今のままなら、あんたと一生一緒なわけだな」
「それは、そうかもしれない、けど……
「それでなくとも既にヤンキーになってたわけだし……いずれ実家は出てたかもしれんな」
「ああ……そんな……
「私もあんな運命は残酷だと思う。何とかしたいっていうあんたの気持ちそのものは正しいと思う。ハデスが悪なのも変わらない。あいつはいつか破滅すればいいと思う。だけど、あんたの、樹さんとずっと一緒にいるっていう願望は、皮肉なことに、今のこの運命を受け入れることでしか、実現、しないんじゃない?」
(再び椅子に崩れ落ちる百合)
……悪魔の、囁きね」
……悪魔は、一体誰のことなんだろうね」
(力なく笑う百合)
「わかってるでしょ、私よ。二度と他の女のものにならない兄という誘惑に、勝てるわけがないわ」

(自宅に戻ったミライと鉄男)
「本当にあれでよかったのか」
……てっちゃん、これで最後にするから、1回だけ、未来に行ってきていい?」
「は? 急にどうした」
「樹さんと、ルイさんと、百合。私たち、私たちが関わったこと、百合の主張する『腕時計に導かれてきた』ということの意味、ひとつだけ確かめたいことがあるの」
「未来って……
「あっ、違う違う。私が元いた時代じゃないから安心して。今から6年後」
「それが何か……
……もし間違ってたらそれでいいの。確かめてくるだけ。未来へ行くのはこれで最後にするから」
…………ミライ、お前が帰ってくるの、オレはいつまでも待ってるからな」
……そんな不穏な言い方しないで。私が帰ってくるのはてっちゃんのところだけだよ」
「ああ、待ってるよ」
(数分後、6年先の未来に飛び、1時間ほどで帰ってくるミライ。戻るなり床にへたりこんで声を上げて泣いている)
「どうした、どこか具合が」
「ごめん、大丈夫、私はなんともない、ほんとにすぐ帰ってきただけだから」
……6年後って、お前が生まれる年だったな」
(ミライを抱き起こして厳しい顔をしている鉄男)
「そうだよ」
「何があったんだ」
「私のことは、わからない」
……何を見てきた」
「ルイさんを、見てきた」
「えっ?」
(鉄男の腕にすがりついて涙を流しながら、泣き笑いのミライ)
「勘が働いたのか、それとも何かが私に教えてくれたのか、もしやと思ったことが、正しかった」
「6年後のルイさん……?」
「ルイさんのその後、わからないって、言ってたでしょ」
……ああ、オレは何も聞いてない」
「だけどルイさんちも、古くて厳しいお宅だって話で。だからルイさんはきちんとケアされてると、思って」
「まあ、深刻な怪我とかはしてないって話ではあったけど」
「どうしても予感がしたんだよね。てっちゃんの過去を探しに行ったときみたい。なんでこんな風に繋がるんだろう、なんであっちこっちで色んなことが繋がってるんだろう」
「だから何があったんだよ、ミライ、しっかりしろ」
「ルイさん、ルイさんは、あの人は、ユヒトのお母さんだったの……!」

……じゃあ会ったことはなかったんだな」
「うん。知り合った時には既にルイさんはいなかった。まあまだ私も高2だし、いくら親しくてもユヒトのお母さんが離婚なのか死別なのか、または何か他に事情があるのか、それは知らなかった。もしかしたらと寿は知ってたかもしれないけど、おそらくユヒトも知らなかったと思う。お父さんとものすごく信頼しあってて、仲も良くて、親友同士みたいな関係だったから、逆に父親の傷に触れるようなことはしたくないっていうのが、ユヒトだったから」
「どちらにせよ全員この辺りの生まれ育ちなわけだから、おかしなことではないがな……
「だけど確かユヒトんちも古い家だった気がする。おじいちゃんの家は古くて大きくて廊下を靴下でツーッて滑るのが好きだって、言ってたから」
「だけど父子ふたりで暮らしてたんだろ」
「ルイさんの事情が関係してるのかもしれないしね」
「そうか、結婚、してたんだな……
「それはわからないよ。ユヒトのお父さんは本当に真面目で地味で目立たない人だったけど、そんなの子供の私に見せてた偽りの姿だったかもしれないし」
「まあ、そうだな……
「だけどユヒトはルイさんに関して、例えば素晴らしいお母さんだったらしいとか、逆にひどい人だったとか、そういうことも何も聞かされてなかったのか、それとも私には言わなかっただけなのか、だけど悪く言うことは一度もなくて、自分には母親がいないけど、父とふたりでも充分幸せだって、そういうようなことは聞いたことがある。それを聞いてが涙ぐんでたとか、そんなこともなかった」
……突然、消えてしまったみたいだな」
「だからこそ色んな可能性が考えられるよ。もしかしたら樹さんみたいに心が壊れてしまったのかもしれない。何か思うところがあって行方不明になってしまったのかもしれない、ただ単にうまくいかなくなって離婚しただけかもしれない、だからルイさんが私のいた時代に元気に暮らしてる可能性は決して低くない」
「一度は子供を身籠って、それで産むことを決めたんだろうしな」
「誤解しないでねてっちゃん、ユヒトって、すごくいい子なの。真面目で、ずる賢いところがなくて、素直で、お父さんのことを本当に好きで、だけど自分の人生を楽しんで一生懸命生きてた人なのね」
……ああ」
「樹さんも、ルイさんも、もちろん百合も、ものすごく残酷な運命に翻弄された人たちだと思うんだけど、どうしても変えられなかった過去の先には、そういう男の子がひとり、いるの」
……わかるよ。オレも、父親があんなことにならなかったら、今こうしてはいられなかったから」
「私があの腕時計に出会って、過去を旅することも、決まってたことだったのかもしれない」
……ここに、残ることもか?」
「わからない。だけど、そんなこと、いつでも私たちの好きなようにいじっていいものじゃないんだって、改めて思った」
「そうだな」
「だからてっちゃん、私、本当にもう二度と、未来にも過去にも、行かない」
……ああ」
「ずっとここにいる。死ぬまでここにいる。私の生きる世界は、最初からここだったんだって、もう、決めたから、普通はそれが普通なように、もう別の時間には、行かない」

(数日後、リリー・ローズに腕時計を返しに行ったが留守で、ポストに置いて帰ってくる。が、更に数日後、百合が訪ねてくる)
……家がここだなんて、教えたっけ」
「だから腕時計に連れてきてもらったのよ。何度言えば学習するの」
「あっそう……
「何の用だ。もう過去の件は……
「そう。それはもういいわ。あなたたちの言う通り、兄の過去はどうしても変わらないし、確かにこれで兄は死ぬまで私のものよ。私なんかもう、まともな人間じゃないんだもの、好きにするわ」
「だったら」
(テーブルの上に腕時計をそっと置く百合)
……それはもう、私たちには必要ないよ」
「そんなこと知らないわよ。この子はあなたのもとに帰りたがってるし、私も無用の長物だし」
「店先にでも置いておけばいいじゃないよ」
「正直に言うわ、今でも兄の過去を変えたいという気持ちは残ってるのよ。だけど私が時間移動の能力を吹き込んでやったっていうのに、こいつは私を過去には連れて行ってくれなかった。だから、一緒にいたくないのよ。見るのも嫌よ。腹立たしい」
「だったら捨てればいいだろ」
「捨てたけど戻ってきたのよ」
「なっ……
「だからわざわざ持ってきてやったのよ。いいこと、これのおかげであなたたちは出会って、今こうして夫婦の真似事をして生きていられるのよ。あなたたちが保管する方が理にかなってないかしら」
「だけど……
「それから、この花びら、何度使っても減らないようにしておいたわ」
「は!?」
「無制限に使えるようになったのか?」
「そうよ。私の寿命3年分と引き換えだったけど」
「なんでそんなこと! 私たちも、あんたも、必要ないでしょ!?」
(うっとりとした顔で笑う百合)
「これが、あなたたちにとっての『悪魔の囁き』よ」
「何……?」
「私は兄と一緒にいられて幸せよ。一昨日、自分の寿命と引き換えに無制限に時間移動できるようにエネルギーを充填した後、思い切って兄にキスしてみたの」
「百合……
「信じられないことに、兄は私を抱き寄せてくれたの。たくさんキスしたわ」
「樹さん……
「だけどそれは、兄の最良の人生と引き換えに私が手に入れてしまった幸せでしかない。今でも兄に輝かしい人生が戻るなら私の元から去っていってもいいと思うわ。そういう悲劇と引き換えにしか幸せを手に入れられなかった私と兄の人生を呪うわ」
(腕時計に触れて、ミライの方へ押し出す百合)
「だから、あなたたちだけそんな幸せそうな顔して生きてるのが、疎ましいのよ」
「百合、だけど」
「だけどやっぱりこの腕時計を生み出したのは私よ。そこからは逃げないわ」
(立ち上がり、穏やかに笑う百合)
「存在しない人間が人の世でどうやって生きていくのかも興味があるし、なにか困ったことがあったらいつでも店にいらっしゃい。私はいつでもあそこにいるから」
「百合、私は」
「それじゃ、また、いつか」
(振り返って出ていく百合)

……でも、もう時間移動はしないって、決めたから」
「それでいいよ」
「確かに、悪魔の囁きかもしれないね。この先、何度でも使えるタイムマシンがあると思うと、私たちはその誘惑に何度もグラつくことになるかもしれない」
「いいんじゃないのか」
……そう?」
「元々オレたちは自然の理を捻じ曲げてるんだし、それを忘れないためにも、足枷があっても」
……そんなの、他にもたくさんある気がするんだけどな」
「お前はまた感じ方が違うと思うけど、あの魔女の『疎ましい』ってやつは、オレにはよくわかる」
「えっ?」
「お前は両親や生まれ育った環境から離れて生きる苦労があるだろうけど、オレはそういうところ何も変化がないし、本来ならいるはずのない女が空から降ってきたようなものだろ。それを未来に送り返すことなく手元において、結婚したとか抜かしてるんだ。あいつの言う『お前らだけ幸せになりやがって』というのはオレにはぴったり当てはまる」
「そ、そうかもしれないけど……
「だから、これはオレがそれを忘れないための足枷ってことで、いいんじゃねえのか」
「そんな、てっちゃんだけ」
「オレが未来に行ってもいいけど、そっちの方がよっぽど大変だったと思うぞ」
「そうかもしれないけど……
「いつものお前らしくないぞ。これであいつには恩をたっぷり売ったし、お前が未来人だってことを知って協力してくれる人が少なくともひとりは確保できたことになる。それで腹に収めないか」
……うん」
「大丈夫、ルイさんはもう少ししたら、きっとユヒトの父親と出会って、少ないかもしれないけど幸せな時間を手に入れる。魔女もいずれ樹さんを独占する生活が当たり前になる。何を考えてるのか、考えていないのか、樹さんはその妹のキスを受け入れるとかいう謎の行動に出てるけど、もしかしたら妹とは認識できてなくて、ルイさんと思ってるかもしれない。それはもしかしたら、幸せなことなのかもしれないぞ」
……うん」
「ミライ」
「はい」
「はるも、イワさんも、社長もクミさんも、サトルも、サトルの親も、オレたちが夫婦でいることをあんなに喜んでくれてる」
「うん……そうだね」
「あと6年経ったら、お前とユヒトは両親に愛されて元気に生まれてくる」
「うん」
「大丈夫、それは変わらない」
「てっちゃん……
「だからもう誰かの運命がどうとか、そんなことで悩むのは終わりにしよう。オレたちは今この時間を精一杯生きることだけに集中すればいい」
「そう、だね」
「そんな眉間にシワ寄せてたら手ェ繋いで歩いてやらねえぞ」
「えっ!? それは!」
「あの魔女のせいでお前、10日間くらい人生無駄に消費してんだぞ。オレはそれ納得してねえからな」
「いやそれはそうなんだけど」
「だからもうこの話は終わり。腕時計の置き場所はまたいずれ考える」
「は、はいっ」
「というわけで今日は出かけて、10日間を少し取り戻す」
「デートですな?」
「そうとも言う」
「だったらそう言いなされ」
「察しろ」
「言いなさい」
「やだ」
「言わないとチューすんぞ」
「どうぞ」
「何その真顔。少し照れるとかしろよもう! ちくしょう、今夜は寝かさねえぜ」
「上等だ。かかって来い」
「イー! 可愛くない! 好き!」
「はいはい。ほらさっさと支度しろ」
「てっちゃん好きいいい」
「それでこそオレの嫁だな」