エンド・オブ・ザ・ワールド

End of the World. supplement

新潟編3

「だけど無事だったし、誘拐とかじゃなくて、てっちゃんが勝手にやっちゃったことだよね?」
「そう。男なんてみんなそんなもんだろうと思うけど、当時のオレも自分は十分大人だと思ってたし、ケロッとして帰ったら警察沙汰になってた」
「てかそれも忘れてたんだね」
「忘れてたって言うより、頭ん中に蓋されてた感じだ……
「蓋?」
「忘れてて思い出したって感じじゃない。目の前に箱があったから開けてみたらあった……そんな感じ」
……もしかしててっちゃん、記憶失ってたんじゃないの?」
……まさか」
「私も子供の頃のこと全部覚えてるわけじゃないけど、それでも印象に残ってる刺激の強かった出来事なんかは鮮明に覚えてるよ。例えダメ親父でも父親、身内が亡くなるって幼い子供でも十分ショッキングなことだと思うし、ああそうだ、だから転校した時の記憶は白衣の大人、保健の先生だったんじゃないの。ショックな出来事があって、少し記憶を失ってたから」
「そんな繊細なタイプじゃ……
「体に起こる異変に精神論は関係ないの。てっちゃんがどんな性格をしてても、脳の方がギブしてマズいって判断したら勝手になっちゃうもんなんだよ」
「そういうもんか」
「そういうもん。それにね、おそらくだけど、今のてっちゃんの人格ってほぼ神奈川に来てから形成されたものだと思うのね」
「まあそうだろうな」
「小2のてっちゃんはかなりリーダー気質だし、自覚はあんまりないみたいだけど責任感が強くて、自分が場をコントロールしないと、って思ってる感じがある。それにね、前にてっちゃん『オレが躾のなってねえガキだから』社長に色々仕込まれたって言ってたでしょ」
「まーな」
「小2のてっちゃん、お行儀悪くないよ。イチの方がよっぽど行儀悪い。時代を考えても、てっちゃんとサトルは本当に普通の子だと思う」
「モトは」
「あればバカなだけ」
「ゴフッ」
「だからね、そういう、ここで育ったてっちゃんていうものを、てっちゃんは全部蓋して隠しちゃったんじゃないのかな」
「脳がギブしたから?」
「そう。だって友達と一緒に1年かけて秘密基地作ったなんてこと、忘れないよ普通」
「まあ……普通はそうだよなあ」
「何かてっちゃんの脳にショックなことが起こって、記憶に残るともっとマズいことになると思って、ここで過ごしたこと丸ごと思い出せないようにしちゃったんじゃないのかなあ」
「だからこんなに覚えてないのか」
……ちょっと待って、秘密基地のイチの件、小3になって、イチだけクラスが違っちゃってズレ始めたって言ってたよね」
「そう」
「子供のことだし、そんなにすぐ険悪になるとは思えないんだけど、とにかく、あの秘密基地に、イチは新しい仲間と土日に侵入した」
「そう」
「おかげでてっちゃんは次の土曜日に見張りに立つことになって、帰れなくなって警察沙汰になった」
「そう」
「神奈川に引っ越したのはGWより前」
……ずいぶん忙しいな」
「というより、ものすごく時間がない。急すぎるよ」
「そうだな」
「行ってみようか、その頃に」
「えっ?」
「少なくとも、てっちゃんが秘密基地で一晩明かしたのは4月の、2度目の週末だったことになるでしょ」
……そうか」
(ミライ、カレンダー画面を差し出す)
「見て。例えばこれは今年の4月、これは来年の4月」
「始業式はここだから……そうか、下手したら警察沙汰になっちまった週末から引っ越しまで、1週間しかないのか」
「ええと今カレンダーてっちゃんの生きてる時代に合わせてあるから……ここは何年だっけ」
「少し前に行ってから確かめればいいんじゃないか。その、少し長く滞在することにはなるけど」
「それがそのー、私も予算がそろそろ。手持ちの金全額持ってきてないし」
「ああ、そうか……
「私の生まれる8年前で、さらに12年、じゃなくて11年遡って……
「ゆっくりでいいからな」
「ありがと。てっちゃん大好き結婚して下さい」
「するっつってんだろ」
「別に結婚式にはこだわらないけど、スーツのてっちゃんは見たいな〜」
「まじか……
「紋付袴も捨てがたいけどうーん」
「写真だけとかそういう……
「ふたりだけのウェディングとか私の時代は割と普通って聞いてたけど、この頃って無理かなあ」
「へえ」
「自分で言うのもなんだけど私あんまり金のかからない女だと思うんだよね」
「まーな」
「だから結婚して下さい」
「わかったって」
「よしきた!これだ! 4月、えーと、ほら見て始業式の直後がもう週末。間は1日しかない。イチがこんな直後に他の子連れてきちゃったとは……
「ちょっと考えにくいな。学校が早引けの時は校庭で遊ぶことも多かったし、これなら翌週の話だと思う」

「だとしたら17か18が秘密基地に入られた週末、その次がてっちゃんが泊まっちゃった週末、29日は祝日だから、引っ越したあとにGWってことは、この29日以降に引っ越した可能性が高いんじゃないかな」
「祝日とか曜日とかは記憶にねえけど……引っ越す前は何日か休んでた気がするんだよな。で、越してもすぐ学校じゃなくて、休みがあった気がする」
「だとしたらやっぱりてっちゃんのお父さんが亡くなったのはこの日曜から水曜までの4日間くらいに絞られない? 急な引っ越しだけど、29日から4日まで使えると考えると不可能ではないと思う」
「オレの記憶が正しければそうなるな」
「んー、この頃に漫喫があればなあ。そしたら泊まりでもまあなんとか安く済むんだけど。しょうがない、調整大変だけど金が底ついたら飛ぶか」
「まあまだ20回分くらい残ってるしな」
「この間数えたら23回分残ってた」
「今から行くか? ええと未来へ行くわけだから……
「えーと、今22時42分、ちょっと待つようだね。よし、近くなったらホテルの近くで飛ぼうか。26日でいいね」

(26日月曜日の0時過ぎ、25日の朝に鉄男の行方不明騒ぎがあった日の深夜)
「てっちゃん、もうこんな時間になっちゃったけど一応確認しに行ってみない?」
「何を」
「てっちゃん家。今日は朝からてっちゃんの行方不明騒ぎだったはずだし」
「そうか、そうだな……
「大丈夫?」
「ああ、そういう意味じゃない。なんとなく蓋が開きそうな感じがしてむず痒いんだよ」
「どんな結果でも後悔しない?」
「しねえな。未来に行ってお前がいなくなってるのを確かめるとかならともかく」
「てっちゃん……今夜は寝かせないぜ」
「そりゃこっちのセリフだ」
「んもおおおおお」
「ほら、行くならさっさと行こう」

(対岸から様子を伺う)
「あれ、電気ついてる。てっちゃんの部屋は暗いけど」
「オレが寝てから家の中がどうだったとかは全くわからねえからなあ」
……私ちょっと近付いてみる」
「何?」
「中の声が聞こえるとは思えないけど、もしかしてってこともあるし、中明るいし、玄関のあたりなら見えないだろうから」
「大丈夫か」
「おかしいなと思ったら走って逃げるけど、もし危なそうだったら助けに来て。タオル目深に巻いてれば人相もわかりづらいし」
……わかった。すぐ近くにいるから」
(足音を立てないように玄関付近に忍び寄るミライ)
(鉄男はポストのあたりで待機)
(ミライ、数分で戻る)
「おかえり、大丈夫か。歩きながら話そう」
「私は大丈夫。だけどその、やっぱりなんか言い合いしてるっぽい。けっこう声聞こえてきた」
「まあ、そうだろうな」
「思う所ある?」
「この間の話でもそうだけど、じいさんはなんかいつも不機嫌だったし、ばあさんとは仲良く見えなかったし、それは親も一緒だ」
「それでね、例の心臓患ってる叔母さん、ちらっとだけど見えた」
「まじか」
「やっぱりてっちゃんの言ってた初恋の人って彼女じゃないかなあ。座ってたから背が高いかどうかははっきりしないけど、顔が小さくてすらっとしてて、すごくきれいな人だったよ。しかもきれいなだけじゃなくてちょっとかわいいの。男の人に好かれちゃうっていうの、すごくわかる気がする」
「へえ」
「てか意外だったんだけど、てっちゃんのお父さん、小柄な人なんだね」
「そうだったか? 子供の記憶だからわかんねーな」
「小柄っていうか、つまり中肉中背で普通な感じ。てっちゃんのこの体つき、お父さん方の遺伝ではないんじゃないかな。おばあちゃんもちっちゃいし。だけど叔母さんの首から肩にかけてのラインが良く似てた。顔はすこーしお父さんに似てるところもあるけど、この叔母さん、春美さん、てっちゃんに雰囲気が似てる気がする」
「そうか……
「でね、言い合ってるって言っても、何について議論してるかまではわからなかったんだけど、ねえ、文代さんててっちゃんのお母さん?」
「そう」
「文代さんけっこう発言権あるみたいだね。はっきりと言葉が聞こえてきたわけじゃないけど、しっかりときちんと話してる感じ。やっぱり彼女が家計を支えてたんじゃないのかな」
……覚えてねえなあ〜」
「でね、てっちゃんの記憶の通り、おじいちゃんとお父さんが愚痴愚痴言って、文代と春美が言い返してて、おばあちゃんは相槌みたいに嫌だとかやめてとか言う感じで」
「それは想像つくな。喧嘩腰じゃなくても普段からだいたいそんな感じだった」
「てか春美と文代は仲良かったみたいだよ。春美が文代に加勢してる感じで、おじいちゃんが愚痴愚痴、それに良和が乗っかるって感じで」
「まあその状態で良和が死ねばあの家は出るか」
「そう考えるのは自然なんだけど、だけど問題が残るよね」
……春美か」
「そう。心臓患ってた仲のいい妹、置いていくかな?」

(26日朝、神社の境内にて)
「ただいま。てっちゃんは普通に登校。サトルとモトに心配されてたけど、普通だった。笑ってたよ」
「こっちは今のところ変化なし。どうも親父は休みか仕事ねえかのどっちからしい」
「いるの?」
「いる。昨日の夜、ポストのあたりにあったチャリがないから、おそらくお袋はそれで出勤、あとは全員家にいる」
「あのさ、てっちゃんが記憶を失うようなショッキングなことがあったのだとしたら、それっててっちゃんがここにいる時だよね?」
「ここで起こったことで記憶が飛んだのか?」
「だって、でなかったらここで生活続けてたと思うんだよね。良和が死んだだけだし、祖父母2人の年金と文代の稼ぎで今までも暮らしてたんだし、祖父母ふたりに義理がなくなったのだとしても、いきなり神奈川に行く理由がない。この時代どうだったかわからないけど、もし良和以降誰も死ななくて生活苦しいままだったとしたら、てっちゃん高校行かれなかったかもしれないね。中卒で就職」
「ああ、オレの時代はたまにいたな」
「だよね。だからそうすると『神奈川行き』がほんとに謎になってくる。文代と春美が神奈川出身ってことも考えられるけど、だとしたら何でふたりとも新潟にいるのか。もしふたりが神奈川出身で、文代が新潟にいるのが結婚のせいだったとしたら、春美はなんでここにいるの、ってことになるよね。てっちゃんの母方がこの時点では誰もいなかったってことになるし」
「そうなんだよな……。まだ薄ぼんやりとしか記憶ねえけど、とにかく父親が死んだから引っ越す、としか聞かされてなくて、言われてみれば確かに何で神奈川だったのか……
「てっちゃんが記憶に蓋をした理由、急いで神奈川に引っ越した理由、それはどっちも良和の死に原因があるんじゃないかって私は思うのね。で、てっちゃんはこの家を中心とした記憶が思い出せない、つまり、良和の死はこの家に関係があるんじゃないかなって」
「確かに。じゃあ学校終わる頃にまた来るか」

(ミライ、下校時を偵察に行って帰ってくる。26日午後、神社の境内)
「ただいま。今校庭で遊んでる。やっぱりイチと関係よくないみたいだね〜」
「そりゃそうだろうな」
「そのせいなのかな、モトも少し離れ気味。サトルと一緒だったよ。サトルとはほんとに仲良かったんだね」
「すまん、マジで覚えてねえ」
「うーわサトルかわいそー」
「まあ、向こうもそんな子供の頃のこと覚えてねえだろうよ」
「家は変わりない?」
「ねえな。ばあさんが草むしりしてたり、じいさんが縁側で新聞広げてたり。親父昼過ぎにフラッと出ていったけど、ありゃパチンコだな」
「春美は?」
「見えなかった」
「てっちゃん言ってたよね、葬式も出ないですぐに引っ越してきたって」
「そう。オレは荷物すら持ってなかった気がする。引っ越した先が小さなアパートで、そっちもボロくて部屋の中の感じはあんまり変わらなかったけど、2階だったもんだから窓が高いのが嬉しくて、だけど山がなくて面白くなかったような気がする」
「引っ越す前にてっちゃん学校休んでたって言ってたし、文代が急いでアパート見つけてきたのかな」
「新幹線でテンション上がって弁当買ってもらって喜んで、引っ越しっていうより旅行にでも出た気分だったな」
「それも変だよね……いくらダメ親父でもお父さん亡くなって友達と離れていきなり出ていくんだよ」
「それもそうだよな……お前の言い分だとサトルとは仲良かったんだろうし」
「そういうショックな出来事って、楽しかったことよりも残る気がするんだよね……

(午後ナカ)
「あら、文代帰ってきちゃった。今日早いね」
「機嫌悪そうだな」
「ああいうことよくあったの?」
「この頃のことはよくわかんねえけど、神奈川に行ってからの記憶だとむしろあれが普通」
「うそお。あんな怖い顔してんのが普通なの?」
「ほんと。たぶん2年と経たないうちに男が出入りするようになって、だけどさすがにこっちは小学生だし、山もねえから学校帰ってきて遊ぶ相手がいなきゃ家にいるし、それも夜になれば必ず家で寝てるし、体はどんどんでかくなるし、邪魔だったのかもしれん。ずっとああいう顔してたな」
「春美の記憶ないって言ってたよね」
「正直、今でもはっきりとは」
「文代は春美の話、しなくなっちゃったってことだよね」
「そうなるな。少なくともオレには春美の話なんかしなかったはずだ」
「それも不思議なんだよなあ……この間盗み聞きした感じだと文代と春美は仲がいい感じだったんだけど……あ、てっちゃん帰ってきた」
「オレ、見ない方がいいのか?」
「うーん、この間近距離に近付いたけど何もなかったし、接触がなければいいんじゃないの」
「うおおなんか……変な……
「あはは、もう家に入ったよ」
……おっ、親父も帰ってきたな」
「ずいぶん長いパチンコだね……
「しかも戦利品なし」
「良和それはどうなの」
「そういうやつなんだよ」
「てっちゃん、てっちゃんはそういうところ、ないからね。良和とは違う人間だよ。小2のてっちゃんも今のハタチのてっちゃんも、私が大好きだった未来のてっちゃんも、すごくすごく優しくてあったかい人だったからね」
……ありがとう」
「でもなー、てっちゃんがグレてくれて私はラッキーだった。小2の頃のてっちゃんのまま大きくなってたら絶ーっ対、モテてたよ。上目遣いでアヒル口の女の子と付き合ってたよ絶対」
「オレもラッキーだったよそんなのに引っかかってなくて」
「えへーえへへー」
「お前のその緩んだ顔クソ面白えな」
「えー! かわいくない!?」
「それはウケるだけ……何だ今の」
(樋口家から大きな物音)
「てっちゃんちの方からだよ」
「外からだと見えねえな……
(女性の悲鳴)
「今の声、文代かな、春美かな……あっ、出てきた」
「あれはお袋だな」

(エプロン姿の文代と良和が玄関から出てくる)
「いちいちうるせえんだよお前は! 亭主に向かってなんて口の利き方しゃーがる」
「何が亭主よ! 真っ昼間からパチンコ行って酒飲んで帰ってきて飯はまだかなんて、まともな亭主の言うことじゃないでしょ!?」
「うるせえ! 亭主のやることに文句つけんじゃねえ! 誰のおかげで雨露しのげる家に寝起きできてると思ってんだ贅沢者め」
「この家はお義父さんの家でしょうが! あんたこそ誰の給料でパチンコ打って酒飲んでると思ってるのよ! 働きもしないで遊んでばっかり、おまけに人の妹を変な目で見て」
「当たり前だろ、てめえなんかより春美の方がいい女だからな!」

(神社の境内から様子をうかがうミライと鉄男)
「ちょちょちょ、何言ってんの良和」
「たかが喧嘩で外まで出てくるなよな……
「んっ、良和引っ込んじゃったけど」
……まさか」

(酩酊状態らしき良和、包丁を手に戻ってくる)
「ちょっと、ななな何する気よ! 誰か、誰か」
「後のことは心配すんな、オレが春美を可愛がってやるからよ〜」
(鉄男と春美が飛び出してくる)
「父さん何やってんだよ! 母さん!」
「ちょっ、義兄さん何してるのよ! お姉ちゃん!!!」

「あれ包丁!? ちょちょちょ、てっちゃんマズいよ、鉄男が危ない!」
「ダメだミライ、行くな」
「でも!」
「大丈夫、オレは生きてる。ここでは死なない」
「だけどお母さんが!」
「あいつも生きてる。大きな怪我もしてない。それは間違いない。過去は変えなくていい」
「でも、もしかしたら春美が」
……ひかる、過去は変えるな」
「て、てっちゃ……
「過去を変えたらお前に会えなくなる。過去が変わったらオレたちふたり、今ここで消えるかもしれない。だから、手は出すな」
「いいの……?」
「オレは過去を思い出しに来ただけだ。過去を変えたいわけじゃない」
「こんな時に、本名で呼ばないで…………
「オレにとって今一番大事なのはお前なんだよ。だから何もするな」

(良和に組み付く鉄男と春美、振り払おうとする良和)
「ちょっ、お前ら何しやがる、離せこら」
「父さんやめろよ! 悪いのは父さんの方だろ!」
「こ、のっ……子供が親に逆らうんじゃねえ! あっち行ってろ!」
(引き剥がされて蹴られる鉄男)
「鉄男!!!」
「お前も邪魔すんじゃねえ、役立たずの死に損ないが」
(鉄男に気を取られて張り倒される春美、その隙に包丁を奪い取る文代)
「あっ、ちょっ、おい離せっ、あっ!」
「お姉ちゃん!!!」
「母さん!!!」
(春美が尻餅をついた瞬間、良和の腹を刺す文代)
「ぐぅっ……

「てっちゃ……
「見なくていい」
(ミライを抱き締めて騒ぎを見下ろしている鉄男)
「てっちゃんは……
「大丈夫、思い出したよ、蓋が開いた」
「え……
「ここでオレは蓋を閉じたんだ。ここに繋がる記憶全て、この事件を思い出すきっかけになることを全て隠したんだ」
「全部、思い出したの」
「たぶん、な」
「よかったの、これで」
「ああ。いいんだ。自分の過去は変えられない。変えたら今が変わるだけだ。それはいらない。お前とふたりで生きていく未来のために、思い出せないものを確かめに来ただけだから」
「お父さん、死んじゃうんだよ、お母さんの手で」
「いいよ。それがあの人の生き方だったんだ。オレとは違う。オレはあの人じゃない」
「そか、そっか……

(腹に包丁が刺さったまま倒れて呻く良和)
「てめ、ふみ、よ……アアア痛え……痛えよ、鉄男、助けてくれェ、お袋ォ痛えよォ」
(這いずって文代の足元にすがりつく春美)
「お姉ちゃん! しっかりしてっ!」
「は、春美……
「ハァッ……ハァッ……早く、鉄男連れて逃げて……!」
「春美、あなた発作が」
「いいから早く鉄男連れてここから離れろって言ってんのよ!!!」
(ぼんやりと座ったままの鉄男)
「何言ってるの!?」
「私はどうせ心臓がもたなくてそのうち死ぬんだから、殺人犯でもなんでもいいのよ、だけどあんたたちはそうじゃないんだから、早く」
(春美、言いながら良和のそばに這いずっていく)
「バカ言わないで!」
「私が残ったって鉄男は育てられないのよ!!! いいから行きなさい!!! 鉄男、お母さんと走って!」
(文代、鉄男の腕を掴み上げて走り出す)
(呻いている良和の隣に倒れる春美)
「てめえ、ら……ふざけんな……ちきしょう……あああ」
「うるっさいわね、あんたはあたしと地獄に落ちるのよ。このあたしが着いてってあげるんだから、有難く、思いなさい……!」
(良和の腹の包丁を力任せに差し込む)
「アアアッ……ぐぅっ……
「ざまあみろ……お前なんか、鉄男の父親でなかったらとっくに殺してたわ……
(力尽きて動かなくなる春美、痙攣を起こしている良和)

(春美も良和も動かなくなる)
「刺したのはお袋だけど、とどめは春美だな」
「おじいちゃんおばあちゃん出てこないね……
「中で、見てたんじゃないか」
「だったら……
「あのふたりにとっても、良和はお荷物だったのかもな。じいさんなんか義理もねえし」
「おばあちゃん、自分の子供が殺されそうなのに」
「いや、出てきたな」
(良和の傍らに膝をついて祖母が手をすり合わせている)
……もう良和死んでるのかな。やっぱり悲しいのかな、悲しいよね」
「だけど春美を責める様子もないぞ。わかってたんだろ、こうなる運命だったんだって」
「そう、なのかな……
「いいんだよ。もしここで過去が変わったらお袋は逮捕、春美も死んだらオレはあの親父とじいさんばあさんの間で生きてかなきゃならん。いずれおかしくなって飛び出たろうけど、神奈川になんか行く理由がない。お前とは会えない。これでよかったんだよ。ホッとしてる。むしろ人が死ぬところなんて見せることになって、すまない」
「それは、平気。これだけ距離があるから、なんか、作り話を見てるみたいで」
「ミライ、ひとつ頼みがあるんだけどいいか」
「えっ、なに急に」
「29日に飛んで、オレに会いに行ってくれないか。確かめたいことがあるんだ」
「29日……祝日だね。わかった。今から飛んでも時間間に合いそうかな」
「大丈夫だと思う」
「この後のことは、いいの? 確かめないで」
「ああ、大丈夫。それよりも29日の方が気になるんだ。頼む」
「よし、じゃあ行こう!」

(3日後に当たる29日の午後、神社の境内)
「事件現場なのに、警察の人とかいないね」
「事件自体は単純だからな。お袋は神奈川に行ってるかもしれないし、子供ひとり、近所の人が様子見にくるくらいで放置なのかもしれない。オレはここで待ってるから、行ってきてくれるか。たぶん今の時間帯なら自分の部屋にひとりでいると思うから、窓をノックしてくれれば出てくる」
「会いに行くだけでいいの」
「そう。それだけでたぶん、わかるから」
「わかった。じゃ行ってくるね」

(部屋の窓をノックするミライ、中から鉄男が現れる)
「鉄男、いる?」
…………ミライ」
「久しぶり〜。ちょっと見ない間にまた大きくなったねー」
「どこ行ってたんだ」
「お姉ちゃんは秘密組織の一員なので特別任務があるんだよ」
「それ、面白くない」
「真顔で言うなよ……。てか鉄男、大丈夫? 大変だったね」
「何が?」
……引っ越すことになったんでしょ」
「ああそうそう、オレ今度新幹線乗るんだ」
「へー! すごいじゃん! 新幹線乗ってどこに行くの?」
「いや、よくわかんないけど。オレ新幹線乗ったことないからすげえ楽しみ」
「今日は学校休みだけど、秘密基地行かないの?」
「まだそのネタ? オレ007よりマッドマックスの方が好きなんだけど。オレ大人になったらああいうバイク乗ろうと思ってるんだ」
……せっかくのお休みなのに遊びに行かないの?」
「まあ、はる出かけてるしな」
「はる?」
「春美。病気なのに出かけてるんだよなあいつ。だからまあ、今日はうちでのんびりしてる。ちょっと退屈だけど、夜はレストランで食べるって言うから我慢してる」
「そっか。一緒に遊びに行こ、って言いたいところなんだけど、私もこれからまたちょっと遠くへ行くんだよね」
「特別任務か?」
「ちょっ、そのニヤニヤ顔やめて」
「だから来たの?」
「そう。出かける前に鉄男に会いたくて」
……ふうん」
「ほら、私、鉄男のこと好きだからさ。最後に会いたいなって思って。引っ越す前に間に合ってよかった」
「そっか。ミライも引っ越しか」
「引っ越しってわけでもないんだけどね。でも、会えなくなっちゃうから」
……ミライ、ちょっと待ってて」
(部屋の奥へ引っ込む鉄男)
「ん? いいよーどしたの」
――――ミライ!」
「なになにどうしたの、そんな急いで」
「これ、あげる」
「えっ、な、に…………嘘」
「きれいな石だろ、オレが川で見つけたんだ。宝物」
「て、てつ……これ……
……ケッコン、するんだろ。だから、ミライにやる。オレが大人になったら結婚してやるから、待ってろよ」
「てっ……うぇっ……
「また泣く……泣いたら結婚してやらないって言ったじゃないか」
「だっ、だって、ごめ、だけど無理、嬉しくて、苦しいよ」
……ミライ、オレもミライのこと好きだよ」
(窓から身を乗り出してミライにキスする鉄男)
……っ」
「ほら、もう泣くな。泣くと面白い顔になるからやめとけよ。特別任務が終わったらまた遊ぼうぜ」
「うん、また遊ぼうね。そうだ、ねえ鉄男、海に行こう、ふたりで海を見に行かない? 鉄男の好きなかっこいいバイクに乗って、海に行って、デートしよう」
「いいよ。ミライは特別に後ろに乗せてやるよ」
「約束、約束ね」
「うん、約束」
「じゃ、またね鉄男」
「おう、またなミライ!」