エンド・オブ・ザ・ワールド

End of the World. supplement

新潟編4

(ミライ、泣きながら神社の境内に戻る)
「う……うう……ううう……
……おかえり」
「うっ、う、うええええ、ふえええええ」
「また面白い顔になってんぞ」
(笑う鉄男が両腕を広げて待っていて、抱きついて強く締め上げるミライ)
「てっちゃん……てっちゃん……
「きれいな石、もらったか?」
「うん、もらった……くれた……
「キスされたか?」
「うん、された……されたよ……うわああああん」
(大泣きするミライ、その頭を撫でている鉄男)
「よしよし、オレの記憶は今度は間違ってなかったな」
「こんなの、こんなのって、どうして、どうしてこんなことに、私とてっちゃんて、うえええええ」
「そんなの前に自分で言ってたろうが」
「なにを〜」
「運命の恋人なんだろ」
「うえええええええええええ」
「よしよし、顔が面白すぎるから今日はもうホテル帰ろう。全部終わったから、全部話そう。疲れたな」
「うん……終わったね、明日、未来へ帰ろうね、私たちの時代に帰ろうね」

(ホテルの一室にて)
「初恋の人、春美じゃなかったんだね」
「でも背が高いってのは間違いじゃなかった。春美も高いかもしれないけど、どう考えてもこの時代お前くらいの身長は珍しいからな」
「てかなんなの……私は4歳の時に私と結婚してるてっちゃんに恋をすることになるわけだし、てっちゃんはそのタイムスリップしてきた私に恋をして石を、ううう」
「また涙ぐんでんのか」
「だってさ、どっちもまだ子供で、何も知らずに、それでも恋に落ちるんだよ」
「そういう運命なんだろ。てか前に言ったこと、忘れてるな?」
「えっ、何」
「海デートの時、ホテルで言っただろ。あの時、海でしたキスは人生2度目って」
………………なにそれやだ、嘘、ほんとに?」
「本当だよ。なんで一度キスしたことあることは覚えてたんだかな」
「さっきのが1度目……?」
「そう。あの時オレは普通にミライを嫁にするんだと思ってて、指輪なんか持ってないからキラキラした石でいいやと思ったんだよな。それで結婚するんだからチューはするよなっていう発想でしかなかったけど」
「ううう……てっちゃんへの愛しさで爆発しそう」
「それに、忘れてなかっただろ」
「うわああああああん」
「母親のことは、忘れてたんじゃないか」
「ううっ、そう、なの、お父さんのこともお母さんのことも忘れちゃってて、春美、はるのことしか言わなかったのに、私の、名前、ミライだけど、あんなにちょっとしか遊ばなかったのに」
「これは今のオレの想像でしかねえけど、やっぱり春美とは大して仲がいいわけじゃなかったんだろうと思う」
「なのに忘れなかったの?」
「だからだ。あの事件が起こるまでの『過程』の中に、はるは入ってなかったんだ。いつも奥の部屋で寝てて、オレは外で転げ回って遊んでた。オレにとってはるの記憶は事件に直結するものじゃなかったんじゃないか」
「そうか、だとしたら私も事件には関係ないから……
「そんな気がしないか。サトルたちを覚えてないのも同じ。あいつらを覚えてたら秘密基地も覚えてるし、そうしたら行方不明騒ぎに繋がって、そのままあの事件に」
「てっちゃんの見ていないところではともかく、私と春美だけは事件から遠かったんだね」
「お袋が刺した時点で蓋したから、はるがオレとお袋を追い払ったのも記憶に残ってないだろうしな」
「謎が……解けたね」
……同い年くらいの女子なんて口だけ達者で走るのも遅いし木登りも出来ないし、つまんねえ存在だと思ってたんだ。大人になったら女と結婚するものらしい、みたいな知識はあったけど、そんなの嫌だなと思ってた。だけどミライは早く走れないけどシュートは上手いし木登りも山の中も全然平気、結婚するならこういう女がいい、ってあの時思ったんだよな。子供の感覚でしかねえけど、本当に初恋だったんだ」
「ううう」
「まあその、その後何年かかけて記憶が飛んだのは大目に見てくれ」
「そんなの。てかそれじゃあ神奈川に引っ越してからのことも思い出した?」
「そこはちょっとあやふやなままだな。だけどそれは蓋されてるんじゃなくて、普通に覚えてないだけな感じだ」
「そか。子供の頃の話だしね」
「はるのこと気になってるんだろ」
「うん……
「だけど見たろ。良和にとどめ刺した時のはるの顔、真紫だったじゃないか。助からなかったんだよ」
「そうなのかな……だってまだお母さんと一緒にいるのに、てっちゃん、はるのことしか」
「認識が混濁してるんじゃないか。何しろ記憶ぶっ飛ばした直後なんだし」
「おじいちゃんとおばあちゃんはどうなったんだろう。家にいなかったみたいだけど」
「じいさんもばあさんも新潟出身であることは間違いないと思うから、もしかしたら親戚の家かなんかにいるのかもしれない。場合によったらオレたちが出てないだけで、どこかで葬式を出してるのかもしれないし」
「ああそっか、一応被害者だから別にお咎めもないしね」
「はー……やっとすっきりした」
……晴れ晴れとした顔してるね。なんか、てっちゃんなんだけどてっちゃんじゃないみたい」
「蓋が開いたからな。自分でも変な感じだ。昔と今の自分が混ざりあって、まだ浮ついてる」
「後悔、ない?」
「全くない」
「そっか、それなら、いい」
「記憶は戻ったし、懐かしいものもたくさん見れたし、出会って間もないはずのお前がどうにも気になって仕方なかったのも、理由がわかったからな」
……もう、過去は作られた後だったんだね」
「それまで特定の女と付き合うとかそういうことに興味がなかったのも、たぶんこの日のせいだ。だからお前に惹かれてる自分は一体どうしたんだろうと思ったもんだったけど、それで間違ってなかったんだ。あんな小さいガキの頃に心から望んだことだったし、バイクに乗せてやる約束だったからな」
「こ、こんな遠い過去のこと、ずっと頭の中にしまい込んでたんだね……
「どうしてもなくしたくなかったんだろ。はは、ほんとにまさか初恋の姉ちゃんがお前とはな」
「てっちゃん、てっちゃん……
(ミライを抱きかかえて安堵のため息をつく)
「ミライ、愛してるよ」
「私も、私も愛してる、世界で一番愛してる」
「明日、帰ろう。新幹線で神奈川に。長い旅だったな」

(元の時代へ戻る。廃墟と化した樋口家の前にて)
「なんとなく景色も違って見えるね」
「最初は変わってないと思ったけど、今見ると普通に廃墟だな」
「11年前か、おじいちゃんとおばあちゃん、生きててもおかしくないんだけどねえ」
「まあいいよそこは、別に」
(ふたりの背後に忍び寄る影)
「あのー……
「わっ、な、なんでしょう」
(驚いて振り返るミライ、同世代くらいの男性がふたりを覗き込んでいる)
「いえその、突然すみません、あの、鉄男、さんでは?」
「えっ?」
「ここに住んでた、樋口鉄男さんではありませんか?」
「そうですが……
「や、やっぱり……!」
「あの……
「鉄男、オレだよ、サトル! 後藤悟だよ!」
「え!?」

(11年前にもミライと鉄男が昼食を取った喫茶店にて)
「この店まだあったんだね……
「ん?」
「あ、いえ、すみません、何でも」
「もしかして鉄男、記憶、戻ったのか?」
「ああ、最近な。それで来てみたんだ」
「そうか、長くかかったな。彼女さんか?」
「あー、いや、嫁」
「てっ……!?」
(目を剥くミライ)
「嫁!? 早いな!?」
(あやうく水を吹き出す寸前のサトル)
「まあ正確にはもう少しで嫁、だけど」
「そ、そうか。よかったな結婚前に思い出して。まだ神奈川にいるのか」
「ああ、引っ越して以来そのまま」
「最近まで記憶戻らなかったって、10年以上だよな……大変だったな」
「まあ、自分じゃ違和感もなかったけど、少し前にこっちにいた頃をふと思い出して、色々記憶探ししてるうちにな」
「自力で思い出せるもんなのか」
「いや……自分だけじゃ。こいつに戻してもらったようなもんだ」
「えっ、あの、いえそんな私なんて何も」
「ははは、いい嫁さんじゃないか。やばいホッとして、なんか、バカみたいだなオレ」
(涙ぐんで顔をこするサトル)
「サトル……
「あんまりひどい話だったから、オレもしばらくはショックで夜中に起きちゃったり、おねしょがぶり返したりで、しかも親友が突然いなくなっちゃっただろ、あの頃はつらかったんだ」
「すまん」
「いやいや、お前のせいじゃないだろ」
「すまんついでに、思い出したと言っても、全部忘れるまでに自分が見ていた景色しか残ってないんだ。それで当たり前なんだけど。その頃町の中がどんなだったか、覚えてるか」
「ああそうか、そうだよな。こっちでは今でも当時のこと知る人の間では話が出るけど、うん、そうだよな」
「てかお前は今何やってんだ。学生か?」
「まさか。オレがバカだったことは知ってるだろ」
「それほどバカな記憶もねえけど……
「まあそりゃモトに比べりゃ出来たほうかもしれんけどな。高校出てからは実家で働いてるよ。家建てたくなったら言ってくれ。いい木を都合つけるよ」
「材木屋さん、ですか?」
「そう。あの頃切れっ端をもらっちゃ山ん中に運び込んで1年がかりでツリーハウスを作ったりもしたんだ。あれはオレと鉄男で考えて組み立てたような感じで、結果的にあの経験が元になって実家継ぐ気になったんだよな」
「モトやイチはどうしてるんだ」
「イチ? クラスが変わって以来あいつはそのままだよ。中学までは一緒だったけど、特に仲がいいわけでもなかったし、高校は違ったし、今はどうしてるんだろな。オレはここから離れたことないんだけど、イチはそのくらいから見かけてない。それこそそれほどバカでもなかった気がするけど、どうだろな。遠くに就職とか、あるかもしれん」
「モトは?」
…………まだ、施設じゃないかな」
「施設?」
「あいつは本当にバカだったんだよ。あの事件の頃は小2とか小3だったよな、あの頃から何も変わらなくて、全然成長しなくて、体だけは大人になったけど、中身は小2のままだった。だから中学入ってすぐに先輩に目をつけられて、パシリにされてた。本人もバカだからそういう連中とつるんでることで自分は強えんだって言い出すようになって、そこからずーっとショボいヤンキーの後ろをついて歩くだけの存在になっちまった」
「高校は?」
「もちろん入れない。そんな学力なかったからな。見かねた中学の先生が就職先見つけてきて、それで定時制に行かせたんだけど、もちろんどっちも続かなくて、給料は全部先輩に巻き上げられて、いつだったかな、たぶん高2だと思うけど、山ん中でクスリやって、ラリったまま全裸で街に出てきて逮捕。かなり中毒が進んでたから、医療設備の整った施設に収監されたって聞いたけど、その後は」
「そうか……大変だったんだな」
「オレはもうその頃は関係ないよ。そんな事件があったんだ、って後で聞いただけ。ちょっと遠い高校行ってたから朝も早くて夜遅かったし。オレ、中高とバスケ部でさ、すごかったんだぜ、県大会でベスト8に入ったこともある」
「へえ」
「おかげでその頃は妙にモテて、ちょっと女関係で痛い目見ちゃったもんだから、親に進学反対されてさ」
「えっ、それが理由でですか?」
「そう。特に学びたいことがあるわけじゃなかったし、進学って言ったらひとり暮ししてバイトして、っていう憧れみたいなのしか持ってなかったからね。バスケ部でモテてチョーシこいてしくじるようなのがひとり暮らしで学生なんて、とんでもないと思ったんだろうな。まあ、今となっては正解だったと思うよ」
「親父さんたちも変わりないか」
「そりゃもう。ああそうだよ、だからあの時、お前んちがとんでもないことになって、うちの両親はかなり本気でお前のこと引き取りたいって考えてたんだ」
「え?」
「だってそうだろ、あんな、凄惨な事件で、みんなそれぞれ自分のことで精一杯って感じだったし、それならいっそうちで面倒見られないかって言ってた」
「それは、結局やめたんですか」
「親ふたりはそうしたいと思い詰めてたんだけどな。うちのばーさんが反対したのと、すぐにお前の記憶喪失がわかって、引っ越しが決まっちゃったから」
「記憶を失う前のことは当時見てた記憶でしかねえんだけど……うちって、どんな家だったんだ」
「まあその、うちのばーさんが反対したのはこれによるんだけど、とにかく……お前の、親父さんが……あんまり評判、良くなくてさ」
「気にするな、わかってるから」
「すまん。元々はじいさんとばあさんもこの町の生まれじゃないとかで、しかもあんまり近所付き合いをしたがらなくて偏屈だし、ってことで年寄り連中はよく思ってなかったらしいんだ。で、ほら、かなり年が離れてただろ、お前の親」
「悪い、それも正確には……こっちも母親と疎遠で」
「そ、そうか、すまん。確かかなり離れてたはずだ。で、若い嫁もらって帰ってきたからちゃんとした人になるかと思ったら、余計ダメになったってまた年寄り連中は記憶してる。子供がいるのに定職にもつかないでフラフラしてて、お前の母親と、足を悪くするまでばあさんも働いてた。ばあさんの方はウチの近くで働いてたらしくて、今でもたまに話が出るよ。で、そのうちあの叔母さんだっけか、ええと、刺しちゃった人。あの人が来たんでさらに大騒ぎになったらしいんだよ」
「大騒ぎ?」
「ああ、事件の前のことは話さないよな。長岡の高級クラブでナンバーワンを何年もやってた人らしいんだ」
「えっ、すごい」
「だからこっちに来た当時はものっすごく色っぽかったらしくて、ここいらのおっさんがみんなメロメロになっちゃって、意味もなく開かれてた寄り合いに何とかして呼ぼうとしたり、家で休んでるところに仕事ほっぽりだして顔出したり、みんなその時になんかプレゼントっていうか、手土産を持っていってたらしいんだな」
「それもどうなんだ……
「だろ。だからこの話はここいらのおばさん連中が今でも恨みがましく話すんだ。あたしには指輪ひとつ買ってくれたことないのに、花束持って行っちゃうんだから、ってな」
「それは……怒りますよね」
「なー。だからあっちこっちの家庭が大揉め、結果的にその矛先はお前んちに向いたんだ。あの女が悪い、ってな」
「ひどい……そんなのおじさんたちが悪いだけなのに」
「そうでもしないとおさまらなかったんじゃないのか。うちの叔母は独り身だし、そこに押し付けておけば全部丸く収まる」
「だろうと思う。みんなメロメロになってたけど、いくら美人でも相手は体壊して家にこもりっきり、医療費が高いから積極的な治療できなくて困ってるって話だったし、もしそこで離婚してねんごろになっても、その高い医療費もろとも引き受けなきゃならない。しばらくすると熱が引いたみたいにおさまって、お前んちへの悪いイメージだけが残ったんだ」
「それもひどい。誰も何も関係ないのに」
「だけどうちの親によると、その美人の叔母さんにはナンバーワンだっただけあって、最初はパトロンがいっぱいいて、資金援助があったらしいんだ。けど、まあその、あくまでもうちの親が聞きかじったところによると、お前の親父さんが使い込んじゃったらしいんだ」
「あー、やりそうだな」
「それで援助も消えて、病人だけが残った、と」
「後藤さんのお宅は樋口家を悪く思わなかったんですか」
「後藤さん、なんて堅苦しいな。サトルでいいよ。うちはそもそもそれほど地域密着型の商売じゃないし、うちは母親が隣の市で幼稚園の先生やってたから、そういうのに振り回されてたのはばーさんだけでさ。で、オレが小学生になって鉄男と遊ぶようになって、最初はばーさんがキーキー言ってたんだけど、別に子供は関係ないだろ。それで家はともかく鉄男のことは親戚の子みたいに可愛がってた」
「だから引き取ろうと思ったんですね」
「そう。ただほんとお前が記憶なくしちゃって医者にかからなきゃいけないってんで、口出しできる状況じゃなくなってさ」
「そんなにひどかったのか」
「そりゃそうだよ、事件のことはもちろん、親、じいさんとばあさん、学校のこと、オレのことも覚えてなかったんだぞ」
……すまん」
「いやいや、あの頃は腹立ったし悲しかったけど、それはオレの方がおかしい。お前の脳は自分を守ろうとして、事件を思い出せないようにしたんだ」
「だけど覚えてたこともあった……って聞いたんですけど」
「それよ。なぜかお前、叔母さんのことだけ覚えてたんだ。今お袋さんと疎遠だって言ったよな? それが原因だったりするんじゃないのか」
「引っ越した直後のことはそれこそ遠い記憶でうろ覚えでな……。だけどそういうことなのかもしれない。すっかり親父みたいなダメ女になっちまったよ」
「でもそれ、想像つくよ」
「え。まじか」
「挨拶くらいは出来る人だったけど、口を開けば旦那の愚痴しか言わなかった、って今でもおばさん連中が言ってるくらいだから」
「まあ、それだけダメ親父だったからなあ」
「だからあの時、おっかさんがお前の手を引いてものすごい形相で走って交番に駆け込んだ時、みんな『とうとうなんか起こったな』って思ったって」
「交番……行ったか?」
「それは抜けてんのか。交番に駆け込んで、夫が酔って暴れて包丁を取り出したので助けてくださいって来たんだよ。それで近所のおっさんらも慌てて着いていったら、玄関先にお前のおやっさんと叔母さんが倒れてて、その傍らでばあさんが念仏唱えてて、じいさんは台所でぼーっとしてたって話だ」
「大変な……騒ぎでしたよね」
「まあでもお前の親父さんがちょっとアレだってことはよく知られてたから、警察の方にもあそこんちの息子は前からろくな働きもせずにパチンコしちゃ飲んで、家計は嫁が支えてたってみんな口を揃えて証言したらしいし、叔母さんは逃げ出した姉と甥を守ろうとして包丁を奪い取ってしまったんだろうってすぐに話がまとまったみたいでさ。じいさんばあさんも怖くて家の中にいたから何も見てないって証言してたらしいぞ」
「そう……か」
「あの、おじいさんとおばあさん、消息がわからないのですが」
「じいさんの親戚の家だかに一旦身を寄せるってのは聞いたけど、その後は何も。おやっさんの葬式もしなかったし、墓もその親戚筋の方の近くにあるってんで、あの事件以来お前んちはサーッと人がいなくなっちゃったんだ。オレはお前んちの前通学路だったから、余計に怖かったな。ちょっと前までよく知ってた人たちがここに何人もいたのに、一瞬で誰もいなくなっちゃってさ」
「今も、家残ってますよね」
「借家だったらしいよ。だけど事件があったし、あの辺り一帯の地主は街の方にいるし、放置が続いてそのまま、って感じみたいだな」
「そうか……色々面倒かけたな」
「そんなこと気にするなよ。…………てかお前ずいぶん雰囲気変わったなあ。昔はなんていうか、ガキ大将っぽいというか、そういうところあったけど」
「まあ、記憶飛んでたしな。確かなところはわからんけど、たぶんそれが元で母親はおかしくなっていったんだろうし、オレもマトモには生きてこなかったよ」
「ま、うん、そうだろうな。そんな感じはする。でもこんなきれいな嫁もらえるんだから、よかったな、大事にしろよ」
「ゴフッ」
(急に話を振られたので紅茶でむせるミライ)
「てかえーとこれ言っていいのかな、彼女さん、昔のこと色々聞いて知ってるんだよね?」
「え、あ、はい、事件があった頃のことは、はい」
「君、鉄男の初恋の人にそっくりだ」
「オフッ」
「お前よく覚えてんなそんなこと……
「これが地元に残ったってことだよ。ここはこんな山に近くて街から距離があるし、周りの大人たちは娯楽がないから昔の印象的なことを何度も何度も繰り返し話してる。それは自然と耳に入ってくるようになるし、そうすると何回も何回もあの頃をあの事件を思い出す。よく未解決事件を風化させないためには何度も事件をなぞり直して記憶を薄れさせないことって言うだろ。あれと同じだよ。特にオレは地元で仕事をすることになったわけだし、近所の人が客ってわけじゃないけど、地域のことは頭に入れておいた方がいいんだ。そういうつまんねえ年寄りの昔話でもよく聞いて、知ってる知ってる、こんな話でしょって相槌を打てるようになることが地域での自分たちを守ることにもなるから。それはお前の親父さん見てて自分でも思ったんだよな。誰も彼を庇ってやる人はいなかった。それはやっぱり庇ってもらえないだけのことをずっと見せてきたからなわけだろ。おっかさんの方だって決してよく思われてたわけじゃなかったけど、それでもひとりで働いて家を支えてたのみんな見てたから、だから誰もおっかさんが悪いなんて言う人いなかったし、叔母さんの方だって町中のおっさんに色目使われてて、それはお前の親父さんも同じだったってみんな知ってたし、だから彼女の正当防衛が認められたんだし」
「正当防衛?」
「そう。包丁持ち出したのはおやっさんの方が先だってのはばあさんも証言してたし、ビビってすぐ逃げちまったけど親父さんに包丁突きつけられてるおっかさんを見た人がいたんだ」
「目撃者、いたのか……
「だからすぐ片付いたんだよ。そういうのもオレ自分でも見てたし、みんなの話も聞くし、だからあの頃のことは他の時代より記憶が鮮明なんだ。だからあのねーちゃんのこともよく覚えてる。彼女さんにほんとにそっくりだ」
「そ、そうなんですか……
「てかお前記憶飛んでて、最近戻ったんだろ。彼女に手伝ってもらって。てことは思い出す前にはもう付き合ってたんだよな?」
「あー、まーな」
「思い出してどう思ったよ」
「まあその、ほとんど同じだなと」
「だよなあ。いや、君より初恋の人の方がってことじゃないよ。だけど、子供の頃から君みたいな人が好きだったわけだから、うーん、言い訳がましいな」
「いえ、大丈夫です。知ってるので」
「実はオレが部活でバスケやってたのもその人の影響なんだ」
「サトル、こいつもバスケですごかったんだ」
「え!?」
「小学生の時に名門高校から監督がスカウトに来るくらいの腕だったんだけど」
「そ、そんなうまかったのにやめちゃったの」
「足を、怪我してしまって」
……父親はプロだったしな」
「えっプロ!? 日本にプロリーグはまだ……
「じ、実業団です、社会人選手」
「ああ、そういう……ってすごいな。それ知ってたのか鉄男」
「いや、あとから聞いた……よな?」
「う、うん、たぶん」
「懐かしいな、あのねーちゃんと遊んだの、ちょうどあの事件の前の年じゃなかったか。木登りとかも平気でさ。バスケのシュートが得意で、それでオレはバスケやりたくなっちゃったんだけど、学校であのねーちゃんの話が出ると、言うなってこいつが」
「えっ、なんでですか」
「たぶん、他の男子に見られたくなかったんじゃないか」
「サトル……
「名前も覚えてないくらいだけどオレもあのねーちゃんはいいなって思ってたところがあって、ああいう子っていいよなって聞いたことがあったんだけど、こいつ真顔であいつと結婚するのはオレだからお前はダメだって言い出してさ。いやオレ結婚まで考えてねーよと思った記憶がある。…………でも、記憶なくしたお前を何度か見かけて、オレのことも忘れてて、だからきっとあのねーちゃんのことも忘れたのかと思ったら自分が何か大事なものなくしたみたいに胸が痛かったのを覚えてる。そりゃ子供の時のことだけど、そういう恋の記憶もなくなっちゃったのかと思ったら、悲しくてさ。だからもう結婚決まってる彼女がいるって、それがなんかすげえ嬉しくてさ。ごめん、余計なことばっかりベラベラ喋って」
……いや、ありがとな」
「ほんとに会えてよかったよ。てかいつまでこっちにいるんだ」
「あー、そんなに長くは」
「なあ、彼女さん嫌じゃなかったらうちに寄ってもらえないか、鉄男、ちょっとでいいから顔見せてくれないか。もうばーさんはいないし、親父もお袋も喜ぶと思うんだ、だめかな」
「ミライ、いいか?」
「全然、私ははい、大丈夫です、ていうか私どこかで待ってましょうか?」
「いやいやいやいや、君も是非! 鉄男が記憶取り戻して、全部知ってる子と結婚するんだって知ったら、安心すると思うんだ」
「わかった。お邪魔させてもらうよ」
「じゃちょっとオレ連絡して車取ってくるわ! ちと野暮用があったもんだからさ。店の前で待っててくれ。あとこれ、ここの払いな」
「え、ちょ、多いですよ」
「オレ、そのうち専務になるからいいのいいの」
「わかった。ごちそうさん」
「じゃな!」
…………本当に大丈夫か」
「そりゃもちろん。私がおじさんおばさん得意なの知ってるでしょ」
「まあそうだけど」
……でも、危なかったね」
……ああ。本当に、少しでも過去が狂ったらオレたちは今こうしていられなかったんだ」
「そうだね……