トイ・ソルジャーズ

12

修学旅行帰りの2年生は休みなのだが、それでも勝手に練習に出てくるのが海南が最強たるゆえんである。

「毎年のこととはいえ、誰もそんなこと教えてないのにこうなるんだよな」
「牧さんもそうだったんすかー」
「でもオレは午後からだったはずだ。朝は海行ってた」
「海から帰ってきて海行ったんすか」

どっちにしろ体動かしてたんじゃないかと清田は呆れた。来年、自分もそうなるのだろうか。それは5日間ほどバスケットから切り離されてみなければわからないような気がした。

「神さんは早く帰る的なこと言ってたような」
「へえ、珍しいな」
「でも神さんの早く帰るはあんまり信用ならないっすけどねー」

そう、神は早く帰る。そのために休みだというのに早朝から登校してきて練習に励んでいた。5日間ボールに触れなかっただけで、なんだか下手になったような気がするのはもう仕方ない。三井のようにはいかない。本人も一緒にすんなと言っていたし、そのことはもう気にならなかった。

練習を早めに終わらせて、一度家に帰る。そこで着替えてから、DEANに向うつもりでいた。店主の方から、季節柄店はハロウィン仕様になっていて、しかも土曜の夜で遅くなればなるほど混むから、できれば早めにおいでと言われていた。

本当にもう帰るのかと清田に驚かれたが、神はまだ明るいうちに練習を終えて家に帰った。今日は両親はまた揃って出かけていて、家の中はしんと静まり返っていた。そんな状況にちょうど巡りあう機会もあまりないので、神は久しぶりにスピーカーから大きな音で「ToySoldiers」を流した。

マルティカの声を聞きながら着替えて、ソファに座って少し気持ちを鎮めてから神は家を出た。

駅までは自転車。そこからひと駅。そのくらいなら自転車でも行かれそうなのものだが、山をひとつ超えなくてはいけないので時間もかかるし、を待つのに汗だくでは行きたくない。土曜の夕方で賑わう駅前を、神はイヤフォンから流れる「ToySoldiers」と共に通りすぎる。

昨日から聞きっぱなしだ。だけど、聞かないではいられなかった。「ToySoldiers」だけじゃなくて、何も考えずに付き合っていた頃、と一緒に聞いていた曲を延々流していた。そうでもしないと、少し怖かったから。

父に言ったように、もしが来なかったとしても後悔はないと思う。だけど、それを待つのはやっぱり怖かった。店主には可愛いカップケーキを頼んでおいたし、一番奥の目立たない席をリザーブしておいてもらっているけれど、なにか足りないような気がして、落ち着かなかった。

駅のホームの雑踏の中でも神は何度も足を踏み変えてそわそわしていた。そして慌ただしくひと駅乗ると、またさっさと降りて足早に駅を出る。去年、つい勢いでをDEANに誘ったのはクリスマス・イヴだった。10月末のこの日、町並みはハロウィン一色。神家の欧米かぶれをとやかく言えた状態ではない。

DEANが近付いてくる頃になって、神はイヤフォンを外し、意識して速度を落とし、呼吸を整えてから店の前に臨む。店主の言うように、DEANはハロウィン一色になっていた。確か子供の頃はここでおばけの仮装をしてお菓子をもらった気がする。深呼吸をした神はカウベルの音と共にDEANの中に足を踏み入れた。

時間は19時半、DEANの店内は客がいなくて、店主ひとりがカウンターの中で何やら作業をしていた。ハロウィンの時期はクローズが伸びるのだと言っていたので、店はまだ開いたばかりで静まり返っている。

「あっ、宗ちゃん。待ってたよ」
「ごめんなさい、変なことお願いして」
「そんなこと気にしないで。可愛いカップケーキ、用意してあるからね」
「ありがとう。もし来なかったら母さんが食べます」
「大丈夫よ、お母さんの口には入らないように呪いをかけておいたから」

今日は髪が紫とオレンジの2色になっている店主はそう言って魔女のぬいぐるみを指さした。彼女とお揃いの髪の色をしていた。神は少し笑って、カウンターの中に戻ろうとした店主に背を押されて、リザーブしておいてもらった席につこうとした。だが、その時、激しくカウベルの音が店内に鳴り響いた。

「いらっしゃ――
「やっぱりー神だあ!」
「ほんとだあー!」

DEANのドアをくぐって入ってきたのは、が逃げ出してきたクリスマスカラオケと、夏に祭コンを計画した海南のチャラめの女の子たちだった。1年生の時に同じクラスでバレンタインの義理セットをくれた子も何人か混じっている。神と店主は血の気が引いた。

「えっ、ここまさか神の家?」
「いや、違うよ、親の知り合いの」
「てかなにここ、超かわいいんですけど。テーマパークみたい」
「つかお姉さんもまじかこいい」

お姉さんと言われてしまった店主は何も言い返せなくて頬がひきつっている。

「み、みんな揃ってどうしたの?」
「どうしたってこともないけどー」
「学校違う子に土産渡して遊ぶべーってなってたら神がいたからさあ」
「なんか私服で普段と雰囲気違うし、どこ行くんだろーって追っかけてきちゃったんだよねえ」

彼女らは楽しそうに笑った。彼女たちには悪意の欠片もないことは確かで、だけど神は動悸が激しくなって体が冷たくなっていく。どうしよう、このままここにいると言い出したらどうすればいいんだろう、に連絡をして場所を変えてもいいのだろうが、DEANは思い出の場所だったのだ。できれば出て行って欲しい。

神がそんな風に焦っていると、またもやカウベルが鳴り響く。今度こそ神は真っ青な顔になった。

「あっれ、なんだよこんな揃って! おー、神、なにここ、お前んち?」

バスケット部の2年生がぞろぞろと雪崩れ込んできた。店主が神の後ろで細い悲鳴を上げている。練習終わりのままなのか、全員海南ジャージで、その後ろの方に泣きそうな顔をしている清田がくっついていた。そして、神の方を見ると、両手を合わせてペコペコと頭を下げた。

ぐうの音も出ない神の前で、バスケット部員たちも神を見かけて追いかけてきてしまったのだと言ってにこにこしている。ここにいるのはほとんど2年生だから、清田は止めきれなかったんだろう。なんとかしてくれようとしたのはわかった。神は初めて清田に感謝した。

誰も彼も優しい神くんが見慣れぬ私服で硬い顔をして歩いているので、何も考えず追いかけてみようと思ったのだ。優しくていい人な神にはこんなことをしても怒られたりしないと刷り込まれている。そして彼にどんな事情があるのかなんてことにも考えが及ばない。何しろ「みんなの優しい神くん」なのだから。

さらに悲劇は続く。泡を食った顔をした神の両親が飛び込んできた。店主がすっ飛んでいく。

「ちょっと、なんで来たのよ!」
「入るつもりなかったんだよ、だけど前を通ったらなんだかエライことになってるから」
「どうにもならないわよ、なんなのこれ。宗ちゃん手当たり次第好かれすぎよ!」

ひそひそ声の店主は父に人差し指を突きつけて怖い顔をした。

「えーっ、神の親あ!?」
「あわわ、お父さんなにイケメンすぎやばい」
「お前お袋さんそっくりだな、マジウケる」

状況は最悪だ。神は泣きたくなってきた。父と清田も泣きそうな顔をしている。

だが、悪いことは重なる。ドアに一番近いところにいた清田の野生の勘アンテナに反応が出たのか、彼は突然店の外を振り返ると、飛び上がった。がいたのだ。派手ではないけれど可愛らしく装ったが、これまた真っ青な顔をして硬直していた。

っ、、さん」
「えっ、ちゃん?」
? えっ、も来たの?」
ってえーっと、?」

清田の呟きを神母の耳が拾ってつい声を上げた。それが今度はチャラめ女子とバスケット部員に届いて、店内にいた全員の視線が店の外にいたの方へと一斉に向いた。これは怖い。更に言うと、この時神はちょうどチャラめ女子に取り囲まれるようにして立っていて、それも運が悪かった。

も泣き出しそうな顔をして、その直後、その場を走り去った。

ずっと血の気が引いて動揺していた神だったが、それを見て一気に覚醒した。

!」
「え、神どしたの――

周囲にいた女の子もバスケット部の仲間も親も、全て突き飛ばして神は店の外に飛び出た。

、待って!」

そして、脇目もふらずにを追って猛然と走りだした。

カウベルの音の余韻だけを残したDEANの店内は、一瞬ののちに絶叫に包まれた。その中で、神の両親と店主、清田だけががっくりと肩を落として盛大にため息をついた。

仮にも神は海南の次期主将で、全国2位のチームの一員である。の方もあまり本気で走っていたわけではないし、大した距離を行かないうちに、神はに追いついた。

――、待って、あれは――
「ごめん、ほんとにごめん、私、ああいうの無理」
「違うんだって、みんなが勝手に」
「宗は平気かもしれないけど、私は平気じゃない」
「オレだって平気じゃないよ!」

神はの両肩を掴んで引き止めると、真正面から向かい合って叫んだ。暗くなってはいても店舗や住宅の並ぶ往来である。車の行き来も激しい。神は砂利敷の路地に少しだけを押し込んで屈みこむ。

「あんなのいらない、オレも嫌だ、勝手に着いてきたんだ、女の子たちも、バスケ部の奴らも、親も!」

の肩に置いた手は、少し震えていた。

だけいればいい、以外には何もいらない、いらないから――

言葉が続かなくなってしまった神は、の肩にある手をギュッと掴んで項垂れた。驚いて逃げ出してしまったけれど、は確かにDEANに来たのだ。その意味に神はまだ気付いていなかった。その神の手に、の手が重なる。そして、それに気がついた神が顔を上げるのと同時に、が胸に飛び込んできた。

「宗、ごめん、ごめんなさい」
「なん、なんで謝るの」
「わかんない、だけど、ごめんね、ごめん、宗のこと、好きなのに、ごめんね」
――

神はを引き剥がすと、唇に食いついた。が言うところの、「映画の中みたいなキス」だった。

「来てくれたってことは、まだチャンスあるって、思っていいんだよね?」

唇が触れそうな距離で言う神に、は何度も頷いて、また唇を押し付けた。

「私が悪かったの、自分のことしか考えられなくて、宗のこと好きなだけで他には何も」
「オレも同じだよ、それだけで何でも許されると思ってた」
「宗、もう一回、彼女にしてください、彼氏になってください――

の左目からぽたりと涙がこぼれ落ちて、それを合図に神はまた唇を落とした。

「いやあ、まさか神とがねえ」
「え、知らなかった? 付き合ってたのは知ってたよ」
「彼女と別れたってのは知ってたけど、だったとはな。清田お前知ってたのか」

一方こちらは海南大附属の生徒に占拠されているDEANである。誰にでも優しい神が見境なく人を突き飛ばして外に飛び出ていったなど、主に2年生にとっては今年最大の衝撃であり、なおかつそれがバスケット関係ではないという一大事。都合のいいことにDEANは飲食店であり、しかもハロウィンで可愛いので帰ろうとしない。

「あー、まあ、はい、知ってます」
「つーかスタメン同士は色々話すんだもんな、なんか寂しいぜ」
「す、すんません」

だが、清田は勘のいい神母により、隔離されている。店主は一気に30人近い客からオーダーを出されて、現在キッチンでフル回転している。オーナーの彼氏でもあるシェフの出勤時間はまだ先で、彼女も涙目だ。

「清田くん、止めようとしてくれたんだろ」
「できませんでしたけど」
「ありがとね。今日は奢るから好きなの食べていってね」
「いや、そんなオレ、マジすか」
「一応ここも普通の店だし、あの子達に帰れとは言えないからね」
「それにしてもうるさいわね。色気がないったら」

チャラめ女子御一行様とバスケット部2年は思わぬ合コン状態にはしゃいでいて、DEANの入口辺りにある席を埋め尽くしてわいわいやっている。清田は、神がリザーブしておいた一番奥の席の手前で彼の両親ふたりに歓待を受けている。

うるさいのが気に入らない神母は、勝手知ったるなんとやらでキッチンに声をかけると勝手にCDを引っ張りだしてかけた。古き良きアメリカ50年代風のDEANの店内にバブリーな80年代ヒットソングが流れだす。

「清田くんは宗から色々話聞いてたの?」
「えーと、そういうわけじゃないんです。ふたりがうまくいってないのが面白くなくて、ついちょっかいを」
「うまくいってるのが面白くないんじゃなくて?」
……最初はさんのことが好きなのかと思ったんすけど、どうも違ったんすよね」

神母がキッチンから助けてくれと言われて渋々手伝いに行ったので、神父は清田とぼそぼそと喋っている。

「オレにしては頭使って考えたらですね、どうも神さんていうのはああ見えてすげー迷える少年で、それがオレとか牧さんの前だとけっこう漏れるんすよ。それがね、いいことならいいんすけど、悪いことだとどうもピタッと来ないんす。牧さんはその辺あんまり気にしてないように見えるんですけど、オレはなんか、我慢できなくて」

神父は腕組みで渋い顔をしている清田を眺めながら微笑んでいた。

「だからつい、さっさとより戻せばいいのにって」
「なんだか君の方が大人だね」
「そんなことないっすけど……神さんはアレっす、見た目とあの性格で損してるから」

真面目な顔をして言う清田に、神父は勢いよくむせた。つまりそれは妻の顔と自分の性格だ。夫婦まるごと切り捨てられた彼は不思議そうに首を傾げる清田にごめんと言いつつ、しばらく笑っていた。

そこへ神とが帰ってきた。また一気に店内が沸く。神父と清田は焦ったが、神の顔が様変わりしていて、腰を浮かせたまま止まった。わいわいとからかってやろうとしていた2年生たちも異変を感じて止まる。神はなんだか一瞬で大人になってしまったような顔で、俯くの手を取って店内に入ってきた。

「お、おかえりー、なんか、大丈夫?」
「大丈夫だよ、ありがとう」
「神、あの――
「ごめん、今日はちょっと。また明日な」

しかし神は過去最大級の優しい笑顔で彼らを一蹴、の手を引いて一番奥のテーブルの方へ歩いて行ってしまった。すると、キッチンから神母が顔を出し、両手を広げてを抱き締めた。その後ろから店主も出てきてをぎゅうぎゅう抱き締めている。

その間に神の方は清田と父に声をかけ礼を言い、静かに席についた。

それを眺めていた海南大附属の2年生達はしかし、納得した様子で頷き合い、神たちには聞こえないような声でこそこそと喋っていた。

「まあ、うまくいってんなら、いいか」
「実はちょっと心配してたんだけど、神、キャプテンの貫禄、ついたじゃん」
「そう言われればそうだな。のおかげか」
「来年もバスケ部、安泰だね」
「ま、オレらは試合に出られるかどうかも怪しいけどな」
「笑ってる場合か!」

なんだか急に神が変わってしまって戸惑うけれど、何しろ誰にでも優しいみんなの神くんなのである。彼に対してはもう僻む気持ちもからかってやろうという気も起こらなかった。神が幸せならまあいいか。

そうして海南大附属ご一行様はハロウィン仕様のDEANでわいわいと楽しんだあと、一応神とに手を降って、それ以上は何もせずに帰っていった。ようやく店内が落ち着いたので、店主もカウンターの椅子に座ってハーッと大きく息を吐いた。

「疲れてるところ申し訳ないんだけど……大丈夫?」
「あっ、平気平気。疲れてるわけじゃないの。なんかホッとしたから。ちょっと待っててね」

遠慮がちに声を上げた神に店主はパタパタと手を振ると、キッチンに戻っていった。店内のBGMもオールディーズに戻っていて、DEANは普段の姿を取り戻している。神の両親にメガ盛りを振る舞われて機嫌のいい清田がの隣に移動してきた。

さん、もう大丈夫すよね」
「うん、ごめんね、心配かけて」
「いやいいっす。また宿題面倒みてくれればそれでいいっす」
「宗がいいって言ったらね」
「言うわけないだろ。自分でやれよ」
「ええええー」

そんな話で笑っていると、神が予約しておいたカップケーキが出てきた。DEAN特製ハロウィンバージョンで、これまたとてつもなく可愛く作られている。初めて見る清田も驚いて声を上げた。

「中身はかぼちゃとチョコだよ。けっこう自信作」
「いやマジスゲーっすよ、なにこれ、うわ、ちょっと写メっていいすか」
「清田くん、これ私のなんだけど」
「いーじゃないすか写メくらい、食べませんて」

店主とに許可をもらった清田は携帯を取り出してバシャバシャやっている。

……ねえ、宗、これ、みんなで食べたらダメかな」
「え、いいよ。でも、いいの?」
「うん、だって、また一緒に来られるでしょ」

ふたりは神の両親のように、テーブルのソファ側に並んで座っている。神はにこやかに頷くと、を引き寄せておでこにキスした。それを見て「ファッ!?」と変な声を上げたのは清田である。だが、神の両親も店主もなにせ欧米かぶれでそんなことは気にならなくて、清田はひとりでうろたえた。

「清田くん、今日はこれ一緒に食べよ」
「いや別にオレ食べたかったわけじゃねえっすよ」
「いいから付き合えよ。父さんも母さんもどう?」
「それじゃひとつ、ふたりで半分ずつもらうよ」

なんだか納得行かない清田だったが、と神がニコニコしているので、大人しくカップケーキをもらってかじりついた。見た目も可愛いけれど、味もおいしくて、清田はだいたい3口くらいで食べてしまった。

「なんだこれ、うま。オレも彼女できたらここ来よ」
「その時は教えろよ。行かないようにするから」
「何よ、みんなで来ればいいでしょ。あ、でもカップケーキだけは事前予約しておいてよ」

徐々にDEANは常連さんたちで埋まっていく。シェフもやってきて、店主はフロアに出てきてはあちこちで喋っている。その片隅で、神とと、清田と、神の両親はカップケーキを分けあいながら笑った。神は、テーブルの下での手をしっかりと握りしめていた。

もう大丈夫。もオレも、何も心配いらない。

がそばにいると、「ToySoldiers」がまた遠ざかるかもしれない。だけど、それでいい。色んなことに踊らされてるだけのおもちゃの兵隊でも、がいればそれで。もしまたが辛くなってきたら、オレが頑張ればいいだけの話だから。父が言ったように、それでが側にいてくれるなら。

三井の言葉を借りるなら、女の子は好きなだけで何でも我慢できるほど辛抱強くないらしいから、それなら自分が。ただひたすら努力を重ねていくのは、何より得意だから。

神は自分の中からマルティカの面影が遠ざかっていくのを感じていた。もう、それも必要ない。

がいれば、さえいればそれで。

END