トイ・ソルジャーズ

04

とのクリスマスイヴは楽しかったし幸せだったはずなのに、それがどうしても苦しくて、神はからの初詣の誘いを断った。ふたりきりではなかったし、距離を縮めたいのはだけで、クラス全員と仲良くなりたいわけじゃない。わざわざいい顔をしにいってやることもない。

「あれ、初詣誘われたんじゃなかったのか」
「断った」
ちゃんが誘ってくれたんじゃなかったのか。断ったなんて聞いたらお母さん角生えるぞ」
に誘われたわけじゃないよ、クラスの子たち20人くらい来るって言うから」

それに、2年参りはバスケット部で集まってカウントダウンまでしたので、ひとり引き篭もってるわけでもない。練習は4日から再開されるし、休みの間に少し勉強しておいた方が何かと都合もいい。

このところずっと神の交友関係を心配している風な父親だが、こればっかりは相手のいることなので、安心させてやりたいだけではいかんともしがたい。それに、あの幸せなクリスマス・イヴが余計に神を苦しめ、必要以上に自分を律しなければならない気にさせている。

部屋に戻り、ヘッドホンをして「ToySoldiers」を3回。

イヴの日以来、この習慣も少し苦しい。マルティカの声がの声に聞こえてくる。白のふわふわしたがカップケーキを手にしてにこにこしている記憶が今も鮮明に蘇ってきて神の胸を締め付ける。

あの夜、が平気だというので、父の運転する車で家まで送って帰った。神の家より一駅ほど離れた場所で、大きなマンションだった。父が巨大なアプローチに車を横付けすると、母がエレベーターまで送って来いという。は遠慮したが、神もそうした方がいいと思った。

神家の車は車高が高いので、車から降りる時に手を貸してやったのだが、が両親に礼を言っている間、なぜかその手は繋いだままで、しかも色々緊張続きだったは手を繋いでいたことに気付かず、エントランスに向かって歩き出しても神の手をぎゅっと掴んでいた。

途中で気付いて笑いながら離したけれど、神は高鳴る鼓動と共にまた冷や汗をかき始めていた。しきりと礼を繰り返すに気にするなと返しながらエレベーターを待ち、4基あるエレベーターが到着したその時だった。開きかけたドアに近付きながら、は神を見上げて呟いた。

「部活、忙しいと思うんだけど、また遊ぼうね」
「えっ」
「DEAN、また連れてってくれる?」

に笑顔はなく、真剣な顔でそんなことを言うものだから、神はつい頷いた。そのままエレベータのドアが閉まり、を乗せたエレベータは静かに上昇していってしまった。

舞い上がってしまいそうなほどの、そんなの言葉、ほんの少しの間繋いだ手、けれどそれら全てが神を叩きのめして、両親の待つ車に戻った時にはぐったりと疲れていた。そんな彼を見ても、ふたりは何も言わなかった。ただ母親が嬉しそうに一言言っただけだった。

「私、あの子好きよ」

3年生が引退し、牧を主将に置いた海南はより強くなった。1年生からひとりスタメン入りした神はそう感じながら、牧中心の海南におけるシューターとしての地位を確たるものとし始めていた。もう少ししたら新入生が入ってくる。そうすればまた海南は姿を変えていく。それでも神の役割は替えがきかなくなっていた。

純粋に嬉しかった。地道な努力が実を結んで、チームに貢献できるのが嬉しかった。監督や牧から褒められたり期待されればされるだけ、もっと頑張ろうという気になった。ついでにこの年の1年には特に脱落者が多く、このまま行くと神は次期主将ということになるかもしれない。それも誇らしかった。

だが、そんな神に厄介な出来事が起こったのは、2月の半ばのことだった。

3年生が自由登校に入って静かな校舎の放課後、部活に行こうとしていた神を、クラスでも目立つ女子数人が呼び止めた。途端に帰り支度をしていたクラスの男子たちも神の方を注視するので、神はまた何かに誘われるのかと少し身構えた。だが、女子数人は神の目の前に大きな包みをサッと差し出した。

「神くん、これ、バレンタイン。クラスの女子全員から。いつもありがとう!」

神はサーッと血の気が引いていく音を聞きながら、つい目を泳がせてしまった。にこにこしている女子、冷めた目で見ている男子、どうしたらいいんだろう。クラスの女子全員からだなんて、これはクラスの男子全員にしているわけじゃないんだろ。なんでオレにだけこんなことするんだよ。神の耳にの言葉が蘇る。

「私たちは優しくしてもらって嬉しいけど、後で困らない? ちょっと心配だなあ、そういうところ」

あれはこういうことだったんだ。人に優しくして困ることなんてないと思ってたのに、最悪の形で返ってきてしまった。どうしてみんなのいるところでこんなことするんだ。どうしてオレにだけするんだ。ありがとうって言うけど、君たちの感謝の気持ちがオレの首を絞めてるの、わからないのかな。

「あ、そんなに高価なもの入ってないから安心してよ。袋が大きいからそう見えるけど」

神が動揺しているのを好意的に解釈したらしい女の子数人は、手にした包みをずいっと突き出した。受け取らないという選択は出来ない。クラスの男子全員にしたの? そうじゃなかったら受け取れないよ。そう言える勇気がなかった。のようには、言葉に出来ない。

「まあ要するに全員からの義理だから、ホワイトデーは気にしないでね」
「神のことだから言っとかないと全員分用意しかねないからね」

女の子たちはそう言ってけたけたと笑った。神は仕方なく包みを受け取って、何とか笑顔を作り、お礼を言う。彼女たちはそう言うが、ホワイトデーに大量のお返しを用意することになるんだろうなと考えつつ、逃げるように教室を出た。思わずを探したけれど、なぜか彼女はどこにもいなかった。

部室に駆け込むと、巨大なピンクの包みを抱えた神を見た先輩たちがわらわらと寄ってきて、今ここで開けてみろと言われてしまった。バスケット部は人気があるのでチョコレートをもらった部員も多いが、何しろこんな巨大な包みを抱えてきたのは神が初めてで、先輩たちは興味津々の様子だ。

もううまく笑顔も作れない神は黙って包みを解く。中からは細かい駄菓子が大量に出てきて、その他にはタオルや文具、オンラインストアのプリペイドカード、お茶、目薬、サプリ、靴下等々、とりとめのない雑貨類が山のように出てきた。ただし、手渡してきた女子が言うように、全て単価は安いものばかりだ。

そして極めつけがクラスの女子の人数とぴったり同じ数の小さな封筒だった。それぞれがメッセージを付けてくれたのだろう。厳重に封がしてある。先輩の中には開けてみろと言い出す人もいたが、さすがにそれはやめろと牧が止めてくれたので、神はその手紙の束をバッグに詰め込み、お菓子は部員に振る舞うことにした。

先輩たちは楽しそうに冷やかすけれど、神はクリスマス・イヴの夜よりも落ち込んでしまった。そうは言っても練習には影響が出ないタイプなので、特に先輩たちに感付かれることはなかったけれど、こんなに落ち込んだのは初めてというくらいまで気持ちが落ちた。

お菓子は部員全員で美味しく頂いたが、雑貨類は持ち帰らねばならない。個人練習を終え、いつもより重くなってしまったバッグを担いで部室を出た神は肩を落としてとぼとぼと駐輪場に向かう。

困った。本当に困った。今日は2月14日で、3学期はあと1ヶ月ちょっとで終わるし、進級すればクラスも変わるし、そもそも部活中心の生活だからクラスでどんな風に扱われようとも気にならないはずだった。だけど、クラスの男子たちの冷たい目が忘れられない。

そんなこと気にするな、クラスなんて変わればそれまで、自分にはバスケットが全てなんだと繰り返し言い聞かせていた神は、駐輪場に佇む人影に気付いてぎくりと足を止めた。

……?」

みんなそう呼ぶことにしたから、という話だった割に、誰も神のことは宗と呼び始めなかったし、クリスマスに集まった連中は名前で呼び合っていたけど、その輪の中に入れとも言われなかった。だから神ものことは出来るだけ名前で呼ばないようにしていた。

はなんだか困ったような、申し訳なさそうな顔をしていて、2月の冷たい風に頬を赤くしていた。

「どうしたの、こんな時間まで。何かあった?」
……止められなくて、ごめん」
「えっ、何が?」
「プレゼント、みんなの前であんな風に渡すのやめようって言ったんだけど、聞いてもらえなかった」

はそう言ったきり黙る。神も言葉を失う。それを言うためにこんな時間まで残っていてくれたのか――

が、悪いわけじゃないよ。謝らないでよ。プレゼント自体は、嬉しいよ、ほんとに」
……無理しないで迷惑だって言っても、私チクッたりしないよ」

今度こそ神はグッと喉を鳴らして黙った。真顔で見上げてくるを凝視したまま、どんどん重くなっていく体を支えていられなくて、膝が曲がっていく。なんではそんなことを言うんだ、どうしてオレが迷惑だって思ってるの、わかったんだろう。

「宗、困った顔、してた。あんな風にされたら、宗が困るよ、男子たちによく思われなくなるかもしれないよって言ったんだけど、みんな、宗にプレゼントすることしか考えてなかった。宗がどんな風に思われても、そんなのは気にならないみたいだった」

はこの事態をよく理解している。どう始まってどう終わるかも、彼女には最初から見えていたのだろう。

……うん、ちょっと、困ってる。ショックだった。どうしたらいいか、わからない」
「そうだよね……やっぱりこんなの、無責任だったよ」
「でも、嬉しいのは嘘じゃないよ。有難いと思うよ。だけど、どうして教室だったんだろう、って」

が俯いて頷く。神も頭を落として、ぼそぼそと言う。

「だけど、こんなのは受け取れないよって言えなかった。お返しも用意しなきゃって思ってる」
「宗がそういう人だって、みんな知ってるのに、ごめん」

しかしそんなことを言ったところで、事態はおさまらない。どん底まで落ち込んでいた神だったが、がこんな風に自分の置かれている状況をよくわかっていてくれていると知って、ずいぶん気が楽になった。しかもそのためにこの2月の寒空の下で待っていてくれたなんて。

が悪いわけじゃないって。――帰ろ。後ろ、乗りなよ」
「え。いや私そんなつもりじゃ」

自転車を引っ張り出しながら言う神には慌てて遠慮するが、こんな真っ暗なひと気のない学校に置いていけるわけがない。神はの背を押して通用門の方へ促す。正門はとっくに閉まっている時間だ。

「こんな時間まで待たせてごめん。わざわざ話しに来てくれ――
「あああ、違うの、いや違わないんだけど、違うのごめん、ちょっと待って!」

やけにが慌てているので、神は通用門を出たところで自転車を止めた。

「クリスマスの時のお礼、ずっとできなかったから、一緒にしちゃって申し訳ないんだけど」
「え!?」

もまた小さな紙袋を差し出してきた。

「あの、お父さんとお母さんと、一緒に食べて、ください」

一瞬本命かと思って心臓が跳ね上がった神だったが、お父さんとお母さんときたのですぐに沈静化した。まあ、そうだよな。しかもってのはこういう子だ。DEANでも最後まで自分の分を出すと言ってしつこかったから。

「それこそわざわざごめん。こっちにも入ってるんじゃないの?」
「そっちはプリカ」
「やっぱりそうか。たくさんお金使わせちゃってごめん」

個人的にチョコレートを用意してるから参加できないとはも言えなかっただろう。それにしてもプリカというチョイスが気が利いてるじゃないか。神はが自分のことをよくわかってくれている気がして嬉しくなる。ちょうど欲しい曲があったんだよな。

「なんか謝ってばっかりだね」
「もうやめようか。じゃあ今度こそ、はいどうぞ」

神は自転車のストッパーを外して、荷台を指した。中学に入ってすぐ買ったもので、そろそろ新しくしないと小さくて乗りにくいと思っていたが、買い替える前でよかった。まだ荷台がある。次は荷台のないものを買うつもりでいたから、買い替えた後だったら、を乗せられなかった。

も今度は素直に荷台に腰掛けて神の腹に手を回した。

「なんかまたごめんて言いそうになっちゃった」
「もういいじゃん、そういうの。ちゃんと捕まっててよ」

遠慮がちに回される手がなんともくすぐったい。神は車が来ないのを確かめると人通りの少ない校舎の前を自転車で漕ぎ出す。痛むほど冷たい2月の風が吹き付けてくるけれど、背中が温かい。にも吹き付けるこの冷たい風の盾となっていると思うと、心も温かい。落ちていた気持ちはいつの間にか、元の位置に戻っていた。

「ホワイトデー、何がいい? って何が好きなの」
「えー、いいよ、これはお礼なんだし」
「気持ちは有難いけどそんなことすると母親に絞め殺されるから教えて」
「ええー!? 別になんでもいいってー!」

きゃいきゃい笑いながらそんなことを話していたが、神は心を決めた。DEANに連れて行こう。また店主にカップケーキを作っておいてもらって、それをにプレゼントしよう。またDEANに行きたいって言ってたし、ちょうどいいじゃないか。

神はあれだけ自分を苛んでいたことも忘れて自転車を漕ぐ。

が好きだ。ともっと仲良くなりたい。こうやってもっと話したい。自転車の後ろに乗せたままどこまでも走って行きたい。部活と両立出来ないなんて、誰が言ったんだよ。は自分のために部活を蔑ろにしろなんて、そんなことをいう子じゃないんだから。

を送り届けてから帰宅した神は、本人の希望を考慮して両親の前で紙袋から中身を取り出した。

「嘘お、ちょっとやだー、ちゃんなんなの」

まさか知っていたわけではあるまいが、紙袋の中から出てきたのは母親の大好物のデメルの猫ラベルであった。本日バレンタインデー、母は父に贈るためレオニダスのアソートを買ってきたついでに、自分用に猫ラベルを2箱も買ってきていた。そんなわけで、今、神家には猫ラベルが3箱並んでいる。

「しかも被りがないって、これは奇跡だな」

コーヒーと共にレオニダスのトリュフを頬張っている父も目を丸くしている。母が買ってきた猫ラベルはスウィートとヘーゼルナッツ。がくれたのはミルク。全3種類が揃った。母はにこにこである。

「いいシンクロニシティね。ああでも、宗ちゃんはちゃんとミルクから食べなさいよ」
「うん、そうする。でもふたりも食べてよ」
「そりゃもらうさ。お母さん以外の女の子がくれたチョコは結婚前以来だ」

基本的にバレンタインデーの父は母へのチョコ運搬係に等しい。今年も父が獲得した山のようなチョコレートは、これから数ヶ月かけて全て母と神が食べることになっている。母は自分の夫が他の女からもらったチョコレートを食べるのを許さないのである。母がならまあいいかという顔をしているので、父も嬉しそうだ。

そんな両親を置いて部屋に戻った神は、に気持ちを宥めてもらったおかげで、すっかり気が楽になっていたので、クラスの女子人数分の手紙を次々と開封した。手紙は基本的に無記名で、そのほとんどが部活頑張って、という内容。本人たちが言うように、これはクラスの女子全員分の親切な義理セットという雰囲気だ。

だが、その中の3通に神は釘付けになった。

「私に挨拶してくれる男子は神くんだけ。本当にありがとう」
「重い物持ってあげるって生まれて初めて言われた。感謝してます。一生忘れない」

このふたりが誰なのか――神はさっぱりわからない。それだけ女の子に挨拶をするのも重い物を持ってあげるのも、彼にとっては至極普通のことだ。けれど、こうして言葉にされると、今日自分の首をギリギリと絞めた「優しい神くん」でよかったと思った。彼女たちが喜んでくれたのなら、それでいいじゃないか。

そしてもう一通。

「今度は宗も一緒にカップケーキ食べよーね」

だ。丸っこい割に整った字と、文末にくっつけてある絵文字が可愛い。神はその3通を机の引き出しの中に大事にしまい込むと、ヘッドホンをつけてわざと明るい曲を選んで再生する。部活が終わるまでは死ぬほど落ち込んでいたのに、なんだかとても幸せな気分だった。

それもこれも、がいてくれたからだ。

神は意識の中を埋め尽くすベリンダ・カーライルの「Heaven Is A Place On Earth」に浸りながら目を閉じ、そしてそっと微笑んだ。、カップケーキ、楽しみに待ってて――