トイ・ソルジャーズ

03

DEANで食事と音楽を楽しんでいた神の父親の携帯が軽い音を鳴らす。それを覗き込んだ彼は、真顔で隣に座る妻を振り返った。神の母親はそれに気付くと、ちょっと首を傾げた。

「どうしたの」
「面白いこともあるもんだ、宗が女の子の友達連れてくるって」
「へえ、珍しい。そういうの全然なかったから、なんかホッとしちゃうね」
「うん、ほんとに。宗も普通の男の子だったんだな」
「どんな子かなあ、可愛いといいなあ、見た目も中身も」
「一応言っておくけど、君の趣味に合致する子は日本にはいないからね」

そこへ店主が顔を出した。ジュークボックスのリクエストが途絶えてるから何かないかと聞きに来たらしい。

「えっ、宗ちゃんが彼女!?」
「いや、友達だってさ。あんまり騒がないでやってくれるか」
「そりゃあもちろん。だけどふたりともよかったね、ちょっと心配してたでしょ」
「ほんと、バスケばっかりだったからさ」

というか、彼女どころか友達を家に連れてくることすら絶えて久しい。学校が終わって友達連れてきて部屋でだらだらゲームするなんていう暇は彼にはない。交友関係を見ればその人が見えるというように、ふたりは連れてくる女の子よりも、その子と息子がどんな風に過ごすのかの方が気になっている。

「まあ、宗が連れてくるんだから、僕らの感覚で言う『普通の』子なんだろうけど」
「つまり今で言うところの、ちょっと『普通じゃない』子ってこと?」
「うーん、普通の定義がよくわからなくなってきたね」
「少なくとも、ここ10年の間に流行った曲を1曲も知らないうちの子は普通ではないでしょうね」

息子を現在進行形のカルチャーから引き離してしまったことに多少の反省をしているようだが、本人が気にしていない様子なので、ふたりは特に軌道修正しようという気はない。そんなもの、神が20代になればもう何の意味もなくなる。ただの個性に落ち着くだけだ。

「その子、この店も宗も、気に入ってくれるといいんだけどな」

DEANへは、2つ先の駅で降りて、さらに歩いて10分ほどで着く。住宅を挟みながらも店舗が続く通りで、夜でも明るい。ガードレールがないので、神は車道側に立ってと歩いている。白のふわふわが夜の闇にくっきりと浮かんで、実はは存在せず、よく出来たCGなんじゃないかという感覚に陥る。

「たぶん車で送ってくれると思うんだけど、大丈夫?」
「大丈夫って?」
「慣れない人んちの車だし、女の子は怖いかなと思って。自宅まで行くわけだし」

だから気になるならオレがひとりで送るから、と結んだ神に、は口元に手を当てて笑った。

「じ……宗って本当に気遣いの人だね」
「そうかな」
「それが天然だったら、ちょっと怖いよ」

100パーセント天然ですとは言えない空気だ。

「周りにいる私たちは優しくしてもらって嬉しいけど、後で困らない?」
「うーん、あんまり考えてやってることじゃないからなあ」
「すごいけど、ちょっと心配だなあ、そういうところ」

はまだ笑ってる。神はの言わんとしていることがよくわからなくて、少し不安になる。何か間違ったこと、してるんだろうか。無意識だけれど、他人に優しくすることで困ることなんかあるんだろうか。

DEANに到着すると、は小さく歓声を上げた。店主が何年もかけて改装を繰り返して作り上げたDEANはアメリカン・ダイナーそのもので、店の正面立つと、ここが日本だということも忘れそうになるくらいだった。ついでに店主は女性なので、ディスプレイされている雑貨類が特にポップで可愛い。

「すごい可愛い! こんなお店入るの初めて! 宗はよく来るの?」
「ひとりでは来ないよ。親の好きな店ってだけだから」
「わあ、どうしよう、ドキドキするよこんなお店。ああ写真撮ったらだめかな」

少し興奮気味のを連れて神はドアを押し開ける。小さなカウベルが鳴って、店主が顔を出す。クリスマスだというのに店内は満席ではなくて、神の両親は店の中ほどに並んで座っていた。

「いらっしゃいませー。宗ちゃん久しぶりね」
「ご無沙汰してます」
「お友達もいらっしゃい。席は別にしようね」

DEANの店主は、もうかれこれ10年近く金髪で、伸びてきた黒髪をそのままにしていることが殆どなく、それにしては髪がダメージを受けている様子もない剛毛の持ち主だ。店主はそう言いながらも、さりげなく神の両親の席を通り過ぎ、店の奥の席へとふたりを通す。

「あっ、宗、遅かったね。お疲れ。お友達もこんばんわ」
「同じクラスのさん。チャラい子たちの集まりから逃げてきたっていうから」
「こ、こんばんわ、といいます」
「クリスマスなんだし、遠慮しないで好きなもの食べて行ってね」

本当に神の両親は余計なことを言わない。ちゃんと頭を下げて挨拶したににこやかに手を挙げると、もうそれ以上は何も言わずに、少し離れた席へ着くよう促した。神に背中を押されたは、少し固くなりながらも静かに座った。真っ赤な合皮張りのシートに白のふわふわがまたくっきりと浮かび上がる。

DEANは8席のカウンターと壁際に沿ってテーブルが5つ、その間のフロアにはスタンドテーブルが3つという店だ。神の両親がいるのは壁際のテーブルの真ん中、神とはひとつテーブルをおいて一番奥に通された。これなら万が一表の通りを知人が通ってもには気付かないだろう。

やや緊張した様子のだったが、神がメニューを開くと目を輝かせ始めた。

「なんか日本じゃないみたい、なにこれハンバーガー?」
「ちょっとハイカロリーだけどね……

ちょっとどころではない。DEANのメニューは基本的にハイパーカロリーだ。だが、店主が女性ということもあって、抜け道的にちらほらとライトなメニューが散見される。神はそれを教えてやりつつ、自分では部活で空ききった腹を満たすガッツリ系を選んだ。

オーダーが済むと、は少し身を乗り出して向かいに座る神に顔を寄せてきた。

「ほんっとにお父さんかっこいいね」
「ははは、ありがとう。よく言われる」
「だよねだよね。でもお母さんも可愛いっていうかかっこいいっていうか、しかも宗そっくり」

はまだ少し興奮しているらしい。口元に手を当てて、神の両親に聞こえないよう声を潜めて楽しそうに笑った。神はそんなを見ていると、今自分が見ているのは現実ではなくて夢なんじゃないかという気がしてくる。少し頬がしびれているような気もする。

いつも通り練習して帰るだけで、特別でもなんでもない日だったはずの、クリスマスイヴ。それが途中で反転してしまって、特別というにはあまりにスペシャルなイヴになってしまった。ひとつ席を置いて親はいるけれど、好きな女の子と差し向かいになって食事が出来る。気分的にはクリスマスデートそのものだ。

が白くてふわふわなのに対して、自分は部ジャーであることはこの際忘れる。もしくはこれは部ジャーではなくて、ブランド物のオシャレジャージなんだと思い込む。けっこうキツい紫だけど。

「なんか変な感じ。宗いつも部活であんまりクラスの子と遊んだりしないでしょ」
「まるっきりないわけでもないけど、部活やってない子に比べたら時間、ないからね」
「今日も少し話が出たんだけどさ」

背筋がぎくりとする。自分にはバスケットさえあればそれでいいとずっと言い聞かせいてるけれど、チャラいのもチャラくないのも含めた同じクラスの人間にどう思われているのか、それが気にならないといえば嘘になる。しかし、がその話題を出すからには、悪い内容でないはずだ。

「やっぱり今日も部活だし、宗とは距離が縮まらないねって話してたんだよ」

とはいえ、きっとのことだから、目一杯端折って要約してくれた結論なんだろうと神は考える。

「もう2学期も終わったから余計にそう思うんだろうけど。部活なんだからしょうがないよねって言ったんだけどさ」

距離が縮まらないことを不満に思う者がいたらしい。部活なんだからとがフォローをしてくれたようだが、果たしてそんなことで納得してくれるかは疑問だ。海南のバスケット部が自分たちが生まれた頃からずっと神奈川の覇者なのだということを知らないわけではあるまい。それでもそう思うのだから、部活は理由にはならない。

「というか、それなのに宗がいつもみんなに優しいから仲良くなりたいって思うのかもね」
「そうなのかなあ」
「だって、これが嫌なやつだったら別にどうでもいいでしょ、そんなこと」

それは大変ありがたいのだけれど、それよりは今目の前にいる君に好きになってもらいたいんだけどな。もしこれで近くに両親がいなくて、知り合いの店でもなかったら、完全に口が滑ってたなと神は思う。どうもを前にすると、いつもの淀みない無難な受け答えというものが上手に出来ない。

意識して口を閉じていないと、気に入らない本音が口から次々とこぼれて、拾う間もなく飛んでいってしまう。に好かれたいのは本音なのだが、それを口に出して欲したら、今の自分が抱えている日常というものが壊れてしまうような気がして、少し怖い。

余計なことは言わないように、何も望まないように。今夜がとてつもなくスペシャルでイレギュラーなだけだから、せめてボロが出ないように、にとって悪い記憶として残らないように。

料理が運ばれてくると、または目を輝かせた。クリスマスだから、と店主がカラフルなカップケーキをサービスしてくれたからだ。若干どぎつい色をしているけれど、女の子が好きそうなポップでキュートでファンシーなカップケーキが4つ。店主に許可を取ったは夢中で写真を撮っている。

「何かリクエストはある?」
「リクエストって何ですか」
「ジュークボックス。そこになければCDもあるからね」

または目がきらきらし出した。

「あれ、動くの? 飾りかと思ってた……
「ちょっと考えておきます」
「オッケー。じゃあ後でね」

店主はリクエストカードを何枚かテーブルに置いていってくれた。

「すごいね、本当に日本じゃないみたい。リクエストって何でもいいの?」
「まあ、こんな店だから、日本人でなければ」
「そうだよね、でもなんか古そうっていうか、私洋楽詳しくないんだよね……宗は洋楽聴くの?」

意識してはいけないと思うのだが、実はこの質問が一番つらい。洋邦問わず聞くならまだしも、洋楽しか聴かない神の場合、気を付けないと嫌味に聞こえる可能性がある。というかそれを中学の時にやって、洋楽しか聴かないとか自慢かよ、と返されたことがある。正しくは洋楽しか知らない、なのだが、伝わらなかった。

だが、今は相手がなのだし、神が日本の芸能に疎い原因である両親を使わせてもらうことにする。

「うん、親がそうだから、家では小さい頃から洋楽洋画しか見たことがなくて」
「へえ、じゃあ詳しいの?」
「そういうわけじゃないよ、気に入ったのを聞いてるだけだから」

の表情は変わらない。神は少しホッとして料理に手をつける。

「洋楽かあ、私はそうだな、ABBAとか、カーペンターズとか、そういう有名なのなら聞いたことあるけど」
「ABBAいいじゃん。オレだってそんなもんだよ」
「あっ、あれも好き! カントリーロード! 英詞の方がなんか切ないっていうか」

洋楽なんてかっこつけてると言う向きもまだまだ多いが、それでもこんな風に海の向こうの音楽は意外と身近なところにある。は記憶の引き出しの中からあれこれ引っ張り出しては、カップケーキをちらちら見ている。食事よりカップケーキを食べたいんだろう。神は吹き出してしまいそうになるのを堪える。

「ここに書けばいいの?」
「そう、上がアーティストで、下が曲名」

結局は、最近映画の「マンマ・ミーア!」を見たというので、ABBAの「Honey,honey」をリクエストすることにした。リクエストカードに書き込んで、神がそれを店主のところに持っていった。

「ちょっと新しいけど、いい?」
「平気平気。メジャーどころは揃えてあるから大丈夫。宗ちゃんは?」
「あ、いやオレは別に今のところ」
「いいの? じゃあ勝手にかけちゃうよ」

神は頷いてテーブルに戻った。はなんだかそわそわしていて、「Honey,honey」が流れてきた瞬間にまたパァッと笑顔になった。嬉しくなったのか、食事を突っつきながら頬が緩んでニヤニヤしている。その様子がまたあんまり可愛いので、神も必死で耐える。

だが、「Honey,honey」が終わり、次の曲がかかった瞬間、神は危うく口に含んだものを吐き出しそうになって、慌てて手で押さえた。は気付いていない。ちらりと両親の方を見てみれば、これも少し震えながら何かを耐えている。神はに気付かれないようにさりげなくキッチンを振り返る。

キッチンの中では店主が白々しい笑顔でABBAのCDを片付けている。神は精一杯睨んでみたが、見ていない。店内に流れるシルヴィ・バルタンの「Irresistiblement」、邦題は「あなたのとりこ」である。

カップケーキの誘惑に耐えられなかったは、料理を少し残した。

「宗、どれ食べる?」
「オレはいいから全部食べなよ」
「そ、そんな、これ全部、だけど、ああどうしよう」

は嬉しいのと自制しなければという意識との間で悶えている。だが、カップケーキとは言うが、一般的なサイズよりかなり小さく作られているので、普通のマフィンをひとつ食べたくらいでしかない。

「オレはこっちもらうよ」
「え!? だめだよそんな、食べ残したのなんか」
「捨てるよりいいだろ。いいじゃん、シェアしたと思えば」

の残したチキンと野菜のグリルの皿を掴んだ神は、それを引きとめようとすると皿の引っ張り合いになった。は恥ずかしい、神はカップケーキはどうでもいいからチキンください、どちらも譲らない。

「こういうのも気にならないの」
「えっ、何が?」
「気にならないってわけね」

はまたプッと吹き出して、皿を手放した。よくわからないが、神はチキンをゲットできたので満足げだ。母親の刷り込みの賜物で、特に女の子であれば神はこういうことを気にしない。が恥ずかしがる意味をわかっていてそ知らぬふりをしているのではなく、これについては本当に気付いていない。

「すごい食べるね……やっぱり部活のあとはお腹すくの?」
「そりゃそうだよ。昼から何も食べてないし、ずっと動いてるわけだし」
「だからそんなに背が高くなっちゃうのかな」
「遺伝もあると思うけどね」

ふたりはちらりと神の両親の方を見る。一般的な日本の夫婦に比べて、このふたりはとにかく距離が近い。普通なら向かい合って座るところを、並んで座っている。それを見て育った神にも少なからず影響があるはずなのだが、今のところ彼女もいない神の場合、それが表面化することはない。

「お父さん、今でもあんなにかっこいいんだから、若い時大変だったんじゃないの」
「という風には聞いてるけど、どうだかね」
「お母さんも可愛いから、不思議はないけど」

そこで神はつい我慢しきれずに吹き出した。

「えっ、何か変なこと言った?」
「ううん、あのふたりが付き合いだしたきっかけがおかしいもんだから、つい」
「聞いてもいい?」

声を潜めて身を乗り出すに、神はまた吹き出した。

「母親も父親の取り巻きのひとりだったらしいんだけど、たまたま父親が、どうして自分がいいのか聞いてみたんだって。普通はどこがいいとか、こんな運命的なことがあったからとかアピールしてくるらしいんだけど、あの人だけ違ったんだ。何の迷いもなく『連れて歩いたら気分がいいから』って答えたらしくて」

生まれた時から全てにおいてハイスペックだった神の父親は、もちろんこんな風に言われたのは生まれて初めて。開いた口が塞がらず、出来のいい飾り物のように言われて少なからずショックも受けた。だが、時間が経てば経つほど神の母親の正直で自分に忠実なところが魅力的に感じてきた。

「おかしいだろ」
「おかしくないよ、すごいね、それ……

はカップケーキを手に素直に感心している。

「なんかそういうの、かっこいいね。私だってそんな立場になったら、他の人と同じようなことを言っちゃうよ」
「それが普通だよ。あの人みたいなこと言ったら嫌われちゃうかもしれない」
「そっか……それを魅力的なんだと思ったお父さんもかっこいいね。なんか憧れるな」

神はまたカップケーキにかじりつくを眺めながら、母親のように正直で自分に忠実なる本音の渦巻く心を宥め続けていた。、君が好きだ。君が憧れるような恋、その相手はオレじゃだめかな。ああ、こんな特別なクリスマスイヴ、どうしてこんなことになったんだろう。

止まらなくなるじゃないか。時間をかけて忘れようと思っていたのに、余計、好きになるじゃないか。

DEANの店内にはエルヴィス・プレスリーの「Can't Help Falling in Love」、神の苦しい心をあざ笑うかのような甘いラヴソング、邦題は「好きにならずにいられない」。