トイ・ソルジャーズ

10

そもそもが急激なストレスによる体調不良だった神は、家族や部員たちの支えですぐに元気を取り戻した。新学期になり、代表チームの発表があってからは部内もさらに盛り上がった。海南・陵南両監督の火花散る協議の末にラインナップされた神奈川代表はまさにドリームチーム。その中に入れなくてもわくわくする。

その選考にそわそわしていた清田も無事に代表入りし、しかし湘北から例のふたりも入ったことで少し面白くないようだった。本人的には神奈川代表1年生唯一という展開を期待していたらしいが、そうは問屋がおろさない。

国体はほぼ1ヶ月後にあたるため、毎週末は海南の体育館で合同練習という予定になっている。

「牧さん大丈夫ですか。疲れてます?」
「いや、改めて代表リスト見てたら気が重くなってきた」
「まあ10番から12番は軽く悪夢ですよね」

10、11、12は桜木清田流川となっている。そこだけなんだか関わりたくない感じがする。キャプテンを務めるのは構わないが、牧はこの3人の面倒は副キャプテン扱いになっている赤木に丸投げしたくなっていた。

「それはともかく、お前と三井は交代で使われるかもしれんぞ。体調、どうだ」
「ずっとオレだけでも平気ですよ」
「ははは、そりゃいいわ」

春に2年のブランク明けだというのに整ったフォームでシュートを打つ湘北の3年生を見て愕然とした。それがその三井だ。正直、神もあんまり関わり合いになりたくない気がした。インターハイだって全7試合全て出場したのだし、国体だってシューターと言われるのは自分ひとりでいいのに。

「シューターは自分だけでいいと思ってるな?」
……顔に出てますか?」
「出てる。というか最近前よりわかりやすくなったぞ」
「まあ、出てもいいと思ってるので」

牧は楽しそうに頬を緩めている。体調不良以降、神は清田が嫌がったように、自分のダークサイドを隠そうとしなくなった。しょっちゅう近くにいる清田はその変化に違和感に戸惑っているようだが、牧にしてみれば、それは神の心の奥底に隠れていただけのもうひとりの神に過ぎない。

「来年はお前が神奈川の頂点に立つんだからな、それでいいんだよ」

少し遠い目をした牧に、神も少しだけ微笑んだ。

だが、神の思惑とは裏腹に、合同練習では監督ふたりにシューターとしてひとまとめにされることもしばしばで、神は機嫌が悪かった。その上全員集まると、ブツクサ文句を言っていたはずの清田は桜木と仲良くふざけていて、それもうるさかった。

「なんだ、今日も機嫌悪いのか」
「はい?」

またふたりまとめて監督から指示を出された後、神は突然三井に声をかけられてひっくり返った声を上げた。

「お前そんなにグズったやつだったっけか」
「はあ?」
「予選の頃なんかずっとポーカーフェイスだったのに、どうしたよ。混成面白くないのか?」

あんたに知ったような口を利かれているのが面白くないんだとは言えない。これでも1学年先輩なので。しかも牧が言うように来年は自分が海南を引っ張っていく立場にならなくてはいけない。こんなところで不機嫌が顔に出て、それを勘付かれているようでは困る。

「そういうわけじゃないですよ。普段と勝手が違うので戸惑ってるだけです」
「ふーん、まあいいけど。お前、技術はすごいけど牧みたいに迫力ねえからな、あいつらに負けんなよ」

三井は楽しそうににやりと笑って清田と桜木の方に顎をしゃくった。またあのふたりはふざけてギャンギャン言い合いをしており、赤木に殴られている。というか負けんなよ、って桜木は湘北じゃないか。神はきょとんとした顔で三井を見た。自分のところの後輩に負けるな、なんて、敵に塩を送るような真似をしなくてもいいだろうに。

「あの、三井さん、ブランク2年て本当ですか」
……ああ、まあな。本当にきっかり2年くらいだ」
「怪我とか、ですか」
「それもある」

苛々していても仕方ないので、神は気になっていたことを聞いてみた。この練習の間にも、三井はきれいなシュートを何度も放っていた。牧や高砂にはお前の方が正確だと言ってもらったけれど、それでもブランク明けとは思えないシューティングで、神はまた少し不安になった。

「他にもあるんですか」
「まーな。聞いて面白い話じゃないぞ」
「その間、練習してなかったんですか」
……ボールを見るのも嫌だったからな」

聞いて面白くなくても気になった。三井は一切の練習をしなかったと明確に口にしたわけではなかったけれど、神はそれを確信した。その視線に気付いた三井は少しうろたえて顔をしかめた。

「な、なんだよ、面白くないって言ってんだろ」
「それであのシュートが打てるんですか」
「お前の方が正確だよ。オレはスイッチ入らない時もあるし、すぐヘバるし」
「どうしてですか」
「はあ?」

神は聞いていない。なんで丸々2年間もボールに触らないでいてあのシュートが打てるんだ。

「お、おい、お前顔怖いぞ。落ち着けよ、お前中学の時ポジションどこだった?」
「え、センターですけど」
「で、高校入って変わったんだろ。オレは小学生の頃からシュート得意だったからな」
「だからって……2年もほったらかしてて、どうして」
「怒るなよ」
「はい?」
「天才だからだ」

神は真顔で固まった。桜木じゃあるまいし、どうしてこう湘北は図太い神経の持ち主ばかりなんだ。

「そりゃあ海南は神奈川最強でインターハイ2位だろうさ。だけどオレたちは山王に勝った。それは、みんな自分のことをデキるヤツだと思ってたからだ。それが5人も集まってんだからオレたちは強い。チームとしての結束力なんてないに等しいけど、それだけは全員共通して思ってたことだ」

確かに試合を観戦していると、湘北のベンチから「オレたちは強い」という声が聞こえてきたことがある。あれは自分たちを鼓舞しているものだと思っていたけれど、本当にそう思ってたのか。神は湘北の意外な面を見た気がして、気付くと不機嫌顔がなくなっていた。

それに、あまり関わり合いになりたくないと思っていた三井だけれど、意外と話しやすい。

「オレは神奈川ナンバーワン、MVP、天才シューター! って思っといた方が気が楽だろ」
「MVPは牧さんですけど」
「あれ、知らないか。オレ、全中で県優勝、MVP」
「は!?」

神はまた愕然とした。そりゃ上手いはずだ――

「それが何で2年も離れてたんですか、もったいない」
「お前もしつこいな。あんまり吹聴するなよ、怪我がきっかけてグレてたんだよ」
……まさか」

確かに目つきは悪いが、海南にはヤンキーなどという人種がいないのでピンと来ない。

「桜木だって元はただのデカいヤンキーだ。湘北はちょっとめんどくせえんだよ」
「何で戻ろうと思ったんですか」
「おいおい、なんだよ、どうした」
「海南に、そういう選手はいないので」
「海南じゃなくたっていねえと思うけどな」
「だから、なんでですか」

三井がはっきり言わないので、神はぐいぐいと詰め寄った。だがそこで笛が鳴り、全員集合の声がかかった。気になって仕方ない神を残して、三井は戻っていってしまった。

県ナンバーワンでMVPがなんで湘北に行ったんだ、怪我したからってグレなくたっていいのに、なんでそこからまた戻ろうと思ったんだ――神は訳が分からなすぎて、また不機嫌な顔になった。

合同練習だろうがなんだろうが、練習の後はシュート練習である。あまりにふざけてうるさかった清田も監督に校庭走ってこいとペナルティを食らっていたが、神はそれには構わずに体育館に戻り、ボールを引っ張りだす。自分には華々しい過去も図太い神経もない。だけど、1年以上に及ぶ努力がある――

そう考えながらシュートを打とうとした神の後ろから声がした。

「うおっ、ほんとにまだやってた」
「これが毎日だからな」
「な、どうしたんですかふたりとも」

神が振り返ると、制服姿の牧と一緒にジャージ姿の三井が立っていた。

「三井がお前の様子が変だって言うから」
「変じゃないですって」
……聞きたいんだろ、オレの話」
「お前の話? そうなのか、神」
「え、ええまあ、気になってしまって、でも――
「あんまり大声で言いたい話じゃないからな。牧も聞いていくか? 中学MVPの転落と復帰」

三井はまたにやりと笑うと、神から少し離れた場所にどかりと座ってあぐらをかいた。そう言われては気になる牧も三井の隣に腰を下ろしてあぐらをかいた。

「練習してていいぜ。勝手に話してるから」
「中学MVPって、お前武石中だったのか。うちにも何人かいたぞ」
「ああ、オレも声かけられたよ。海南からも陵南からも翔陽からもスカウトが来てた」
「なんで湘北に行ったんだ」

気になることは同じらしい。神が聞きたいことは全部牧が聞いてくれた。シュートを打ちながら話を聞くというのは少し難しかったけれど、他のことに気を取られないで正確に打つ練習だなどと先輩2人が突っ込むので、神は少し楽しくなってきた。いつもはひとりだが、周りに人がいるのも悪くない。

「湘北はどうしようもねえなあ」
「ははは、まあな。神じゃねえけど、海南にはオレらみたいなのは絶対に入ってこないだろうからな」
「うちの場合、ヤンキー自体がほとんどいないからな」

全て話し終えた三井に、牧は呆れつつも笑っている。

「てか神、なんでそんなこと気になったんだ」
「オレや桜木みたいなのを見るのが初めてだったんじゃないのか」
「はあ、そうです」
「自分もそうだったけど、今日集まったようなのはみんな小学生の頃からバスケ漬けみたいなのがほとんどだろ」

三井は片膝を伸ばしてさすり始めた。怪我した方の足だろうか。

「そんなの理解できなくて当然なんだけど、気負ったんじゃないのか。次の海南の主将だろ」
「まあ、それもあります」
「固いなあ、お前。そんなにガツガツしてたらストレス溜まるばっかりだろ」

呆れた三井の横で牧が吹き出した。ストレスで夏に倒れたばかりだ。

「努力と結果が比例してると、たまに来る例外が受け入れられなくなるからな」
「ほら見ろ。オレも言ったろ、集中して夢中になるのと囚われるのとは別だって」
「上手くいかないことでもあったのか?」

勝手に話していいようなことではないので、牧は黙る。神はボールを両手で持ったまま、小さく息を吐いた。

「予選の時に三井さんを見て、すごいなと思いました。だけど、2年のブランク明けだって聞いて目の前が真っ暗になりました。明日から2年間練習を止めて、その後に今と同じシュートが打てるとは思えなかったから」

三井がぼそりとオレのせいかよと呟いたが、神は構わずに喋る。

「おふたりと違ってオレには努力しかないので、それを否定されるとさらに凹みます」
「わ、悪かったよ。別に否定したわけじゃないぜ」
「努力と結果が少しでも比例してくれなければ、とっくに辞めていた気もします」
……そうか? お前は退部なんて考えたこと、ないんじゃないのか」

静かに牧が言うので、神は苦笑いをして、ふたりを振り返った。

「一度だけあります」
「えっ、ほんとか!?」

牧は驚いて丸めていた背中を伸ばした。そもそも神には辞めるという選択肢がないと思っていたのに。

神はちらりと体育館のドアを見渡す。牧と三井が入って来たドアが少し開いたままになっている他は、全てちゃんと閉まっている。その半開きの鉄のドアの向こうも真っ暗で、誰かがいる気配もない。そして、ここにいるのは牧と三井のふたりだけ。神はそれを確かめると、低い声で言った。

に振られた時に、ちょっとだけそう思いました」

……いやいや、お前そんな可愛い顔して振られるとか」
「海南ではよくあることなんだよ。バスケ部だってだけでモテるけど、長く続かないんだ」
「なんで?」
「とりあえず時間がない。平日はもちろん部活、土日も遠征やらで潰れることが多いし」

ボールを何度かバウンドさせると、神はまたシュートを打つ。ネットに当たるまで無音のシュートが決まる。

「今はもうそんなこと思ってませんよ。だけど、オレが辞めれば丸く収まるのかと考えたことはあります」
「なんかさ、アレだなお前、見かけによらず欲張りなんだな」
「お、おい……

三井が立てた膝に肘を置いて淡々と言うものだから、牧が口を挟んだが、三井は気にせずににやりと笑う。

「海南の選手で、次期キャプテンで、シューターとしてもトップにいたい、彼女も欲しい、別れたくない、キャプテンになる予定だから、オレみたいな変なプレイヤーのケースも頭に入れておきたい――

それがいいか悪いかは別問題だが、三井の言うことはある程度図星で、神本人も牧も言葉が出ない。

「貪欲なのと欲張りなのは違うぜ。貪欲ってのはこいつみたいなことを言うんだ。お前のは欲張り」

三井は牧の方を見もせずに指を差した。

「三井、フォローしていいか。それでも神の場合はうまくいってたんだよ、向こうもいい子で」
「いや、オレも別に神や元カノがどうのって言ってるわけじゃねーよ。それ以前の問題だろ」
「どういうことだ?」
「だから、努力と結果が比例しちゃってるもんだから、結果が伴わないことを受け入れられないんだろ」
「そんなこと――

神はもうシュートを打つ手を止めて三井を見下ろしている。三井も牧が口を挟んできても構わず神を見上げている。足を投げ出し、後ろに手をついて首を傾げている三井はなるほど、グレていただけのことはある目をしていた。

「努力は必ず報われるなんて、今時小学生でも信じてねえだろ。そりゃ運良く目標に到達した人間はそう言うだろうさ、自分は報われたんだからな。だけどそれが誰にでも当てはまるわけがない。元カノっつったって人間相手なんだし、そりゃお前、努力すればなんとでもとはいかねえだろ。女は気まぐれって昔から決まってんだし」

吹き出したいのを堪えつつ、牧が「体験談か」と言うが、三井は「うるせーな」と言っただけで、自身にどんなことがあったのかは口にしない。その代わりに牧の方へ顔を向けて神を指さした。

「なあ、あれだろ、こいつっていわゆる『いい子』なんじゃないのか」
「あー、まあそういうところもあるかもしれんな。クラスの女子全員から感謝のプレゼントもらうくらいだから」
「マジか! お前すげーな」
「牧さん……
「隠してもしょうがないだろ。今はそうでもないけど、前はそうだったんだから」

三井は体を起こして腕を組み、うんうんと頷きながら考えていたが、ふいに顔を上げて口を開いた。

「いい人とそうじゃない自分と、彼女と一緒にいたいけど部活最優先したい、半分に割れてんのか」
「そういうことになりますねえ」

もう完全に諦めた神が力なく答えると、三井はブハッと吹き出した。

「なんですか、急に」
「いやすまん、昔な、グレてた時の仲間がよ、テレビ付けたらたまたま中学生の野球だかなんだかの特集やってて、それをつまんなそうに見ながら言うんだよな、まるでおもちゃの兵隊だって」

何だって?

へらへら笑いながら言う三井の言葉に、神はまた目の前が真っ暗になった。おもちゃの兵隊、トイ・ソルジャーズ、なぜそれをあんたが知ってるんだ、どうしてオレがあの曲と一緒に過ごしていることを知ってるんだ。

「おもちゃの兵隊?」
「ちょうど監督に怒鳴られてたんだな。んで、泣きながら謝って、またバット担いでゾロゾロ練習に戻っていくんだ。それを見てたそいつは、軍隊みてえだって言いながら笑ってた。監督の言いなりになってフィールドの上でバトルゲームをさせられてるおもちゃの兵隊だって」

当然「ToySoldiers」の歌詞とは関係なかった。けれど、神は心臓がドキドキして、体が冷たくなっていく。

「運動部経験がないとそんな風に見えるんだなと思ったけど、そうやっておもちゃの兵隊に見える野球小僧も、お前みたいにパッと見いい子のシューターにも、本当は真っ二つに割れるほど感情があるわけでさ」

一転、三井は穏やかな笑顔になる。言われなければグレていたなんてわからないような、優しい表情だった。

「だけどおもちゃの兵隊くらいがちょうどいいんじゃねえのと思う時もあるよ」
「へえ、達観してんな」
「特にバスケ関係ない人と話してるとな。ほとんどの人にとってはたかが部活なんだし」
「ああ、そういうことか」
「好きなだけで何でも我慢できるほど女は辛抱強くないぜ。そういう生き物だ」

ちらりと体育館の時計を見上げた三井は、荷物を掴んで立ち上がる。

「お前は努力しかないとか言うけどよ、それが出来なくてみんな苦しんでんだよ。きっと元カノだって同じだ」

牧も立ち上がって肩にバッグを引っ掛ける。

「オレのことだって『自分と同じ』シューターだと思うから面白くないんだよ。一緒にすんな」
「ああ、オレはそういうのまったくねえな、言われてみれば」
「だろ。桜木や流川なんかも特にそうだ。少し清田の真似でもしてみたらいいんじゃねーの」

三井は自分で言って自分で笑って、じゃあなと片手を上げるとドアに向かって歩き出し、少し歩いたところで振り返ると「駅までの道わかんねえんだけど」と言って情けない顔をした。せっかく先輩風を吹かせたのに、一気に台無しだ。牧が呆れてため息をつく。

「オレが残らなかったらどうするつもりだったんだよ! 神、なんでもひとりで思いつめるなよ」
……はい、ありがとうございました」
「お前は間違ってない。だけどそれが今、あの子とは重なり合わなかっただけだ」

神が頷くと、牧も片手を上げて出て行った。

ひとり残された神はふたりが出て行ったドアをぼんやり見つめながら棒立ちになっていた。牧と三井、おかしな組み合わせだ。だけど、どちらも県ナンバーワンに手をかけたことのあるプレイヤーで、それが結果として自分の恋愛相談にまで乗ってくれて、少し頭が混乱している。

頭の中で可愛いマルティカの声が鳴り響いている。優しい神くん、どこに出しても恥ずかしくない神さんちの宗一郎くん、いつもにこにこ正確無比な海南のシューター、どれも努力の末に手に入れた大事な自分だった。それが一番自然で最良の姿で疑問の余地なんかないはずだった。

だけど、そのせいで神は困っている。ちょっと人と違う神は困っている。が好きだから。に恋をしたから。どうしてもそれが手放せなかったから。どれだけ押し込めても、のことが今でも好きだったから。