トイ・ソルジャーズ

05

「優しい神くん」とは言っても、殊更それを有難がるのは女子だからであって、つまり神は男子にも女子にも分け隔てない「優しい神くん」だったので、本人が肝を冷やした程には深刻な事態にはならなかった。バレンタインの翌日、内心ビビりながら登校してきた神だったが、席の近い男子たちは普段と変わらない様子だった。

それよりもクラス女子全員分のプレゼントの中身を見た部の連中の方がしつこくからかってきて、神は愛想笑いを顔に貼り付けて練習する羽目になった。わけてもクラスの女子全員分の手紙はどんな内容だったんだと散々突っ込まれた。

「義理セットですからね。みんな部活頑張れっていう一言でしたよ」
「まあ、普通そうなるわな」

しつこい先輩たちを追い払ってくれたので、牧には正直に喋った。牧もちらほらと女の子が寄って来るタイプではあるのだが、何しろちょっと迫力のある高校生なもので、あまりガツンとアプローチをかけてくるような女の子がいない。本人はその辺りまったくの無自覚なのでモテないと思っている。

「でも、嬉しいメッセージもあって、なんというか、身が引き締まりました」
「バレンタインに身が引き締まるって、それあんまり良いことじゃないだろ」
「いえ、いいんです。もっと頑張ろうって思いました」
「固く考えすぎてないか?」

牧は苦笑いだ。だが、神にはホワイトデーあたりでともう一度DEANに行くという目標もある。自分がちょっと平均値からはみ出していることに対してはコンプレックスもあったけれど、はそんな自分をよく理解してくれているし、「優しい神くん」も間違ってなかったし、ほんの少し自分が誇らしい。

「滅多に顔に出ないから気付かないけど……意外とムラッ気あるからなあ、お前は」
「えっ、そ、そうですか」
「そりゃ試合中にゃ出ないけど、そうじゃない時、例えば部室とか、緩んでる時にはそういうところ、あるぞ」

まだ苦笑いの牧に、神は少し背筋が冷えた。機嫌の良し悪しが顔に出ないのは生まれつきで、だけど常に精神状態がフラットだなんて、そんなことはありえない。人間なのだから。牧が言うように顔にも試合中にも出ないだけで、神の心は誰もがそうであるように、浮いたり沈んだりを繰り返している。

それを同世代の人間に見抜かれたのはこれで2度目。もうひとりは当然だ。

と牧に共通点があるんだろうかと、神は考える。しかし、真面目で温和というくらいしか思いつかない。首を傾げる神は少し考えたところで、バチンと電気が走ったような衝撃と共に正解に至る。どちらも、自分がとても好意的に思っている、という絶対的な共通点があった。

牧は卓越した技術を持つ先輩プレイヤーとして、は恋心を抱く相手として。

つまり、そういう風に好意的に思っている相手の前だと、オレは緩むのか。

それはなかなかに衝撃的な自分との出会いで、神は頬がカーッと熱くなった。人を選ばず愛想がいいと自分でも思っていただけに、これには驚く。だからは神の困った顔に気付いたし、牧もバレンタインに身が引き締まるなどと言い出した神を「ムラッ気がある」と見た。

「ええっと、その、好きな子に、チョコもらいました」
「なんだ、やっぱりそうだったんだな。通りでちょっとフワフワした顔してると思ったんだよ」
「オレ、そんな顔してましたか」
「顔なんか別にどんなんだって構わないだろ。よかったじゃないか、彼女出来て」
……いえその、いわゆる本命じゃなかったです。どっちかって言うと家族込みで……

これには牧もかけてやれる言葉が見つからずに、ギクシャクした笑顔を顔に貼り付けたまま神の肩をポンと叩くと、そのまま去って行ってしまった。無理もない。

しかし、それでいい。牧はチームの中心なのだから、きちんとコミュニケート出来ていた方がいいし、には隠しておきたい自分なんかない。むしろ余すところなく全て知って欲しいと思う。そうして全て知ってもらった上で、好きになって欲しいと思う。

さあ、あんまりのんびりしてないで、早めにDEANの店主にカップケーキの相談をしないとな。クラスの女の子たちの方は完全にお手上げなので、母さんに助けてもらおう。今日は何事もなかったけれど、3学期が終わるまでは特にクラスの男子とは擦れ合わないように気を付けて過ごそう――

3月14日、ホワイトデー。神は母親に助けを求めたことを少し後悔しながら登校した。自主的に朝練をして温まった体に重い荷物を抱えて教室に向かう。荷物も重いが気も重い。女の子へのお返しなのだから母親でいいと簡単に考えた自分が恨めしい。

神の母親は息子からの要請に発奮、クラスの女子約20人に対するお返しとして、ブランドもののハンドクリームを全員分用意してきた。実を言うと父の仕事や自身の友人のコネでサンプルパッケージを大量にかき集めてきたらしいのだが、そもそもがあまりお安くないブランドばかりで、息子さんはがっくりしている。

「嘘!? これほんとにもらっちゃっていいの!?」
「ってかこれ全部神が買ってきたの!?」
「はは、まさか。ごめん、よくわからなかったから、親の知り合いに頼んで選んでもらったんだ」
「やばいどうしよ、何、神、マジ神様なんですけど!」

クラスの女子たちは大興奮である。特に名の知れた有名なブランドのものは取り合いになっている。神は、あの2通の手紙の主はきっと目立たない女の子だろうと考えていて、このハンドクリーム争奪戦には参戦してこない子をこっそりと観察しようとしていたのだが、余りそうな物をがてきぱきと配っていた。

その様子に神は吹き出しそうになるのを堪えていた。、勘がいいねほんとに――

ハンドクリーム争奪戦もなんとか落ち着き、授業が始まったのだが、また神はがっくりと肩を落とした。ハンドクリームをすぐにつけてみたいという、その気持ちはわかる。だが、クラスの女子全員がいっせいにハンドクリームを塗りたくった結果、教室は芳醇なアロマが傍若無人に混ざり合い、悪臭ギリギリという状態になってしまった。

しかも運の悪いことに化学物質過敏症で虚弱体質の男子が吐き気を催して教室を飛び出て行った。責任を感じた神はその後を慌てて追いかけ保健室まで肩を貸してやる羽目になり、しかし今朝の神を見ていた男子からは逆に労いの言葉をかけられてしまい、再度がっくりと肩を落とした。

「優しい神くん」であることは自分の誇りであると同時に、ものすごく疲れる。

だがこれでバレンタインの「神くんいつもありがとう義理セット」の件は片付いた。神は休み時間に送ろうと考えていたへのメールを保健室でこっそり送信した。もちろんハンドクリームはの分もあったわけだが、それで終わりと思ってもらっては困るのだ。母親もには個人的にお返しを用意したと言っている。

「春休み、1日時間ください。カップケーキ食べに行こ」

余計な言葉をくっつける勇気はなかった。それだけのメールだったが、次の休み時間になると即返信が来た。

「ありがとう!!! 洋楽勉強しておく!!!」

神はこっそり頬を緩ませた。DEAN、気に入って頂けて何よりです。

「ハンドクリームももらってるのに、なんか悪いなあ」
「そりゃお互い様。ホワイトデー当日じゃなくてごめんね」

春休みとはいえ昼間に中々都合の付かない神に、は夜でもいいと言ってくれた。DEANと両親に色々段取りを取ってもらった神は、春休みに入って数日経ったあたりでを呼び出し、部活を終えてからDEANに誘った。店主にはカップケーキの予約を入れてある。

ついでににお返しを用意してあるという母親から紙袋を預かり、父親にはちゃんとしていけと服を買ってもらい、なんだか大騒ぎになってきた。が、の方もクリスマスの時のような可愛い服を着ていて、神は父親の周到さを少し尊敬した。モテる人間て言うのはこういうことをさらりと思いつくものなんだな。

「ていうか部活やってきたんでしょ。お腹減ってるんじゃない?」
「うん。だからオレはフツーに飯食います」

楽しそうに笑うを見ているだけで、なんだか楽しくなってくる。神はまた車道側に立って歩きつつ、夜の闇の中に煌々と輝くDEANのネオンを目指した。DEANはランチ営業をせず、21時から酒を出し、クローズは26時となっている。現在19時、オープンしたばかりだ。

「いらっしゃい。久しぶりね〜」
「こ、こんばんわ、お、おひさしぶりです」
……どうしたのその頭」
「いやなんとなく」

店主の金髪に赤とピンクが混ざっていた。はただでさえ緊張していた上にそんなのがぬっと現れたものだから、驚いて口をあわあわさせている。クリスマスの時と同じ一番奥の席に通された神はすぐにメニューを開いてオーダーを決め、カップケーキも用意してもらうよう頼んだ。

「確かにまた来たいって言ったけど……あーどうしよ、嬉しー」
「ちょうどいいかなと思って。カップケーキは一緒に食べられなくて悪いんだけど」
「あっ、あれはその! 中身は絶対に見せ合わないってことになってたからつい!」

ちょっと頬をピンクに染めて慌てるが可愛い。誰も見ない、オレしか見ないと思って調子に乗っちゃったのか。なんだそれ、僕しか知らない君がいるとかいうやつかよ、可愛いな。神はまだカップケーキが来そうにないので、先に母親から預かったお返しを渡してしまうことにした。

「これ、母親から」
「え!? そ、そんな、どうしよう」
「大当たりだったんだよ、デメルの猫ラベル」

神は当日の話を説明した。または頬がピンクになっている。ちなみに計3箱の猫ラベルはまだ残っていて、神も父と一緒に朝食の後などに1枚食べたりしている。

「てか何買ったのか聞いてないんだけど、それ、何?」
「じゃあちょっと開けてみよっか――ってえええ」
「え、何、どうした?」

まさか何か変なものでも送ったんじゃないだろうなと焦った神だったが、は紙袋から包みを恭しく取り出すと、震える手でテーブルの上にそっと置いた。見れば、目がなんだか赤くなっている。

「こ、こんなもの、もらっちゃっていいの……?」
「なんだかよくわかんないんだけど、いいものだった?」

は今にも泣きそうな顔でぶんぶんと頷く。恐る恐る包みを開けば、何やらキラキラしたものがいくつか出てきた。神にはそれがなんなのかよくわからない。とりあえずキラキラ光って女の子が好きそうなものだということはわかった。母のチョイスは正しかったらしい。そこへ店主が料理を運んできた。

「やっだ、ジル・スチュアートじゃない! 宗ちゃんあんたお父さんそっくりねそういうところ」
「いやごめん、これ母さんが彼女に」
「なあんだー。いっやーでもこれは嬉しいよねー」

はまた大きく何度も頷く。というか箱を見ただけでそのジル何だとかわかるのか。よくわからない世界だけど、がこんなに喜んでくれたのならそれでいい。しかもそのキラキラのジル何とかの横にカップケーキが滑りこんできた。可愛く作ってくれと頼んでおいたので、神が見ても可愛いカップケーキが3つ並んでいる。

「どうしよう、私失神しそう」
「あはは、落ち着いてゆっくり食べなよ」

恭しくジル・スチュアートを片付けるの向かいで、神は空きっ腹が限界に近かったので、料理に手を付ける。は片付け終わっても今度はカップケーキの撮影で忙しく、中々食べるに至らない。真剣な顔でカップケーキをカメラに収めているが可笑しいのと可愛いのとで、神はこっそり頬を緩ませた。

「なんか食べちゃうのもったいない。このまま部屋に飾りたい」
「そんなに? ……また食べに来ればいいじゃん」

ちょっと勇気を出して言ってみた。今回はホワイトデーという正当な理由があったけれど、今のところ次はない。だけど、またと一緒に来られるようになりたいとは思っている。この際カップケーキがメインでもいい。はまだほんのり赤い目とピンクの頬で小さく頷き、神を見上げた。

「また連れてきてくれるの?」
……またこのくらいの時間にはなっちゃうけど、それでもよかったら」

パァッと笑顔の花を咲かせたは、また小さく頷いてカップケーキにかじりついた。神は、クリームがついてしまっているの上唇をペロッとしてみたいと思ってしまったことを、もう恥ずかしいとは思わなかった。好きなんだから、当たり前のことなんだよ。

それに、クリスマスからのことを全部思い返してみても、に疎ましがられる要素などどこにもなかった気がする。むしろ好意的に思われていると考えていいような気がする。それでなければ全て説明がつかない。

これは、もう一回勇気を出してみてもいいんだろうか。

もったいないと言いつつパクパクとカップケーキを食べているを見つめながら、神は決断をする。今日この帰り道、に好きだと言ってみよう。もしだめだったとしても、もう春休み。新学期になってクラスが変われば傷が浅くて済む。同じだったら悲惨だが、自分には部活があるからいい。

「ケーキおいしいしプレゼント嬉しいし、私、もうすぐ死ぬのかな」

そんなことを真顔で言っているが好きだ。それはもう、絶対に間違ってないし、忘れようとしても忘れられなかった。神は店内に流れるスプリームスの「Stop In The Name Of Love」を聞きながら、どうか気持ちが通じますようにと祈った。

ケーキを食べたから、ではなくて、DEANとジル・スチュアートと可愛いデコレーションのカップケーキというトリプルアタックではお腹が膨れているようだった。のマンションまで送って帰る、その道中。お腹いっぱいテンション高めのは声も心なしか高くなっている。

「そっか、2年って言っても、先輩たちが引退したら、宗、キャプテンになっちゃうのかー」
「まだ決まってないけどね。牧さんたぶんギリギリまで残るだろうし」
「その部長さん、そんなにバスケ上手なの」
「上手なんてもんじゃないよ。日本で一番上手いかもしれない」

とはいえ海南はインターハイでも冬の選抜でも未だ優勝を勝ち取っておらず、それは少々大袈裟だったかもしれない。だが、少なくとも神たち後輩にとってはそういう認識がある。うちの部長は日本一。海南が頂点に立てないのはチームメイトが至らないから。そういう空気が少なからずある。

「日本一かあ、すごいなあ、もしかしたら宗も日本一になっちゃうかもしれないんでしょ」
「そうなりたいとは思ってるよ。去年3位だったしね」
「なんかもう別世界って感じ。来年のバレンタイン、大変なことになりそうだね〜」

車が来ないのをいいことに、は縁石に飛び乗ってふらふらと歩いている。神はふらついている手を取って、足を止めた。急に手を引かれたは、縁石の上でバランスを取りながら、それでもまだ背の高い神を見上げる。3月とはいえ、日が落ちるとまだまだ寒い。ふたりの間を冷たい風が吹き抜けた。

「宗?」
「そういうの、ほんとはあんまり嬉しくない」

「優しい神くん」としては感謝の意を述べねばならないけれど、それは心からの本音じゃない。

にチョコ、もらいたかった」
「え、私チョコレート――
「親とか関係なく、オレだけに欲しかった」

やっと言葉の意味を理解するに至ったは、目を丸くしている。

、オレじゃだめかな」

ぎくりと腕を強張らせたのが繋いだ手から伝わってくる。顔が熱い。胸が詰まる。だけど、を好きなのはオレで、付き合いたいと思ってるのもオレで、だからビビってる場合じゃない。ちゃんと、嘘偽りない気持ちを言葉にしなきゃだめだ。

のこと好きなので、彼女になって、ほしいです」

の背後を車が走り抜けていく。しまった。つい勢いで言っちゃったけど、思いっきり路上だ。女の子はこんなところで告白なんてだめだったかな。なんか景色がよくて人もいないようなところじゃなかったらだめだったかな。それだけで成否が変わっちゃったりする?

「え、ほ、本気?」
「冗談でこんなこと言わないよ」
「だ、だけど、そんな、私なんか……何も……

そりゃは成績がトップとか何かのスポーツが得意とか、そういうわかりやすい「キャラ」はないかもしれない。だけど、人の魅力ってそういうものだけじゃないから。少なくともオレにとってはずっと一緒にいたいと思える人だから。神は繋いだ手を真ん中に置いたまま、一歩踏み出す。

のこと好きな理由はいっぱいあるよ。一言じゃ言えない」

そしてこれだけは付け加えておかねばならない。

「その、バスケやめたりとかは出来ないんだけど、よ、よかったら」

君のためにバスケットに使う時間を削ったりは出来ない。だけど君が好きです。は神の言葉をぼんやりと聞いていたが、すっと大きく息を吸い込むと、繋いだ手に少し力を込めた。

「なんかちょっと信じられないんだけど……その、私でよかったら、はい」
「ほ、ほんと?」
「うん、えっと、う、嬉しいです」

途端にパーッと頬が赤くなる。神は縁石の上で少し俯いているの手を引くと、ぎゅっと抱きついた。ぐらりと傾いたは縁石の上で前傾姿勢になっていて、思わずしがみつく。3月の夜の冷たい風が吹き付けるけれど、も神も、体が燃えるように熱かった。

……実は去年からずーっと好きでした」
……実はクリスマスの時から好きでした」
「なんだ、もっと早く言えばよかった」

鼻で笑いながら囁きあうふたりは、そのまま静かに唇を重ねた。