至上のヴィア・クルキス

Epilogue

公衆の面前でのキスというパフォーマンスがあってなお、への反発は続いていた。むしろそんな陶酔したふたりだけの世界に不快感を示した人は少なくなく、一体あの対立騒ぎは何だったんだ、と余計に憤るようになった。

だが、そもそも査長と男子バスケット部主将の一騎打ちだったところに顔を突っ込んできて騒ぎにしたのはと神ではない。なおかつ男子バスケット部のインターハイの件は冬の大会で神自身が自分の力で挽回を成し遂げたのだから、結局は関係なかったことになる。

ふたりの対立に乗っかった人々にしてみれば、いざ改革だ、いや現状維持だと盛り上がっていたのに、気付いたら火種を撒いた当人たちがべったりラブラブになっているのは興ざめだったのかもしれない。だが一度振り上げた拳を下ろすのもかっこつかなかったのかもしれない。

3年生が引退して新体制に移行した生徒会はこの件に直接関係がない。そこにと神の対立を持ち込まれても対応しようがない。引退してしまっては手が出せないが、さてどうしたものか、と困っていただったが、これはすっかり落ち着いた主将になった神が片付けることになった。

校長から直接現状維持を言い渡されて以来、神は外部の横槍には徹底して無視を貫いてきた。なんなら部内の仲間たちにも必要以上のことはぺらぺらと喋ったりはしなかった。清田が毅然とした態度で言いがかりに言い返しても神は黙っていた。

それはもちろん当事者がゆえの「自分が口を出せば余計にこじれる」という判断だったからなのだが、は引退したし、自身もあとは最後の大会を残すのみ。とのことを突っつかれると真面目くさった顔で答えるようになった。

曰く、は唯一無二の盟友であり1番信頼出来る人、聞く耳を持たないのではなくて自分の意志を曲げずに向き合ってくれたのはだけだったと堂々と宣言。そして、どんな苦境にも役目を投げ出さずに勤め上げたところは全員が感謝すべきだと指摘し、言い返せなくしていた。

そういう主将を仲間たちは歓迎したし、残る大会に向かってチームは最高の状態に仕上がっていった。

そして12月の大会でベスト4となって帰ってくると、もう誰も生徒会に対しての不満をもらせなくなっていた。生徒会への反発の大義名分が消失したからだ。

「あれがよくなかったよな、元会長と元副会長」
「あれはオレたちも知らなかったんだ、勘弁してくれ」
「だから責めてないだろ、あれがあったから余計にみんなツッコミたくなったんだろうなと」

12月、薄日が差し込む生徒会窓口、文化祭を境に新たな査長となった男子は文庫本を手にため息をついた。と神のキャンプファイアキスだけでも大変気まずい思いをしたというのに、仕事を終えて生徒会室に戻ってきたら今度は元会長と元副会長がキスしていた。お前ら学び舎を何だと思ってんだ!

というのも、元副会長は神の「勇気ある行動」に自分の態度を反省し、本当に好きで手放したくなかったらちゃんと行動で示さなければダメだと思い直し、改めて告白し直したのだそうな。それに心を打たれた元会長は彼を受け止め、まあと神にあてられた勢いもあって、そのままチュッチュしていたというわけだ。そこに戻ってきた後輩たちの気持ちも考えて欲しいと新査長は肩を落とす。

そういうわけで引退した生徒会3年生の中から少なくとも3人分のニューカップルが誕生したので、余計に「生徒会ふざけんな」という空気になったのは無理もない。

「でも別に元会長たちの件で困ることはないだろ」
「困るとか困らないじゃなくて、あれが火に油を注いだからだよ」
「でも結局ベスト4で終われたじゃないか」
「優勝出来なかったんだから意味ない」
「どうしてそうゼロか100かみたいな極端な話になるんだよ」
「競技ってのはそういうものだからだ」
「あー、金メダル以外認めないってやつな。現実を受け止める謙虚さが足りないと思う」
「そういう問題でもないから」

で、新査長と言い合いをしているのは新主将の清田である。

こちらは受け取ったばかりのクラウンワッペンを早速IDケースに入れてバッグにぶら下げている。ついでにIDケースはシールなどでデコレーションされており、先代・先々代とはえらい違いだ。

「てかオレらは普通に神さんとさんのこと歓迎してたけど」
「そりゃ先輩が落ち着いてチームがまとまったからだろ」
「どうしてそういう身も蓋もない言い方しか出来ねえんだよ」
「お前が申請しに来てかれこれ30分くらい雑談に付き合って飽きてきてるから」
「おい言い方」

新査長は執行部で何ヶ月も悩んだ挙げ句、この理屈っぽい男子に白羽の矢が立った。とにかく物凄く理屈っぽい。ルール厳守、空気を読むとか雰囲気で察しろとかいう曖昧なことが大嫌い。なので生徒の手はまたコロッとひっくり返った。今度の査長めんどくさそう。前任の方がマシだったかも。

「てかさ、新しい会長ってどうなん、今度はどういう子なん」
「お前さ、それオレが答えるわけないの、知ってんだろ」
「別にどこの誰かを教えろって言ってるわけじゃないじゃん」
「知ってどうする。バスケ部関係ないだろ」
「関係ないとか言うなよ、どうしてそう生徒会は壁を作りたがるんだ」
「お前みたいなのが入ってこないようにだよ」
「だから言い方!」

清田はただの野次馬なので新査長は相手にしない。新たな会長は今年も一見地味な女子である。というか附属高校の歴代会長のうち実に7割が女子。これも部外者には知られていない生徒会の姿でもある。

「今年はちょっとイレギュラーだったかもしれないけど、バスケ部がてっぺんなのは変わらないだろ」
「まあな。バスケ部は常にインターハイの優勝を目指すのみだからな」
「出来んの?」
「出来るとか出来ないじゃねえ、やるんだよ」
「よく聞くフレーズだけど、それ使うやつの日本語能力を疑うよな。意味が破綻してる」
「お前さ……友達いないだろ……
「残念、友達も彼女もいます。お前は彼女いないけど」
「世の中どうなってんだ!!!」

とまあ、こんなキャラクターなので査長を任せるに至ったわけだ。

「世の中の前にお前がどうなってんだよ、申請終わったんだから帰れば?」
「んにゃ、今日は鍵忘れて今帰ると家に入れないから」
「その時間潰しに窓口を利用するな」

一応申請に来たのは本当だ。来てすぐに部長交代の申請を出し、彼も晴れて海南大附属男子バスケット部の部長、そして主将である。海南としてはスタンダードな特待生主将だ。だが彼は自宅から通学している地元組で、地元出身が特待生で主将という組み合わせは初めてのことらしい。

「ていうか部長ってことは毎月定例会に出なきゃならないし、他にも事務的な仕事いっぱいあるぞ」
「そこは副部長に投げることになってます」
「投げるのは勝手だけど出席はお前がするんだぞ」
「なんでそんなめんどくさいルールになってん……
「先輩の彼女に聞いてこい」

これがなら、棚から資料を引っ張り出して丁寧に説明してくれたことだろう。だが新査長は任命直後の所信表明で「役割以上のことはしません」と宣言、そしてに向き直り、「先輩の優しさに甘えきってた連中には、生徒会や監査部の有り難みを知ってもらう必要があります」と言い出した。

新会長も「少し距離を置いてみようかと思う」と述べた。たち引退3年生は頷き、何でも試行錯誤しながら手探りでやっていけばいい、と彼らのスタートを祝福した。

生徒会にもバスケット部にも正解などない。誰も彼も、もがきながら自分の道を探しているだけ。

「しょうがねえなもう、さん教えてくれっかな」
先輩は教えてくれるだろうけど神先輩が許すかどうかだろ」
「無理くせえ〜」
「主将初日からそんなんでどうするよ」

長机に倒れ込んで頭を抱えていた清田は顔を上げるとニヤリと笑った。

「いいの。オレは神さんと違って困った時は人に頼ることにしてっから」

ひとりで何もかも抱え込んで苦しみ続けた神を1年間見てきたからこその、清田の見つけた答えだったのかもしれない。神が後輩たちに不安を抱かせないようにと必死に隠していたのは、もしかしたら自分たちが頼れない後輩だったからなのでは、そんな後悔も少しある。

バスケット部も生徒会も、新たな道を行く。それはや神とは異なるものだ。目指すものも違う。

「オレはそれでいいの。先代先々代を越えなきゃならないんだから」
「在任中負け試合3回だけの先々代、海南にいて敗北の重みを知る先代、それ越えるの、へえー」
「アッハッハ、主将のハードル高えー!」

仰け反って大笑いした清田はちらりと時計を見上げると立ち上がり、クラウンワッペンのぶら下がるバッグを肩に引っ掛ける。やっと帰るらしい。小柄な新査長はその背中を見上げてつい声をかけた。クラウンワッペンを見ていたら、「役割以上のことはしない」と決めた心が少しだけ揺れてしまった。

……頑張れよ、来年の、今頃まで」

その中にどれだけの苦しみや悩みが隠れているか、新査長の彼も1年間と共に監査部で戦ってきたことを考えると、清田と自分のこれからの1年が楽々と終わるとは思えなかった。

来年の今頃にはや神のように静かにその役割を下りていることだろうが、それまではまた新たな戦いの日々が始まる。共に闘おうぜ、なんてことは欠片も思っていなかった新査長だが、清田の方もそれは同じ。と神とは違う。

ドアに手をかけたところで清田は振り返り、不敵な笑みを浮かべる。

「おうよ、オレはオレのやり方で自分の道を行く。見てろ、全力で駆け上がってやるからな」

新査長は片手を上げて応え、閉まるドアを見つめていた。

自分もそのひとりだが、現監査部はという査長を敬愛していた。自宅が近いという理由はあるにせよ、窓口担当はがいつもやっていたし、現場に出て執行部の代理を務めることに徹底し、どれだけ問題が積み上がろうとそれを投げ出さなかった。

もちろんそうした勤勉さも尊敬していたが、監査部がを慕っていたのは、彼女が頑なに附属高校の生徒会の在り方というものを守っていたからだった。特に監査部は執行部の下という前提がある。それに倦むことなく、それを守った。査長以上でも以下でもなく、査長をやりきった。

方法や考え方は違っても、自分もそんな査長でありたい。

それがの背中を見ていて芽生えた気持ちだった。

自分は人前で彼女とキスなんか出来ない。したくもない。だけどという査長は常に高い目標として意識の片隅に残り続ける。文化祭の後、生徒会の記録を記したノートの査長の欄に自分の名前を書き入れ、そしての名の横に赤で引退と書き入れた。

さあこれからが自分の戦いだ。そう思った。

がそうだったように、全ての先輩たちがそうだったように。

自分の足で歩いて行こう、自分の道なのだから。