至上のヴィア・クルキス

7

バスケット部が合宿やインターハイで長期不在の夏休み、附属高校は全国大会がなくても練習に精を出す運動部で毎日賑わっていた。クラブ活動が生徒会預かりになってからも運動部への設備投資は積極的に行ってきた附属高校なので、夏でも安全に練習できる環境が整っている。整っていないのは男子バレー部くらいだろうか。最近では活動日に現れないこともある。

生徒会も秋の行事ラッシュに備えるために頻繁に登校しては準備を進めていた。執行部は会議で時間がかかるし、監査部は日々の業務もあるし、そこそこ熱心な運動部と変わらない程度の活動をしていると言っていい。だが、そんな中、事件は起きた。

男子バスケット部が3回戦で敗退、ベスト8止まりで沈んだという。

現地まで応援に赴いた部外の生徒からの情報が附属高校に届くまでにそれほど時間はかからなかった。むしろ職員室より生徒間のネットワークの方が早かった。それぞれの携帯を中継してバスケット部敗退の報せはやがて当日の昼過ぎには生徒会にも到達した。

最初にその情報を受け取ったのは執行部の女子だった。現在交際中の陸上部の彼氏から来た連絡を見て悲鳴を上げ、真っ青な顔で会長に手を伸ばし、乾いた声で「バスケ部、もう負けたって」と言った。執行部はまた悲鳴。男子バスケット部がベスト8で沈んだのは実に7年振りのことであった。

会長は悲鳴に包まれた執行部の部屋で冷や汗をかき、喉をゴクリと鳴らした。ここ数年の附属高校にとっては異常事態だ。生徒会本部に残る横断幕の発注書控え、それは去年が「準優勝」他は大抵「ベスト4」であることが多かったからだ。会長は腹に置いた手をギュッと握り締める。

大変だ、やばいことになった――

「会長、でも生徒会には何も――
「作業中止。監査部全員連れ戻して。誰か早く、とにかくだけでも連れてきて」
「会長?」

驚いたけど生徒会はひとまず横断幕発注以外にやることもないよね、という顔をしていた執行役員の肩に触れると、会長は青ざめた顔で言った。

「全員戻ったら本部閉鎖。――バッシングが始まるぞ」

執行役員全員が息を呑み、会長の言葉に背筋を震わせた。

神の反乱も異常事態なら、その男子バスケット部が3回戦で敗退したのも異常事態。これが「何もしなかったことの結果」なら、「何かしていれば回避できたかもしれない結果」はベスト8での敗退ではなかったはずだ。可能性を潰したのは生徒会ということになる。神の反乱が正当性を得てしまった。

人の手は簡単にひっくり返るのである。

本部はその性質上、内部は普通の教室と変わらないながらも施錠が出来るようになっている。割って侵入が出来ないよう引き戸のドアには採光ガラスもない。なので本部は廊下に向かって窓のない執行部の部屋に全員が潜み、普段監査部が業務を行っている方は無人にした。

ドアには「不在」のプレートを下げ、監査部でも1年生で顔の割れていないのが数人走って全員の靴を引き上げてきた。これは会長の指示で、大袈裟なのではと呆れた者もいたけれど、30分もすると皆その考えを改めた。

監査部も含め、ほぼ全員の元に運動部寄りの友人や繋がりのある生徒から「生徒会が神の訴えを聞かなかったから負けたんじゃないの、とみんな言ってるらしいよ」という報告が続々と入ってきた。自己の意見でないところがいかにも部外者の無責任な噂話だ。

だから生徒会、気をつけた方がいいんじゃない? みんな怒ってるみたいだし。

「みんなって誰だよどこから聞いたんだよ1時間前のことも覚えてねえのかよ」
「まさか自分がそう思ってるとは言えないからな」
「善意の忠告ですかそうですか、いいことしたとでも思ってんのかよクソが」

執行部の部屋はその性質上椅子が少ないし、監査部の部屋より狭いのでやむなく全員床に座っている。会長の判断勝ちでひとまず全員で集まれた生徒会は、外に漏れないように声を潜めて携帯のモニタに向かって罵声を浴びせていた。

その中では会長に抱きついて冷や汗をかいていた。執行部室の隅っこで会長はの肩をぎゅっと抱き締めながら手の中で止まらない通知に歯を食いしばる。神のバカ、お前があんな騒ぎを起こしたせいでがこの8ヶ月どれだけ怖い思いしてきたと思ってんだ、その上またお前のせいでが窮地に立たされてる。会長は静かに怒っていた。

本部のドアに不在のプレートが下がってから1時間の間に訪いのノックは3度、そのうち1度は強く、そして長く続いた。最後にはノックよりくぐもった大きな一発で、足で蹴った様子だ。特に1年の女子は恐怖で涙目になっていた。

生徒会の顧問にあたる校長や教頭、そして3年の学年主任の先生からは何の連絡もない。もしかしたらスポーツ強豪校海南大附属高校の象徴であり目立つ巨大な看板である男子バスケット部の敗退に職員室も混乱しているのかもしれないが、生徒間のことは生徒の自治に委ねるという生徒会のあり方が裏目に出たかもしれない。生徒会室のドアを破壊しようとする生徒でも現れない限り、先生たちは生徒会を助けなくてもよい。生徒会とはそういう組織なので。言葉で片付くことなら自分たちでやりなさい。

実際、生徒会が頭に血の上った生徒から物理的な暴力を受けることはないだろう。怒りに我を忘れて自分の将来を棒に振るような行動に走ってしまうようなタイプの生徒がそもそもいない学校だし、そうしたらまた手はひっくり返るとどこかでわかっているだろうから。

しかし会長が退避を急がせたように、今は動いてはダメだ。最初の衝撃が過ぎ去るまでは目立つ行動を避け、神たちの帰還を待つべきだ。そうでなければ――

「か、かいちょ……
「どうした」

バスケット部はそもそも毎年「優勝してくる前提」で予定を組んでいる。なので当然宿泊はインターハイの閉会式の朝までであり、実際昨年はその閉会式に準優勝校として参加してきた。なので彼らが帰ってくるまでにはまだ4日も時間がある。それまでの対策を頭の中でこねくり回していた会長はの声に腕を緩め、俯くの手元を覗き込んだ。

の手の中にある携帯にはポコポコと通知が届いていて、会長はそれを目にした途端手のひらでモニタを覆ってから遠ざけた。

聞いた? 神負けちゃったんだって。助けてあげればよかったのに
どうすんの、神負けちゃったんだって。のせいじゃない?
バスケ部のこと聞いた? 神あんなに必死だったんだから話くらい聞いてあげればよかったのに

「こんなの見るな」
「だ、だって……
のせいじゃない、神のせいでもない、わかってるでしょ」

通知の止まない携帯を見ようとするの手を押し返し、会長は強い声で言った。それを聞いた仲間たちが這い寄ってくる。会長が隠している携帯を見なくても何があったのかは想像に難くない。

「最初からこれは神とだけの問題で、なんならうちらもバスケ部員も関係なかった。と神が自分の考えを真剣にぶつけ合った結果であって、他人が口出しすることじゃない」

全員が会長の言いたいことはわかるけど……という顔で目をそらした。

「なあ会長、確か一学期の始め頃、女バレの件で持ち上げられてたのってオレらの方だったよな?」
……男バレの件でスカッとしたからだろ」
「あのときみんな、生徒会の判断や考え方は正しいって喜んでたよな? なんでこんなことになるんだ」

普段は物静かな副会長である男子が珍しく怒りを顕にしての背をさすった。確かにこの春生徒会は粋な計らいで株を上げ、そのせいで神は無理な我儘を通そうとした身勝手な人のように扱われていたはずだ。手がひっくり返るにしても極端すぎないか。会長はの携帯を取り上げてため息をつく。

「もちろんこれまでの全てが同一人物による賛否両論だったわけじゃないけど、それでも自分は無害で善意の第三者だと思いこんでる日和見主義者って多いと思うよ。当時しっかりに賛成なのか神に賛成なのかを宣言してたような子は今も変わってないんじゃないかな。あのときも今も自分は部外者だけどって顔してこういう下らない忠告をしてくるようなのはコロコロと自分の意見を変えるんだよ」

しかしそれはわかる。簡単な話だ。長いものに巻かれていればひとまず安全。

「だけど女バレがインターハイ逃した時は何も言わなかったじゃん」
「それは……海南にとって男バスってのは自慢の種だからじゃないかな」
「自慢の種? みんなそんなに男バスのこと応援してるわけでも……
「そりゃそうだよ、神たちの勝利や栄光を願ってるわけじゃない」
「どゆこと?」

いつしか生徒会は壁際でうずくまると会長を囲み、寄り添っていた。生徒会は自治のための組織で序列は上、皆を守るために働く集団だと思っていたのに、蠢く群衆を前に不利な状況に追いやられるのがこれほど恐怖だとは。名もなき人々の声は強い。そして脅威だ。

「私も経験あるから思うことなんだけど、こういうことない? 近所のおばさんとかにさ、海南通ってるの、海南てどんな学校だったっけて聞かれるの。そんなに親しくない相手で、挨拶程度の会話で、そしたらなんて答える? なんて答えるのが無難かな」

全員の脳裏に「運動部が強くて」とか「バスケが強いんですよ」なんていう言葉が浮かぶ。

「それだけ男バスってのは海南の象徴的なアイコンで、自分の功績でもないのに人に話すのにちょうどいい看板になる。その時、自分の学校生活を話せばいいのに、なんでバスケ部のこと話してるんだろうって思ったんだよね、私。虎の威を借る狐じゃん、そんなの」

何となく話が見えてきた生徒会はげんなりした顔でまた目をそらした。会長の話は憶測に過ぎないし、全ての生徒がそうではないはずなのだが、や生徒会に矛先が向くということの辻褄は合う。

「せっかくバスケ部強いのが自慢の学校に通ってんのに何で負けてくるんだよ。そういうことじゃないのかな。あーあ、海南て言ったらバスケ強いのが自慢なのに終わったな。そういうやつ」

今回の男子バスケット部のことだけじゃない。それぞれに思い当たることが多すぎて、みんな一斉にため息をついた。あるね。いるね。あれか。

「昔はどうだか知らないけど、今って何かを自慢するってことが1番気持ちいいことになってると思うんだよね。いいねジャンキーとか言うじゃん。男バスが強いことは『映え』みたいなものだったんじゃないかな。想像以上に神たちはそのための道具でしかなかったみたいだね」

の背中を擦っていた副会長は薄笑いで「生徒会炎上」と呟いた。

「みんなつらいだろうけど、まずはバスケ部が戻るのを待とう。話はそれから。神に連絡がつくまでは自宅待機。特には不用意に誰かと話さないこと。必要があれば生徒会のグループにね」

しかし、そもそも対立構造のままだった双方、バスケ部が戻ったところで何も片付かない気がした副会長がそれを尋ねると、会長は力なく肩を落として息を吐いた。

「ひとまず神たちの意見を待って、それ次第ではあるんだけど、夏休みが終わるまでの時間がこの安易な炎上を自然鎮火させてくれることを祈るしかないね。それでも火が消えないようなら、その時はいよいよ生徒会が終わるかもしれない。でもそれは我々には止めようのないことだから」

男子バスケット部の件をきっかけに全生徒が「生徒会の現システムに反対」と声を上げればあるいは校長も動くかもしれない。その結果、神が主張したようなクラブ活動が行われるようになるのかもしれない。それはたち生徒会に止められるものではない。

この日生徒会は閉門時間まで籠城を続け、そして翌日から姿を消した。

会長判断のもと生徒会は突如窓口を閉じて沈黙、それぞれごく親しくて誤解のない相手とは連絡を取っていたけれど、そうでない者とは関わらないよう数日を過ごした。

こんな騒ぎになって始めて確認を取ったところ、生徒会は男子バスケット部の部員とは誰ひとり繋がりがなく、会長はせめて神に連絡を取りたかったのだが状況が状況なもので仲介してくれそうな人物もおらず、結局生徒会はただひたすら男子バスケット部の帰還を待った。

その間少しでも反感情が鎮火してくれればと願っていた生徒会だったが、本部が沈黙して逃亡したことで余計に炎上。だが、それだけで簡単に燃え上がる程度には頭に血が上っているわけで、会長の判断は妥当だった。神たちが帰ってきたのは、そんなごうごうと燃え盛っているさなかのことだった。

学校がそんな風に燃え上がっているなど知らずに疲れて帰還してきた男子バスケット部は、話を聞くなり肩を落とした。何で当事者不在なのにバスケ部のせいで勝手に喧嘩してんだよ。

しかしベスト8で沈んで1番ショックを受けているのは他ならぬ彼らで、関わりたくないと早々に無視を決めたのが半分、自分たちの敗北を餌に正義を振りかざして炎上している状況に憤るのが半分といったところだった。正直それどころじゃないというのに部外者が面倒くさい。

神は無視派で、それ以前に今年の3年生は戻るなり監督とミーティング続き、顧問や教頭も交えて話していることが多く、生徒間の騒ぎに乗っている時間はなかった。なので生徒会が期待したような鎮火を促す行動もなければ、相談も出来ない始末。

そんな状況に会長が焦り始めた頃、男バス敗退炎上問題は急転直下の解決を見ることになる。

事の発端はクラブ棟の十字路だった。奥へ行くと男子バスケット部の部室、左右はグラウンドと体育館への通路につながっていて、手前はクラブ棟と教室棟に繋がっているという、運動部の生徒の行き来がひっきりなしにある場所でのことだった。

相変わらず部内ではどっちつかずの立場を保っていた清田はトイレに行き、部室に戻ろうとしていた。インターハイの後始末も終わりそうだし、週末を含め1週間程度部活が休みになるのでさっさと帰ろうと思っていた彼は、同学年の運動部員と行き合って足を止めた。みんなちょうど練習が終わる頃合い。

しかし運悪くこの炎上問題に対して生徒会に批判的な態度を取っていた人々だった。清田を捕まえて健闘を称えつつ、生徒会が悪かったとつい言ってしまった。これが神なら軽くかわしてさっさと部室に戻っただろうが、生憎清田はそういう性格ではなかった。

「なんで生徒会が悪いことになってんだよ。オレたちが負けたのはオレたちのせいだろ」

彼は彼で「助けがあれば負けなかったのにね」という同情を不愉快に感じていた。誰に助けてもらえなくても勝って当たり前、誰の助けもいらない、自分たちは自分たちの実力だけで勝てるのに、サポートしてもらえなかったから負けた甘ったれにされてるのは許せなかった。

「てかそれ以前に生徒会とうちの部長の問題にはお前ら関係ないだろうが」
「関係なくないだろ。これは海南全体の問題なんだから」
「いやあんたそのジャージ卓球部だろ。バスケ部の勝敗がなんで関係あるんだ」
「母校の名誉の問題だろ!」
「ハァ!? オレたちの勝ち負けはオレたちだけのものだ! 勝手に入ってくんな!」

だが、炎上に風を送っているタイプには別の意見もある。

「それだけじゃない、結局生徒会は必要な場所に必要なサポートが出来てなかっただろ」
「生徒の生活を守るとか言いながら、結局あとは自分たちで勝手にやってね、てことじゃん」

男子バスケット部の敗退は、引いては全クラブ活動と生徒会の関係に改革を望んだ神の予見が悪い形で実現してしまったことを表してもいる。どのクラブにとっても「明日は我が身」と思わせてしまった。それはわかるが、清田は認めない。

「だからさ、生徒会に対して個人的な反感があるなら、自分で文句言いに行けよ」
「べ、別にそういうことじゃないだろ」
「バスケ部大変だったねって思ったから声かけただけじゃん」

おそらく本心から同情しているんだろう。だから生徒会を糾弾しているのだし。だが、

「知るか! 余計なお世話だ! 自分のことでもないのに生徒会叩いてる暇があったら練習しろよ! オレたちが負けたことに生徒会は関係ねえし、勝負の世界にはそういうこともあるってことくらいわかんねえのかよ? お前らだって何のために戦ってんだよ。学校のためじゃねえだろ、自分のためだろ、それもわかんねえんなら余計な口を出すな! 勝ちも負けも後悔も全部オレだけのものだ!」

そして清田は長く伸ばした髪をぐいっとかき上げて顔を歪めた。

「てか連帯責任でバスケ部全員丸坊主とか言い出したの誰だよ!? オレたちはそんなこと一言も言ってないし普通にお断りだ! オレがこのシャイニーでクロームなイケメンヘアーを切り落としたら全世界の女子が悲しむだろうが!」

突然ネタに走った清田についていけなかった周囲の女子がつい真顔で「いや別に」と言ってしまい、緊張状態にあった十字路はじわりと笑いに包まれてしまった。笑ってしまうと毒は抜ける。

これが決定打となって男バス敗退炎上問題は急速に鎮火に向かったのだが、生徒会本部は活動を再開しないまま、バスケット部と同様の「夏休み」に突入した。

そもそもが生徒会の活動で忙しいせいで夏休みでも登校していることが多いだったが、この夏は余計に友達と遊ぶ気にはなれなくてひとりで過ごしていた。

生徒会の結束は固いが、別に学校を離れても仲良し友達というわけではない。学期末には女子だけでスイーツ食べ放題に出かけるという習慣はあるが、あれはあくまでも行事。執行部も監査部も生徒会はクラブ活動感覚で頑張っているだけなので休みになればベタベタしないのが普通。

それに、は生まれて始めて近くて遠い他人に恐怖し、そしてこれまでになく嫌悪していた。1年の時に同じクラスだった子は普段何かというと「優しい世界」と言っては「いい話」に感嘆していたが、「バスケ部がどれだけ苦しい思いしてきたか、わかってる? 謝るべきじゃない?」とメッセージを寄越した。まったく優しい世界だね。

なので誰とも会いたくなかったし、本部で籠城していた日の恐怖がついに彼女の心を折り、何度も会長に「生徒会を辞めたい」と言おうかと悩んだ。清田の反論で炎上が鎮火に向かったことも知らないので、自分が責任を取って辞めれば生徒会はこれまで通り活動できるのではという思いもあった。

いずれにせよ、もっと刺激的なトピックでもない限り査長である自分への謗りが消えることはないだろうし、幸い3年生、高校生活はとっくに半分を過ぎている。何なら今から外部受験を目指してみるか。勉強でもしていれば気も紛れるだろうし、みんなと一緒に海南大へ進学したいと思えなくなっていた。

テレビの気象コーナーでは連日「危険を伴う暑さ、原則運動禁止」と言い続けている。それでもは家でひとりで過ごしていると勢いで会長に「査長やめる」と言い出しそうで怖かったので、人混みに紛れたくて外へ出た。死ぬほど暑いが現実逃避にはなる。

しかしそう長く外を歩いてもいられなくて、早々にカフェに避難した。強い太陽の光に晒された目がカフェの薄暗さに眩む。焼けた肌を適度な空調がそっと冷やすけれど、正直ぬるい。長居しないでくださいと言いつつこの快適温度はなんなんだと無駄に憤る。

一応文庫本など持参してきてみたけれど、基本的に長時間の読書もやめてくださいという駅前の店舗だ。避難にはなったけれど時間は潰せそうにない。今はとにかく自分が高校生であることも生徒会に所属していることも忘れたかった。それには街をうろついているのがちょうどよかったのだが……

……?」
「はあ、もうやだ」
「ほんとにな」

聞き慣れた声につい返事をしたが驚いて振り返ると、ファストファッションのビニールバッグを肩に引っ掛けた神がぼんやりした表情で佇んでいた。

「神……
「生徒会、大変だったらしいね」
「それは神の方でしょ」
「大変なんてもんじゃなかったよ」

ふたりとも覇気のない声でぼそぼそと喋っていたのだが、何しろカフェの入口である。後ろから家族連れが入ってきたので道を譲り、そして黙ってしまった。

だが、日常の自分全てを忘れたかったのは神も同じで、彼は少しかがむと声を潜めた。

「どこか行こうか、ふたりで」

神の言いたいことはわかった。どこかにふたりで、それが1番の選択だと思った。

「そうだね。遠い所がいい」

誰の顔も見たくない、声も聞きたくない。だけど君は特別だから。自分と同じだから。