至上のヴィア・クルキス

10

炎上は清田の演説により鎮火に向かったが、それでに対する不信感が消えたわけではなかった。

清田の演説で男子バスケット部はどうやら生徒会を糾弾する気がないらしいことが広まったのと、運動部が休みに入ったことで延焼が止まったに過ぎなかった。

なのでお盆休みが明けてやっと生徒会が活動を再開すると、本部を通さないへの圧力が高まった。今年の生徒会は3学年で28人、それぞれに友人はいるし、狭い範囲でならそれが生徒会の人間であることは知られている。そこにってどうなのと声がかかるようになった。

しかし男子バスケット部は頑として生徒会に非があるとは認めなかった。あくまでも今年のインターハイの敗北は自分たちの責任であると譲らなかったし、心機一転国体に向けて関係者の詰めかけるミーティングでも主将の神は「僕たちには少しだけ勇気が足りませんでした。もう一歩踏み出す力をつけたいと思います」と言うにとどめ、それ以上何も語ることはなかった。

というわけで夏休み終盤、気付けば生徒会と男子バスケット部は素知らぬ顔で元通り、神が改革の件を振り返ることはなく、それを突っつかれても校長から却下されたことだからと言うだけで相手にもしなかった。なので後には燻るばかりの第三者だけが残されたのである。

その矛先はやはり生徒会に、に向いた。

「ああ、『犯人を作った犯人』を作らないと気が済まないってやつね」
「監督が坊主頭になったってどうしようもないだろ、元々短いのに」
「ていうか既に坊主のやついたよね? そういうのってどうすんの? 剃るの?」

男子バスケット部は責任を取って全員丸坊主、という噂はほんのちょっと流れただけで清田に吹き飛ばされたが、お盆休み明けに監督が丸坊主になって帰ってきた。部員たちは爆笑、副会長が言うように「あんなのすぐに元通りじゃん」と陰口を叩かれただけで終わっている。

執行部は通常業務、監査部は目立つ活動を避け、本部には当面の間5人常駐というルールが設けられた。今のところの退陣を要求する殴り込みなどは来ていないが、いつでも文句を言いに来られる場所には違いないので、男女混合で対応人数多めを徹底することになった。

そして査長・は夏休みの間は本部対応禁止。会長の判断により執行部の部屋に隔離されることになった。夏休みの生徒会は二学期の準備で暇ではないし、そういう意味でもに辞められるのは困るからだ。

監督の坊主頭にぶうぶう文句を言っている執行部員から少し離れた場所で、は会長とふたり市内のスポーツ交流会の準備をしていた。毎年9月の末頃に開催される地域の高校のイベントだ。

「この頃って国体あるよね? そうか、男バスの部員は使えないのか〜」
「国体は去年選抜だったから、今年も同じなら残る人がいるはず」
「あ、そっか。そういうの優先的に使ってくれるといいんだけど」

交流会とは言うものの、普通に試合、勝てば優勝旗である。そして無駄に大きい優勝旗は置き場がないという理由で生徒会本部に置かれる。基本生徒会はこうした表彰や報奨とは無縁なので、置いてあるだけでもちょっと嬉しい。

……、神と連絡取ってる?」
「ああ、うん、この間」

まさか一晩お泊りしましたとは言えないは、くぐもった声で返事をした。もしそのことを会長が知ったら何と思われるだろうと考えると、いつも体が冷たくなる。会長始め執行部は、序列で言えば監査部の上であり、査長であるは彼女らに従う立場にある。が、共に戦ってきた戦友でもある。否定的に思われたくないという不安と同時に、嘘を付きたくない罪悪感で気持ちが揺れる。

「神、あんまりインターハイのこと話したがらないみたいだけど、なんか言ってた?」
「予選の時から……ううん、主将になった時から大変だったみたい」
……神が話してくれたの?」

詳しいことを勝手に言うわけにはいかないが、少しでも神の助けになるならと言葉を選んだだったけれど、会長は違うところに引っかかったらしい。会長に任命されるだけのことはある。

……少しね。やっぱりあんまり話したくなかったみたいだし」
「でもには話せる?」

ふたりの夏の日を感じさせるようなことは何ひとつ言葉にしていないというのに、会長は一体何を嗅ぎ取っているのやら。はちょっと呆れる気持ちを飲み込みつつ、顔を上げて呼吸を整える。

「どうだろう、でも、聞きたいとは思ってる」
「まあ、そうだよね、もうずっとと神はそうやって来たんだし」

話してしまいたかった。もうずっとそうやって来たことがお互いの心を引き寄せ合い、いつしか最大の理解者になった。それが恋に変わったのはいつのことだったのか、もしかしたら未だに恋ではないのかもしれないが、それでもお互いを大事に想い合っていると言ってしまいたかった。

でもどうしても言えなかった。査長である間は言えそうにもない。

……会長、私、嘘をついてるかもしれない」
「私に?」
「ごめん、何をどう言えばいいのか、わからない。本当は嘘も付きたくない」

会長はスポーツ交流会の資料を手に少し笑うと、ちょっと肩をすくめる。

「いいよ、好きなだけ隠してて。査長のことは信頼してるし、任期が全うできればそれで」

生徒会3年生は文化祭最終日に引退する決まりだ。もうあと3ヶ月もない。

の監査部そして査長という戦いは終わりに近付いてきていた。

なるべく生徒会本部以外の場所をうろつかないよう心がけていたのだが、昇降口を通らないでは校舎にも入れない。出来るだけ早く登校して出来るだけ遅く帰るようにしていたは、かなり暗くなってしまった昇降口を出たところで清田に出くわした。

「わ、お久しぶりっす、どうも」
「久しぶり。まだ練習してたの?」
「そりゃそうですよ、国体の合同練習始まってますし」
「ああそうか、時間延長の申請出てたねそういえば」
「てかまだ終わってないんすよね……

がちらりと顔を上げると、壁にかかる時計は19時になろうとしている。通常であれば休暇中の運動部の校内活動は18時に終了、19時までには完全下校が規則だ。それを過ぎて練習がしたければ、顧問を通じて職員室と生徒会両方に届けが必要だ。

「今年も選抜なの?」
「です。オレらとしては選抜じゃない方がいいんすけどね。神さんもまた疲れてるし」
「やっぱり神が主将なの?」
「そりゃそうすよ、でもほら、神さんて怒鳴って鉄拳制裁するタイプじゃないでしょ」

先代は大人びた迫力で後輩を従え、「入部した頃は小学生並みだった」と神が回想する清田をその鉄拳で制してきたそうだが、まさか神にそれが出来るわけはなく、しかし主将としてチームをまとめろと言われるし、彼が疲れているのは察するに余りある。

つい笑ってしまっただったが、清田はちょっと体をそらすとニヤリと目を細めた。

「でも〜なぁ〜んか機嫌いいような感じするんですよね〜」
「機嫌? 神が?」
「昔の神さんに戻ったような、温和で懐の大きい感じ、わかります?」
……うん、わかるよ」
「1年生はちょっと戸惑ってんすけど、オレら2年はなんかホッとして」
「またもう一度、始められそう?」
「そりゃもちろん。冬こそ優勝してこなきゃならないすから」
「そうなれるように祈ってる」
「あざす! ほんと助かりますよ、先輩、神さんにどんな魔法使ったんですか?」
「魔法って大袈裟だな、話聞い――

まんまと誘導尋問に引っかかったは息を呑んで固まった。なんなのこの子!

お泊りはもちろんあの日の1晩だけだ。の両親はもう一晩過ぎないと帰らない予定だったけれど、神の方が急な連泊は怪しまれるとして帰宅した。が、付き合いたてホヤホヤのカップルも同然、神は一度帰ってまたやって来て泊まらずに帰宅、翌日はが神宅へ行くという3日間を過ごした。

その間、すっかり心の棘が抜けた状態の神はにべったり甘えて過ごし、もそんな神を抱き締めて「守ってあげる」だとか「絶対味方だから」とか囁き続けた。にとっては自分自身に対する決意表明でもあった。

神が機嫌よく見えるのはおそらくそのせいだ。機嫌がいいというより、やっと楽になってきたので苛々せずに済んでいるのだと思われる。疲れていてもと一緒にいれば楽になる。

「えーと」
「陵南の選手がですね、神さんと顔合わせるなり『彼女元気?』と」
「へ、へえ」
「代表誰も気にしてないけど神さん慌ててるしオレらもびっくりですわ」
「そうだろうね……
「オレたち神さんとは家族より長く一緒にいる状態だけど、先輩以外に女の影とかないですからね」

神にもプライベートはあるはずだが、その時間にのんびり彼女作ってる暇はない……ということは仲間たちが1番よく知っている。なので消去法で考えるとしかいなかった。というのが清田の推理のようだ。それでカマをかけてみたらあっさり引っかかった。

「ちょっと茨の道過ぎません? 大丈夫すか」
「今に始まったことじゃないしね……
「いがみ合ってた同士がふたりの世界とかいうのは結構好きですけど」
「何の話?」
「先輩ふたりがエモいんで飯がウマいって話です」

は肩を落として大きくため息をついた。この子も年末には次の主将になるだけのことはある、ということなのかな。今年の神は怖かったかもしれないけど、来年のチームもこれはこれでキツそうだ。

「でも助かってるのはホントすよ。だいぶオレの知ってる神さんになってきた」
……清田くんの知ってる神のままじゃ、ダメだったと思う?」
「まさか。みんな神さんのことは最初から信頼してました。リーダーとして不足はないです」

ずっとニヤニヤしていた清田は一転真面目な顔になり、姿勢を正す。

「だけどあのままだったら神さんの方が壊れていたかもしれない。先輩もキツかったと思いますけど、あれは神さんがオレたちをなんとかして引っ張っていこうともがいた結果なんだと思います」

は頷く。未だ炎上の残りカスは燻っているけれど、主将としての神の奮闘は私だけじゃなくて仲間たちにもちゃんと伝わってる。神は「しかいない」などと言うけれど、神がもがいてきた姿は次のリーダーの記憶にちゃんと受け継がれてる。

「来年があるさ」のカードはもう使えないけれど、巡りくるいつもの今年なんかではない、神のただ1度のチャンスはその後を追う人々の中に生き続けていく。

「だから先輩が真正面から受け止めてくれてよかった。ほんとにどんな魔法使ったんですか」

またニヤリ顔に戻った清田に、もニヤリと口角を吊り上げてみせた。

「お姫様を眠りから呼び覚ます魔法」

2学期が始まっても生徒会への不信感は依然強く残っており、だけでなく、新学期になって初めて男子バスケット部のインターハイの話を耳にしたという生徒も少なくなく、余計に「生徒会責任論」は広がりを見せた。正門にかかる横断幕など見てないけど、その内容が「男子バスケット部 高校総体18年連続出場」から書き換わらないままになっていることに疑問を感じるという生徒は減らなかった。

その中で当の男子バスケット部はやはり生徒会への弾劾に関わる気はなく、自分たちは国体と冬の大会に向けて気持ちを切り替えているので問題ない、と取り合わない。

もちろん生徒会もだ。2学期は特に行事が多いので生徒会は多忙を極める時期であり、査長ひとりでも欠けると負担が激増する。だというのに生徒会への不信感という爆弾も抱えていて、例年より慎重に活動する必要があった。

「今のシステムに不満はないけど、昔みたいに生徒会長って立場にもう少し威厳があったらとは思う」

月末に控えているスポーツ交流会の配布資料を整えていた会長はそう言ってため息をついた。

「威厳?」
「生徒会長はちょっとエラい、みたいな認識ていうのかな」

附属高校の生徒会はその性質上、誰が生徒会長なのかということも公表されていないので、執行部内での役割以上の権威もなく、従って生徒の代表という立場にありながら、生徒に対して広く発言権もない。騒動の真ん中に立って生徒を取りまとめる、ということが出来ないのである。

なおかつ執行部が秘密結社じみて来て以来、実際に現場で生徒会長の役目を代行してきたのが査長なので、余計に今回の騒動では手も足も出ない状態になっている。

「ていうか次の執行部と査長の人選も気が重い」
「誰を選んでも可哀想な気がするよね」

次世代の人選は執行部のみが行うので、査長であるは無関係な話なのだが、今年の生徒会はここ最近の間では1番問題が多かったので、誰を選んでも申し訳ない気がしてしまうのには同意だ。特に査長は難しい。生徒会と生徒の間に行き違いが発生すると、その矢面に立たなければならないということを目の当たりにしてしまっている。良くも悪くも生徒会の顔になってしまう。

「でもどう、査長、ここまでやってきて」
「うーん、でも実は言うほど大変だったという感じもなくて」
「神とあれだけ揉めてたのに?」
「それも含めて自分が覚悟して引き受けた査長そのものって感じが、今はする」

それには当の神と惹かれ合っているという事情もあるが、査長という立場には元からひとりで立ち向かわねばならない苦難というものが含まれていたように思えてきた。査長はそれだけ大きな存在であり、だからこそ努力に値する任務だった。

「あとには何も残らないけど、私が得たものは多いから、イーブンな気がするのかも」
「ま、特にうちの生徒会は生徒のための組織だけど、私たちは自分のために頑張ってるだけだからね」
「そう、だよね、誰に褒められなくても自慢できることがなくても」
「分かってたことだし、自分で自分が誇れるならそれで満足。そのために入ったんだから」

特に附属高校の「強い部」というのは運動部が多い。附属高校に入部してくる生徒たち全員が全国大会レベルの選手なわけはないが、その水準に満たない生徒も同じように「活躍の場」を求める気持ちを持っている。生徒会はその受け皿でもあるのだ。

1年生の頃から監査部に自主的に入部してくるや会長のようなタイプはまさにそれで、インターハイで戦えるような運動能力は持っていないけれど、課外に自分の可能性を探り、何かに挑み、結果を得たいという欲求を生徒会に求めていただけだった。

得られる結果が数字や報奨によってフィードバックされないという難点はあるが、それは最初から納得していることであり、監査部に入ろうと決めたときには会長の言う「自分に結果を返すために頑張ろう」という目標が出来上がってしまっている。

「歴代の査長の中で特に苦労したとして名が残ってもいいくらいだけどね」
「そしたら神の名前も並んじゃうじゃん」
「それはしょうがなくない?」
「なんか卑怯な気がするなあ」

声を潜めて笑ったふたりだったが、会長はまたぼそりと言う。

……神と話してるの?」
……たまにね」
「あいつも納得できてるのかな」
「お互い、そういう話を繰り返してる」

神は国体に向けて合同練習やらで忙しく、夏休みの間ほど頻繁に会えるわけではなかった。それでも出来るだけ時間は作ったし、直接会えなくても電話で話したり、ということは続けていた。

今むしろ辛い立場にあるのはの方で、神は日に日に肩の荷が下りていくものだから、が神を甘やかすという構図が逆転しつつあった。は神ほど甘えたりはしなかったけれど、とにかく話をたくさん聞いてくれるし、思い悩むことを一緒に考えてくれる。

にとっても神は良き理解者であり、信頼の置ける相手になっていた。

「たぶん……神も同じだと思うんだ」
「何が?」
「自分のために頑張ってるだけ」
……そうだね」
「それを、かき乱されて、苦しかったんだと思う。誰のために努力してるのか、わからなくて」

今にして思えば、そういう不安定な日々を歩いていくしかなかった彼を支えてやりたかったと思うが、にもそこまで理解が及ばなかった。現在の特に親しい関係としてではなく、生徒会として、査長として神と一緒に戦えたのではと思うことはの後悔であり、神と同じように「来年があるさ」のカードが使えない、「取り返しのつかない、ただ1度きりの3年生」だ。

そういうものを過去と名付けて置いていかなければならないということには、胸が痛む。うまく取りこぼさず手にしたまま未来に進んでいける人を羨む気持ちはなくならないだろう。「信じ続ければ夢は叶う」という言葉を聞くたびに記憶は傷を抉るだろう。

それでも、苦しい道を同じように歩んできた人と共にあったことは誇れる。

査長という役目はあとに何も残さない。生徒会の記録として氏名がノートやデータに書き込まれるだけのことで、神以上に爪痕なんていうものは残らない。数字もなく、トロフィーもなく、誰の記憶に残ることもなく、ただ通り過ぎていくだけだ。

「嫌な言い方だったらごめん、って、幸せな査長だったね」

会長にしては珍しく自信がなさそうだったが、は納得して頷いていた。

…………そこに連れて行ってくれたのは、神かもしれない」

ただ無難な1年をぼんやり送るより、苦しくても得るものの多かった自分の1年間の方がよかった。そんな心境に手が届いた。それは神がいたからだ。何をやっても茨の道かもしれないけれど、もう踏み出してしまったのだ、後戻りする気はなかった。

それは自分だけのものだ。自分だけの「取り返しのつかない過去」だ。

それを私は誇りに思っている。

他人の世界に寄りかかって生きていくつもりはない。これは私の道だ。