至上のヴィア・クルキス

3

はもちろん会長以外に詳細を漏らしたりはしなかったのだが、3日ほど経つと神の「下克上宣言」はなぜか広く生徒の知るところになっており、特に同学年の間ではと神が男子バスケットボール部の扱いについて対立している、ということになっていた。

こうしたことの調査も活動のうちである監査部の調べによると、どうやら話の出処は1年生のバスケット部員で、その友人たちのクラブ内を遡上して広まっていったらしい。

すると、主に活動が盛んな運動部から神の主張に賛同する者が現れた。自分たちも生徒会の下から外れたい、という。と同時に「だけど先生たちの采配になったら予算が増える確証もない」という慎重派が現れ、どう考えても弱小部が不利になると憤る向きも当然あり、にわかに校内は騒然としてきた。

やがて「生徒会とクラブ活動はやはり別物なのでは」という「神派」と「これまで通り全生徒が公平に扱われるべきだ」という「派」のふたつに分かれることになり、学期末の定期考査を残すだけで割と暇な時期の附属高校は一気に対立し始めた。

「そもそも、活動予算を生徒が管理するっていうのも不自然だと思わない?」
「どういうところが不自然?」
「そういうのって、大人がやるべきだと思う」
「大人っていうのは、顧問の先生とか?」
「そう。まだ子供なんだし、自分たちの判断で予算を配分してる時点で既におかしいんだよ」

2月の半ば頃、はひとりで窓口担当をしているところに運動部の男子生徒の襲撃に遭っていた。彼は当然神派で、しかし生徒会から全クラブが外れるかどうかということには触れずに、未成年が主体になって金を動かすのはどうなんだろうか、という主張をしてきた。

「システムが悪いかどうかっていうのは、問題がないと判断しづらいよね?」
「いやいや、問題が起こってからじゃ遅いでしょ。その前に大人に任せた方がいいと思う」
「そう、当然そういう理屈で大人が管理してる頃に八百長が」
「えっ、八百長?」

は淡々と薄っぺらい冊子を手渡し、そもそもなぜクラブ活動まで生徒会の管理下にあるのかということをざっくり説明した。最初から生徒会に予算を分配する権限なんかあるわけないでしょ。それに、毎年の予算は前年度の予算を参考に増減しているに過ぎないし、春の会議で決定するのは配分だけ。実際に金銭の管理をしているのは当然事務室の職員である。

「そんなことがあったのか……
「資料が見たければもちろん見せるけど、生徒会が進んで改革したことって実は少ないんだよ」
「えっ、そうなん」
「昔校内暴力が増えた頃に、執行部と監査部を分けたくらいかな」

今のところ男子バスケットボール部の監督と顧問も含め先生たちは静観の構えであり、ひとまず生徒会は神派に対して「なぜ序列のある構造になっているか」を説明し続けている。生徒会もその内部ではちょこまかと変化があったけれど、全クラブ活動をその「下」に置いたのは邪な大人の手から生徒を遠ざけるためでもあった。未成年が不用意に大金を扱っているというわけではない。

「だからそれを変えたいのであれば、やっぱり校長室行ってもらわないと」

と、こう返されるとほとんどの生徒が戦意喪失する。絶対恐怖支配の校長というわけではないのだが、そこにひとりで乗り込んでいって主張をブチ上げるほど変革を望んでいるかといえば、そうでもない、という生徒がほとんどだった。神に乗っかって主張したいだけだったのかもしれない。

すると翌日、今度は神派と派に分かれてしまったというカップルがふたりでやって来た。彼氏の方が運動部、彼女の方が委員会。はこっそりため息をつく。

「だって私たちなんか予算ないんだよ?」
「いや、予算出てるだろ。毎年何万も本買ってるじゃないか」
「あれは委員会の予算じゃなくて、学校が設備として買ってるの! 私たちは1円も使ってない」

どうやら彼女の方は図書委員らしい。毎年図書委員は一定数の本好きで構成されていて、新規購入の図書はその内容を確かめて校内新聞で紹介するという役割のために、優先的に借りて読める特権がある。なので文芸部よりよっぽど人気だ。

「でも図書室を掃除したり、貸し出しの手続きしたり、目録作ったり、そういうのは私たちがやってるでしょ。そういう時に、特に文具なんかが必要になることが多いけど、委員会にお金なんかないから、そのたびにここに来て溜め込んである『儲け』から買わせてもらってやってるっていうのに、もともとたっぷり予算取っていく部がもっと欲しいって、それは図々しいと思う。だってその『予算』て、みんなが一律で払ってる学費から出てるものでしょ?」

委員会も生徒会同様ほぼボランティアなのには変わりない。図書委員のように新刊を優先的に読める特権があるのは稀な例だ。その割に彼女の言うように貸し出しの手続きや返却された本の整頓など、ほとんど「仕事」な活動を無予算でやっている。だが――

「だから、みんなでそこから外れようって言ってるんだってば。委員会も同好会も、全部生徒会の外に出るんだよ。そうしたら無予算なんてことはなくなる。堂々と先生にペン買う金を下さいって言えるようになるだろ? てか同好会と委員会に予算がないのがまずおかしいじゃん」

彼女の方が「あれっ?」という顔をしたので、はそっと冊子を差し出す。

「何これ、去年の予算? ええっと……
「え!? なにこれ!? ちょっと待てバスケ部こんなに持ってってんの!?」
「あんたのところもこんなに持ってってるじゃん! ひどい、なにこれ」
「というか、活動内容に合わせて切り分けると、どうしてもこうなるんだよね」

そもそも限られた予算、全国大会に出場する部の活動に関しては優先せざるを得ない事情もあり、そこは生徒会も融通してきたつもりだったのだが……

「だから、委員会や同好会に回す分がないというか」
……ちょっと待った、生徒会は? 何この冷蔵庫、タブレット」
「生徒会も部費みたいなのあるから。ひとり毎月500円。冷蔵庫は中古」
「そっか、生徒会ってクラブじゃないからやっぱり予算ないのか」
「文化祭の時だけは少し出るよ。さっきの話じゃないけど文具とかいるし」

だがそもそも生徒会は何も消費しないし、月500円はきっちり金庫にしまい込まれて毎月のインターネット回線費用と設備投資に使われている。唯一の例外は執行部のパソコンで、これは文化祭の会計やクラブ活動のデータ管理のために、学校側が用意したもの。そんな程度だ。

しかし彼氏の方はプルプルと顔を振って背筋を伸ばす。

「だから! このシステムが変われば、全予算自体が増えるかもしれないだろ?」
「寄付とか、そういうもの?」
「そう! 昔はそういうのあったって聞いたことあって――

はまた冊子を差し出した。以下繰り返し。

「過去に一度失敗してて、同じことは繰り返さないと思うよ」

しばらくすると、今度は神本人がやって来た。

「この間も言ったけど、校長室が先だよ。生徒会は何も出来ない」
「そんなことない。生徒の意見を取りまとめて学校に掛け合うのが生徒会だろ」
「そう。でもこれは生徒の意見じゃなくて、神の要望でしょ」
「自分たちも生徒会から外れたいっていう人、今たくさんいるよね」
「だからそれを言い出しっぺの神がまとめて校長室へゴー!」

だいぶ疲れていたけれど、は努めて冷静に神の相手をしていた。確かに神の言う通り、生徒会は生徒の代弁者でもある。だから一般的にはその代表たる役員を置き、信頼してその代表を任せられる人物を選挙で選んできたわけだ。

しかし海南大附属高校はその歴史の中で生徒会というものの在り方が二転三転してしまい、かなり特殊な形に落ち着いている。その中では、取りまとめて学校に掛け合う意見は「ふるい」にかけられることになっている。生徒の要望なら何でも叶えてあげます! という組織ではない。

なので、生徒会が関与しないと決定したことは直接校長室に持っていくしかない。もちろんそんなことをしても余程の意見でない限りは「生徒会の皆さんとよく話し合ってみましょうね」で終わる。

八百長事件以来、学校側は敢えて生徒との距離を置いている、と言えるだろう。ここは学び舎であり家庭ではないのだから、学業や進路に関わること以外の生活は生徒の自主性に委ね、大人のおもちゃになってしまうことは避けたい――そんな意図が見える。

しかも、80年代校内暴力の時期を境に生徒会はより「自治」を意識した組織になり、健全な学校生活を脅かす問題に対しては自分たちで取り組む習慣ができている。子供の喧嘩に大人が口を挟むまでもなく、自分たちで解決の道を模索している。それを崩すメリットはない、ということだろう。

10年ほど前の運動部内パワハラによる自殺未遂事件以降はさらにそれが顕著で、実は学校生活が原因の不登校が滅多に現れない、という良い実績もある。少なくとも現在の生徒会と学校側の関係は実に良好。それがわかるので、神は校長室に行かないのだ。

、だけどその判断がひとりに任されてるのはフェアじゃないと思う」
「執行部とも話したよ。もちろん答えは私の言ったとおり」
「だからそれを直接執行部から聞きたいんだけど」
「執行部は監査部の上位組織だけど、どっちもまとめて生徒会だからね」
「可能性を考えてみることもしない、それもフェアじゃないと思う」
……可能性の前に、どうしたの神、急に改革なんて」
「話を逸らすなよ」
「逸らしてない。これでもバスケ部の活躍は応援してきた。神らしくないよ」

がそう言いながら身を乗り出すと、神はサッと顔をそむけた。

「こんなことしてる暇があったら練習してる。神はそういう人じゃなかった?」
はオレの何を知ってるの」
「暑くても寒くても毎日努力を怠らない真面目な人、それは誰でも知ってるよ」
……そう。じゃあそれ以外は?」
「それ以外?」

鸚鵡返しのに神も身を乗り出して、顔を近付けた。は思わず身を引く。

「オレものことは知ってるよ。監査部で真面目に働くこと2年、とうとう査長にまで上り詰めた人で、監査部の窓口はかなりの確率で、誰が来ても親切に対応してくれるから頼りにされてる」

そして神は言いながら長机の上に置いてあるの指先に触れてきた。

「それってっていう人の、どのくらいを占める要素なの? それがっていう人間の全て?」

は全身が硬直してしまって身動きが出来なかった。指先の違和感はしかし触れている場所だけほんのりと温かくて、余計に神経が集中してしまう。だから他の感覚が鈍い。手のひらやつま先が痺れてしまって感覚を失ってしまったように感じる。

「オレも信頼してるよ。この間新しく同好会申請したっていう女子が、にすごく親切にしてもらった、ってすごく喜んでた。今年の査長は、はそういう人だってみんな思ってる。なのにおかしくない? オレは門前払い?」

神の指は、爪の先での指先を引っ掻くようにして離れた。途端にの身体は感覚を取り戻し、思わず大きく息を吸い込む。

「同好会の、申請は、何も問題がないから」
「ふぅん、じゃあオレの要望は問題あるっていうの」
「そのくらい、わかるでしょ」
「検討もしないで頭から押さえつけられるようなこととは思わないよ。理不尽だ」

あまり真剣に相手をすると疲弊するだけだが、神が引き下がらないのではまたため息をつく。

「各部が生徒会の傘下から外れるという要望は検討の余地がない、というのが生徒会の意見だから」
「生徒会の下から出てはならない理由は?」
「もう散々説明してきたと思うけど……

はまた全部繰り返す。神は黙って聞いているけれど、会長の言うように、そんなことは神なら全部わかっていたことだろうに……と喋る唇が重くなっていくのを感じていた。

「今が説明したことは全部――
「過去に起こったことを懸念してるだけ、っていうんでしょ。もう繰り返さないはずだ、っていう」
「それじゃダメなのか?」
「過去の過ちを繰り返さないために出来たシステムを崩すほどのメリットが見出せない以上はね」

そういう前提で出来上がったのが生徒会そのものなのだし、それを押してシステムを変えてしまうのは本末転倒もいいところだ。だとしたら生徒会の在り方そのものを変えてしまい、全てをひっくり返すしかない。それはもう生徒会の役割の範疇を超えている。だから校長室に行けというのに。

「校長には話したことないの?」
……一度、軽く」
「なんて言ってた?」
「検討の余地はゼロじゃないけど、現実的ではない」
「私も、そう思うよ」

は先日カップルでやって来たふたりに見せた資料を広げて差し出した。

「男子バスケ部、全クラブ中で1番たくさんの予算使ってる。基本予算だけで一番少ないボードゲーム部の100倍。去年県大会でベスト8に入った女子バレー部の10倍。これでも足りない? 生徒会は毎年インターハイ常連の男バスは最低でもこのくらいなきゃダメなんだ、って判断してるよ」

だが、神は納得出来ないようだ。

「つまり最低限、ということだよね。というか予算だけの話じゃないんだ。の言う通り海南は毎年インターハイに出てるけど優勝経験はない。去年はその優勝に1番近いチームだったはずだけど、届かなかった。それを優勝に押し上げるために、あらゆる可能性を試したいんだよ」

その理屈はわからないでもない。神の思いもわかる。だが、は首を振る。

「それでも、スポーツ強豪校を推してる学校側が『バスケ部だけもっと特別扱いしましょう』と言い出さない以上、今バスケ部への支援は充分に行われてるということじゃないの? 優勝が欲しいのは神だけじゃないくて、学校だって喉から手が出るほど欲しいものだと思うけど、神が考えるような特別扱いをしないってことは、後はもう神たちの努力しかないんじゃないの? それだって県立よりは色んなこと出来てるはずだよね?」

それでなくとも神の要望は校長の言うように現実的ではない。だからはいくらでも反論が出来るし、神は黙り込んでしまう。

「ねえ、神、生徒会から外れても、実際にプレイするのは神たちなんだよ。可能性を試したいって言うけど、何をしても優勝が確実になる保証なんてどこにもないし、神がこれまでやって来たような、日々の努力に勝る可能性はないんじゃないのかな」

これは個人の意見ではなくて、広義では運動部全体の指針でもある。そもそも附属高校のスポーツ強豪校への足がかりとなったのは「時間があるからたくさん練習できる」という単純な理由があったからだ。今でも強い部ほど地道な鍛錬を欠かさない。神たち男子バスケットボール部がまさにそれだ。

……それを十数年やって来て、まだ優勝できないんだよ」
「そりゃあ、全国のバスケ部もみんなそう思ってるんじゃないの」
「だとしたら日々の努力なんか可能性でもなんでもないよ。そんなこと誰でもやってる」

今度はが黙った。事実インターハイで優勝できるチームはひとつしかないが、その他のチームが努力を怠ったかと言われれば、そんなことはあるわけがない。インターハイに出場している時点で既に大変な努力を重ねてきている。

が言葉に詰まったのを確かめると、神はやっと腰を上げて立ち上がった。資料を閉じての前にそっと置き、バッグを担ぐ。

も知ってるように、オレたちは毎日出来る限りの努力をずっと続けてる。それが出来ない部員はやめて行くし、実際神奈川では負けることはない。だからあと少し、優勝までチームの背中を押せる可能性を模索したいんだよ。自信になることなら何でも吸収したい」

そして一歩下がると、の目をひたと見つめた神は冷たい声を出した。

「それをは妨害してる。応援してくれてると、思ってたのに」

呆気に取られて何も言い返せない、神はそのまま踵を返して出ていった。

しん、と静まり返る監査部。はたっぷり数分呆然とすると、音を立ててため息をつき、椅子にぐったりともたれた。絶対に生徒会の判断は破綻していないという思い込みがあったのだろうか、何を言われても反論できると思ったのに、最後の最後で言い返せなかった。

だけでなく附属高校の生徒なら誰でも、男子バスケットボール部がその実績を作ったのは日々の努力の賜物だと知っているからだ。毎年練習がキツすぎて何人もやめていく。中学時代の貯金がまったく役に立たない。インターハイ出場は当たり前。それは本当によく知っている。

神はつまり、もう個人の努力だけでは限界だと訴えているのだ。

そう考えると彼の言う「可能性」という言葉がまた違う意味を持つ気がしてきた。

これは自分ひとりの判断で対応していっていいものだろうか……そんな疑問が渦巻き、は考えるのをやめた。生徒会みんなの意見が聞きたい。ひとつのクラブだけ特別扱いは許さないという前提はあるけれど、神の訴えはひとつの意見として受け取る必要があるように感じた。

それと同時にの中ではふたつの感情がせめぎ合っていた。

怒りと悲しみだ。

最後は言い返せなかったけれど、これまで生徒会はどんな部活でも応援してきた。すべての部が良い結果を残せればそれに越したことはないと思う。そのために自分も2年頑張ってきた。なのに、あんな言い方をされるなんて。査長の権限で横暴してるみたいな言い方、ひどいと思う。

神がそんなこと言う人だったとは思いたくない悲しみと、現実に言われてしまった怒り。

だが、それは神の中でも同じことだった。

少しばかりエキサイティングなトピックでしかなかった生徒会と男子バスケットボール部の対立はこうして、「査長のと男バス主将の神がバトってる」とその姿を変え、好奇の目に晒されることになった。いつしか派も神派も声を潜め、ただその成り行きを覗き見るだけになってしまった。

神の主張が通って生徒会と部活の関係性が根底から覆されるのか、長年の試行錯誤の末に築き上げられた生徒会のシステムを守り通すのか。

殆どの人々にとってそれは、他人事のはずだった。神のように切実な訴えもなければ、のように責任を持って守らねばならないものもなかったからだ。だというのに、自身の立場によりけり派だの神派だのという騒ぎに発展した。

そういう無責任な人々の作り出す「雰囲気」にも背中を押されてしまったか、以来と神は「対立している」という看板を背負って歩くことになってしまった。それを訂正できないほどには相手の頑固さに腹も立てていた。

どうしてわかってくれないんだろう。

ふたりは口を揃えてそう言い、ため息をつくのだった。