地上のステラ

12

を肩に担いだまま牧はどんどん歩いて行き、ファッションビルのイルミネーションパークの片隅あたりで突然下ろした。イルミネーショントピアリーがいくつも立っていて、時間も早いせいか人が多い割に出入りが激しく、目立たない。すっかり日の落ちた12月の夜にイルミネーションが美しく明滅している。

驚きすぎたせいでは足元が覚束なくなっていて、下ろされたと同時によろめて牧にしがみついた。

「だいぶ寒くなってきたな、ほら」

牧は腕に抱えていたのジャンパーを肩に掛けてやる。

「どういうこと、牧、一体どうなってるの」
「最後の頼み、聞いてくれるんだろ?」
「それはいいけど、何であんなことしたの、監督も、先生もいっぱいいたのに」
「もう引退なんだし、気にしないさ」
「わけわかんないよ、牧、何がしたいの……!」

じわじわと涙目になっていくの目に、イルミネーションの光が反射してキラキラと輝いている。

「神くんとデビーも噛んでるの? こんなこと、今まで――
「一番高いところには届かなかったけど、オレ、3年間頑張ったろ」
――はい?」
「だから最後の頼み、聞いて欲しいんだ。いいって言ったよな」

正しくは頷いただけだが、には牧の頼みを断るという概念がない。ダウンジャケットにつかまってしがみついているの頬に触れて、牧は天使のや神もかくあるかと言わんばかりに優しく微笑んだ。

「今日はもうマネージャーのことは忘れて、ずっと一緒にいて欲しい」

あまりに超展開が続いたせいか、完全に許容量を超えてしまったは無表情のまま右目から一筋の涙を零した。その涙を牧は親指で払い、ぼさぼさのの頭を引き寄せると柔らかく抱き締める。

「今日だけでもいいから、オレのことだけ、見ててくれないか」
「ま、牧――
「もうお前があんな風にこき使われてるの、耐えられないんだよ」

体を離した牧は、肩からずり落ちそうになっているのジャンパーを両手に取ると、ばさりと頭から掛ける。そして、首元を引き寄せて顔を近付けた。暗く影の落ちたの頬にイルミネーションの明滅が踊る。

……のこと、好きだから」
「ま――――

が名を呼ぶより早く、牧は唇を押し付けた。

も牧も、辺りを取り巻く音という音が遠くに行ってしまった様な、そんな錯覚を覚えた。さっきまでうるさいほどだったマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」がほとんど聞こえない。その代わりに、が掴んでいる牧のダウンジャケットが立てるかさりとした音がやけに響いてくる。

「たぶん、ずっと好きだったんだ。そう思わないようにしてただけで」

頭からジャンパーでくるまれているごと牧は抱き締める。徐々に喧騒が戻ってくる。

「それに……引退して、主将とマネージャーじゃなくなったら、オレたち何になるんだ?」
「牧――
「引退したらクラスメイトで、卒業したら、それっきりか?」
「そ、そんなこと――

が顔を上げたので、牧は腕を緩めるとまた顔を近付けた。は目も頬も真っ赤だった。

……彼氏と彼女じゃ、ダメか?」

さすがに照れくさかった牧だが、はものすごい勢いで顔を横に振った。

「ダメ、じゃない、けど、私、私じゃ」
「そんなのお互い様だろ。が諸星の方がいいって言うならオレは我慢するよ」
「そんなこと言わないよ! ……言わないよ、牧より大ちゃんがいいなんて、そんなこと、絶対ない、よ」
「じゃあオレでいいってことか?」

もう鼻の頭まで赤いは、小さく2回頷く。その言葉に笑み崩れた牧は、また静かにキスをして、そしてジャンパーでくるんだままのをぎゅうっと抱き締めた。イルミネーションの光が踊る夜の街で、ふたりは静かに佇んでいた。

「頼みって、一緒にってええと――
「それはこれから。実はさんにもちょっと協力してもらってて」
「兄ちゃん?」

イルミネーションパークの片隅で、にんまりと笑う牧には怪訝そうな顔をした。

「今の彼女のお姉さんだって言ってたかな? 何か貸しがあるらしくてさ」
「全く話が見えないんだけど」
「そうだな。じゃあ行こうか。5階だ」
「えっ」

やっと落ち着いたばかりのは、牧に手を引かれて目の前のビルの中に引き摺られて行った。このビルは近くの百貨店から地下で繋がる7階建てになっており、全館レディースファッション・化粧品雑貨もしくは飲食店という典型的なファッションビルであった。

染めたように日焼けした隆々たる体格の牧が死ぬほど似合わないフロアが延々続くのである。

「ちょ、こんなところ入って何するっていうの、ねえ、牧!」
「5階5階」
「5階に何があるっていうのー!」

しかも今日はクリスマスで店内はセール中である。着飾った女性で溢れかえるフロアを抜け、牧はを引き摺って行く。エスカレーターを乗り継ぎ、5階に到着した牧は、フロアマップで確認するときょろきょろしながら歩き出した。そして、フロアの奥にある店の前で足を止めた。

「ここだここ」
「ここがどうかした――
「すみません、先ほどさんからご紹介頂きました牧といいますが」

うろたえるを他所に、牧はレジカウンターの中にいたショップ店員に会釈して話しかけた。またも眼前で繰り広げられる超展開にはいっそ恐怖の表情を浮かべている。さんからご紹介って。女性店員は長身で赤みの強い茶に髪を染めた強烈な美女だった。

「あっ、ちゃんから聞いてるよ〜! この子?」
「お願いできますか」
「おっけー! ちゃんには世話になってるからね、任せといて」
「ね、ねえ、何が起こるの……

まばゆい美しさの店員と牧は、小動物のように震えているを見ると、にやりと笑う。

「確かにクリスマスにこれはないわー。ちゃんの従妹だって?」
「そうです」
「素材はいいはずなのにもったいないね。さあ、じゃあ時間もないし、着替えよっか!」
「はい!?」

しなやかな両手を広げた店員に突き出されたは、そのままフィッティングルームへと押し込まれた。なぜか店員のお姉さんも着いてくる。

「あ、あの、どうなってるんですか、私、あの」
「彼氏かっこいいじゃん。ちゃんも美形だけど、それとはまた違っていいね」

お姉さんは口をあわあわさせているの服を剥ぎ取っていく。

「んー、やっぱちゃんに似てるねえ。ほらこれ着て。もったいないよ、こんなドスッピンでさ」

お姉さんは鮮やかな手際でを丸裸にすると、なんと下着から全て取り替えさせた。そしてこの店内では扱っていないと思われるアイテムも含め、全身丸ごと着替えさせてしまった。あれよあれよという間に、はアンバーホワイトのワンピースにファー付きのショートコートという姿になっていた。

「ま、ちゃんの指示だからだいぶガーリーだけど、うんうん、悪くないねえ」
「兄の指示って……
ちゃんて割と少女趣味だよね。可憐な女の子好きって言うか」

確かに天使のは正体が悪魔なせいか、女の子はピュアで愛嬌のある子が大変好みだ。だがそんなことはどうでもいいのだ。は鏡に映る自分が虚像のように感じられて、少し気持ち悪い。一体何が起こってるというのだ。私はこんな服を着させられて何をするというのだ。

「おっけー、とりあえずオープーン! じゃーん!」

楽しそうなお姉さんがフィッティングルームのカーテンを勢いよく引く。その真ん前に、牧がいた。

「服だけだけど、かっわいいでしょー、ってちょっとねえ何固まってんの……

はもちろん、その装いを見た牧もその場で固まってしまった。お姉さんが牧を突っつく。

「こういう時は男の方がなんか言ってやらないと」
「あ、そ、そうですね……か、可愛いよ

牧も充分恥ずかしいのだけれど、の方は見る間に顔が真っ赤になっていく。

「おー、ちゃんていうのね。ちゃん、超可愛いから自信持って!」
「それであの――
「あ、うん連絡しておいたよ。いつでもいいって言ってたから、このまま行ったらどう?」
「そうします。お世話になりました」
「いいっていいって。じゃお会計お願いしまーす。あ、彼女の服はここに纏めておいたからね。靴も!」

色んな意味でショックなはフィッティングルームの前で呆然としていたが、牧とお姉さんのやり取りに覚醒、猛然と牧の腕に掴みかかってきた。

「ちょ、なんで牧がお金払ってるの!」
「いいからいいから。最後の頼み、聞いてくれるんだろ」

この店での会計とは別に、やはり下着類などはこのお姉さんが揃えておいてくれたようで、その代金を含め牧は3万近くをカウンターに差し出した。はそれだけで目が回りそうになっている。バスケットばかりでバイトなどする暇もない牧がなぜこんな大金を持っていて、なおかつ自分が着ている服の支払いをしているのか。

「わけがわかんないよ……
「まあもう少しだ。それにパーティで働いてるよりは楽だろうが」
ちゃん、こういう時、女の子は『ありがとう』って言ってにっこり笑ってればいいんだよ」
「お姉さんの言う通りだぞ」

もはや突っ込む気力もないは、牧に手を引かれて店を出る。お姉さんにぺこりと頭を下げて、またファッションビルの中を下へと降りていく。は、エスカレーターの両側にある鏡に映る自分と牧の姿が不思議で仕方ない。しかもなんだかちょっといい感じのカップルに見えてきた。

そして今度はファッションビルの裏手の通りに出ると、すぐ近くにある美容室に連れて行かれた。牧は今度は先ほどの店の名を言って、店長らしき男性に会釈した。オールバックに髭の店長は再度呆然としているの肩を押して鏡の前に座らせた。

またもが口を挟む暇もなく、化粧が施され、髪が整えられていく。店長に呼ばれたネイルのスタッフが両手をオイルマッサージして、爪の形を整える。普段美容室で髪を切ることはあっても、こんな風にスタイリングしてもらうことのないは目を白黒させている。

「うーん、あんまり濃くすると悲惨なことになりそうね。服もガーリーだしちょっとあざとく……
「店長、ピュアにしろって言われたでしょ」
「ピュアな振りしてあざとさが匂うくらいがいいんだって! わかってないな」

少々女性らしい店長は体をくねらせつつも、手捌きは確かなようで、はぼさぼさ頭の真っ赤な顔から、すっきりと可愛らしく整えられていく。

「はいっ、出来上がり! どうよ、こんなんで」

椅子がくるりと回転して、は膝に手を置いた状態で牧と対面した。また牧は固まっている。

「おお、気に入ったみたいね」
「店長、お会計済んでます」
「えっ、またですか!?」
「あのね、男が金出すって言ってんだから、あんまりゴチャゴチャ言わないの」

それ以前に高校生だとは反論したかったが、牧が嬉しそうに微笑んでいるので何も言えなかった。

結局、牧の金で全身をすっかりきれいにしてもらったは手を引かれて美容室を出た。12月の冷たい風が吹き付けるが、混乱続きのは顔がずっと熱くて、頬が冷えるのが気持ちいい。

「ねえ牧、そろそろ――
「じゃあどこか入ろう。お前何も食べてないだろ」

とはいえクリスマスの夜である。その辺のファミレスですら人で溢れかえっている。仕方なくふたりは回転の速そうなカフェに並び、は昼以来の食事にありついた。泣いたり興奮したりですっかり喉が渇いていて、水を2杯も一気飲みしてしまった。

「ねえ牧、一体これは……
「デート」
……は?」

パーティの方である程度食べてきたという牧は渇いた喉にアイスティーを流し込むと、にっこりと笑った。

「だから、主将とマネージャーである間の最後の頼み。可愛く装ってデートしてもらおうと思って」
「それが頼みなの?」
「そう。ちょっと時間かかったけど、まあまだ21時だし。国体の時は邪魔が入ったからな」
「ああ、うん、そうだったね……
「パーティの方は神に、服だの髪だのはさんに頼んだんだ。何とかしてくれって」
「正しい人選だね」

やっとも笑った。だが、美容室の店長がなんと言おうと金のことはうやむやに出来ない。

「実はさ、オレ、スポンサーがいるんだよ」
「えっ、いつの間にそんなものついてたの!? 高校生でスポンサー契約ってすごい」
「ああ、いやそういうのじゃない。ちょっと、個人的なスポンサー」
……パトロン?」
「いや違うから。そんな汚いものを見るような目をするなよ」

波乗りが趣味である牧には、海で知り合ったかなり年の離れた友人がいる。17年前、海南の常勝神話が始まった頃から高校バスケットのファンで、1年生の時に声をかけられたという。湘南地区にいくつも飲食店を持つ実業家だという話だ。あまり堅気の匂いがしない人だったが、海でしか会ったことがないので気にならなかった。

「1試合勝つごとに1万って契約」
「嘘!?」
「さらに点差が10点開くごとに2千円追加。ただし、その人が面白くないプレイをしたら、勝っても5千円」
「それだって高いよ……

なんだか博打の対象にされているような気がして、は少し呆れた。

「まあ、逗子にクルーザー2艘持ってて、波乗りしに来るのにスーパーカーで来るような人だからな」
「ああ、ちょっと次元が違うのね……
「気分次第でもっと押し付けてくることもあるし、それが3年分だから、けっこう貯まってたんだ」
「だからってこんなことに使わなくたって」

自分で自分のために使えばいいのに、とは口を尖らせた。牧は苦笑いで頬杖を付く。

「最初はそんな金いらないって断ったんだ。だけど、人の期待に応えることを覚えろって押し切られてさ。それで、じゃあ学費に充てるって言ったらまた怒られた。オレがクールなプレイに払うのは金じゃなくてリスペクトの代わりだ、それを学費なんかに使うんじゃねえ、もっと酔狂なことに使え、ってな。頭おかしいだろ」

結構な大人だろうに、ずいぶんとやんちゃな御仁のようだ。は牧のリーゼントはこの人から来ているのではないかと勘繰った。マリーナにクルーザー、スーパーカー、そして波乗りと来ては、どう考えても七三分けのスーツは出てこない。

「国体が終わった後、インターハイのボーナスだって言って、大金を持ってきたんだ」
「はあ」
「貯金なんかするなよって言うから、そこで言ったんだ。好きな女のために使うって」

は思わず口にしたカップからお茶を零した。

「そしたらもう狂喜乱舞だよ。正しい使い方だって言って大喜び」
「そうかなあ……
「だからアレもそうだ、フルーツバー」
「あ! そう、そうだよ、あれどうしたのかと思ったんだよ」

朝の海でマネージャーが高熱を出して倒れたと言ったら、こんなところで波乗ってないでさっさと見舞いに行けと蹴られたという。まだ朝の6時だと反論したが、聞いていないようだった。

「だから金のことは気にしないでくれ。家族にも言えない金だしな」
「全部自分で使えばよかったのに」
「自分でも使ってるし、いいんだよ、正しい使い方なんだから」

見た目に反して堅物の牧にしてはずいぶんとチャラついたエピソードであるが、は部活を離れた場所の彼を垣間見たようで、少し嬉しい。その御仁はあまり気に入らないが、牧を変な世界に誘惑しないなら目を瞑る。

「それで、さっきその人にも連絡したんだ」
「報告?」
「いや、本人は今南半球にいるんだけど、別荘貸してくれって」

北半球の日本は冬、南半球であれば夏。スキーヤーが夏休みに南半球に行くのと同じことだ。

「持ってる別荘も1つや2つじゃないらしいからさ」
「すごいねえ。そんなに持ってたって、使い切れないんじゃないの」
「だから割と簡単に貸してくれたよ。鍵は近くの店にあるから、取りに行けってさ」
「なんかそういう知り合いがいると得だね」

食事を終えたは、紙ナプキンで口元を拭う。牧は一呼吸置いて、言う。

、今夜、そこに泊まろう」

の手から、紙ナプキンがはらりと落ちた。