地上のステラ

05

いくら内部進学や推薦が決まっていると言っても、冬の選抜が終われば3年生は強制的に引退である。しかもこの冬の選抜のスタメンに関しては予選から現2年生が牧を含めて3人になり、新体制への準備が整いつつある。

そのため、区切りとなる冬の選抜が終わるとクリスマスパーティが開催されるのが恒例になっている。と言っても、海南OBが経営している飲食店を借り切って食事をするというだけのもので、監督も顧問も部にゆかりのある教師も来るため、ご飯を食べながらわいわい騒ぐと言う程度のものだ。別名は納会もしくは忘年会。

このパーティは基本的に「選手と教師」の1年を通した打ち上げであり、マネージャーも参加はするが、座っていられるのは3年生だけ。1、2年生は基本的にスタッフ扱いである。この飲食店はOBが家族でやっている店なので、部員全員が押しかけてくると手が足りない。1、2年マネージャーはかなり働かされる。

ということは、がひとりこき使われるということだ。

昨年はまだ3年生にがいたので遠慮する空気があったけれど、今年はそうはいかない。やれ飲み物が足りない皿が足りない料理がなくなった零した落としたまだか遅い――はひとりくるくると立ち働くが、このパーティは毎年夕方18時から22時頃まで続く。

普段部活で忙しく、アルバイトなどしたことがないは当然手際も悪い。その点を2、3年生や教師陣にからかわれ、無礼講の雰囲気に飲まれた1年生にまでああだこうだと言われる始末。しかも、冬の選抜でまた諸星が絡んできたのと従兄ののせいで、3年のマネージャーはへの嫌悪感を隠そうともしなくなった。

国体が終わった頃、天使の方のさんは海南大バスケット部にて天性のおっちょこちょいを発揮、コートで歩き出そうとして転ぶという信じられない理由で足をひどく捻挫。しばらく練習に参加できなくなった彼は居場所をなくして高校のバスケット部に逃げてきた。

ふたりいる3年生マネージャーの片割れは元々このに長く片思いしていたという経緯がある。彼女持ちのまま進学してしまったが戻ってきたのでつい燃え上がったのだが、その彼女とは今も続いているの場合、特別な理由でもない限り従妹のや牧とばかり喋っていて、あまり相手をしてくれなかった。

さらに、冬の選抜では愛和学院を含む各都道府県代表の選手5人に囲まれるという状況に陥ったを目の当たりにして、我慢の限界を超えてしまった。色目を使っただの遊びではないだの、堂々とを叱るようになった。もう牧が間に入ってもやめようとはせず、それはこのパーティでも続いていた。

パーティでこき使われるのは1年生のマネージャーも同じなのだが、彼女たちの場合この1年の間に3年生に篭絡されてしまっているので、を助けようとは思わない上に、そもそもが追いかけてきた同学年の選手以外興味がないので誰に対しても冷たい。結果、選手たちも自然とに甘ったれてしまうのだ。

カウンターに寄りかかって肩で息をしているの背中をそっと擦ったのは、神だった。

「先輩、大丈夫ですか。目が充血してる」
「へ、平気平気。明日も休みだし、ちょっとしたらもう冬休みだもん」
「だからって、先輩ひとりでこんな……

普段の笑顔がすっかり消えて険しい顔をしていた神だが、フロアから飛んでくる呼び声に苛々と腕を組んだ。呼んでいるのが3年生なので断れない。その上、またに飲み物の追加を怒鳴る声がする。とうとう神は舌打ちをしての肩に手を置いた。

「先輩、もう21時過ぎましたから、あと少しです。怪我しないように注意してくださいね」
「ありがと、神くんもがんばって」

心配そうな神の視線を背中に、は気合を入れなおす。この夜、は一切の飲食をせず、座りもせず、約4時間動き回り続けた。そんなを目の端に止めながら、牧は何も出来なかった。次期主将、部の中心、神奈川の頂点。先輩たちが彼を手放すわけがなかったからだ。

パーティがお開きになっても、牧はそのまま先輩たちに引き摺られて二次会へ行ってしまい、どころではなくなってしまった。不本意だけれど、神が送っていってくれることを祈りながら、牧は先輩たちににこにこと笑顔を振りまき続けた。

街のイルミネーションがやけに目に痛かった。

捻挫天使の待望の、牧を主将に置いた新体制がスタートしたのは年が明けて5日目。新生海南練習初日である。とはいえこの日は普段に比べると練習は少なめ。ずいぶん前から決まっているようなものだが、新主将副主将などの挨拶やらミーティングやらで午前中は潰れる。

だが、牧やにとって平穏な部としてのスタートだったはずのこの日、とんでもない事件が起こる。

「は!? 退部!?」
「そうらしいの……

牧はから報告を受けると、だらりと口を開いたまま言葉を失った。1年生のマネージャーがふたりとも退部するという。は今にも泣き出しそうな顔をして俯いている。

、おいあいつら退部って」
「あ、高砂。そう、退部する……てかもうしちゃったみたい」
「どういうことだよ、今頃になって」

2年生が部室の真ん中を使えるようになったので、牧はテレビの前のデッキチェアに座っている。元々は監督の私物で、いつの間にか主将用になった椅子だ。そこに話を聞きつけた高砂が乱入してきた。と牧の間にパイプ椅子を乱暴に置くと、勢いよく腰を下ろした。

「王子が年末で退部してたらしいの」
「だから辞めるってのか?」
「そうみたい……

中学から追っかけの女の子をふたりも引き連れてきた新入生には「王子」というあだ名がついた。だがそんな状況にも関わらず、彼は伸び悩み続け、練習に付いてくるのが精一杯になってきていた。それなのに同学年のマネージャーふたりは彼を崇拝し続けたし、あだ名はずっと王子だった。限界だった。

「神くんに聞いたんだけど、王子もつらかったみたいで」
「まあ、王子の方はそれでもいいけど、急にお前ひとりってのも……
「まあまた4月になればいっぱい入ってくるよ、はい高砂、お茶」

はへらへら笑っているが、現時点でも部員は40人以上いる。そのほぼ全員がに対して遠慮がない上に好きなだけ我侭を言って甘えられると思っている節がある。今もそうだ。高砂はの差し出した暖かいお茶を受け取っても、礼も言わなかった。

もちろんそこに退部した1年や引退した3年のマネージャーたちのような、蔑む気持ちはない。けれど、に世話を焼いてもらってよくしてもらうのが当たり前になっている。の言うように4月になればまた新入生が入ってくるかもしれないが、牧にはそう簡単に習慣が覆るとは思えない。

「そんな簡単な話か? マネージャー志願者は毎年必ずいるものでもないだろう」
「そうなのかなあ。ここ数年はずっといたでしょ」
「だからそれが今年も同じだとは限らないじゃないか」

海南に憧れて入学してくる男子生徒がいるのは間違いないが、女子の場合は断定できるほどではなく、また、例によって県予選が終わる頃までに使い物になるかどうかもわからない。確かにここ十数年女子マネージャーが切れたことはないが、保証などどこにもない。

「かと言って今から募集かけてもねえ」
を見てたら誰もやりたがらないよな」
「ホントだよー!」

と高砂は楽しそうに笑っているが、笑い事じゃないと牧は思う。必要なのはマネージャーの人数ではなくバスケット部自体の意識改革なのではと思うが、それこそ時間も手間もかかる上にひとつ間違えれば重大な亀裂を生みかねない。それを主導するのが例え牧であっても、だ。

これからますますが苦労するのだとわかっているのに、何もできない。そう思うと毎回必ず「別に何もしてやる必要はない、は目を離さないでくれと言っただけ」と心の中で否定する。いいじゃないか、本当にひとりの手に余るようなら監督から指示が出る。そうでないならオレは関係ない。

関係ない、オレは関係ない。――本当に?

それでもまだ2学年体制の間はよかった。人数が一番少ない時期でもあるし、練習試合や遠征が入らない限りはただ毎日練習に励むだけだからだ。突然マネージャーがひとりになってしまっても、何も不都合はなかった。それはこの時期であるということと――

「つまり見えない仕事は全部、先輩がひとりでやってたってことですね」
……そうなるな」

春休みに入ると、体育館は年に一度のメンテナンスが入り始める。丸一日潰れない日はメンテナンスが終わり次第練習だ。この日は体育館の全照明の点検交換が朝から入っており、バスケット部に返されるのは15時以降という話だった。

だが、現在全てのマネージャー業務を請け負っているが、それなら朝から部室の掃除と片付けと洗濯と備品の確認をするというので、牧と神が自主的に付いてきている。当のが洗濯作業中に汚水を被ってシャワールームにいるので、牧と神は雑談に興じている。

が、雑談はなぜかの話になってしまい、牧は少し居心地が悪い。

「この間辞めたふたりもまあ、言いはしませんでしたけど適当でしたもんね」
「知ってたのか?」
「そりゃまあ、同学年なので。彼女たちは王子以外のことはどうでもよかったみたいですし」

神は、自分も辞めていったふたりについてはさらさら興味がないという表情だ。しかし牧はこの神のへの懐きっぷりは単に後輩が先輩を慕うというレベルを超えているのではないかと思い始めていた。

だいたい、が神のシュート練習に付き合う限りは一緒に帰っていることになる。神はシュート練習を休まない。学校がなくても自主的にやっているくらいだから、部活がある日は必ずやって帰る。部活はほぼ毎日ある。とはほぼ毎日一緒に帰っていることになる。特別な感情が芽生えたとしても、おかしくない。

それならそれでいいんじゃないだろうか。牧はそう思い始めていた。上下にいた不純な動機タイプはどちらもいなくなった。主将は牧になり、も最上級生になる。マネージャーとしての仕事量が多いことはともかくとしても、もうが心配するような状況ではないのではないだろうか。

自分が目をかけなくても、神がいればいいじゃないか。仲もいいようだし。きっと大事にしてくれるに違いない。

「新入生に有能なマネージャーが入ることを期待するしかないな」
……また変なのだったら困りますよ」

元々長身だった神は既に牧の背丈を追い越している。だが、並んで座った神に下から見下ろされた気がして、牧は指先をぴくりと震わせた。なんでこいつはこんな顔をしているんだ。がそんなに気になるなら早く付き合うでもなんでもすりゃあいいだろうに、と乱暴に考える。

「まあ、そりゃそうだろうけど、どうにもならんだろうが。その辺は運だ」
……クリスマスの時、先輩大変だったんですよ」
……何?」

新しいマネージャーの話をしていたはずなのに、なぜそこにクリスマスの話が出てくる。牧はもう不快な顔を隠さなかった。しかし神は表情を変えない。挑むような目つきで牧を見ていた。

「去年のクリスマスです。先輩、ボロボロになってました」
「そうだったな。お前が送って行ってくれたんだろ」
さんが駅まで来てくれたので、そこまで送りました。――おぶって」
「え?」

驚いてつい声を上げた牧に、神も不快そうに眉を寄せる。

「先輩、あの騒ぎの中で一適の水も飲まずにいたんですよ。皆さんが帰った後に眩暈を起こして倒れました」
「倒れ……そんな話オレは――
「店から駅まで行く間に、半泣きの先輩が何度も言うんです『牧に言わないで』って」

視線を外した神の横顔は厳しさを帯びて、尖った金属のように見える。

「牧さんがこんなこと知ったら心配するから、絶対に言わないでくれと約束させられました。選抜の前も諸星さんがしつこくて凹んでたんですよ。それも言うなって。牧さんには余計なことを考えないでバスケしてて欲しいって」

膝に肘を付き、顎を手に乗せた神が喋る度に頭ががくがくと動く。尖った金属が一転、目を細めて呆れた顔になる。神の表情からは、彼が何を言いたいのか読み取ることができない。牧はまだデッキチェアに深く座ったまま、黙って神を見つめていた。

……牧が100パーセントのバスケできるように、私は何でもやりたいと思ってるの」

問いただすまでもなく、それはの言葉だ。

「牧さん、先輩のこと、どう思ってるんですか」
「なん……
「オレはてっきり、牧さんも先輩のことすごく大事に思ってるんだろうって考えてたんですけど」

体を起こした神は普段どおりの優しい顔になっていた。途端に牧は不愉快な気分になってきた。何でこんなことを後輩に言われなきゃならないんだ。例えばどんな感情が牧にあったのだとしても、神に言われる筋合いはないじゃないか。お前、何が言いたい。

「お前こそのこと好きなんじゃないのか? オレは何も――

少しからかうような口調で余裕を持って言った牧だったが、神はまた金属のような冷たい目になった。

「オレは先輩、牧さんも先輩もふたりとも尊敬してるんです。茶化さないでください」
「茶化すって、いやお前が何を言いたいのかわからん」
……これじゃあんまり先輩が報われないので、少し腹立たしいんです」
「お、おいおい」

神の言いたいことがあまりよく見えてこなくて、牧は混乱してきた。

「去年海南に入ってきて、牧さんと先輩を見た時、すごくいい感じのカップルがいるんだなと思いました。心から信頼し合ってる、そんな感じがして、少し羨ましく思ったんです。しかも牧さんはトッププレイヤー、先輩は敏腕マネージャー。ベストパートナーって感じがして、単純に憧れました」

神の言う時期は、おそらく牧がと上下のマネージャーの関係に一番気を使っていた頃だ。そして結局その牧の気遣いが決定打になってが孤立し始めた時期でもある。

「ところが、ふたりは付き合ってないっていう。最初は、公然の秘密なのかと思ってました。でもどうも違う。本当に付き合ってないらしい。……とても信じられなくて。インターハイに行けば牧さんは先輩に絡んでくるナンパを邪魔しまくってたし、どうにもよくわからなくなってきて」

それは無理もない。牧自身もよくわからなくなり始めた時期に重なる。

「だからシュート練習終わった後とか、よく話をしました。半分くらいは牧さんの話なんですよ」

神はやっと微笑んだ。にっこりと笑って、そしてまた目を逸らした。

「国体の時、諸星さんを追い払おうと思って牧さんに先輩を押し付けました。その時、牧さんが先輩の手をすぐに取ったのを見て、ああやっぱりと思ったんですけどね。先輩はいつも牧さんのために全力で色んなものと戦ってる。なのに、有能な新人が入ればいいだなんて……

それが地雷だったようだ。

「海南の中心は牧さんです。だけど、海南を支えているのは先輩ひとりです。牧さん、わかってますか」

いっそ泣き出しそうな顔をした神に、牧はまた何も言い返せなかった。