地上のステラ

11

冬の選抜が終わったので、例年通り海南OBの店でクリスマスパーティが開催される。基本的には無礼講、飲み放題食べ放題、ただし未成年は当然アルコール厳禁。監督始め、海南の教師が何人もいるので間違ってもアルコールは摂取してはならない。先生たちの首が飛ぶ。

この年は長い海南バスケット部の歴史の中でも最高位を叩き出した年であり、またその功労者である牧が引退間近ということで、時間が長めに設定されていた。誰も彼もが牧とじっくり話をしたいのだろう。

平年通りなら18時からというところだが、なんと2時間も早まって16時からになった。

ひとりで行かせると何をしでかすかわからないから、と牧はと待ち合わせをして一緒に行くことにしていた。今年は断固として席に着かせておきたかったのだ。本来なら座って後輩と話をしたり教師に労いの言葉をかけてもらえる3年生なのだ。いい加減海南バスケット部は離れをしなくてはならない。

待ち合わせをしたのは、近隣地域では一番大きな駅のロータリーである。バスターミナルに直結したロータリーからまっすぐにメインストリートが伸びていて、両側の沿道にはありとあらゆる商業施設がひしめいている。今は季節柄クリスマスイルミネーションだらけのロータリーで牧はを待っていた。

今年は働こうと思うな、マネージャーという立場は忘れろ、と事前に神とふたりでさんざん言い含めておいた。国体の時のように少しおしゃれもして、パーティを楽しんで欲しかった。――が、それでが大人しく従うようなら神は苦労しない。

「わー、遅れてごめんねえ」
「お前なあ、なんだよその格好」
「えっ、おかしい!?」

牧は待ち合わせ場所に現れたを見るなり、がっくりと肩を落とした。はジーンズにパーカー、スニーカー、そして髪はざっくりと纏められていて、完全にスタッフ仕様だ。アウターが部活でも使っているジャンパーだと気付いた牧は少し苛ついてしまった。

「今日はもう何もするなって言っただろ。やる気満々じゃねえか」
「言われたけど……元々今日はマネージャー関係ない日なんだよ」
「いつからそんな決まりが出来たんだ」

一応の名目が「指導者と選手」の集まりなのは事実だが、これまでも3年間務め上げたマネージャーは奉公を免れて席に着いていたのに。普段見慣れない可愛い私服で現れ、後輩から「先輩お疲れっした」とか「引退寂しいっす」とか、場合によっては「ずっと好きでした」とか言われて騒ぐことが出来る日なのに。

「それにほら、今私しかマネージャーいないんだし」
「それならなおさらじゃないか。ひとり手が増えたところで何も変わらないだろ」
「確かにあんまり手際はよくないけど、部員の把握は出来てるんだし」
、もう部員たちもお前に甘えられないってことを覚えないと」
「み、みんな甘えてなんかいないよ、そんなこと――

つい言い合いをしてしまったふたりを、道行く人々が白い目で見ていく。今日はクリスマスだというのに、こんな往来で痴話喧嘩かよ――そんな囁き声も聞こえる。

牧はぶすくれているの手を掴むと、店の方に向かって歩き出した。

クリスマスイルミネーションがちらちらと明滅して、薄暗くなり始めた街を彩る。街中にクリスマスソングが溢れる中を、牧はの手を引いて歩いていく。も、引っ張られるままに着いて行く。何も喋らなかった。顔も見なかった。ふたりともお互いに対して「どうしてわかってくれないのだろう」と思っていた。

さん、なんですかそれ」
「神くんまでそんなこと言うの」
「言いますよ。国体の時みたいにおしゃれしてくればいいのに。部員だって一応服には気を使って来るんですよ」

ドレスコードがあるわけではないけれど、あまり汚い格好でやってくるとひんしゅくを買う習慣になっている。着飾らなくてもいいが、監督や先生たちと同席するのに失礼のない服装が求められる。ただし、1・2年生マネージャーは例外である。強制労働要員なので、こちらは3年生以外が着飾ってくると怒られる習慣となっている。

店に入るなり捕まった牧に代わり、神がの正面で仁王立ちになっている。

「神くんも今日かっこいいね。モデルみたい」
「また話をすり替える」
「そんな風に言わないでよ、私は――
「おーい、これ持っていってくれ!」

厳しい顔をした神の後ろから、海南バスケット部OBであるこの店のオーナーがを呼んだ。も3年目であり、過去2年間は目を回して倒れるほど働いた実績があるので、何も考えずに声をかけたのだろう。

「えっ、先輩はもう――
「はい、今行きます!」
「先輩! いい加減にしてください!」

ジャンパーを脱ぐと荷物と一緒にカウンターの端に纏めたの腕を、神が掴む。

「先輩は奴隷じゃないんですよ。マネージャーでも仲間です。わかってますか」
「それは嬉しいけど……
「おだててるわけじゃない。先輩もそれを自覚してないというんです」
「自覚って――
「先輩がいつまでもそうだから、オレたちはどんどんわがままになっていくんです」
「私のせいだって言うの」
「半分くらいはそうです。先輩が突き放さない限り、これが終わらないんですよ!」

もう神も遠慮しなかった。が文句ひとつ言わずに部員たちを甘やかすから、バスケット部員たちはどんどんわがままになっていく。やってもらってあたりまえ、には何をやらせてもいい、マネージャーだから。

「だから新しいマネージャーが入ってこないんですよ。わかってますか?」
「嘘、そんなこと――
「2年生が何人か勧誘したんです。実際に見学に来ました。先輩を見てみんな尻込みして帰っていきました」

なんかマネージャーって部員より忙しいみたいだし、着いていける自信ないよ――

「言わないつもりでいました。先輩の努力を侮辱するようでいやだったから。だけど――
、これ監督んとこ持っていってくれ!」
「おい、神! 何やってんだ、次期主将、早く来い!!」

両側からそう声をかけられたのを機に、は神の手を振り解いてキッチンへ飛び込んだ。神も腕を引かれて牧の隣に押し込められてしまった。隣で顧問の先生に思い出話をされている牧は、隙を見て神の膝を叩く。

「すまん、オレも言ったんだが」
「いえ、そうじゃありません。もうここまで来たら悪いのは先輩です」
「ははは、ほんとにな。ちっとも言うこと聞きゃしねえ」

監督の前に料理を運んできたは、牧や神の方を見ずに戻っていく。その背中に、何が足りないだのどれが欲しいだのと声がかかる。どの部員も楽しそうに笑っていて、を呼ぶ声も明るくて、悪気など欠片もない。だが、悪気がない、というのは悪意があるより悪質だ。

「だから神、ちょっと頼めないか。……最後の頼みだ」

きょとんとした顔で牧の横顔を見ていた神は、最後という言葉に頬を強張らせたけれど、静かに頷いた。

……卒業しても、おふたりに会いたいです。それが条件です」
「そんなことでいいのかよ。欲のないやつだな」

牧も少しだけ寂しそうに笑って、そして神に何やらこそこそと耳打ちをした。

クリスマスパーティという名の宴会が始まってから、約1時間半が経過しようとしていた。はひとりでキッチンと座敷やテーブルを往復し続けている。牧と神に怒られたのがショックだったは、昨年の失態を繰り返さないために水をもらい、キッチンに入ってはそれを飲みつつ働いていた。

さすがに海南で3年間マネージャーを務め上げただけのことはあって、まだ疲労は感じない。それに、今年は制止を振り切ってデビーが手を貸してくれている。たまに引き戻されるが、隙を見ては手伝ってくれている。

だが、18時が近付いてきたあたりで、なんと1年から3年前のOBがやって来た。海南史上最高位の功労者である牧と話がしたかったのだという。ただでさえ人数が多い集まりに10人近く増員が出て、は回転速度が上がる。先代、先々代ならもよく知っているし、ということは彼らもに対して遠慮がない。

後になって振り返ってみると、そこから30分ばかりの間のことは、記憶がなかった。

そうして18時が過ぎた。OBの乱入で宴席は落ち着く様子もなく、キッチンも戦争のようだった。本来なら監督や先生たちの分の酒があれば間に合うところ、予定外のOBのせいで酒切れとなってしまい、キッチンスタッフが仕入れに出かける始末だった。

空になってしまった樽が足元に転がるビールサーバーを前に、は水を飲んでいた。冷蔵庫の中のミネラルウォーターを飲んでもいいということだったが、わざわざペットボトルを出してミネラルウォーターを注ぐ暇もなかった。は洗い場の水道水をごくごく飲んでいる。

そのの手を、後ろから誰かが引いた。

「あれ、牧、どうしたの。何か足りない?」

実は酒と一緒にマヨネーズも切れてしまったので、それは少し待って欲しいと考えていたは、牧に手を引かれてキッチンを出た。片手に水道水の入ったサワーグラスを持ったまま、はキッチンとフロアを繋ぐ狭い通路に引きずり出された。

……ああ、足んないな。が足りない」
「ちょっと何言ってるの、まさかお酒飲んでないよね……ってあれどうしたのそれ」

カウンターの隅にグラスを置いたは、牧の姿を見て目を丸くした。待ち合わせた時と同じ格好になっていたからだ。深いボルドーブラウンのダウンジャケットを着込んでいる。店の中は熱気で半袖でもいいくらい暖かいのに。清田など1時間前から半袖なのに。

、頼みたいことがある」
「どうしたの、何があったの」
「もう引退だからな。最後の頼み、聞いてくれるか」

わけがわからないけれど、優しい牧の笑顔に、は何も考えず頷いた。聞かないという選択肢はない。

「そうか、よかった。じゃ――
「えっ――

ドンちゃん騒ぎ状態の店内に、の悲鳴が響き渡る。元々店内に女性はを含めて数人しかいない。何事かと一瞬で静まり返る店内に、を肩に担いだ牧がすたすたと戻ってきた。突然のことにはパニックを起こしてバタバタ暴れている。そしてそれを見ていた全員は唖然としている。

「牧さん!」
「おう、ありがとな」

幸せそうな笑顔の神が、牧にの荷物を手渡す。牧は暴れるお構いなしで店の入り口まで行くと、くるりと振り返ってぺこりと頭を下げた。

「突然申し訳ありませんが、お先に失礼させて頂きます。あと、これをちょっと借りていきます」
「ちょ、ちょっと牧、何言ってるの、今日は――
「一通り皆さんとお話が出来て嬉しかったです。ありがとうございました」

彼にしてはよく出来た作り笑いで、牧は監督先生OB一同に会釈をする。そして、後輩たちを指差す。

「お前らはまだ引退まで数日あるんだから、何かあれば個人的に来い」
「牧さん、お疲れ様でした。先輩も、3年間お疲れ様でした!」

声を張り上げた神に、は言葉を失う。

「姉ちゃんお疲れ! あとは1年がやるから気にするな!」

待ってましたとばかりに叫んだデビーの言葉に1年生が身を竦めるが、もう数日で主将になる神がにっこりと笑ってサムアップをするので、1年生は文句を言えなかった。牧はその様子に来期の海南バスケット部内勢力図を見た気がして頬が緩む。

まだ何も言えずに固まっている店内を一瞥した牧は、同じく固まっているを肩に担いだまま店を出てしまった。本日貸切のプレートが下がる自動ドアが閉まると、店内は阿鼻叫喚に包まれた。

「神さんアレ、牧さんが? 姉ちゃんに内緒で?」
「そう。とりあえずお前たちは後で機会があるから、監督や先生OB全員と話を済ませたいって言ってね」

牧にそう頼まれた神は、先生やOBに漏れがないように話を振ったり移動してみたりして、部員以外全員が、牧とちゃんと話をしたという状況を作った。これでまだ話してないぞ、といちゃもんをつけられることがなくなったわけだ。デビーは満足そうに何度も頷いた。

「オレも言ったんすよー。姉ちゃんやりすぎだって」
「もうこうでもしないとわかってもらえなかっただろうな」

しみじみと頷きあっていた神とデビーの元に、1年生が恐る恐る寄ってくる。せっかく楽しく騒いでいたのに、今更皿洗いだのドリンク運びだの、やりたくない。なんで先輩連れて行かれちゃったんだよ。

「なあデビー本気で……
「下っ端なんだから当たり前だろ! だいたい箸や皿くらい自分で取りに行けよ」
「先生や先輩たちのお相手はオレらの仕事なんだから、お前たちもできることはやれよ」
「神さんまで――
「オレは一度もマネージャーにそんな風に接したことないからな」

思わぬ展開に盛り上がっているOBや3年生はともかく、神は1、2年生を甘やかすつもりはなかった。そこへぴょこんと清田も顔を出した。なにやらいたずらが成功したような、そんな楽しそうな顔をしていた。

「そんじゃま、牧さんとさんに感謝を込めて強制労働といきますか」
「そんで堂々としてこの後何やってたんだと牧さんに聞こうぜ」
「いやそこは姉ちゃんに聞いて来いよ」
「そんな恥ずかしいこと聞きたかねえよ!」
「そんな恥ずかしいことしてんのかよ!」

デビーと清田はそっくり返って大笑いした。おそらく何もしなくても恥ずかしい話に違いない。

「っし、じゃあ神さんは先輩方のお相手頑張ってください」
「おうよ。お前らは目を回して倒れるまで働いてください」

神と清田のハイタッチで1年生は覚悟を決めて腕まくりをした。宴席はまだまだ続くのである。