地上のステラ

08

の熱は牧の来訪の翌日には完全に平熱に戻った。フルーツバーを食べる度にどんどん熱が下がっていくので、とデビーはに隠れて笑ったほどだ。

それから数日して部活にも復帰しただったが、そのとデビーの話に尾ヒレが付いて、「痛む箇所をバスケ部の牧に触ってもらうと治る」という噂が夏休みの海南大附属高校運動部に蔓延した。またその延長でフルーツバーが流行、この夏の海南運動部の思い出の味になった。

「牧さんとうとう本物の神様になったのかって噂でもちきりですよ」
ー」
「いや私じゃないよ! たぶん最初は兄ちゃんかデビーだって」

新学期直前のこの日、神がシュート練習をしている間に、夏休みの課題が終わっていないという1年生数人の面倒をが見るというので、牧も付き合うことにした。部長直々のご指導に1年生は頭の回転速度が上がり、神が部室に戻る頃にはすっかり片付いていた。

そんなわけで今日は珍しく3人で下校しているというわけだ。

「それより本当なのあれ、国体。混成かもって」
「んー、監督はっきり言わないけど、どうもそんな感じなんだよな」
「なんか想像つかないけど……でもちょっと見てみたいね、ドリームチーム」

にやつくのを抑えられないは両手で口元を覆っている。

「別にうちだけでもいいと思うんですけどね」
「神くんは一緒にプレイしてみたい人とかいないの? ほら、陵南の福田くんだっけ。同中なんでしょ」
「同中だからプレイしたことありますよ。そうだなあ、うーん、桜木かなあ」
「ほお、意外だな」
「かなり怖い思いをしたので……それが味方だったら面白いかなって」

つい牧もうんうんと頷いた。敵だと思うと厄介でも、味方となれば話は別だ。だが、素直に頷いている牧本人がその筆頭である。味方であれば頼もしいが、敵に回した時の恐ろしさも神奈川ナンバーワンだ。も神もそれをちらりと考えたが、言うのはやめておいた。

「選抜と言っても、意外性のある人選はないでしょうね」
「むしろオレはその面子でチームとして纏まらなきゃいけない方が怖いわ」
「なんでこうバスケ上手な人って変な人が多いんだろう?」
……先輩が言いますか」

神奈川が選抜で出場するのだとして、一番の問題はそこである。も牧もチームがちゃんと纏まるのかな、くらいにしか考えていないが、神はそれに加えて別の心配もある。もちろんのことだ。県予選の時はそれほど接触がなかったけれど、もし混成で海南で練習ということにでもなったらと思うと今から疲れる。

だが、そんな神の気苦労を他所に、新学期に入るなり国体が選抜であることが監督より告げられた。

……誰も言わないけど、仙道を全国レベルに出したかったんじゃないのかなあ」
「まあそれはあるだろうなあ。藤真は1年から出てるし流川も出たし、仙道が県に留まるのはもったいないよな」
「牧さん練習見ていいんですよね? いいんだよな、姉ちゃん」

選抜チームで国体に出場する運びになった神奈川代表だが、4校の寄せ集めのため、最初の合同練習は海南で行うことになった。それを翌日に控えた金曜の放課後、は練習後にデビーを連れて大量のスポーツドリンクを仕入れに行って来た。

体育館では神がシュート練習をしている時間帯だ。ペットボトルの量があまりにも多いので、帰り支度の終わった牧も片づけを手伝っている。神奈川代表は各校から全部で15人だが、選抜選手だけが来るとは限らない。元々がサービス過剰のは色々買い込んできた。

それに、デビーがそわそわしているように、海南の部員は合同練習の間は帰らないに違いない。が言うように県内トップだけを集めたドリームチームである。それを見ずには帰れない。

、神が今からカリカリしてるから、あんまりぼんやりしてるなよ」
「ぼんやりって?」
「お前まさか今でも諸星がナンパじゃなかったと思ってるんじゃないだろうな」

思っていた。目を丸くして口をへの字に曲げている。

「呆れたやつだな、有用な情報交換が出来た試しないだろうが」
「いやまあ確かに……そう言われてみればそうだけど、嘘、だって……
「牧さん、去年の年末の話は聞きました?」
「あっ、バカ! それはもう――
「神がなんかちょろっと言ってたけど聞いてないよ」
「諸星さんしつこかったんですよー。選抜のあとデートしてくれって」

牧は一応驚き呆れた振りをする。神もしつこかったと言っていたし、お盆休みの一件で諸星が何をしたのかはだいたい想像がついたから、今更という気もする。しかしそれだけしつこくして結果的には断られてそれでもめげない精神力には感服するが、国体でも顔を合わせるのかと思うと再度げんなりする。

「だって、なかなか東京まで来られないから遊びに行きたいって……
「お人よしというか騙されやすいというか……

諸星も諸星だがだ。デビーがニヤニヤしている。

「いやー、姉ちゃん一族の中では特に地味な方だけど、見える人には見えるんだろうなあ」
「お前と兄ちゃんはいつか痛い目に遭え」

もっとも、その「一族の中では特に地味」を引き摺っているので高校でも地味扱いになっている。だから余計に自覚が育たない。牧は神が苛々しすぎて胃でも壊さないか心配になってきた。

翌日、神奈川代表チーム全体練習の初日である。この日は挨拶やミーティング含め、朝から夜までずっと海南の体育館で練習ということになっている。そのため、体育館の一角は海南以外の選手のためにパーテーションが置かれ、臨時の更衣室も用意された。これのセッティングも基本的にとデビー、そして神がやっていた。

監督が訓示を垂れている間とか、実際に練習をしている間などはと海南の部員は体育館の外から見学だが、休憩となるとそうもいかない。デビーとデビーに脅されて渋々手伝っている1年生数人とで手分けして飲み物やタオルなどを運ぶ。今日は裏方に徹しなければならない。

「おーい、みんな。何か困ったらそこの海南のジャージか女子マネージャーに言ってくれ」

海南の高頭監督の言葉に全員低い声で返事をした。その輪の中からずかずかと神が進み出て、の脇に腕組みで立ちはだかった。まるで用心棒だ。

「神くん、平気だよ。監督3人もいるんだよ」
「それを気にするような人たちじゃありません」
「大丈夫だって、私なんか別に」
「海南と湘北は女子マネージャーがいていいねえ」
「ほら来たじゃないですか」

険しい顔をしてペットボトルを用意していたの前にすっと進み出たのは、噂になっていた仙道と福田だ。神はふたりと同学年なので、とりあえず遠慮がない。ペットボトルを受け取ったふたりを手で追い払うような仕草をする。にこやかな表情だが、額が青筋立っている。

「マネージャーさん、ジンジンの彼女だったのか」
「違うけど手出し無用」
「手なんか出してないだろー。オレ仙道、よろしくねー」
「いいから声かけない触らない、さっさと向こう行く! あと先輩なんだからタメ口禁止」

その様子を見て、腹を抱えて笑うのを我慢していたのは牧である。おそらく誰もにちょっかいをかけようなどとは思っていない。だが、神が鼻息荒くボディーガードをしているのでからかいたくなったのだろう。

「あっ、藤真さんは向こうでもらって下さい。こっち来ないで下さい」
「オレが何かしたのかよ」
「してなくてもダメです。あ、花形さんもダメですよ。三井さんも近寄らないで下さい。しっしっ」
「おい牧、なんでこいつこんなに失礼なんだよ」

牧は笑わないようにするので精一杯で、顔を上げられない。それを察した藤真と仙道が近寄ってくる。

「何がそんなにおかしいんだよ」
「す、すまん藤真、勘弁してくれ」
「そりゃこっちの台詞だ」

牧は無理矢理深呼吸をして、笑い出しそうな衝動を引っ込める。

「実は、去年の夏から諸星に付きまとわれてて。それ以来神がカリカリしてるんだ」
「付きまとうって……
「いや別にストーカーとかじゃなくて、猛アタックというか、メール攻撃というか」
「別にいいじゃないですか、諸星って愛和学院のでしょ。スター選手だ」

仙道が不思議そうに首を傾げる。バスケットファンなら喜んでもおかしくない状況に見えるのだろう。

「どうにもあいつはそういうところぼーっとしてて、諸星だけじゃないんだ、そういうの」
「神は彼女が好きとかそういう?」
「いや、それもちょっと違う。なんというか、尊敬する先輩なんだそうだ」
「尊敬? マネージャーですよね彼女」
「まあ色々あるんだが、とりあえず今年はひとりでマネージャーやってる。おかげでこの間倒れたくらい」
「あー、なるほど。僕らの大事なマネージャーって感じか」

勘のいい藤真はスポーツドリンクを流し込むと、大きく頷いた。は神に付き添われて海南陵南湘北の計3監督にお茶を運んでいる。湘北の監督は今回のみ相談役という体だという話だ。

「女子マネなんて、いないならいないでその方がいいと思うぞ」
「そういうもんですかねえ?」
「部員は楽出来るけどマネージャー同士でトラブルもあるし……本人はボロボロだからな」

を見ながらそう言う牧を見ていた藤真と仙道は、ちらりと目を見交わすとまた大きく頷いた。

「なるほどな、そういうことか。そりゃ大変だな確かに」
「海南も部員多いですもんねえ。それで紅一点は確かに大変だ」
…………なんの話だ?」

急に納得したふたりをきょとんとした目で見ている牧。それを残して藤真と仙道はまたと神のところに行ってしまった。見学に来ている翔陽と陵南の部員にが絡まれているので、神の頭に角が生えそうになっている。それをからかいに行った。

「あっ、また来た! ほらもう先輩部室帰りましょう。デビーどこ行ったんだ」
「また来たとかお前な。今大量に囲まれてたのを部長権限で追っ払ってやっただろうが」
「頼んでません。ほら先輩もうそんなのいいから……
「まあまあ、どういう状況なのかわかったから、そんなに警戒するなよ」
「そういいながらこっそり距離を縮めるのやめろ仙道」

が黙々とペットボトルを片付けている横で、神は藤真と仙道に絡まれている。

「お前それ空しくないか? 代理の騎士道なんて」
……藤真さんのその勘のよさはなんなんですか」
「これは生まれつき。ていうか比重が傾いてるのはどっち?」
「どっちでもないです。釣り合ってます」
「神くんまたやってるのもう。ふたりともごめんね、空だったらゴミもらうよ」

藤真と仙道に突付かれている神の後ろから割り込んできたは、ふたりから空のペットボトルを回収するとゴミ袋に突っ込んで口を閉めた。そろそろ休憩時間が終わるので、とお手伝い1年生はゴミを持って部室に戻る。再度練習を見学するのはそれが終わってからだ。

さんて言ったっけ。国体行くの?」
「今のところは未定。マネージャーは代表漏れした誰かがやるとか言ってた気もするし」
「諸星に絡まれてるんだって?」
……牧が言ったの? 別にメールが来るくらいだから、そんな大したことじゃないよ」

一応3年生同士なので、藤真とが話しているのを神は邪魔できない。またにっこり笑顔の額にくっきり青筋である。それを仙道はニヤニヤ笑いながら眺めている。

「色々大変だよね、3年もアレの横にいるとさ」

藤真は顔を傾けると視線で牧を指す。は苦笑いだ。

「まあそれも海南マネージャーの仕事のうちだから」
「言うねえ」
「大ちゃんはちょっとウザいけど、別に害はないから」
「大ちゃんて諸星かよ!? いや君それは……神ごめん、オレが悪かったお前が正しい」
「へ?」
「わかって頂けて有難いです。さーほら先輩部室行きましょ、デビー!」

青筋の神はを送り出すと、肩でため息をついた。その横で仙道は面白くなさそうな顔をしている。

「もしかして彼女も牧さんも自覚ないの?」
「うーん、そこはなんとも。ただまあまだ国体も冬の選抜もあるから、当分は何も起こらないよ」
「お前後輩の鑑だな」
「それはどうも」
「そんじゃー国体に彼女もついてくるならオレも一緒に守ってやるよ」
「いらない」

約一ヶ月後、神奈川代表チームは国体出場のために東京まで赴いた。東京は隣だが、少年の部神奈川代表チームは南沿岸部の高校が多いのと、競技会場が西東京なので泊りがけである。

また選抜になったことで、海南一校で出場していた時よりも同行スタッフが増え、その結果、はもちろん代表入り出来なかった生徒は全員置いていかれることになった。試合を観戦したければ、土日にかかる試合を自主的に見に行くしかない。

デビーはむくれていたが、は少しホッとしていた。これで諸星に会うこともないし、神がカリカリすることもない。代表入りできなかった部員はもちろん練習があるが、監督の計らいで国体開催中、神奈川がトーナメント戦を勝ち進んでいる場合に限り土日が休みになった。

はデビーと天使のと一緒に観戦しに行くつもりでいた。

が、神奈川代表が1回戦を突破した日の夜。短縮メニューの練習が終わってデビーと一緒に下校していたが携帯を取り出すと、牧や神から着信とメールが山のように入っていた。慌ててメールを開くと、なんと牧のバッシュが壊れたという。

「壊れた? 牧さんそんなボロいの履いてないでしょ」
「そのはずなんだけど……
「で?」

で、運の悪いことに替えのバッシュを忘れていたというのだ。牧にしては珍しい失態だが、ともかくそのせいで明日の試合がピンチだと言う。おそらく買いに出るにしても土地勘はないし時間はないし、きっとお金もないだろう。バッシュ代くらい同行スタッフに借りてもいいのだろうが、新しい靴の馴染みが悪くても困る。

「で?」
「ええとだから、部室のロッカーにあるから、それを届けて欲しい、と」
「今から?」
「そういうことだよね?」
「今何時だよ」
「18時12分」
「急がないと帰って来られないんじゃないの」

学校から歩いて数分の路上で、とデビーは顔を見合わせた。そして直後、学校へ向かって猛ダッシュ。

「てか西東京ってどこ!?」
「わかんない!」
「じゃどこに届けに行くんだよ!」
「なんか駅が書いてあった! そこまで来てくれるって!」

いかにパッとしない部員でもデビーの方が足が速い。デビーは部室の鍵を受け取ると、姉を置いて走り去った。はその後を一生懸命走って追いかける。既に明かりが落ちて暗くなっているクラブ棟にたどり着くと、デビーが戻ってくるところだった。

「ロッカーの上に乗ってた。だから忘れちゃったんだな」
「でもあってよかった。えーっと一旦家帰って着替えてそれから……
「ともかく兄ちゃんに連絡しよう。で、車出してもらって、できたら横浜まで行ってもらったら」

そのまま車で牧のところまで行かれればいいのだが、生憎天使のはドライバー暦1年足らずであり、基本的には地元でしか運転しない。それを捕まえて西東京まで行けというのは酷だし、電車で往復するより時間がかかる。デビーはに、は母親に電話をかけながら、また走って帰って行った。