プロミネンス

11

神の体は一瞬で燃え上がった。

麗らかな3月の午後、緩く日差しが差し込む部室の中にはひとりで佇んでいた。制服姿で、ずらりと並べられたベンチにの上に、使い倒してくたびれた学校指定のバッグと、卒業証書の入った筒が置いてある。

「え、なんで!? 今日は練習禁止でしょ!?」

神は久し振りに感じる体の熱に、うまく声が出てこない。神の体の奥深くに眠っていたへの思いが皮膚を突き破って外側に溢れ出し、立ち上る炎のように揺らめいている。さながら、太陽の紅炎のようだ。

「なん、で……
「いやその誰か来るとは思わなくて、卒パもしないし、ちょっと浸って帰りたいなとか思ってだな」

友達がいないわけじゃないけれど、も3年間バスケット部で通した高校生活だった。卒業式の後に遊びに行くとは言っても、さてどこのグループに入ればいいんだろうと悩み、結局面倒くさくなってしまった。神がイメージしたように、の代にもう何人かマネージャーがいたらこんなこともなかったかもしれない。

卒業式の後にひとりで部室にいたということが恥ずかしいのか、はもじもじと足を組み替えている。

「てかよく体育館貸してもらえたね……さすが神くん」
――――

今ここには、この部室には、クラブ棟には、神とのふたりだけしかいないのに、やっぱりは名前では呼んでくれないのか。苛立ちを感じた神は、それを吐き出してたくて、の名を呼んだ。もじもじしていたがピタリと止まり、腹の辺りで両手を固く握りしめている。

「なに、それ、嫌味?」
「えっ、そ、そんな、何で、違うよ」
「名前で呼んで欲しいって、何度も言ったよ」
「いやそうだけどあれはほら、ね」

あくまで「付き合っている振り」だったと言いたいんだろうか。

「やだなあ、そんな、怖い顔しないでよ、笑顔で、送り、出してよ――
、それ本気で言ってんの!?」

神はまったくの無意識の内に怒鳴っていた。その声には竦み上がり、涙目になっている。

「何でそんなに怒るの、私、何か――
「何で? じゃあ聞くけど、どうしてオレが笑顔で送り出せると思ってんの? 出来るわけないだろ!」

後輩に厳しく指示を出す主将の声になっていた。はますます目を赤くして縮こまる。神はを好きだと思う気持ちと、それがちゃんと伝わらずにいるこの現状の間で、余計に燃え盛る。もう形振り構う余裕もない。

「そんなに、怒ること?」
「当たり前だろ! もうがいなくなるのに、なんでそれを笑顔で送り出せるの!?」
「そ、卒業だから当たり前じゃない!」
「そんなこと関係ないだろ! もう会えなくなるかもしれないのに、そんなこと喜べるわけないだろ!」

話が噛み合ってないことに気付いたは、恐る恐る顔を上げて神を見つめた。

「もう、部員ですらないし、卒業でいなくなるし、会えない、話も出来ない、触ることも出来ない、なんでそれをニコニコ笑ってご卒業おめでとうございますなんて言わなきゃならないんだよ、そんなの嫌だ、ずっと一緒にいたいのに、留年すればいいのにって思ってるくらいなのに、そんなこと、できるわけ――

一気にブチ撒けた神は、途中で我に返って息を呑んだ。目の前でが真っ赤になっていたからだ。

……いや、何その赤い顔。なんかちょっとプルプルしてるけど、何を今更。神は言いたいことを言ったせいか、少し温度が下がって、と同じように話が噛み合っていないことに気付いた。噛み合っていないというか、そもそもの前提がおかしいような気がする。

「あのさ……本当にまさかとは思うけど、オレが本気で好きだって思ってること……

は一瞬で情けない顔になり、口元を両手で覆った。

「気付いてなかったのか」

神はがっくりと両肩を落とした。いや、確かに、好きです付き合ってくださいなんて言った覚えはない。だけど、それをすっ飛ばしても余りある既成事実があるんだし、いくら男が性欲と恋愛は別物だったとしても、この丸2年間のベッタリ具合でわかるだろ普通! 神は今度は呆れてため息をついた。

「だって、だって、そんなこと一度も」
「それは悪かったと思ってるけど……セックスまでしておいてそれは」
「そっ、それは……!」

赤い顔をさらに真っ赤にしたは、頭のてっぺんから湯気が立ち上ってきそうだ。

、本当はどう思ってたんだ、この2年間」
「どうって、それは、ほら、ね?」
「また老師キャラで誤魔化して逃げるの?」

ウッと喉を詰まらせたはよろよろと後ずさると、部室の窓に寄りかかって自分の体を抱き締めた。

「どう思ってたなんて、私が知りたいよ」
「だから、ちゃんと言わなかったのは悪かったって。本当に好きだったんだよ。てか今でも好きだけど」

俯いたはしきりと髪を撫で付けながら、小さくため息をつく。

「そんな風に思っちゃってるのは、私だけなのかと、思ってて」
……どういう意味?」
「あれー、神くんて私のこと好きなのかな、いやいやまさかそんなことないよねって」

神は呆れてものも言えない。なんでそうなる。

「私なんか年上だし、神くんすごくモテてたし、だけどバスケの方が大事みたいだし、だから彼女の振りもしょうがないかなって、思ってて、だけど、女の子に触ったりとか、そういうのしたいのは、当たり前だし、だけど彼女作るとかは面倒くさいから、私で済ませてるのかなって」

…………そんなこと思いながらよく1年近くも彼女の振りしてたな。神もため息をつく。

「そんなことで……キスくらいならともかく、それでよく」
「だから、どうしてもその、好きなのかなって思っちゃって、それを拭えなくて」
「それだけ? それだけで体まで許せるの普通? の気持ちって――
「そんな私がバカですぐ足開くみたいな言い方しないでよ、しょうがないでしょ、神くんがいつも――

はごくりと喉を鳴らすと、少しだけ顔を上げた。

「いつも神くんが真っ赤な顔して、可哀想なくらい赤い顔してくっついてくるから」
「は?」
「今も、してるよ」
「え? オレが?」

はようやく少し微笑んだ。神は急に膝が震えてきて、それを押さえ込みながら慌てて部室の片隅にある姿見の前に飛び込んだ。鏡に写った自分の顔は、見るも無残な茹でダコ状態の真っ赤な顔になっていた。というか顔だけじゃなくて首も赤い。

「言葉では意地悪なこと言ってるのに、いつもそうやって真っ赤で、だから、好きだとかは言ってくれないけど、もしかして私のこと好きだと思ってくれてるのかな、年上で別に可愛いわけでもないのに、いいのかな、プ、プレゼント、とか、嬉しいな、勘違いかもしれないから怖くて言えないけど、彼女の、振りでもいいや、って――

自分の真っ赤な顔に愕然としていた神は、が鼻を鳴らしたので我に返った。窓辺のは、顔を逸らして真っ赤な目をしている。今にも涙が溢れそうだ。

「夏休み、浴衣着られなくて、だけど神くんは一昨年と同じように、可愛いって言って、くれて、もしかして、彼女にしてって言ったら、いいよって言ってくれるんじゃないかなって思ってたんだけど……
「言えば、よかったじゃん、何で言わなかったんだよ」
「あの子たちが、神くんのこと、好きだって、言ってて」

だからなんなんだ。神は少し首を傾げた。それだけで自信がなくなったとでも?

「だって、私は先に卒業しちゃうし、神くんだって暇じゃないんだし、例えば彼女にしてもらっても、一緒にいられる時間なんて殆どないし、それに、もし、本気で付き合う気なんてない、年上なんてやだって言われたら、立ち直れないような気がして、怖く、なって――

とうとう涙を零したは、顔を背けたままで力なく笑った。

「振りでも彼女みたいにしてもらって嬉しかったけど、もう無理って、思って。ごめんね、神くんのこと信じられなくて、ごめんね。こんな風にちゃんと話もしないまま卒業式まで何もしなくて、ごめん。年上なのに、ちゃんとできなくてごめん。私、神くんと同い年に生まれたかったなあ」

そう言って涙を払うの前に進み出た神は、まだ熱い肌に焦がれていた。

、オレがこんなに真っ赤になってるのは、が好きだからだよ」
「そ、そっか」
「1年の初日、遅れて体育館に入ってきたを見た時から、ずっと好きだったんだよ」

制服の袖口で涙を拭っていたはピタリと止まり、のろのろと神を見上げた。

「その時、体が燃えたのかと思うくらい肌が熱くなって、近くで喋ったりしてるだけでもこんな風になって、だけど、オレだって同じだよ、年下なんて嫌だって言われたらどうしようって、だけど絶対他の男になんか渡したくなかったから、どうしたら先輩を独り占め出るだろう、オレだけのものになってもらえるだろうって――

体の温度がどんどん上昇する。ずっと冷えたままだった体の中に眠るへの想いという名のエネルギーが爆発して、止まらない。抑えられない。神は少し傾いたまま、ぽたりと涙を零した。

先輩」
「じ、神くん――
先輩、オレのこと好きって言って」
「神、くん」
「ずっと一緒にいるって、好きだから彼女にしてって言って……!」

の言うように「可哀想なくらい」真っ赤な顔をした神に、は飛びついた。

「じ――宗一郎、好き、ずっと一緒にいる、私を彼女にして」
……!」
「宗一郎も言って、ちゃんと言って」
好き、大好き」
「年上でもいいんだよね? 私バカだし可愛くないけど、いいんだよね?」
「バカじゃないし可愛いし年なんか大して変わらないよ」

揃ってグズグズ泣きながらそんなことを言い合っていたふたりは、やがてへなへなと床に座り込んだ。柔らかい金色の光が差し込む部室の窓辺で、神はの頬を両手で包み込んで、静かに唇を寄せた。の頬も唇も舌も熱い。けれどそれは、自分の手と唇と舌が熱いからなのかもしれない。

とっくに通じてた気持ちだった。神もも、余計なことに囚われ続けてしまっただけで、心はずっと近くにあったのだ。想う形は違っても、それを表す方法は違っても、「好き」ということには一片の違いもなかった。

「私、卒業しちゃうし、しかも海南大だから、また1年経ったら」
、合コン禁止」
「ふぁっ!?」
「サークルも禁止」
「え、ちょ、ちょっと待って」
「オレだけいればいいでしょ」
「それはそうだけど!」

神が真面目な顔でそんなことを言うものだから、は吹き出した。

「あと、春休みの間は個人練習付き合って」
……うん、練習終わった頃に来る」
「親がいない時は泊まりに来て」
「うん、行く」
「春休み終わったら……本当に付き合ってるって、言っていい?」

は静かに目を閉じ、神の頬に手を添えて額を合わせた。

「うん。今度は、本当の彼女に、してください――

4月。神は海南の3年に進級、バスケット部の主将としての新しい1年をスタートさせた。

またバスケット部には大量の新入部員が押し寄せてきた。だけでなく、神の提唱した「女子にこだわらないサポートチーム」という概念は今年も顧問を務めている先生を始め、スタッフの人件費に頭を悩ませていた学校側にも広く受け入れられ、まずは3人の男子スタッフとふたりの女子スタッフを迎えてのスタートとなった。

一方で、がいなくなったことで気が大きくなっていた2年生の元マネージャー4人は、その「サポートチーム」のあり方に納得がいかず、ひとりを残して全員退部してしまった。

残ったひとりは最初に神に告白して玉砕し辞めていった子の相棒だった。が、中学時代に部長だった相棒のサポート役をしていたので、それはそれで習慣が抜けずに、割と地道にしっかりとマネージャー業務をこなしていた。そんなわけで、結局彼女は新しく出来たサポートチームのリーダーとなったのである。

これを喜んだのはだ。あの子頑張ってたからね、と言ってにこにこしていた。頑張る女の子に更に幸運の風が吹く。春休みの間に、いつかに散々ガーリーにされていた先々代の主将と副主将が遊びに来た。も神の個人練習のためにやって来たところで鉢合わせ、3人は再会を喜んだ。

とは色んな意味で犬猿の仲である元主将は、が神と付き合っているのだと知ると、神に今なら間に合うから考え直せと真剣な顔で詰め寄った。蹴られた。

というところで、主将を足蹴にしたは、マネージャーというポジションが廃止になり、サポートチームというスタッフが出来たのだと元副主将に説明していた。そこにサポートチームのリーダーを務める元マネージャーが現れたので、は自慢気に紹介をした。この子はワシが育てた。

それから約3週間後、神は、顔は怖いが人格者の元副主将とサポートチームリーダーから、付き合いだしたと報告を受けた。または大喜び、練習が終わった頃に部室に忍び込んで来て、サポートチームのリーダーによかったねを連呼していた。

そんな中、新たに神奈川の絶対王者を率いる立場になった神は、もう「付き合っている振り」ではないことを同学年に告白した。が、彼らは何も驚かず、揃って「振りなんて本当に最初だけだったろ」と突っ込まれた。隠しおおせていると思っていたのは本人たちだけで、普通にバレていた。

というかそれも結局、神がのこととなるとすぐに真っ赤になっていたせいだった。

そんなわけで、この年の主将は彼女のことを突っつかれるとすぐに真っ赤になる、という印象で持って新入生に認知される羽目になってしまった。開き直った神は以来、「愛妻家のキャプテン」というあまり吹聴されたくない肩書がつくことになった。頼むから翔陽とか陵南とか湘北の前では言うなよ!

「いいじゃん、DV男よりよっぽどいいじゃん」
「例えが極端すぎるだろ」
「これでもう絶対に女の子寄って来ないね。後悔してない?」

また部室に忍び込んでいるは、せめてものカモフラージュに私物の海南ジャージを羽織ってベンチに腰掛けている。主将になっても相変わらず練習に余念がない神は、練習を終えてシャワーを浴びてきたので、ピンク色の頬をしている。部室内の施錠を確かめ、もう使わない場所の電気も全部消して回る。

「なんで後悔するの。それでいいけど」
「えー、だって色んな子と付き合えたかもしれないんだよ」
「一体いつになったらオレの愛情はちゃんと伝わるんだろうな」

かくりと頭を落としてため息をついた神は、ベンチに跨ると、の体を力任せに引き寄せた。

「また私がアホの子みたいな言い方して」
「実際そうだろ。だからアホの子にはお仕置き」
「ちょ、お仕置きって、何するつもりよ」
「そりゃあ色々と。こら、暴れるな」

少しだけ抵抗してみただったが、結局は簡単に絆された。いつかのように薄暗い部室、神はの海南ジャージをするりと剥ぎ取りながら、何度もキスをしていく。

ちゃんと付き合うようになって以来、神の赤面は徐々に落ち着いてきている。自分でも以前ほど熱くなる感じはない。それでもこうしてに触れていると、神の全身は薄っすらとピンク色に染まる。がそれを可愛いと言っては、こんな風にお仕置きを食らっている。

「もー、急にスイッチ入る……。私部外者なんだから、早く出ないとマズくない?」
「何を今更。てかスイッチなんかさっきからずっと入ってたから」
「私、普通に、ベッドの上がいいなあ〜」

確かに神の言うように今更感はある。だがは、この部室でという緊迫感が少し苦手だった。いつ誰がやって来ないとも限らない。しかも内部進学をしているとはいえ、卒業生。他の場所がいいなと誘導したつもりだったは、目の前の神の笑顔に怯んで息を呑む。

「じゃあ帰ったらもう1回な」
「え、ちょ、そういう意味じゃ」
「違うの? じゃあ2回ね」

神はまたにんまりと笑い、もう逃げられそうにないなと観念したは、その頬をつねった。

「もう、意地悪!」
が可愛いからだよ」

そう、ただそれだけ。神には、が可愛くて、好きで、それしかないのだから。

END