プロミネンス

05

の自宅へは、自転車で送っていったことがある。恋の嵐が吹き荒れていた国体の頃の話で、けれどまだ神とが「付き合っている振り」を始める前の、とある金曜のことだった。ミーティングが長引いて遅くなった上に、翌土曜の午前中は体育館が使用できないとかで、急に時間が出来てしまった。

なので、1年生は特に仲の良い数人で寄り道をして帰ることになった。と言っても既に20時近くなっていたし、海南最寄り駅近くのファミレスに行こうというものだった。そこにも呼ばれた。この年の1年生はとにかくに懐いていたので、先輩も行こうよ、と誘ったのも神ではなかった。

そこで食べたり飲んだりしつつ喋っていたら、つい22時を過ぎてしまった。が海南最寄り駅付近から帰るためには、少し電車で移動してバスに乗るか、海南の近くまで戻ってから改めてバスに乗るかしなければならない。どれも遠回りで時間がかかるので、神はを後ろに乗せて帰ることにした。

の自宅は新しい分譲住宅が立ち並ぶ区画の、道を1本挟んだ隣のマンションだ。本人は、

「なんとなく惨めな気がするのは気のせいかな」

と言って笑っていたが、新築がズラリと並ぶ区画の角にはささやかな公園がある。公園と言っても遊具はないし、まだ細い桜の木と沈丁花にベンチが囲まれているだけの、憩いの場のような場所だ。それを覚えていた神は、の手を引いてその中に入り込んだ。突然のことには何も言わずに引きずられていった。

そこで神はおろおろしているに小さな包みを差し出した。

「先輩、これ」
「へ?」

神がまた突拍子もないことをし出すのかと身構えていたは、肩を竦めて目を真ん丸にした。

「なに、これ」
「何って、クリスマスプレゼントです。いつもお世話になってるので」
「え、そ、そんな私――

まさかのクリスマスプレゼントに、は緩みそうになる頬を必死で我慢しているようだ。嫌悪感溢れる苦笑いではない。神はの手を取って小さな包みを渡した。

「あの、ありがとう、そんな、気を遣わなくてよかったのに」
「気なんか遣ってないですよ。それに、大したものじゃないです。期待しないでくださいね」
「そんな、何言ってるの、あの、開けてもいい?」
「どうぞどうぞ、本当に大したものじゃないです」

それは嘘だ。

今日の取り揃えを見立ててもらいに母親の同僚の紹介だという店に出かけた神は、なかなかに感じの良いオシャレな店長さんだったので、試着が終わる頃に切り出してみた。女の子にあげるクリスマスプレゼントって何がいいんですかね? 何しろ小顔で可愛い185センチだ。店長さんはよっしゃまかせとけと言ってくれた。

神の希望は、身につけられる小さなもの、というだけ。あとはの雰囲気や普段の好みなどを伝えて候補を教えてもらうことになった。店長さんは、神の服より先にプレゼント候補を画像で送ってくれた。

ラインナップは、ジュエリーモチーフがメインのキーワイヤー付きバッグチャーム、スワロフスキーとシルバーのクラウン形のイヤホンジャックアクセサリー、そしてが報復に使うようなガーリーなパスケース。

そのメールを見た神はにんまりと笑った。店長さんはオシャレで感じが良いだけでなく、頭もいい。神はプレゼントを贈りたい相手が彼女だなんて一言も言っていないし、身に付けるイコール、アクセサリーではない。つまりそれは「彼女でもない女の子のすぐ近くに置いてもらいたいもの」なのだ。

このラインナップならどれもだいたい近くに置いてもらえるんじゃないだろうか。そして神は結局、イヤホンジャックアクセサリーを選んだ。王冠が神奈川の王者である海南を想起させたからだ。これを選んだ理由を聞かれてもそう答えられるので、都合もいい。そして、携帯なら朝から晩まで一緒だ。

その上、ベッドで眠る前に携帯を覗いていたら嫌でもこれが目に入る。自分を思い出してもらえるかもしれない。

イヤホンジャックアクセサリーにする旨を返信すると、店長さんはラッピングして服と一緒に届けてくれるという。そんなわけで、神は用意周到にもオシャレ感がダダ漏れる服に、だけに贈るプレゼントを携えてきたわけだ。は少し震える指先でクリスマスカラーのラッピングを解いている。

「わ、わ、なにこれきれい! あ、携帯につけるやつだ」
「確か先輩つけてなかったなーと思って。王者海南なのでクラウンです」
「ちょ、なんなの神くんオシャレすぎるんだけど」

はクラウンを指で摘み、高く掲げて街灯の明かりにクリアカラーのスワロフスキーを煌めかせる。光の粒が弾け飛び、の指の中で躍る。神は目を細めて静かに微笑む。

「すごい、きれい。本物の宝石みたい」

そんなものより、君の方がきれいだよ――

「どうしよう、こんなきれいなもの。私プレゼントなんて何も考えてなくて」

君ならそう言うって、わかってるから。こんな風に贈り物をされたら絶対にそう言うって、知ってるから。

「そんなものいりませんよ。オレが勝手にやっただけだから」

そしてオレがこう言えば、君は言うに決まってる。

「そんなこと……そうだ、神くんはなにか欲しいものとかないの?」

あるよ、、君が欲しい。

「何か、くれるんですか」
「そりゃ、あんまり高いものは無理だよ。だけど何か――

うんうんと頷いたのを確かめると、神はを勢いよく引き寄せた。

「ひゃっ!?」
「お金は、かからないです」
「あ、あの、待って、これって」
「オレが欲しいものは、今のところこれくらいです」
「神くん――
「ダメ、ですか」

見る間に赤くなっていくの頬、そしてまた激しく燃え上がる自分の肌。言いながら神はゆっくりと顔を近付けていった。は、ダメだと言わない。手は神の胸にそっと添えられたまま、突っ張って逃れようとする気配はない。そして、息がかかるほどの距離に近付いたところで、ギュッと目を閉じた。

それはイエスの代わり。神はゆっくりとキスした。

バス停でチア部の子たちを口実にキスした時は、チュッと触れて、すぐに離れた。だが今度は、重ねたままで少しだけ吸い上げてみる。の唇はぎこちなくて、なかなか緩んではくれなかったけれど、受け入れようとしてくれているようだった。

付き合っている振りをしているだけのふたり、それなのにしているキス、それも2度目、そしてそれはずいぶんと長いキスだった。しばらくするとの足がふらついてきたので、神はようやく解放すると、身を縮めて優しく抱き締めた。12月の夜だというのに、寒さは全く感じなかった。

先輩、プレゼント、ありがとうございます」

何も言わずにしがみついているの背を撫でて囁けば、びくりと震えて、短くて小さな鼻にかかった声が漏れる。神もまた、甘い痺れが炎とともに全身を駆け抜けた。

3年生が引退してがくりと人数が減ったバスケット部だが、とっくに進学が決まっている先輩たちが毎日のように顔を出しては帰らないので、ちょっとうんざりし始めていた。主将も代替わりしたはずだが、前主将は相変わらずウザい。そして暇なのでの横で口だけ出しては監督に怒られている。

その中で、やはり神とは「付き合っている振り」を続けながら、クリスマスのことを蒸し返したりせずに過ごしていた。だが、はちゃんとイヤホンジャックアクセサリーを着けていて、神は初めて体の中がじんわりと暖かくなった。これは欲情ではない。幸福感である。

そうして自由登校に入り、やっと3年生がいなくなると、バスケット部はキュッと紐で締められたみたいにひとつにまとまり始めた。によれば、これも毎年のことらしい。もうすぐ新入生が入って来るし、例年通りであれば、1年生からスタメン入りという例は殆どない。つまり、新3年と新2年がきちんとまとまる必要がある。

神はとうとうその中でも主力選手の仲間入りをし、の健闘むなしく脱落者が後を絶たない1年生の中では異例の「地元受験組」から主将候補が出ることになった。

それが自信になったかどうかは本人もよくわかっていなかったけれど、とにかくこの頃から神はへの好意を隠そうとしなくなった。恐らくクリスマスのキスを拒否されなかったことが彼をその気にさせていたのだろう。

だから、バレンタインの時も堂々とチョコレートを要求した。のが欲しい。

「まったく、女子マネいなくなったらどうするつもりなんだろね」
「というかなんでオレが手伝ってるんですか」
「だって私のチョコ欲しいんでしょ」
「はい」
「だったら手伝って」

海南の調理実習室である。女子マネがいる限りはバレンタインに何かしらの手作りの品が振る舞われる習慣になっているが、今年はがひとりなので、既成品のクッキーに溶かしたチョコレートでデコレーションするだけになった。それを、神は手伝わされている。納得行かない。

「男なのにバレンタインのチョコの手伝いするなんて……
「今は男女あんまり関係ないんじゃない? 日頃の感謝にチョコでいいじゃん」
「そーいうものじゃないです。チョコは大事なんですよ」
「あげるって言ってるのに」
「それとこれとは別です。てか練習抜けてまですることでもないし」

監督からバレンタインの要請を受けたは、ひとりではできないと断った。だが、部員たちが喜ぶから頼むと手を合わせられ、助手がつくなら考えると返したら、誰でも好きなのを持って行っていいと言われてしまった。この頃はあまり焦って練習するような時期でもない。裏目に出た。

だが、調理に手際のいい部員など心当たりがいない。なので言うことを聞かせられそうな1年生に打診をしてみたら、満場一致で神が生贄に差し出された。日頃から「彼女の振り」してもらってるんだから手伝ってこい、というわけだ。というかやっぱり誰でもバレインタインのお菓子作りの手伝いなんかしたくない。もらうだけがいい。

「無報酬てわけでもないんだし、てか珍しいねそこまでゴネるなんて」
「そりゃゴネますよ。てか先輩からチョコもらったくらいじゃ足りません」

があまり真剣に取り合ってくれないので、神は音もなく背後から忍び寄る。ラッピングのビニール袋を数えていたの後ろから手を伸ばして調理台に手をつく。きちんと測っていないが、どうやら190センチに届きそうな神の両腕の間にはすっぽりと収まる。

は手を止めたが、ほんの少しだけ俯いて黙っている。

「先輩、こっち向いて」
……チョコ、間に合わない、から」
「そんなの間に合わなくたっていい」
「そういうわけ、いかないよ、監督に、怒られるもん」

言葉は途切れ途切れだし、神の声がするたびは肩を震わせている。

「まあそれでもいいですよ、先輩がこっち向かない方がいいなら」

またぎくりと肩を強張らせただったが、神の方が早かった。神の長い両腕に抱きすくめられて、直後に耳にキスされた。はまた短い悲鳴を上げて飛び上がる。耳から首筋、そして神はジャージの襟から器用に口元をねじ込み、の鎖骨を探り当てる。

の匂いがする。それも、強く。神はまた全身が一瞬で炎に包まれる。

「やだ、やめて、神くん、これ、やらないと」
「先輩、いい匂いする」
「そんなこと、やだ、汗かいてるのに……!」

はそう言いながらもじもじと身を捩っている。神はそれには構わずに、唇で這いまわり、また耳まで戻ってくると耳珠のあたりを舌先で突いてみた。今度こそは「ひゃっ」と乾いた声を上げて、手にしていたビニール袋を取り落とした。

「先輩、耳弱いんですね」
「そ、そんなこと急にされたら誰だって、ねえ神くんこういうの、もうやめようよ」
「こういうの、嫌いですか」

そんなわけないよな?

言葉では拒否するようなことを言いながら、は大人しく抱き締められたまま、そこから逃れようとはしない。神はもう、もまんざらではないことを疑っていなかった。神との関係をどう思っているのかなど、具体的な言葉で言ったりはしないけれど、とりあえず拒否も抵抗もないのだから。

「嫌いとかそういう問題じゃ」
「じゃあいいじゃないですか、オレたち、付き合ってるんでしょ」
「そ、それは振り――んっ」

急に少しだけ腕が緩んだので、は素早く身を翻した。もちろん神はわざと緩めた。神の腕に手をかけて宥めようとしたらしいは、直後に唇を塞がれて息を呑んだ。

「これで今日のことはチャラでいいですよ、チョコもいりません」
「え……?」
「チョコも欲しいけど、キスの方がいいです」

見れば、は上気した顔をしていて、目がとろりとなっている。それはチャンスという名の隙に他ならない。神は膝を落として屈みこむと、またキスした。クリスマスの時のようによろけたの体を支えて、唇を捏ね回した。静かな放課後の調理実習室に粘着質な音だけが響く。

仮にも男子なので、バレンタインのチョコクッキーを作る手伝いなんて面白くないに決まってる。なのにこちらも「付き合っている振り」が裏目に出て助手をやらされる羽目になった。だけど結局、それは部員全員公認でとふたりきり、ということでもあったのだ。

だからもう、自分にだけ特別なチョコレートをちょうだい、なんてことには執着しない。チョコレートが好きなんじゃない、が好きなんだから。チョコレートより甘いの唇の方がいいに決まってる。

脱力してしまってぐったりと寄りかかるを抱きとめながら、神は満足そうに微笑んで静かに息を吐いた。

以来、神は必要のないところでまで「付き合っている振り」をするようになった。

昼練が出来ない時は部室に誘って一緒に昼を食べたり、期末前で部活が休みになると、の教室までやって来て一緒に帰ろうと言ったり、何かにつけての前に現れては「彼氏面」をし始めた。だが、一応バスケット部以外の校内でこのふたりは付き合っていることになっているので、何もおかしな風には思われなかった。

これでいいんだろうかと首を捻り続けているのはただひとりである。

その上、神のスキンシップはエスカレートする一方で、校内で隙を見てはキスされたり、部室でふたりきりになるとべたべたとくっつかれたり、一体「付き合っている振り」とは何なのかとは不安に感じ始めていた。

それを敏感に察知した神は、ホワイトデーにプレゼントを贈ってみたり、同じ中学の後輩の女の子が海南に来るとわざわざ連絡を寄越して憂鬱だ、などと漏らしてみた。一応嘘ではない。女バスの後輩3人が海南に受かったとメールを寄越した。マネージャーをやりたいらしい。

それを拒否する権限がないのが残念だが、とりあえず神は「今いる女子マネの先輩がひとりで頑張ってるから、助けてあげて欲しい」と返しておいた。本当は中学の時の後輩なんか入って来て欲しくない。だけど、ひとりで頑張るを助けてやりたい気持ちもある。

と、後輩と、どちらも上手くコントロールできれば、とは「付き合っている振り」を続けられて、自分が御することが出来るサポートも付いて、自分さえヘマをしなければ都合がいいような気がしてきた。

そのためにも、には「付き合っている振り」継続を承諾してもらわねばならない。海南の主力選手を維持していくために努力を怠りたくないから、チア部とか後輩とか、いらないんですよそんなもの。だから、部内でも部外でも、彼女がいるんだって思われてた方が都合がいいんです。

ねえ、先輩、だから「彼女」でいてくれますよね?