プロミネンス

01

周囲が抱いているイメージとは逆に、自分という男はものすごく単純なのだろうと彼、神宗一郎は思っている。煩わしいことは嫌いだし、細かい作業も得意じゃないし、時と場合によりころころ変わるような事象にはあまり関わりたくない。気も利かないし、空気も読めないし、割と思ったまま感じたまま行動していると考えている。

しかし、なぜかそんな風には思われていないことに気付いたのは中学2年生くらいだっただろうか。聞いてもいないのに同級生たちは彼のことを「神てこんなタイプだ」と言ってくるようになり、事実とだいぶ隔たりがあるのだと知った。とはいえ、その時も今も、特に訂正はしていない。

なぜなら、彼ら彼女らには神が「繊細で優しくてシャイ」に見えているらしいから。

その逆、例えば「雑で意地悪で図々しい」と思われているよりはいいに決まってる。一方で、自分が雑で意地悪で図々しいとは思いたくなかったけれど、「繊細で優しくてシャイ」にはどうにも疑問が残っていた。そして、ついうっかりそんなことを母親に漏らしたら大笑いされた。

いわく、「二十歳を過ぎたら内面が顔に出てくるから、そんなことを言われるのは今だけよ。後で幻滅されないように気を付けなさいよ」とのこと。むっと不貞腐れる神お構いなしで母親はずっと笑っていた。

けれど、勝手に人のイメージを作り上げて勝手に幻滅されてもな、というところだ。それに、この頃も今も、基本的に神は他人にどう思われていようとあまり気にならないので、気を付ける労力の方がもったいなかった。

だから、男女の別なく「神はこんなことしない」だの「神はこういうの好きそう」だのというのには、適当に返事をして付き合ってきた。だけでなく、自分の知らないところで作り上げられた「神宗一郎」というキャラを気に入って告白してくるような女子には「繊細で優しくてシャイ」を存分に利用して断った。

いらないんだ、そんなもの。興味がないというわけじゃないけど、今は必要ないんだ。

中3の時に仲の良かった友人はそんなことを言う神を指して「異常」と言ったけれど、じゃあだったら女にしか興味ないお前が正常だっていうのかよと返したところ、「そうだ」と言い返された。納得行かなかった。オレにも選ぶ権利はあるし、とりあえずのところ何を差し置いても夢中になれるような女が周りにいないんだと思った。

神が女より何よりバスケットに全てを捧げている、そのことが理解できないんだそうだが、理解してほしいとも思っていない。だから、神が将来を視野に入れた受験なんか全く考えもせずに、県内最強の海南大附属を目指すと決めた時はずいぶん反対された。後で後悔するよと散々言われた。

これもおかしな話だが、これについてそれでいいと言ってくれたのは親と担任の先生、そしてバスケット部の顧問の先生だった。神が海南に進むのが面白くないのは友達。高校に入ってバイトして遊びたいようなのが特に難色を示した。今だって部活漬けなのに、まだ足りないの? というわけだ。

足りないんじゃない、お前らの欲してる環境が不要なんだよ。そう思ったけれど、もちろんそんなことを言葉にして言ったりはしない。たまに上昇志向の強いのに突付かれれば、「海南のバスケ部実績があったら推薦で外部もいかれるし」などと白々しいことを言ってみたりもした。

むしろ、自分が生まれた頃からずっと神奈川最強である海南に入れば、こんな煩わしいこともなくなる。そんな期待もあった。幸い海南は自転車で通える距離にあるし、練習が厳しいのは承知の上だ。

中学の県大会で予選落ちをして引退した後、東京の高校に進むというバスケット部の友人と神奈川のインターハイ予選決勝を見に行った。別世界過ぎて、しかしあまりの迫力に体が震えた。試合は海南対翔陽。どちらも県内強豪としては歴史が古いけれど、目指す海南の方が少しうわ手で、神は余計にテンションが上がった。

その上、両校とも特に目立つのがひとりずついて、それがまだ1年生だというので、ふたりは途中から喋るのも忘れて試合を食い入るように見ていた。特に神の場合、海南に入れればあのふたりと試合ができるのだと思うと、いてもたってもいられなくなってしまった。

翌日、同じクラスの女子が、部活引退したんでしょ、一緒に受験頑張ろう的なことを言いつつ、告白してきた。前日の試合でテンション上がりっぱなしの神が即断ったのは言うまでもない。ほんと、そういうのいらないから!

異常でもなんでもいい、とにかく女は面倒臭い、邪魔、ウザい。触るな。

――なんて思っていた時期が神にもあったわけだ、一応。

海南大学附属高校に無事合格した神は、入学してすぐにバスケット部に入部届を提出した。海南は運動部が強い割にスポーツ特待の枠が非常に狭いことでも知られていて、この年も校内一実績があるバスケット部でもふたりしかいなかった。どちらも私立出身で、片や東京、片や山梨から来ていた。

そこへ行くと神なんかは大量にいる海南に憧れた地元組。だが、監督としては特待生だろうが受験組だろうが、あまり関係ないようで、新入生初日のこの日、1年生は全員「背の順」に並ばされた。特待のふたりも関係なし。そういう「こだわるところを間違えてない」感じはいいなあと神は思っていた。

しかし新入部員が多いので、いつまで経っても自己紹介が終わらない。名前と出身中学とポジション言っていくだけなのに、えらく時間がかかる。その時だった。こそこそと体育館に入ってきた影に気付いて、自己紹介が終わるのを黙って待っていた神たち1年生はちらりと目を向けた。

膝丈のジャージの女子で、肩に大きなバッグを担ぎ、片手にスーパーの買い物カゴに似たバスケットを掴んでヨロヨロと、けれど音を立てないように忍び足で入ってきた。新入部員の自己紹介の邪魔をしないようにコソコソしているのだろうが、それが逆に気になる。

そうして最後の自己紹介が終わる頃、その女子は壁際に荷物を下ろすと、そそくさと2年生の後ろに並んだ。それを見た瞬間、神は息を呑んで彼女に釘付けになった。

体が、燃えてる――

それはまるで、体の表面に火がついたような感覚だった。足元から一気に体表を駆け抜けて、全身を炎で包んだのかと思うほどの錯覚。だけどなぜか体の芯はつめたく冷えていて、肌から立ち上る熱と一緒になってものすごく気持ち悪かった。少しだけ膝も震えていた。

つまり神は、この時一目惚れをした。

一目惚れだという自覚が出るのはもう少し先だったけれど、とにかく凝視しているのがばれないように、神はちらちらと彼女を目で追っていた。新入生の自己紹介が済むと、今度は先輩たちの自己紹介が始まってしまったからだ。3年生の主将副主将に始まり、こちらはもう人数が減っているのでさくさくと進む。

2年生まで全員終わったところで、監督の方から彼女の紹介があった。しかしここは想像通り。女子マネージャーだった。名前は。今のところマネージャーは自分ひとりだけどよろしく、と言ってぺこりと頭を下げた。

「うちで一番怖いのはオレでも主将でもなく、だからな。覚えとけよ」
「ちょ、そんなことありません! 怖くないです! 監督も後で覚えといて下さい!」

延々と続く自己紹介で疲れていた部員たちがワッと一斉に笑う。なるほど、こうして場を和ませるのにも一役買っているわけか。監督のネタ振りにもすぐに切り返せて、頭のいい人だな、と神は思った。顔もかわいい。近くにいる先輩が色黒なせいもあるだろうが、ずいぶんと色白に見えて、それにも惹かれた。

ちょっと前まで「女はウザい」とか思っていたのは何だったんだというところだが、神の中ではそういうことではなかった。自分の周りにはロクな女がいなかっただけ。のような女の子がいなかっただけ。だから女に興味がないということになっていただけだ。

話してみたい、触れてみたい、そんな風に思える女の子がいなかっただけで、やっぱり自分は異常じゃなかった。手近な女に媚び売って妥協して「彼女持ち」っていうステータスにしがみついていた奴らとは違っただけ。自分の場合は違う、本当の恋なのだ。――そう思った。

この日は練習が終わる直前になると、1年生だけが集められてに預けられてしまった。初日なので、部室の使い方や海南バスケット部の活動についてなどを教えてくれるという。2、3年生は、に連れられてぞろぞろと体育館を出て行く1年生には目もくれずに練習に没頭していた。

「知ってると思うけど、海南は昔からバスケ強いので、部室もちょっと大きいです。ロッカーも学年ごとに区画が分かれていて、基本的には他の学年のエリアには入らないのがマナーというか暗黙のルールになってます」

ちょっと大きいどころじゃない。海南大附属の中でも随一の実績を誇るバスケット部は予算も別枠、クラブ棟はバスケ部を中心に建てられたし、他の部では共用になっている備品もバスケット部だけは専用、というものばかり。は、そんな広い部室内を歩きまわる。

クリップボードを抱き締めながら話すが可愛いので、神は楽しくなってきていた。もちろんバスケット部に入りたくて海南に来たのだが、もうひとつおまけがついてきたみたいな感じで嬉しかった。いっぱい練習してスタメンになって試合でも活躍して、先輩に褒めてもらおう。そう思っていた。

「あと、これも聞いたことある人も多いと思うんだけど、うちは退部してしまう人がすごく多いです。私の代も最初は50人くらいいたのに、今11人しかいません。確かに練習はキツいと思うんだけど、せっかくこうして仲間になったので、できれば最後まで諦めないで続けてほしいなと思います」

県内最強である以前に、海南バスケット部は練習も県内最凶だと言われている。もちろんそれを承知で入ってくるのだが、恐らく今年もほとんど辞めてしまうだろう。は力を込めてそう言うが、それこそ10人残ったらいい方、というのが海南バスケット部としてはスタンダードだ。

「技術的な問題というより、気持ちの方が着いていかれなくなっちゃう人も多くて、そんな時はぜひ先輩や監督や、もちろん私でもいいので、何でも相談して下さい。みんなで一緒に日本一を目指しましょう!」

自分たちより小さいが一生懸命話し、最後には拳を突き上げてぴょんと飛び跳ねたので、神たちはつい半笑いで「はーい」と返事をした。監督の言う「一番怖い」は定かではないけれど、とりあえずという先輩マネージャーは、親しみやすくて可愛いということだけはわかった。

これは神だけではなく、他の1年もそう思っていた。しかも、は本当に相談に乗ってくれたり、細やかにサポートをしてくれたので、この年の1年の脱落スピードがものすごく遅かった。それでも退部者が出る度にはがっくりと肩を落していた。

そんなだから、辞めていく方もだけには改めて礼を言いに来るなどして、とにかく神たちの代はたくさん世話を焼いてもらったことを大変感謝していた。それに、バスケット部は練習時間も長いし試合も多いし、とにかくずっと一緒にいるので、1年生はそれはもうに懐いていた。

それにしては、を好きだとか言い出すようなのは現れなかった。あまりに同世代がに懐いているので少し心配になっていた神だったが、そんな心配は無用らしかった。さらに、は付き合っている相手もおらず、好きな人もいない状態だという。なんてラッキーな。

「そんな暇あると思う?」
「まあそうなんですけど。いいんですか、それでも」
「うん、後悔してないといえば嘘になるかな! ここまで時間ないと思ってなかったし!」

笑顔の割に目が笑っていないの乾いた笑い声に、1年生も一緒になって笑った。は女バス経験もなく、同じ中学から海南に入学した先輩マネージャーに誘われて入って来たという。本人はそれを「騙された」と言って憚らない。きっと先輩マネージャーの方は単に手が足りなかったのだろう。

「結局今の3年はいないし、みんなの代も入ってこないし、余計に時間がないって話だよね」

それを苦に退部を考えたことがあったらしいが、いなきゃいないで困る女子マネ、慌てた監督から担任に話が行き、部活を3年間全うすれば内申が得だと口説かれたそうだ。だが、実にその9割以上が内部進学の海南である。は、お前は何を言っているんだと思ったと回想している。

先輩も海南大に上がるんですか」
「今のところはそう思ってるけど」
「外部にも興味出てきたんですか?」
「えへへ、それは否定しない……なぜなら去年先輩が部活動実績で推薦で」

をバスケット部に引きずり込んだ先輩マネージャーが推薦で外部進学をしたらしい。いわく、「オッシャレーな女子大」に進学したそうだ。にんまりと目を細めたに、神もつい頬が緩む。

は絶対に先輩面をせず、また、試合にはほとんど出られないような部員でも、全員「選手」として接する。そして体育館にいる間は決して出しゃばらず、基本的には監督の手下状態。こんな風にフレンドリーになるのは部室に帰ってからだ。そういう態度もまた部員たちからの信頼を得られる理由になっている。

学年別ロッカーの1年生エリアの隣がマネージャーエリアになっていて、仕切りと天井の間の隙間はカーテンで閉じられている。一番多い時で女子マネが4人いたためか、マネージャー用のロッカーエリアも充分な広さがある。今はひとりで使い放題。

まだまだ先輩たちと気軽にお喋りとはいかない6月、インターハイ予選も終わり、テスト直前の部活終わり、1年生はいつものようにと雑談をしていた。

「あれ、神くんまた着替えてないの」
「はい、今日も個人練習したいので」
「そんなに毎日やってたら疲れない? ちゃんと食べてる?」

こうして部員の体調にも気を配るを、姉みたいだという1年生もいる。神はまた体の表面に火がついたような感覚を覚えながら、にっこりと笑顔を作って頷く。

「食べてますよ。まあ、先輩ほどケーキ食べたりは出来ないんですけど」
「まだそのネタを引っ張るかー! 神くんはそんな顔してるくせに中身黒いよ!」

昨年の夏休みの合宿、5年前からグレードアップした合宿所は夕食がビュッフェスタイルで、飢えた部員どもが肉を貪り食う中、誰も手を付けないケーキの殆どをが食べてしまったのだという。本人はプチケーキを「ちょーっと多めに」食べただけで、普通のサイズなら2つか3つくらいのはずだと言い張っている。

しかし同学年の部員によれば、トレイの上にずらりと並んだケーキは少なくとも60個はあったはずで、きっちり半分でも30個、いくらプチケーキでも、まとめて並べたらA5サイズくらいになる量だったという。鉄板のイジりネタなのだが、本人は恥ずかしいらしく、神の頬をにゅっと引っ張った。

「今年も合宿はそこなんですよね。先輩がどれだけケーキ食べるのか楽しみだな」
「今年はもう食べませんー。ていうか毎年デザート余るから入れないでもらおうかって話も出てるし」
「いいんですか。そしたら食べるものなくなっちゃうでしょ」
「ば、売店があるからねっ!」

または白々しい笑顔でそっぽを向いた。可愛い。

入部して3ヶ月、神の一目惚れは緩やかに、しかし確実に加速していて、他に部員がいなくても自分からに声をかけて喋るようになっていた。はもちろん拒否したりしないし、神の方もが監督や先輩に用があると見れば邪魔したりはしないので、かなり「仲良く」なってきていた。

そんなわけで、神の正直な偽らざる気持ちは、と付き合いたい、である。

だが、の言うように暇じゃないバスケット部、その上一応神とは先輩後輩で、が年下なんて絶対嫌、というタイプだったら可能性はゼロに等しい。こうして仲良く出来ていても、それが神の望むような「恋愛」に発展するかどうかは非常に怪しい。

もしが付き合ってもいいと思ってくれたとしても、果たして海南バスケット部は部内恋愛をどう考えているんだろうか。絶対禁止なら最初にそう釘を差されていそうなものだが、誰もそんなことは言い出さないし、というかそもそも部員の彼女持ち率の低さはいっそ悲惨なほどだ。時間がないということは恐ろしい。

神はそんなことを考えつつ、どうにかしてこの可愛い先輩と特別な関係になれないものかと思い始めていた。

時間がないとは言うが、同じ部活をやっているならずっと一緒にいられる。合宿もインターハイも夏休みの間も国体もずーっと一緒。こんなに都合のいいことはない。はもちろん、自分も公私の区別はちゃんと付けたい方だし、さえいいなら、うまくやっていかれるんじゃないか。神はそんな風に考えていた。

そして私物のボールを取り出そうとしてバッグに手を突っ込んだ神は、妙案を思いついた。思わず頬が緩みそうになるけれど、ぐっと堪える。年下は苦手ですか、なんてあからさまなことは聞かれないけれど、これなら上手くいくんじゃないだろうか。神は無表情を作って顔を上げる。

他の部員に「ケーキがなくてもアイスがあればいい」と言って笑っているの後ろ姿、なぜかそれがいつもより色っぽく見えて、神の体はまた燃えるように熱くなった。