プロミネンス

02

いくら妙案を思いついても、時期が悪かった。直後に期末に突入、終わればテスト休みだが、何しろインターハイ目前。練習は休みなく行われるし、夏休みに入れば合宿、帰ればすぐにインターハイへ出発。その分ずっと一緒にいられるけれど、のんびりコミュニケーションを取ってる場合じゃない。

それでも合宿の時だけは少しだけ余裕があった。

遡ること6年前、それまで利用していた合宿所が老朽化による建て替えのために使えなくなってしまった。そのため、改めて体育館のある宿泊施設を探したのだが、急な話だったせいでずいぶん遠い場所になってしまった。が、その分ちょっとだけ豪勢な宿泊所で、チーム海南は大喜び。

もちろんそんな豪勢な場所なので予算がだいぶ増えてしまったけれど、部員たちが大喜びしたのと、急に大人数を引き受けてもらった恩とで、以来、毎年ほぼ惰性でこの宿泊施設を利用しているが、一応毎月徴収している部費でも補填しきれなくなってきたので、翌年スタッフがひとり減らされた。

つまり、女子マネージャーが欠かせないのはそのせいである。人件費のかからないスタッフだ。

合宿所は館内施設も豪華で、以前は大浴場くらいしかなかったのに対し、今度はプールにジムにサウナに露天風呂まで完備。が言うように売店もちゃんとある。というか狭いコンビニかというほどしっかりした売店だ。そこに初めて訪れた神は、確かにこれならデザートがなくても大丈夫そうだと納得した。

「ふふん、君たちは海南の合宿の恐ろしさをまだ知らないのだよ」
「まあそうでしょうね、初めてですし。先輩のようにお盆休み屍かもしれません」
「どうしてそう可愛くないの神くんは!!!」

今日も1年生の面倒を見ているは、先頭に立っていた神をうちわでビシッと叩いた。夏休みに入る前に合宿の説明をしてくれた主将によると、昨年合宿とインターハイですべての力を使い果たしたはお盆休みの5日間、ほとんど起き上がれなかったという。おかげで夏祭りの花火が見られなかった。

「私だって花火行きたかったけど、もう生きてるだけで精一杯だったんだもん」
「今年は行かれるといいですねえ。かき氷お腹いっぱい食べたいでしょう」
……神くんは……私になんか恨みでもあるのかね……?」

がプルプルしているので、ふたりの後ろを歩いていた1年生がブハッと吹き出す。前年の国体、残暑が厳しい中で大会期間中1日3つから5つコンビニかき氷を食べていたは、案の定腹を壊して強制送還された。さすがに監督の雷が落ち、以来は部活中は常温の水分しか取らないと決めている。

「オレのせいですか。そういうことをペラペラ喋る先輩が悪いんですよ」
「そっちは制裁済みだからいいの」

基本的に、この手のイジりネタの提供元はこの年の主将である。だが彼はそのせいでインターハイ予選決勝リーグの間に、ユニフォームがひとりだけ濃厚なエレガントフローラルの香りの柔軟剤で仕上げられており、しかもそれが因縁の翔陽相手の試合で、向こうの主将に「臭っ!」と言われた。

「今度やったら、ひとりだけレース付きのタオルにするから」
……監督が言ってた、先輩が一番怖いっていう意味がわかってきました」
「怖くないってば。やられたらやりかえす。それだけじゃん」

そうは言うが、の報復は万事こんな調子で、つい先日も監督のクリップボードの背面が、ピンクと黄色のリボンとスイーツのデコパーツで埋まっていた。3年生が部室の窓を閉め忘れていたのに、のせいにされたからだ。実害はないに等しいけれど、精神的なダメージが大きい。

「だけど冗談抜きで、本当に具合悪くなることも多いから、おかしいなと思ったら早めに言ってね」
「強制送還ですか」
「それは症状によりけり。去年は帰らないで済んだよ。まあおかげでこっちは眠れなかったけど」
「ずっと看病してたんですか」
「具合が悪くなったのがもう遅かったんだよね。それでマネージャーの部屋でずっと看てた」

去年はふたりいたからね、とはへらへら笑っているが、これはさすがに神でなくとも「具合悪くなりたい」と思ってしまった。そうしたら一晩中に看病してもらえるのだ。女子マネの部屋で。今年ならとふたりきりで。体を拭いてもらったり擦ってもらったりしてもらえるのだ。とふたりきりで。

というか、その去年具合悪くなったのは誰だ。去年の3年生ならもういないけれど、去年の慣れない1年生ならまだいるんじゃないのか。そのほとんどが退部する海南バスケット部だが、夏の合宿まで残れると、その後は比較的長続きしやすいそうだから。ほんとに誰。

「えっ、キャプテンだよ」
「はあ!?」
「ちょっと夏バテっぽかったんだよね。偏食だし、だらしないから」

神はまた少しだけ肌が熱くなった。どうにもこの主将というのが、やたらとをネタにするし、こんな風に密接なエピソードは多いし、の方は「ダメな先輩」という認識が強いようだが、本人がどう思っているのかはわかったものじゃない。

だが、ちょっと羨ましいぞキャプテン、という気持ちになっていた1年生は、その後すぐに考えを改めた。

「何言ってんだ、地獄だぞ」
「女子マネふたりに看病してもらったのにですか」
「そりゃ女子マネ部屋だったけど、3人だけにするわけないだろ、監督もいたんだよ」

1年生は大浴場の巨大な浴槽で「ああ……」という薄っぺらい声を上げた。

「具合悪くて辛いのに、隣で監督大いびきで寝てるし、マネージャーふたりは隣の部屋で延々喋ってるし」

今度は「うわあ……」という声が上がる。は献身的に看病したんだと言いたげだったが、主将の語る地獄絵図は容易に想像がつく。1年生の淡い期待がガラガラと音を立てて崩れていった。

「伝統的に海南の女子マネは性格がちょっとアレなんだよな」
「去年いたっていう……
「まあ、あれは比較的おとなしい方だったか。の方がおかしい」

主将は浴槽の縁に仰け反ってげんなりしている。それを聞きながら、神は短く息を吐いた。をイジるばかりの主将に若干の不安を持っていた神だったが、これはどんどんやってもらった方がいい。そうしてのイメージが悪くなればなるほど、他の部員たちの気持ちは恋愛感情にならないはずだから。

「一生懸命サポートしてもらって感謝はしてるけど、もう少し優しい女子マネってのはいないもんかねえ」

そう言って主将は湯の中に沈む。神は天井を見上げ、満足そうに目を閉じた。

合宿から帰り、インターハイは3位、華々しい活躍のようだが、あくまでも優勝を目指す海南としては、後悔の残る試合だった。いくら準決勝で負けた相手が優勝校でも、そんなことは関係ない。試合に出なかった部員でも、やっぱり関係ない。

強豪校だが未だインターハイで優勝経験のない海南は、毎年こうして帰ってきては少し腐る。そんなわけで10年ほど前から、バスケット部員だけにちょっとしたサービスが用意されている。夏祭りの夜、校舎の屋上を開放してもらえるのだ。花火を見るだけで他には何もないが、それでも部員は全員揃う。

昨年、体調を崩したは来られなかったので、花火を心待ちにしていた。そして、先輩たちから浴衣を着て来いとしつこく言われていたが、本人はがっくりと肩を落として「持ってないし買ってもらえない」と言っていた。

だがどうだろう、浴衣がないは鮮やかな色のロングワンピースとビジューのたくさんついた高いヒールのサンダルで現れて、どうだと言わんばかりに腰に手を当ててふんぞり返った。しかし期待していたのは浴衣のみ、という潔い先輩方の評価は「60点」。キャプテンはとうとう蹴られた。

「きれいな色のワンピースですねー」
「ううう、そんなこと言ってくれるのはみんなだけだよ……!」
「そうかなあ、先輩たち、からかってるだけなんじゃないですか」
「そんなことないと思うなあ。さっき武藤に『オバサン臭い』って言われたしぃ」

褒めてくれるのが1年生だけなので、または神たち1年生の中に混じってぶつくさ言っている。とりあえず神は先輩の武藤を蹴落としてスタメン入りすることも目標に加えた。

「だってさ、このワンピース2980円なんだけどね、浴衣はね、下駄とかバッグとか、全部一から揃えたら安くても2万くらいかかるって言うんだもん。無理だよ〜」

そういうのワンピースが風にはためき、体のラインが露わになる。少し広めに開いた背中が夜空の下に青白く光り、神はまた体に炎が走るのを感じていた。もう、これがへの欲情なのだということは疑いようがなかった。その肌に触れてみたい、キスしてみたい。

もしそんな風に触れたら、一体先輩はどんな顔をするんだろう。何を言うだろう。

ある意味では、神はいつかとそんな関係になれることも疑っていなかった。それは有り体に言えばただの「勘」であり、明確な根拠があるわけじゃなかった。けれど、はきっと自分を拒んだりしないだろうという妙な自信があったし、相性も悪くないと思っていた。

遠くに花火が打ち上がり、校舎の屋上は男子の歓声で沸き上がる。その片隅で「きゃー!」とひとり甲高い声を上げているは、まだ神の隣で風に煽られている。みんなが柵に寄りかかっている中で、と神だけが屋上の真ん中に残っていた。

「先輩、ちゃんと見えてます?」
「今日はヒール高いからねー! いつもより視線が上なんだよ」
「肩車してあげましょうか」
「スカートだよ!! って、もし神くんに肩車してもらったら何メートルになるんだろう……

自分の身長と神の身長を足してご満悦のの背を、神はそっと手のひらで押した。

「じゃあ、スカートじゃない時にしましょうね」

きょとんとしているの傍らで、神はまた炎に包まれていた。

神の「妙案」が実行に移されたのは、新学期に入ってからのことだ。

この年も秋の国体は海南が神奈川県代表で出場する。県内の強豪校から選抜チームを作って出場するところも多いが、もう10年以上国体は海南だけで出ている。それで充分だからだ。そんなわけで、既に国体対策を中心に練習を重ねているバスケット部の場合、新学期でも特に変化はない。

だが、2学期に入ってすぐの9月は、バスケット部では毎年恒例の「恋の嵐」が吹き荒れる季節だ。

通常、海南大附属の運動部の3年生は1学期の内に引退している。内部進学が殆どなので、特に引退しなければならない理由もないのだが、春や夏にかけての大会で成績を残せなければ、それをきっかけに引退するのが習慣になっている。なぜかそれは文化部にも踏襲され、部活に入るとすぐに3年生がいなくなる状態だ。

これに当てはまらないのは、秋に何かしらの大会があるか、文化祭を最後に引退という習慣のある文化部くらい。ちなみにバスケット部は12月に全国大会があるので、主力の3年生は全員残る。というか海南の主力選手ということは、全国でもトップクラスの選手であり、進路はとっくに決まっているので、どれだけ部活をやっていても問題はない。

そんなわけで、殆どの生徒には「秋は暇」という認識がある。そのため、インターハイも終わったし、というつもりで告白されることが多いのだ。だが、この頃のバスケット部はまったく暇じゃない。バスケット部がせめて暇な時期というと、3学期くらいなものだ。単に全国大会がないから。それでも練習はしている。

ここでよくよく考えて返事をしないと、あとでモメて面倒くさいことになる。そもそもが国体も冬の選抜も知らない女の子が告白してくるのだし、当然ながら普通の付き合いを求めているのだし、部活に熱心なことを理解してもらえなくて続かなくなることが殆どだ。

この年、1学期の壁を突破してバスケット部に残っていた1年生は21人。これでも多い方だという。それは恐らくのサポートがあったからなのだが、とにかくこの21人の中でもそこそこ見栄えのする8人ほどが一気に告白ラッシュに見舞われた。神もそのうちのひとりだ。

しかし神の場合、1学期の頃から既にその傾向があって、夏休みに入るまでに手紙を3通、直接の告白を2度受けている。もちろん全てやんわりと断ったけれど、2学期に入ると、また下駄箱に手紙というレトロな展開が待っていた。とはいえ、ある程度は予想していたことで、神はその手紙をバッグに突っ込むと、部室に向かった。

「ああそうか、そんな時期なんだねえ」
「去年もこんな風だったんですか」
「毎年みたいよ。あとは冬の選抜終わった後。これは2年生かららしいけど」
「面倒くさいとかお前らは贅沢なんだよほんとに」

神が部室に到着すると、と1年生数人と副主将がひと塊になって喋っていた。この年の副主将はキャプテンより人望がある良い先輩だったが、いかんせん顔が怖かった。もちろん身長も高いしとてもいい人なのだが、彼女が出来ないまま3年生が半分終わろうとしている。部活が忙しくて好きな人も出来なかった。

「おう、神」
「おはようございます。何かあったんですか」
「また告られたんだってー。ほんとにこの時期は忙しいね」
「お前はどうなんだよ」
「はあ、実はオレも今日また」
「マジか! まあしょうがねえか、お前可愛い顔してんもんなあ」
「いや、そんなん嬉しくないっすよ……

神は努めての方を見ずに1年生の輪の中に入り、さっき突っ込んだばかりのラブレターらしき手紙をバッグから取り出す。きれいな封筒には小さい字で「神くんへ」としか書かれていない。

「なんか直接言ってくれればちゃんと断れるんだけど、手紙って扱いが難しいよな」
「しかも手書きってすごい気を遣うよな。いや、プリントしてあればいいってわけじゃねえんだけど」
「てかほんとに名前書いてあっても誰だかわかんないのに、どうやって返事しろっていうんだよな」

この年のモテ1年数人は、ラブレターあるあるで困った顔をしている。副主将が3年のロッカーに戻っていったので、1年生は遠慮なく誰だか知ってるかだの、どうやって断れば角が立たないかを議論している。

「先輩、こーいう時どうすればいいんですかね」
「一応私が聞いてる話では、相手がわからない時は基本、無視らしいよ」
「そっ、いいんですかそんなこと」
「うん。それでこじれたことはないって話。直接の方を間違える方が怖いって」

1年生たちはうんうんと頷いている。直接告白された時のうまい言い訳なんかは先輩たちが教えてくれるので、今のところそれをそのまま使っている。きっと来年の1年生もそれを使うんだろう。そんな中で、神はラブレターを片手に足を組み、首を傾げた。

「だけど本当に面倒くさいよな。どの子もなんだか本気というわけでもなさそうだし」

あえて言わないことを神が言うので、1年生は黙る。その横でも首を傾げた。

「そうなのかなあ。みんなのこと好きだから告ってくるんでしょ」
「というわけではないと思います」
「えっ、どうして?」
……本当に好かれてるのかそうでないかくらい、わかるじゃないですか」

神は指に挟んだラブレターをひらひらと振る。一応開けてみたが、知らない名前だった。クラスも学年もわからない。きっと差出人の女の子は面識があるつもりなのだろうが、彼らは忙しいので、よほど印象の強い子でなければなかなか記憶しない。同じクラスの子でも気付かないということも、なくはない。

「ダメ元で言ってみた、勢いで書いてみた、って感じがします」
「それじゃダメなの?」
「暇じゃないので。相手が誰であれ、煩わしいです。試合も近いのに……

そう言われるとは黙る。そして一応彼らモテるタイプの1年生でも、全員真剣にバスケットに打ち込んでいて、本当に真剣な告白ならともかく、面識もないようなのに言い寄られても困るだけだ。こうして毎度毎度、せめて失礼がないように断る方法を考えるのだって簡単ではない。

「まだ試合に出られるほどじゃないけど、暇じゃないし、こういうのがなくなるいい方法はないかな」
「そりゃあ彼女持ちになることでしょ!」

自信満々で腕組みをしたに、神はにっこりと微笑んでみせる。

「それが出来てたら苦労しないですよ。なあ?」
「まーなあ。それがずっとうまくいく保証もないんだしな」

彼女持ちになれば告白されなくなるだろうが、その代わりに彼女と部活をいい塩梅でコントロールしていかなければならない。告白の煩わしさを取るか、彼女に気を遣う煩わしさを取るか、ふたつにひとつだ。

そして神は「妙案」が考えていた通りに展開しているので、またにっこりと笑う。

先輩、付き合ってる振りとかしてくれません?」

適当に話を聞いていたはつい何も考えずに「いいよ!」と答え、直後に慌てた。しかし、神本人だけでなく他の1年生たちも、それいいんじゃないのなどと言い出し、慌てるをからかって笑っていた。何しろ1学期の壁を乗り越えた彼らはつまり、入学して以来ずっとに面倒を見てもらっている部員ということだ。今さら彼女の振りくらいでは大げさなことに感じない。姉みたいなものだから。

「じゃあお願いしますね、先輩!」
「えええ、ほんとに!?」

ちょっと困った顔をしたに、神はまた肌が焦がれるの感じていた。