プロミネンス

07

アイスクリームを食べ終わったはしかし、まだ一応神が食事をしていたので、それが終わるまで雑談に付き合い、途中でアイスティーを貰ったり、神からCDを借りたりと、なんだかすっかり警戒が解けてしまって、バスの時間を調べようともしなかった。

だが、神の食事が終わればもう用はない。鍵も渡したし、はごちそうさまと言って席を立った。とりあえず神はそれを止めない。わざわざありがとうございました、などと言いながら玄関までついていく。

「予選て言ってもうちはシードだから、まだまだ先だけどね」
「月末くらいですかね」
「神くんたちは敵情視察に行かされるだろうけどねえ」

そんなことを言いながらは靴を履き、トントンと爪先を打ち付ける。

「じゃあまた明日ね」
「はい、お疲れ様でした」

がもし、性格が細やかなたちで、言葉がひとついつもと違っただけでも敏感に感じ取って、臨機応変に物事と向き合うタイプであったなら、神の様子がおかしいことに気付いただろう。

もう21時近いというのに、神は「バス停まで送りますよ」と言わなかった。もしくは、が自宅まで帰る系統のバス停まで自転車で送って行きます、とも言わなかった。

その上、合宿やインターハイなどの記憶をちゃんと掘り起こせていたなら、神が練習終わりとしては異常なほど少ない食事で済ませていることに気付いただろう。それら全て、が神の自宅にいることも含めて「いつもと違う」ことだったはずなのだ。

楽しくお喋りをして警戒が解けていたが玄関ドアに手をかけたその時、神が後ろから飛びついた。

「ふぁっ!? ど、どうしたの急に」
――先輩、やっぱり帰らないで」

言いながら神はの体をきつく抱き締め、後ろから頬を寄せた。

「か、帰らないでって、何言ってるのやだな、あはは」
「ここにいて下さい」
「まさかご家族がいなくて寂しくなっちゃったりして? そんなわけないかー」
「そうかもしれません。ひとりは嫌です」
「えっ、ほんとに!?」

高校2年生にもなって、お父さんとお母さんがいなくて寂しいなんて言えないだろう。はそんな考えでからかって誤魔化そうとしたのだろうが、そんな一時のプライドで見栄を張ってくれるほど神は甘くない。に何と思われようと、帰さないことの方が大事なのだから。

「だ、だけどほら明日も練習あるし、もうすぐテストだし」
「練習もテストもちゃんとやりますよ。だけど、明日の朝まではどっちもありません」
「そ、そうだけど、私が泊まってどうするの、勉強なんか教えてあげられないよ〜!」

の腕が少し震え出した。言わずとも意味はわかっているらしい。

「そんなもの必要ありません」
「じ、神くん、あのさ私――
、オレと一緒にいて」

理屈が通じないとわかって、自分の気持ちの方がだめなのだと言い出そうとしたを遮り、神は刃物のような一言を差し込んだ。案の定は体をガチガチに強張らせて黙った。その体を向き直らせて、神は顔を近付ける。の顔は真っ赤、唇も少し震えているし、また瞳がちらちらと揺れている。

「朝までここにいて、、一緒にいて。ひとりは嫌だ」

いっそ泣き出しそうな表情をしたが顔を上げるので、神は素早く唇を奪った。微かな呻き声とともに、は強張ったままの身を捩り、神の腕に指を食い込ませる。足が震えているを引き寄せながら神は後退りして、玄関に座り込む。を膝に抱き、隙間なくキスを繰り返し、彼女の体が緩むのを感じ取っていた。

緊張してるだけ、ちょっと怖いだけ、これでいいのかなって考えてるだけ。そうでしょ、――

神の考えている通りかどうかは別として、確かには拒絶を示したりはしない。神はそれを同意の証と受け取った。気持ちは充分に傾いている。それを確信した神は、膝に抱いたの体を抱えて、玄関からダイニングに続く短い廊下にごろりと横たわらせた。

「じ、神くん、ねえ」
「帰らないで、ここにいて」

やっとのことで絞り出したような声に被せて神は「ひとりで寂しい」のだと繰り返す。に覆い被さってキスをして、腕から腰から足へと手を滑らせていく。は上手く呼吸が出来なくて、息が上がっている。

「神くん、やだ、こんなところで」
「ここじゃなかったらいいの?」
「そ、それは――
「今ここで手を離したら、帰っちゃうでしょ。オレと、一緒にいてくれないんでしょ」

面倒見がよく優しく、そこそこ責任感もあるというの場合、こうした「押しに弱い」んだろうという推測が神の頭の中にあった。立場上後輩である自分なら、それもプラスになって、は容易に「絆される」と考えていた。なりふり構わず寂しいから一緒にいて欲しいなどと言われたら、断れないんじゃないだろうか。

さらに、あまりに急激な変化、それも刺激が強くてストレスが溜まるような事態に遭遇した場合、全てを拒絶して逃げ出してしまえるようなタイプならともかく、絆されかかっているには、「妥協」が生まれるはずだと考えていた。そこまで持っていければ、を帰さなくて済むはずだ、と。

「だって、そう、ほら、無断で外泊なんかできないよ」

一番もっともな反論が出てきたので、神はの首筋に吸い付き、制服のスカートの中にするりと手を差し込んだ。くぐもった悲鳴が上がり、はびくりと体を縮ませる。がうんと言わない限り、神は手を止めないだろう、こんなフローリング張りの玄関で抱かれてしまうんだろうか。そんな考えが頭に浮かぶ。

そして妥協が起こる。

部活が忙しくて彼氏ができないの場合、キスも神が初めて、このままここで抱かれてしまったなら、それも初めて。いくらなんでも玄関先の床の上で初体験は嫌だ。寂しがる後輩は離してくれないし、だけど親に何も言わずに制服のまま外泊なんかしたら、どんな目に遭うか。

だったら、それよりは、こんな玄関で初体験と無断外泊よりはマシだ!

「神くん、わかった、わかったから離して、せめて親に電話させて、お願い」

息苦しさに喘ぎながら、は神の頬に触れた。

「電話したら、一緒にいてくれるの?」

また泣き出しそうな顔をしたはしかし、眉を下げて微かに微笑むと、頷いた。神はその時初めて、自分の体が冷たかったことに気付いた。直後に炎の中に飛び込んだのかと思うほどの熱に襲われたからだ。

、よく覚悟したね。大丈夫、オレは本当に君のことが大好きだから。

神はを抱き上げて部屋に運び込んだ。もう何年も早朝から練習に出かける日々が続いているので、神の私室は1階にある。両親の寝室や収納部屋が2階にあり、休日で両親がゆっくり休んでいても、神は勝手にキッチンやバスルームを使って練習に行かれるようになっている。

玄関から少し逸れた場所にある6畳間は元々和室だったが、高校生になった時にフローリングに直してもらった。押入れも潰してクローゼットになり、障子窓は浅い出窓になった。いずれ息子が進学で家を出たら、母親が趣味の部屋にしたいというつもりもあったらしい。

ベッドの上に座らされたは、ぺったりと抱きついている神をちらちら見ながら母親に電話をかけた。そして、神同様海南から近い場所に住んでいるバドミントン部の友人の家に泊まると言った。ちなみにその子は今年の部長。大して強くはないが、男バス紅一点のを気遣ってくれる優しい友人である。

母親が激怒して許してくれない、なんていう展開にならないことを祈っていた神の願いは、あっさり天に通じたらしい。自身も拍子抜けするほど簡単に外泊の許可が降りた。まあ外泊と言っても、どちらにせよ翌日は部活なのだし、予選前で中間前、部活に熱心な娘を疑うという発想がなかった。

「じゃあもうずっと一緒にいられるんですね」
「う、うん……

この時ばかりは正直な気持ちが漏れ出てしまって、神はにんまりと微笑んでをベッドの上に押し倒した。

「わ、ちょ、待って、お願い、あの」
「大丈夫ですよ、オレだって初めてなんですから」
「いやそういうことじゃなくて!」
「え?」

ぐいっと顔を押し戻された神は、きょとんとして目を丸くした。急にどうした?

「せめて、シャワー、貸して、お願い」

自分がシャワーを浴びてしまっていたのですっかり忘れていた。というかが例え汗だくになっていたとしても、たぶん気にならなかったんじゃないだろうかと思う。だが、それこそも初めてなのだし、それでは可哀想だ。神は頷いてバスルームに連れて行く。

タオルを用意して、制服を入れておく紙袋も用意し、その代わりに羽織るものとして、神は自分のシャツを引っ張り出してきた。彼服ならボタンシャツだろ! そして、シャワーの音がしたところでバスルームに入り、自分も歯を磨いておく。既に何度もキスしたけれど、次にキスをするのは唇だけじゃないから。

部屋に戻り、神はベッドの上に寝転んで待った。静まり返っている家の中に、シャワーの音だけが響く。

きっと、に一目惚れしたあの時から、こうなることを望んでいたんだろうと思う。だけどそれは中々現実にならなくて、焼けるような肌をずっと持て余してきた。それがようやく叶う。神は何度か寝返りを打つと、ゆっくりと息を吐く。緊張もあるが、ほんの少しだけ焦りの方が強い気がした。早くを抱きたい。

既に明かりを落としてある部屋にが戻ってきたのは、それからしばらく経ってからだった。まさか彼シャツ1枚にさせられるとは思っていなかったらしく、しきりと裾を気にしている。

「こ、こんなの、恥ずかしいんだけど」
「そうですか? すごく可愛いけど」

部屋に入ったはいいが、中々近寄って来ようとしないを迎えに行き、神は手を引いてベッドに座らせた。シャワーで温まった体から、ふんわりとの香りが立ち上っている。まだが裾を気にしているので、神はゆったりと抱き締め、髪や背中を撫でた。の手も神の背中に伸びる。

「寒くないですか」
「今は、平気」
……怖い?」

何度もが喉を鳴らすので、神は耳元でそう囁いた。が微かに頷く。

「お風呂で覚悟、してきたつもり、だったんだけど」
「優しくします。乱暴にしたり、しないから」
「怖いのと、恥ずかしいのと、よくわからなく、なっちゃって」
「恥ずかしい?」
「だ、だって、その、裸、なわけだから」

普段なら老師キャラが出てきそうな口調だった。上手く取り繕えない、いい誤魔化し方が見つからない、そんな時の声色だ。神は少し身を引くとの頬に触れ、そして肩から腕、足へと手を滑らせる。素肌の腿に触れると、はびくりと体を震わせた。

「恥ずかしく、ないよ。、きれい」
「そんな、こと」
「肌、すべすべ。ふわふわしてる。白くてきれい。ずっと、触ってたい」
「は、恥ずかしいよそんなこと、神――

その白い肌が桃色に染まっていくのを見ながら、神はの唇に食いつく。

「宗一郎」
「え?」
「言って、オレの名前」
「えと、あの、そ、そう、宗、一、郎」

もうは真っ赤だ。神の肌も極限まで熱を帯びている。に焦がれる恋の炎、それが天を衝くほどに燃え上がり、にも飛び火したかのようだった。神はまた唇を寄せて、時間をかけてキスしていく。唇の緊張と一緒にが解けていかれるように、じっくりと、丁寧に。

そんなことをしているのももどかしい、早くを裸に剥いてしまいたい。そんな欲と戦いつつ、神はをベッドに横たえ、キスを続けながら全身を撫でていく。唇の緩みを確かめながら徐々に手を服にかけ、胸元のボタンをひとつずつ外していく。

の胸まで、あと少し。ボタンを3つ外したところで淡い色のブラジャーが現れたけれど、それも目には入っているのに識別できていない状態だった。

「ご、ごめん、ブラ、可愛くなくて」
「え?」
「まさかその、こんなことになるとは思ってなくて、上下も合ってないし」

神は思わず顔を上げて目を丸くした。いやそんなこと何も気にしてないけど。ていうか見てなかった。言われてみれば色が違うようだが、今はそんなことに意識を回す余裕なんかない。しかしそれは馬鹿正直に言ってはいけないんだろうという気がした。神はゆっくり首を振る。

「中身が可愛いんだから、大丈夫」
「なっ、そんなことないよ」
、可愛い。可愛いよ」
「やめ、やめて可愛くないから」

涙目を手の甲で隠しながら顔を背けるので、その手を掴んで取り払い、神は顔をくっつける。

可愛い」
「なっ――
、可愛いよ」
「や、やめ、恥ずかし、から」
「可愛い、、すごく可愛い」

真っ赤に染まったの左目から、涙が一滴伝い落ちる。神はまたゆったりとキスをして、頭を撫でた。

、オレを見て」
「宗一郎……
「オレのことだけ見てて」

の腕が首に絡まり、くすんと鼻が鳴る。神はの首筋に頬を寄せながら、ますます燃え盛る炎に身を委ね、意識的に保っていないと、いつでも飛んでいってしまいそうな理性を繋ぎ止める。

、オレのものになって。オレだけのになって。そして、朝までこうしていよう――

ベッドサイドの明かりだけが灯る部屋で、神はを抱きかかえたまま目を閉じていた。はまだ一糸纏わぬ姿のままで、疲れ果てて眠っている。神も少し疲れてうとうとしたけれど、すぐに目が覚めてしまった。手に持ったままの携帯はそろそろ24時を示している。

念願叶った――という割に、神は想像以上に舞い上がってしまい、なんだか細かいことはよく覚えていない。

がすごく痛がったのと、出血の可能性をすっかり忘れていたので、その時だけは少し慌ててしまったけれど、それ以外では概ね問題がなかったんじゃないだろうかと思える。はどうだっただろう。痛いことはちゃんと言ってきたけれど、その他のことは何も言わなかった。

神に言われたとおり、「神くん」ではなくて「宗一郎」と呼び、頑張って顔を見つめてくれていた気がする。

がシャワーを終えて部屋に戻ったのが21時半くらいだっただろうか。何とか無事に終わってちらりと時計を見上げたら、23時を過ぎていた。それからすぐにが眠ってしまい、神がまどろみから覚めたのがつい先程、というわけだ。

無音の世界だった。

家の中には誰もいない。金曜の夜だけれど、住宅街は静まり返っている。かすかに聞こえるのはの寝息と、自分の心臓の音だけ。肌が発火したんじゃないかと思えるほどの熱もなく、気持ちのいい疲労感だった。

それにしても、はこんな裸のまま寝かせておいていいんだろうか。もう寒い時期ではないけれど、さすがに下着もつけてないのは体を冷やすんじゃないだろうか。とはいえ本人はよく眠っているし、どうしたものか。ついでに明日の朝はどうしようか。

すっかり興奮が収まった神は、今更ながらに勢いでを引きずり込んだことを反省している。から電話があった時から、ずっと冷静でなかったのだ。親がいないという絶好のチャンスに、如何にしてを連れ込むか、帰さないようにするか、そのまま泊まらせるようにするか、それだけで頭がいっぱいだったのだ。

来客があるので、朝練は出来ない。練習開始もいつもの1時間遅れ。これはまあ、さっさと帰ったも知らないことだし、自分も聞き逃していたとでも言えばいい。さっき部員から聞いて知りました、危なかった、とでも言えばいい。問題はその先だ。

一緒に学校にいくのはダメだろうか。こそこそと別々に家を出て、ふたりとも自宅から来ましたっていう顔をしてないとダメだろうか。こんな時くらい、一緒に行きたいんだけどな。ていうか親が帰るの、明後日の昼頃なんだけど。、明日も泊まろうよ、一緒にいてよ――

神はぼんやりした頭で携帯の時計表示を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。