プロミネンス

08

親もいないのだし、またを連れて帰れないかと考えていた神だが、もちろんそんなことは出来なかった。何しろテストも始まるし、結局のところ、部内では「付き合っている振りをしていると神」という認識を訂正して回るほどには、明確な取り決めもしなかった。

それでも一応同意のもとでと一夜を過ごした神はつまり、調子に乗った。

既成事実が出来たとも考えられるが、何しろ抱き締めたりキスしたりというのとは次元が違う。しかも初めてだったのに。明確な取り決めがなくても、納得して自分を受け入れてくれたのだから、それはもう遠慮のいる関係ではないんじゃないだろうか。それが根拠だ。

テストを挟み、予選の間の敵情視察をしながら迎えた予選1戦目、第一ブロックのシードである海南は、既に4戦勝ち抜いてきた高校と対戦するわけだが、まあここで負けるようなら「絶対王者」とは言われない。さくっと勝ってきた。これが終わるとほぼ1か月後に決勝リーグが始まり、海南にとってはこちらが本番である。

さくっと勝ってきて、また1ヶ月練習に励む。というか海南の場合、この後に控えている決勝リーグですら、余裕で通過できなければ困るという認識だ。何しろここで勝って出場するインターハイの方がメインであり、なおかつそれも2戦目3戦目あたりで敗退するようでは話にならない。

そんな状況なものだから、普段通りハードな練習を繰り返しているとはいえ、予選だ、決勝リーグだ、と言っても、あくまでそれは「こなすもの」という空気がある。去年は全くそんな状態だった。それよりも、インターハイにおける強豪校対策で目一杯になっていた。

しかし、今年に関しては主将がそんな空気をよしとしないタイプで、ひとり監督だけがのんびりしているといった雰囲気だった。またこの年は、決勝リーグにまるで想定外のチームが進出してきたけれど、監督は意に介さず、主将は相手がなんだろうと倒すの一点張り。

「まあ、対策を取らなきゃ勝てないわじゃないですからね」
「対策ゼロでも勝つのが海南なんだしねー」
「マネージャーが色々データ取りに行ってくれれば話は早いんだけど……

決勝リーグを翌週に控えた日曜日、いつものようにと神たち2年生は、部室でぼそぼそと喋っていた。

は前副主将に「全学年を繋いでやれ」と言われていたけれど、何しろ今年は1年生女子マネージャーが5人である。は1年生とはあまり距離が縮まらず、2、3年生をが、1年生は1年生マネージャーが、というバランスの悪い分担になってきた。

「だけど先輩が引退したらあの5人しか残らないんだよな。大丈夫かな」
「私も一応冬までいるから、それまでにはなんとかしないとね」
「そのくらいになればなんとかなるんですかね」
「みんなもちゃんとサポートしてあげなよ。来年はもう私いないんだから」

は腰に手を当ててふんぞり返り、部員たちはへらへらと笑っていたが、神は体の芯が冷えてきていた。まだ5月だが、あと半年ほどではこのバスケット部からいなくなる。さらに数ヶ月後には海南からもいなくなってしまう。それを考えると体の真ん中を氷の杭に貫かれるような感じがする。

その日、またを付き合わせて個人練習を終えた神は、が帰り支度をしている女子マネージャーのロッカーエリアのカーテンを開けて、中に入り込んだ。

「うわ、ちょ、神くん!?」

はシャツのボタンを止め終わったところで、まだ完全に制服に着替え終わってはいなかった。それにしても、この女子マネージャーのロッカーエリアは男子禁制、女子マネージャー以外は先生でも入れないというのに。は驚いてロッカーにべたりと貼り付いた。

「いいじゃないですか、誰もいないんだし」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「これ、鍵、お返しします」
「あ、鍵ね。ありがとう」

何の用かと身構えていただが、鍵を差し出されたのですぐに手を差し出した。神は素早く鍵を引っ込め、その無防備な手を掴んで引き寄せた。「ひゃっ」と裏返った声を上げたの体が神の胸に飛び込む。

「残念でした。鍵は後でね」
「何言ってんの神くん、ちょっと」
「名前で呼んでって言ったでしょ。覚えてないの?」
「は!?」

頬にキスされたはまた声が裏返った。真上に照明がない女子マネージャーのロッカーエリアは、ぼんやりと明るく、どこか薄暗い。そんな雰囲気も手伝って、神はの耳やら首筋やらにキスを繰り返す。

「ちょちょちょ、何してるの、早く支度して帰ろうよ」
「嫌だ」
「はあ!?」

3度目。は今度こそ神の胸に手を突っ張り、身を引いた。

「嫌だ、って、何言ってるの、落ち着いて」
「オレは落ち着いてるよ。あわあわしてるのはの方でしょ」

両手での顎をすくい上げると、神は躊躇なく顔を落としてキスした。またぎくりとの体が強張るけれど、その両手はおろおろと宙を彷徨い、いつしか神の脇腹辺りに落ち着いた。そのままキスを続けている神は、少しずつを壁際に追いやる。

部員たちのロッカーエリアと比べると女子マネージャーのエリアは狭い。後から必要に応じて増設された区画なので、ベンチや椅子を入れられるほどのスペースが取れなかった。そのため、必要とあらば座ってもいいようにと、床一面に柔らかいウレタンゴムのマットが敷き詰められていて、土足厳禁。

神はそれを知っていてを壁際に追い詰め、キスをしながら、着替え途中の制服のシャツに手をかけた。スカートにしまい込まれていた裾を引きずり出し、慌てて押しとどめようとするの手を払い、裾から手を差し入れて脇腹や背中を撫で擦った。

「ちょっと待って、まさか、嘘でしょ?」
「嘘って何? オレはいつでも本気だけど」
「待って待って、あのさ、確か私たち――ふぁ!?」

確か私たち「付き合っている振り」をしてるんじゃなかったの――がそう言おうとしているのを察知した神は、ブラジャーの中に指を差し入れた。驚いたは身を捩りながら、真っ赤な顔をしている。

神の手から逃れようとしたか、それとも力が抜けてしまったか、はがくりと膝を折り、ウレタンゴムのマットの上にぺしゃりと崩れ落ちた。してやったりの神は息の上がっているの体をゆっくりとマットの上に横たえ、その上に覆い被さった。

「ここ、学校、なんだよ」
「知ってるよ。でも場所なんかどこだっていいし、今日は日曜で本当に誰もいないからね」
「朝からずっと練習、してて、疲れてないの?」
「それとこれとは別だよ」

制服のシャツのボタンを外し、ブラジャーもたくし上げ、神はの胸に唇を寄せる。学校にいることはわかってる。だけど自宅には家族がいるし、制服着てホテルというわけにもいかないし、都合のいいことに日曜は職員の出勤がないから、守衛が門を閉める21時までに正門を出ればいい。

またわけがわからなくなっているの体に指を滑らせ、キスをしていく。神は最大限に気を使っているつもりなのだが、肌は炎に覆い尽くされて燃え上がっているし、興奮で理性が薄れるしで、少々荒っぽくなってしまったかもしれない。は触れるだけでも痛がった。無理もない。まだ2度目だ。

だが、それに怯む神ではないし、我慢しろとも思っていないし、興奮状態のまま辛抱強くを解き、緩め続けた。守衛さんを除けば無人の学校の薄暗い部室、女子マネージャーのロッカーエリアのマットの上で、既成事実で調子に乗っている神はそのままを抱いた。

もちろんはまだ辛そうだったし、そう言う意味でもまたずいぶんと手間取ってしまったけれど、神は満足だった。が自分より先に卒業していってしまう不安、寂しさ、悲しさ、そういうものを、と繋がることで宥められた気がした。

その日は自転車でを自宅まで送り届けた神だったが、ステップに足をかけているので精一杯のはずっと神にもたれかかっていて、その両腕はずっと後ろから神を抱き締めるような形になっていて、の自宅マンションが近付いてくるまでそのままだった。神はもう上機嫌の幸せ状態である。

そしてまたこれを境に、神はますます調子に乗った。校内では完全に彼氏面、そしてふたりきりになるチャンスとあらば、学校だろうが自宅だろうが、少々強引にでもをかき口説いて事に及んだ。

そんな日々が、実にこの年の秋ごろまで続いたのである。

この年も、海南の合宿は例のちょっとばかり豪勢な宿泊所である。しかも屋内施設が増えていて、フットサルとスカッシュのコートに加え、屋外のテニスコートは雨天に屋根が出るように改修されていた。一応料金は据え置きらしいが、もし大幅に値上げをされたら、また合宿先を探さねばならない。

先輩はビュッフェでスイーツ魔神になるから、ちゃんと自分の分は確保しておけよ」
「ふふふ甘いな小僧、今年からデザートはほぼ廃止なんじゃよ」
「だけどその分売店でアイス食べるわけですよね?」

初めての合宿でなんとなく緊張している新人マネージャー5人は、と2年生の先輩との間で笑うに笑えない顔をしている。は絶対に威圧的に叱ったりしないので、距離を置かれているわけではないけれど、特に2年生がに懐きまくっているので、マネージャー同士が砕けていくスピードが遅い。

しかも、今年は引率の先生が女性になってしまい、部屋割りはと先生、神の後輩3人、そして残りのふたり、となっている。遊びに来ているわけではないし、部員同士はプレイのためにも練習時間外に喋ったり施設を利用して遊んだりして親睦を深める必要があるが、マネージャーはそうはいかない。

選手と監督のミーティングの終了後、今度は監督とマネージャーで翌日の練習の打ち合わせをする。部員たちとのミーティングで決定したことなどを踏まえて、選手たちのサポートをどういう風にしていくかということも話し合われる。それに、合宿は体調不良が出る確率が高い。遊んでなどいられないのである。

「せーんぱい」
「あれ、スカッシュやりに行ったんじゃなかったの」

監督との打ち合わせを終えたは、売店でアイスクリームを吟味していた。初日だが、デザート廃止のビュッフェにはフルーツしかなかったので、余計に食べたくなっているらしい。神はその後姿に声をかけた。

「もう終わりましたよ。みんな露天風呂行くらしいです」
「神くんは行かなくていいの?」
「先輩に会いたかったから」
「またそんなこと言って……

未だにふたりは「付き合っている振り」をしている先輩マネージャーと後輩である。ふたりきりの時は名前で呼び合っていても、それ以外では「神くん」「先輩」と呼ぶのは変わらない。

だが、広い館内、時間は既に22時近く。売店も22時閉店だし、館内施設で最後まで遊んでいた連中は露天風呂に行ったかもしれないが、基本的に全員部屋に戻っている時間だ。アイスを買ったと歩きながら、神はあたりを素早く確認して手を繋いだ。

「ちょっ、誰かに見られたらどうするの」
「先輩に会いたかったのは冗談じゃないですよ」
「聞いてる?」
「先輩が一人部屋だったらなあ」
「だとしても入れないよ」
「意地悪」
「公私の区別はちゃんとつけなきゃダメだよ」

はきょろきょろして人の目がないかどうかを気にしている。それに気を取られているようなので、神は少し歩いたところで階段の柱の陰にを引きずり込んだ。はまた裏返った声で短い悲鳴を上げて、直後に両手で口元を覆った。階段は音が響く。

「じじじ神くん、これはさすがに、ね?」
「そのくらいわかってますよ。だけど、チューぐらいならいいでしょ」
「くらいって……

神は屈み込んでにキスした。静かな階段にそっとキスの音がこだまする。

「オレだって部活で来てる以上はちゃんとやります。だから、1日1回、チューして下さい」
「ええと、それは理由になるのかな?」
「してくれないとモチベ下がります」
「そんなの私のせいじゃないでしょ」
「いいえ。マネージャーである先輩の管理不行き届きです」
「そんなマネージャーがいてたまるか」

ちょうどこの時、ふたりは先輩マネージャーと後輩という関係と、名前で呼び合う妙な関係との中間にいるような感じだった。なものだから、は神の軽口に笑い、楽しそうに文句を言いつつ、神のキス攻撃を受け入れてくれた。

「先輩、インターハイの前日って休みでしたよね」
「そう。毎年丸1日休み」
「その日、うちに泊まって」
「無理だって……
「じゃあ泊まらなくていいから来て」
「何しに行くの」
「そりゃまあ、いつものように」
「昼間から?」
「時間て関係あるの?」

面白くなさそうな顔をしていただったが、諦めが見えないでもない。神はの唇をついばみながら、 目一杯甘えた声を出した。これはお願いであって、強要ではないのだから。

「あと、花火の日の夜も一緒にいたい」
「終わってから?」
「そう。また可愛いワンピース着て来てね」
……そんなこと、覚えてたの」

の声色が変わったので、神は口を開いてばっくりとの唇に食らいついた。も素直に受け入れて、神の執拗な舌の動きにもちゃんと応えた。

「当たり前でしょ、オレは先輩のことなら全部覚えてますからね」

そしてその言葉に、は初めて自分から神に抱きついた。

「これも恒例っていうのかな。花火と忘年会の先輩は可愛くないんだよ」
「2年はちょっと黙ろうか。後輩と思って遠慮してたけど報復に出てもいいんじゃよ」

この年の屋上開放日、はポイント和柄のワンピースで現れた。本人だって浴衣を着てみたい。しかし、バイトもせずに部活ばかりの娘に浴衣一揃いをポーンと買ってくれるほど、彼女の親は甘くない。

「だいたいいつも2980円なんですよね」
「それだって毎月の小遣いからちまちま貯めた2980円だからね」
「アイス食べるのやめたらいいんじゃないですか」
「それは無理。死ぬ」
「だけどアイスを我慢できたら買えたんですよ、こういうの」

2年の部員がひょいと指さした1年生女子マネージャーは、なんと全員浴衣。着て来いと言われて着て来たらがワンピースで、えらく気まずい顔をしている。は5つ並んだ浴衣から目を逸らし、唇を噛み締めている。アイスと浴衣を天秤にかけているんだろう。

「い、いいもん、卒業したらバイトして買うから!」
「そういえば先輩、外部行きたいとか言ってませんでした?」
「うん……親がうんて言わんのじゃ……近くでいいじゃん、とな……

はへの字口で顔をしかめ、老師キャラでがっくりと頭を落とした。確かにはこの附属高校にも近いが、大学の方も割と近所だ。それを聞いていた神はまた体の中心が凍りついたように冷たくなって、痛みすら感じるように気がした。

海南大なら近くていい、それはわかる。来年1年間は自分もこの附属高校にいるのだし、が海南大に進学しても、住居は近いまま。来年1年間はそれでもいい。

けれど、海南の主将まで上り詰めた生徒がそこでバスケットを止めてしまうことは稀だし、だいたいはそのままバスケットで大学進学をしていく。かれこれ10年以上海南の歴代主将たちはそうしてきた。だから恐らく、自分もそういう道を辿る。一番可能性が高いのは東京の大学。その寮に入る。が海南大にいたら、今よりは距離が離れてしまう。

が外部受験や推薦で東京の大学に通ってくれたら、とも思う。だけど、そうしたら来年1年間が苦しい。

のいない海南など耐えられそうにない。校内にがいないというだけでも辛いと思うのに、学校が離れ、場所が離れ、自分の目の届かないところでが誰かと仲良く話したり並んで歩いたりするのかと思うだけで、全身が氷に覆われたような気になる。

そのたびに神は、「が留年すれば一気に解決」と考えてはため息をついていた。

「部活動実績があっても成績がボロボロだったら推薦取れないんじゃないですか?」
「なんで私の成績がボロボロ前提になってるのかわかんないんだけどね」

、本当は進路どうしたいと思ってるの。、オレを置いていくんだよ、それをどんな風に考えてるの。

例年通り穏やかな花火大会、神はまた冷えきった心を暖めるために、を部室に引きずり込んだ。