プロミネンス

06

神が2年、が3年になると、また一気に大量の新入部員が入って来た。去年ひとりも来なかった女子マネージャー志望はなんと5人。神の言っていた後輩ももちろんその中の3人だ。

だが、全員女バス出身で自宅も近く、5人は甲乙のつけようがないどんぐりの背比べ状態。とはいえさすがに5人もいらない。既にがひとりいるのだし、多くてもふたりか3人といったところだ。当然神の後輩は口を利いてもらえないかと打診してきたが、してやったところで最終判断を下すのは監督と顧問の先生だ。

神の見るところ、後輩ではない方のふたりも、まずまずコントロールしやすそうだ。顔には出さないようにしているが、神奈川の王者海南のバスケットが好きで志願してきただけには見えなかった。まあそれでも、顔や態度に出さないだけマシだ。後輩の方が少々面倒くさい。中学時代をそのまま引きずっている。

「どうするんだろうな、あの5人」
「監督はもう投げたらしいな」
「えー、それじゃあ先生可哀想じゃん。ちゃんと考えてくれなきゃ困るよ」

そして新入生が増えても相変わらず神の学年とは仲良しだった。の方も卒業していった前副主将の言葉を肝に銘じて、新入部員も2年生も同じように接するよう務めているけれど、何しろ慣れというものもある。1年生がガイダンスで遅れているので、はまた2年生とお喋りをしていた。

「先輩は誰がいいんですか」
「別に誰ってことはないよ。私は全員いてもいいくらいなんだけど」
「さすがに全部で6人は多くないですか」
「今年の1年生が全員脱落しなかったら、そのくらいいても困らないもん」
「無理ですよ」
「即答するな!」

が必死でサポートをしてきたけれど、神たちの学年も5分の1くらいになってしまった。ここまでくれば3年間完走コースだが、怪我などがあればそれも絶対ではない。3年生も昨年の内にひとり減ってとうとう9人になってしまった。を入れてやっと二桁だ。

「うちはしょうがないのかもしれないけど、辞めたいんだって言われるの、本当につらいんだよ」
「でも、ご病気だったんですよね」
「だったらマネージャーやろうよって言いたかったけど、辛いの、わかるし」

昨年辞めていった2年生は体調を崩してドクターストップがかかり、運動自体が出来なくなってしまった。監督と話をしたあと、にだけ挨拶をして彼は消えた。怪我でもなく着いて行かれなくなったわけでもないのに、海南のバスケット部を去らねばならなかった彼の気持ちを考えると、誰も何も言えなかった。

「そっか、男のマネージャーっていうのもアリですよね」
「男バス経験者だとなおいいよね。そういうところもあるんだろうけど」
「だけどとりあえずはあの5人をどうにかしないとですね」

ロッカーの区画が離れてしまった2年生とは揃ってため息をついた。

だが、この件は早々に片付くことになった。顧問の先生が方々と調整を取ってくれた結果、5人全員がマネージャーとして認められた。そんなにいてもやることがないんじゃないか、というのももっともなのだが、何しろどんぐりの背比べだし、誰か辞退してくれとも言えない。

神の後輩3人ともうふたり、ふたつのグループに別れていたし、どちらかだけが残るんだろうと神も思っていた。だが、結果は全員残留。神はそれを聞くや、頭のなかで用意していた様々な場合への対処を練り直す羽目になった。2、3人くらいならコントロールできる自信があったけれど、5人となれば話は別だ。

「だけど本当にやることがないんじゃよ……

最上級生になってしまってからかわれることが激減したが、もうずっとガーリー報復をしていないのでつまらないと言い出した5月のことだった。5人全員の入部を認めたはいいが、仕事がない。そして、1年生の脱落スピードは例年通り。1ヶ月経過した時点で20人にまで減っていた。

もう予選が始まるという頃だが、中間である。週明けから部活が禁止になるので、その分週末は長く練習することになっていた。ちなみに運動部目当てで受験したようなのばかりがいる部は、部活が出来ない間も部室で勉強したりしている。ひとりではどうせやらないからだ。

そんな金曜の部活終わり、先に帰っていった1年生マネージャーを見送ったはつい2年生に愚痴った。

「まあまだひとりじゃ何も出来ない状態ですしね」
「みんなが怖いからいけないんだよ! 優しくしてあげなよ!」
「それ逆じゃないですか」

選手が練習中にマネージャーを気遣ってどうする。

「あっ、しまった! 私も帰らなきゃ」
「先輩はおっちょこちょい治りませんね」
「おっちょこちょいとか言うな! ちょっとぼんやりさんなだけだぞっ!」
「先輩、そういうのもう飽きました」
「君らはほんとうに可愛くないのう……

今朝、バスを降りたところでパスケースを落としただったが、幸いにも始発である海南最寄り駅の交番に届いたという。それを取りに行かなければならないのでは慌てて荷物をかき集める。現金でバスに乗り、パスケースを引き取ってまたバスを乗り継いで帰らなければならない。

神は一緒に行きたかったが、とりあえず着いて行く理由がない。がおっちょこちょいでも、慣れたバスの往復をするだけの行程に付き添う都合のいい理由が思いつかなかった。

進級してからというもの、忙しいせいもあるけれど、とはなかなかふたりきりになれなくて、神は少しフラストレーションが溜まっていた。相変わらず隙を見ては校内でもちょっかいを出していたけれど、最後にキスをしてから2週間が経っていた。そろそろ禁断症状が出そうだ。

というか、初めてキスをしてから半年以上が経つ。未だそれ以上のことは何ひとつ出来ていなくて、それも少しもどかしかった。一応5人も女子マネージャーが増えたことで「付き合っている振り」の継続は承諾してもらえたけれど、どうにもの気持ちが見えなくて、それも少し苛立つ。

シャワーを浴びたの肌がいつもより滑らかに見える。シャワーの後で暑いからと襟元を開いているその様が神の苛立ちを刺激して、全身を高熱の炎が覆い尽くす。

「じゃお疲れ、明日ねー!」
「うぃーす、おつかれーす」

慌ただしく出て行ったが巻き上げた風に、柔らかくて甘い石鹸の匂い。

「ほんとに先輩は色気ねえなあ」
「どーすんだよ神、このままだとお前の彼女の振りで高校生活終わっちゃうぞ」

仲間たちはそんなことを言いながらへらへらと笑っている。

色気がない? お前らがお子様だからわからないだけだろ。オレの彼女の振りで高校生活が終わる? いいだろそれで。の色気もわからないような男と適当に付き合って「彼氏がいた」っていう肩書きだけ手に入れたからって、何になるっていうんだよ。

そんな男よりオレの方がよっぽどを想ってる。オレは「彼女」じゃなくて「」が欲しいんだよ。

居残りで個人練習を終えた神は、テストのことを考えながら自転車を漕いでいた。一応平均より上をキープできるよう頑張っているが、この部活が出来ない期間がどうしてももったいないような気がしてしまう。明日もどこだかの大学の監督が来るとかで、練習開始がいつもより1時間ほど遅くなるというし、その隙間がもったいない。

学校以外の場所でもっと効率よく練習のできる所があればいいのに、とぼんやり考えていると、ポケットの中で携帯が音を立てた。神は自転車を止めて携帯を引っ張りだす。モニタを見れば、なんとからの着信だ。神は思わず喉を鳴らし、深呼吸をしてから着信に出た。

「はい、どうしました?」
「もしかして帰りだった? ごめん〜!」
「大丈夫ですよ、何かありましたか?」
「私パスケースに気を取られてすっかり忘れちゃって、ごめん、鍵!」

の言葉に、神の脳内で火花が飛び散る。降って湧いたチャンスだ。

「あれっ、もらいませんでしたっけ?」
「渡してないよ〜! 今私が持ってるんだもん! ほんとにごめん」

1日500本のシューティングを欠かさない神の場合、だいたい早朝から学校に来て自主的に朝練をしている。平日は当番の職員が朝6時に体育館とクラブ棟を開けてくれるのだが、土日はそれがない。そのため、土日祝日は部室のものと一緒に鍵を預かる生徒が開けなければならない。

クラブ棟の鍵と一緒に、体育館の鍵を預かるは、金曜の練習が終わると神に鍵を渡し、日曜の練習終わりで返してもらう習慣になっている。それをすっかり忘れたは、鍵を持ったまま帰ってしまったのだ。

「どこかで渡せないかな、今どこ?」

明日は鍵などいらないのだ。朝っぱらからどこだかの大学の監督が来るから、それが済むまで体育館は使えない。だから神は他に練習できるところはないかと考えていたのだ。けれど、これはチャンスだ。後で嘘つきと罵られたとしても、チャンスだ。

「もうすぐ自宅なんですよね」

神は震える指先をギュッと握りしめて嘘をつく。例のスーパーを少し過ぎたあたりで、自宅などまだ先だ。

「うわーん、ごめん、お家まで届けに行ってもいい?」
「そんな、いいですよ、オレがこれから駅まで行きます。待っててくれますか?」

こんなんでも付き合いは1年以上、のことはよくわかっている。神は腹に手を当てて息を呑み込み、そう言った。だが、は神の策略通り、慌てた声を出した。

「何言ってんの、ダメだってそんなの! ご飯もまだなのに!」
「だけど、もう暗くなりましたし」
「バスで行くから大丈夫。確かバス停すごく近かったんだよね?」
「ええまあ、それはそうなんですけど」

が神の自宅に来たことはない。ただ、1年に渡ると1年生の雑談の中で、神がの自宅マンションの近くにあるような分譲住宅に住んでいること、なのでバス停は家が立ち並ぶ区画を出てすぐだということをよく聞いていた。ただし、直接海南方面には行かない系統のバスばかりで使えないんだという話だった。

が今いるのは海南大附属最寄り駅。そこからならバスで一本だ。

「あ、バス来た! 乗っちゃうから、家の前で待っててくれると助かる〜!」
「分かりました、気をつけてくださいね」

通話を終えた神は、携帯をバッグの中に放り込むと、だらりと開けていたジャージの襟を締め、勢い良く自転車を漕ぎだした。海南最寄り駅から神の自宅前バス停までは、乗降客の多い今の時間帯なら30分くらいかかるはずだ。対する神はのんびり漕いでも20分くらい。

だが、が来る前にちゃんと帰り着きたい。神は周囲をよく見ながらどんどん加速する。

ああ、どうしようか。今日、うちには誰もいない!

神が家の外に出て携帯を覗きこむと、通話を終えてからちょうど30分が経過したところだった。思ったより早く帰り着いた家は、家族が予定を変更して帰宅しているということもなく、静まり返っていた。部屋に駆け込み荷物を放り出すと、神は風呂場に飛び込んでシャワーを浴び、ジャージから服に着替えた。

腹が鳴ったけれど、とりあえずそれは後回しだ。こんなチャンスもう二度とない気がする。そわそわしてしまう足元を踏み変えた神がバス停の方向を見ると、ちらほらと歩く人影がある。バスが到着したんだろうか。神が門の外に出ると、そのちらほらの中からひとり飛び出してきた。だ。

小走りにやってくる、それを抱きとめたいけれど、残念ながら人の目がある。神はまた息を飲み込む。

「ごめんねえ〜! もー、パスケースのことで頭いっぱいになっちゃってて」
「いえ、オレも全然気付かなくて。すみません」

手に掴んで走ってきたらしく、に手渡された鍵は生ぬるかった。

「パスケースは無事だったんですか」
「無事だった! 中身も全部無事! 定期チャージしたばっかりだったからどうしようかと思ったんだよ」
「お小遣いがなくなってアイスが食べられなくなるところでしたね」
「ちょ、人はアイスのみにて生くるに非ず」
「それ誤用です」
「若人よ……年寄りを虐めるでない……

がちょっとプルプルし出したので、神は一緒に笑ってやり、そして高鳴る胸と燃え上がる肌を無理矢理抑えこんで口を開く。

「ああそうだ、先輩、アイス食べていきます?」
「えっ」
「まだバスも来ないでしょう。アイス食べて休憩してから帰りませんか」
「え、ちょ、だけど、ほら」

途端には狼狽えた。ちらちらと瞳が揺れ、肩を竦めている。

「ああ、今日はうち誰もいないので大丈夫ですよ」

これは嘘ではない。親は従姉の結婚式で留守。いとこのお姉ちゃん、こんなチャンスをありがとう!

「オレ、これからメシなんで、先輩はアイス。どうですか」

神はの答えを待たずに門を開き、玄関ドアに手をかけた。中はある程度明かりをつけてあって、人のいない家という風には見えないはずだ。はどうしたらいいかわからない顔をしていたけれど、戻ってきた神に背中を押されると、スッと息を吸い込み「じゃあちょっとだけ」と言って歩を進めた。

神はまた肌に火がついたような錯覚を覚えた。は今、覚悟をしたのだ。家族が誰もいない神の家に入るという覚悟をして、スッと息を吸い込んだのだ。それを感じ取った神もまた、この時に心を決めた。こんなチャンスは二度と巡ってこない。だから、今日はこのままを帰さない。朝まで離さない。

「おじゃましまーす」
「どうぞどうぞー」
「なんかアレだね、普通サイズのお家の中にいると、神くん超でっかいね……

体育館での縮尺で慣れているは、平均的な規格サイズの住宅の中の189センチに改めて驚いている。

「なんかそれだけ大きいと色々不便なんじゃないの」
「身長で困るのはとりあえず服ですかね。もうクリスマスの時のパンツがダメになりました」
「うっわあ……

ダイニングに通されたは、やや緊張した面持ちで席についた。

「こんな風にひとりになること多いの?」
「いえ、今日はいとこのお姉さんが結婚式なんですよ。それで誰もいないんです」
「へえー! 神くんは行かなくてよかったの?」
「先輩、もうすぐテストだって忘れてませんか?」
「あんまり思い出したくないのう……

神は冷凍庫からアイスクリームを出してに差し出す。本当は母親のアイスだが、どうせ両親は明後日にならないと帰宅しない。明日にでも同じものを補充しておけば大丈夫。バレようがない。

「ご飯とか大丈夫なの?」
「一応用意しておいてくれてるので、大丈夫ですよ。心配しなくてもインスタントなんか食べませんって」
「えっ、いや私そんなつもりじゃ」

何かと言うとジャンクフードを食べたがる部員たちに、はよく「いい選手になりたかったらちゃんとお母さんのごはんを食べなさい」と言う。何しろ前主将がお菓子大好きジャンクフード大好きで、それもよく怒っていた。

神は母親の用意しておいてくれた食事を出来るだけ早く詰め込んだ。あまりのんびり食べていたら、アイスを食べ終わったがさっさと帰ってしまうかもしれない。

「だけど早いなー。もう予選の季節だもんね」
「今年こそ優勝したいですよね」
「今年は勝てる気がするんだよね。いや、ちょっと違うかな、負ける気がしない、かな」
「あはは、わかりますそれ」

今年の海南はとてもバランスがいい。攻守ともにあまり隙がなく、県や全国という広い範囲で見れば「いつも通りの強い海南」なのだが、それでも今年はウィークポイントになるようなところが見当たらない。もちろん神の正確無比なシュートもその一部だ。

「なんかもう既に神くん噂になってるもんね。ちょっとした有名人ていうか」
「そうですかあ? そんなの神奈川上位校いくつかの話でしょう」
「それだってすごいことだと思うけどなあ」
「仮にも海南の選手なら、そのくらいにならないとマズいと思いますよ」
「まあそりゃそうなんだけど……

昨年の冬の予選で鮮烈なデビューを飾った神は、本人の言うように神奈川の上位校の間ではとても有名だ。海南の代名詞的存在の現在の主将と合わせて、怖いコンビとして記憶されている。だが確かに、神の言うようにそれくらいにならなければ逆に困る。しかも、このままいけば神が次期主将なのだから。

実はこのことで神が少し肝を冷やし続けているのだが、はそのことについては何も言ってこない。知らないわけではないはずだが、言い出せないままになっているのかもしれない。

海南バスケット部の主将、というのは、海南大附属高校において、生徒会長よりも立場が上、と同義である。入学時からそれが決まっているような生徒であれば、その時点で「特別な存在」になる。神のように学年が変わってから主将候補になっても、その時点でやはり「特別な存在」へと昇華する。

もちろん学校側はそんなことを馬鹿正直に言いはしない。けれど、毎年そうやってバスケット部の主将が誕生するので、それが生徒の間で伝統のように受け継がれて、今も暗黙の了解でバスケット部の主将は「特別な存在」なのである。

そうなると、必ず同じ変化が主将もしくは主将予定に襲いかかる。

「特別な存在」になるあまり、近寄りがたくなるのだ。

それでも特には困らない。これが1年生の1学期に変化として起こるのは稀だし、2年や3年なら既に仲の良い友人もいるし、何しろ部活ばかり、例え友達が一人もいなくても、困るのは休み時間と修学旅行くらい。後者はなんなら部員で固まっててもいいわけだから、宿泊時に気を遣われてしまうくらいなもの。

けれど例えば去年の主将のように人懐っこく明るい性格であれば、問題になることもない。要するにそれまで面識も接触もないような生徒が「バスケット部の主将」というだけで遠慮したり、気軽に話せなくなるということだから、あとは主将本人の性格次第だ。

で、なぜ神が肝を冷やしているかといえば、つまり、ほぼ次期主将が確定の神には、もう女の子が寄って来ないからだ。「特別な存在」であるがゆえに、近寄りがたさと気後れが一緒になって、親しい仲であっても告白する勇気が持てない女子がほとんど。

なので、「付き合っている振り」はもう必要ないはずなのだ。

「でもなーインターハイと冬、どっちも優勝して引退は夢だよねー」
「大丈夫です、そうなります」
「マジかー! マネージャーだけど、私も海南に名を残しちゃう?」

嬉しそうにアイスクリームを食べているに、神は静かに微笑みかけた。

「優勝、楽しみにしてて下さいね」