太陽と月の迷い路

4

「実は、高校に入る前の春休みまで、立場が逆だったんだ」
「央二郎くんと?」
「そう。オレはバスケだけど、央二郎はサッカーをやってて、すごく優秀な選手だった」

宗一郎はまた顔を逸らしてしまい、ぼそぼそと話している。

「双子って何でも一緒にやってるイメージがあるけど」
「うん。最初はオレもサッカーやってた。だけど央二郎があんまり上手いもんだから」

双子って何でも同じになるんじゃないの、なんていう周囲の声も鬱陶しく、しかし確かにそれまでほとんど差異のなかった片割れだけがサッカーが上手になってしまうという状況に宗一郎は疑問を感じ、すぐにサッカーをやめた。そしてサッカーより興味があったバスケットを始めた。

「幸い小4くらいからずっとクラスで1番背が高かったから、バスケは楽しかったんだ」
「ミニバス?」
「半分くらいお遊びみたいなチームだったけどね。その頃央二郎はプロチームのジュニアに入ってて」
「え、すごいね……

もちろんまだ小学生、ジュニアと言っても人数は多く、その中のひとりでしかなかったけれど、央二郎はその才能を開花させていった。地元で所属していたチームなどではもう力量が釣り合わないほどになり、そのままジュニアユースにも突入、中学ではサッカー部に所属せずにクラブで練習という日々が続いていた。

「神はバスケ部にいたの?」
「もちろん。一応県大会でベスト16に入るくらいまでにはなったんだけど、央二郎とは世界が違って」

宗一郎が県大会でベスト16になっている頃、央二郎にはサッカーの強豪校からスカウトが来ていた。多くのプロ選手を輩出している名門校で、ちょうどその頃ユースからのチーム入りが減少していたせいで、央二郎はユースに進むことなく高校サッカーに移行する決意を固めていた。

「央二郎に金がかかるからオレは私立は無理かも、なんて思ってたんだけど、央二郎が特待で入れることになったんだよな。だからオレも好きなところ行きたいと思って、それで海南にしたんだ。双子なのに同じ学校行かないのとかよく言われたけど、中学の頃からもう何もかも一緒じゃなくなってたし」

中学での実績は正直心許なかったけれど、それでも宗一郎には自分自身を高い場所へ連れていきたいという願望があった。央二郎が優秀な選手だから自分は適度なところでいい、ではなく、何よりもまず第一に自分の望むバスケットが出来る学校を選んだ。それが海南だった。

そこまで話して宗一郎は口をつぐんだ。

……大丈夫?」
「ごめん、平気、誰にも話したことなかったから、つい」
「気が乗らないなら無理しない方が……
「ううん、そういうんじゃないんだごめん。ええとその、だから、央二郎、すごく……天狗になってたんだ」

宗一郎は言いづらそうに零したけれど、はそれを自然と受け取っていた。そりゃそうだろうなあ。なんでも同じで一緒の双子の片割れはパッとしなくて、自分だけどんどん高みに上り詰めていく。

「別に仲が悪いわけじゃないし、そこは他の双子と変わらないと思うんだけど、小学生の頃からそういう風に環境に違いが出たせいか、オレたちは決定的に違いがあって、とにかく央二郎は派手なことが好きで、友達もものすごく多くて社交的で、しかもそんな優秀な選手だからすごくちやほやされてた」

また不幸にもこの神兄弟はくりっとした目にきりっとした眉、高い身長に小さな顔、優しげな声にきれいな肌をしていて、そこにスポーツ選手として優秀なんていうオプションが付いてしまったら、男女の別なく好かれたろうし、彼に好かれるために人は媚びたことだろう。

にはごく自然なことのように思えた。それが幸か不幸かは別として。

「それで、本当に調子に乗ったんだ。かなり羽目を外してるなってのはわかってたんだけど、オレたち……オレと両親は読みが甘くて、高校に入る前の春休み、友達の家に泊まりに行くっていうあいつを黙って送り出して、それで、あいつは無免許運転の車の後ろで酒を飲んで、そのまま事故ったんだ」

納得の央二郎天狗コースから一転の悲劇に、も固まった。しかも状況が悪すぎるだろう。

「どこで知り合ったんだか、全員未成年だけど年上も混じってて、その中のひとりの家の車だったらしいんだけど、とにかくでかいバンに友達と女の子連れ込んで酒飲んでタバコ吸って、っていうフルコースだった。で、郊外のスーパーの駐車場で無免許が無理な運転して横転」

これ以上ないくらいのフルコースだ。は返す言葉がなくて一緒に俯いてしまった。

「それ……怪我は?」
「央二郎は骨盤と左大腿骨を骨折、神経もいくつか切れ掛かってた」
「それじゃ……
「そう。この間見たと思うけど普通に生活する分には全く問題なし。だけどスポーツは趣味程度が限界」
「てか特待は? そんなフルコース」
「もちろん取り消し。ただ時期が時期だったから、入学は許可してもらって、それでも入院してたしリハビリもあったしで、初日が6月とかそんなんだったはず。授業も日数ギリギリだから以後絶対に休めないような状況で」
……立ち直れてるの、それ」
「ううん、立ち直ってない」
「だよね……

事故の一報を聞いた時は宗一郎も肝を冷やしたそうだが、命に別状がないとわかると自分の生活に専念するようになり、皮肉なことにそれを機に宗一郎と央二郎の立場は逆転、将来を期待された央二郎はドン底まで転落、宗一郎はポジションを変えられたことと努力の末に次期主将にまで上り詰めた。

そりゃあ央二郎のプロチームのジュニアだのユースだのという話とは世界が違うかもしれない。しかしこの海南大附属のバスケット部でトップに手をかけるということは、その後のアスリート人生においては重要な意味を持つし、その通り宗一郎には既にいくつかの大学からスカウトが来ている。

「一応なんとか進級できたから今はなんというか、ただの高2で」
「だけどあれ、まだ遊んでるんじゃないの」
「だろうと思う。忙しくなっちゃったから最近のことはあんまり把握できてないんだけど」

本当に逆転だ。忙しくなってしまった宗一郎、何もすることがない央二郎。しかしはこんな風に兄のことを話す宗一郎の表情に少しだけ違和感を感じて首を傾げた。

「それにしては神、央二郎くんのこと、嫌そうじゃないね?」
……うん、オレも親も、あいつのことはずっと心配してるし、立ち直って欲しいって思ってて」
「うーん、優しいなあ。私もし自分の兄貴がそんなことしたら嫌いになりそう」
「そこはやっぱり双子なのかな。困ることもあるけど、嫌とか思ったことはなくて」

さも当然のように話す宗一郎だが、はただ宗一郎と彼らの両親が優しいだけではないのかと思ってしまう。央二郎のあのチャラさはまるで反省していないだろうし、本人もする気がないようだし、家族の心配はから回っているように見える。

それをが不快に思うのは、ひとえに目の前にいる宗一郎に好意があるからだ。彼は真面目でひたむきで礼儀正しく、努力ひとつでこの神奈川最強のチームのトップに手をかけようとしている人だ。それなのに驕るところはなく、いつでも一本気にバスケットに取り組んでいる。だから余計にどうなのかと思う。

「だけどこの間みたいなことは困るし、にも申し訳なかったしで……
「それはまあ、別に気にしてないからいいけど、神は大変だね」
「まあ実際今はほとんど家にいないから問題はないんだけど、まさかに目つけるとは思ってなくて」
「携帯覗かれたんでしょ」
……女子の連絡先とか、ほとんど入ってないから、面白がってるんだと思う」

は急に胸を突かれたような錯覚を起こして息を呑んだ。携帯のことなんか話を振らなきゃよかった。胸の奥がぎゅうっと締め付けられている感じがする。心臓がドキドキして、だけど体は冷たく感じる。

央二郎が面白がって運動公園までやって来てしまうほど、宗一郎の携帯には女の子との繋がりがなかった。バスケットばかりで、しかも強豪校で大活躍の弟には当然目立って女の影はなく、しかし2年生になってから急に携帯に構うようになったので怪しんだら、ビンゴだったということだろうか。

しかし未だこんな風にドキドキしてるだけの関係なので、何を覗かれても困るようなことはない。ただ犬とどこに行くだの、何を食べたいだの、色気のなさすぎるやり取りばかり。それでも宗一郎がそんな風に言うからには、央二郎が面白がるからには、もしかして「自分だけ」だったんじゃないだろうか。

高嶺の花のはずの宗一郎が携帯でやり取りをしている女子は自分だけ――

余計に心臓が跳ねてきたのでは頑張ってその考えを振り払う。今はその話じゃない。

「だ、だけど、あれじゃ普通に彼女とかいそうだよね?」
「たぶんね。だけど中学の頃から特定の彼女って作ってなかったと思う」
「ほんとに双子?」

がテンプレすぎるゲス野郎じゃないですかという顔をしたので宗一郎は思わず吹き出した。

「これでも10歳くらいまではほとんど差がなかったんだよ。食べ物の好き嫌いとか、好きな漫画とか、そんなのも一緒で。だけどオレがサッカーやめてバスケに行ってからがらりと環境が変わっちゃって。それでもジュニアにいたころはすごく厳しかったしちゃんとしてたんだけど、中学が割とグレてるやつの多いところで」

校外で大活躍の央二郎とグレた生徒では接点がないように思えるが、しかしその中には同じ小学校出身の子もいて、それが入口になってしまい、女の子を間に挟んで「遊ぼうよ!」となるとサッカープリンスもヤンキーも関係なくなってしまったそうだ。

「また名前が央二郎だろ。あだ名はずっと『王子』だったし、本人も望むところだったみたいだし」
「神はなんて呼ばれてたの?」
「オレはあだ名なかった。央が目立つ分、余計に影薄かったしね」
「ほんとに逆転したんだね」

はあやうく口にしてしまいそうになってとどまったけれど、つまり今「王子」なのは宗一郎の方だ。宗一郎は現在プリンス要件を完全に満たしているし、しかしそれは男子生徒に嫉妬心を抱かせるようなものでもないので、彼はあだ名するまでもなく、現海南2年生の王子様で間違いない。

その王子様に「誰にも話したことがない」という家族の話を聞かされていると思うと、またみぞおちのあたりがきゅっと軋む。ふたりだけの秘密は甘いけれど、同時に少しだけ怖くもなる。

……それでその、今度の花火も、なんか危なそうで」
……話しちゃったの?」
「まさか! スケジュールとかにも書き込んでなかったし、そこはほら、双子なもんで、勘というか」

弟が最近携帯でコソコソやってるので、パスコードを後ろから覗いてゲット、そしたらビンゴで女の子と出かけるだの何だのという話をしている。最近休みになると私服で出かけてたのはそういうわけか。と、そこまで読めれば遊び慣れている央二郎のこと、モタモタしている弟の現状などさっさと見えてしまったのかもしれない。

「それでもいつどこの花火大会に行くなんて言ってないんだけど、なんとなく危ない気がして」
「着いてきちゃう、とか?」
「そんな気がするんだ」
「自分の友達と行けばいいのに」

そう言われると宗一郎は苦笑いでこめかみを掻いた。どうやらこの弟、兄に対しては甘いというか鬼になりきれないというか、とにかく央二郎が困った振る舞いをしていても怒る気にならないらしい。そういえば先日も怒鳴ってはいたが、子を叱る親のようだった気がしないでもない。は少し呆れた。

……中止する?」
……それはなんか、違うと思う」
「私もそう思うけど、だけど央二郎くんが着いてきちゃったら正直めんどくさいと思うんだよね」
「それはうん、そうだと思う」
「来ないで、って言えないの?」
「言うのは簡単だけど、それで大人しくしててくれるようならこんなことには」
「まあそうね」

は改めて考える。そうか、今までこんなことなかったから、神もどう対応したらいいか迷ってるんだ。央二郎くんが突拍子もない行動に出るかもしれない出ないかもしれない。警戒はしてるけど、そのせいで予定を潰すのもどうなんだろうかと迷ってる。それはちょっと同情する。

しかしだからと言って「じゃあ央二郎くんも仲間に入れてあげようよ」とは言いたくない。

まだ友達でしかないけれど、それでも花火大会はデートだったのだ。少なくともはそのつもりだったのだ。何が悲しくて高2の1度きりの花火大会を兄弟同伴で行かねばならないのか。しかしあの様子では出かける宗一郎にくっついて来てしまうかもしれない。

だが、それを今ここでどうしようどうしようと繰り返していても埒が明かない。そこに至り、は中止も已む無し、という覚悟をした。どれだけ兄が不貞腐れても、彼を案じ心配していると正直に言える宗一郎の家族思いなところを改めて好ましく思ったし、自分とのデートのために兄と喧嘩しろとは思わなかった。

宗一郎のことはいいなあと思っているけれど、彼はそもそもが「我が海南の誇る神奈川最強バスケット部の次期主将」なのだ。まだ付き合っているわけでもないのだし、ましてや夫婦でもないのだし、自分との都合のために家族と険悪になれと言って負担をかけたくなかった。宗一郎の重荷にはなりたくない。

「じゃあ、まだ時間はあるんだし、もう少し様子見てみない? 飽きるかもしれないし」
「うん……そうだね。正直、目的も見えないし、刺激しないようにしてみる」
「無理、しないでね」

取って付け加えたような最後の一言が1番の本音だった。

同じ家に暮らしている以上、そして央二郎が外をほっつき歩いている間でもない限り、宗一郎が私服で出かけていくのは確実にバレる。部活ではない用で夕方から出かけていくのを央二郎が目撃したとして、のことがバレている以上、ふたりで出かけるのだと思われるのは間違いない。

さてそれをどうしたものかな、と思案しつつ、はぐいぐい引っ張るグリを抑えつつ運動公園の中を歩いていた。宗一郎に負担がかからない方法で、彼の家庭内にも波風を立てることなく央二郎を抑えるには。

だが、犬みたいに首輪とリード付けとくわけにもいかないしなと考えていたの目の前に彼は現れた。央二郎だ。やっぱり首から上は宗一郎と錯覚してしまうけれど、服装と猫背が完全に央二郎だ。

「よ!」
……こんにちは」

は警戒しているというよりは少し呆れていて、リードを引きつつ感情が出ないよう気をつけて挨拶をした。

「え、こんにちはって何、ご近所さんみたい」
「他に適当な言葉がなかったから」
「それもひどない? そんなんじゃ宗一郎落とせないぞ」
「そういうつもりでもないけど」
「それはさすがに嘘が過ぎない?」

さすがに外で遊び慣れているとでも言おうか、央二郎はの淡々とした返しに動じることはなく、懐柔されてたまるかという意識が隠しきれていない態度を楽しんでいるらしい。宗一郎とはそんなつもりがないというに彼はニヤニヤと笑って見せた。

「てかさ、は宗のどこがいいの?」
「なんでいきなり呼び捨てになってんのかわかんないんだけど」
「タメに呼びタメ許可取らなきゃいけないとかマジで思ってるタイプなの?」

SNS発祥用語を実生活に持ってこられてもな。そう思ったが、は顔に出さないよう努める。反応したら終わりだ。スルーしてこの場を逃げ切り、彼が飽きてくれるのを待つしか今のところ穏便に済ます方法はないはずだ。

「そもそもあなたは神くんのお兄さんで、私の友達じゃないし、フォロワーでもないからね」
「固ってえなー! えっ、それマジで言ってるの? 嘘、今時そんなこと本気で思ってる人いるんだ」

煽りはスルー! 火のないところに火を投げて風を送ってるだけの暇な人間の相手をしてはダメ! しかしが頑なに反応しないようにしていることくらい、央二郎でなくともわかる。

「ふふん、かわいいね、緊張してるの顔に出てるよ」
……そんなことないけど」
「いいじゃん、話するくらい。オレも犬触っていい?」

の頭の中では央二郎を拒絶したい気持ちと、宗一郎と同じ顔という認識が今まさに押し合いへし合いをして大喧嘩をしていた。宗一郎を困らせる厄介な兄だから拒絶したい、宗一郎と自分とグリだけの世界に無作法に侵入してきた彼を拒絶したい、そういう気持ちがある一方で、自業自得とはいえ不運な状況にある「宗一郎と同じ顔をした」彼を抗いきれない衝動があり、苦しい。

同じなのは顔だけだろうと何度も自分に言い聞かせるのだが、なにぶん視覚情報は強い。双子と言っても、よく見れば宗一郎とは別人であることはわかるのだが、それでも日が傾き始めた運動公園で見上げていると、錯覚を起こしそうになる。

ついでに、さすがに遊び慣れているのか、央二郎は距離の置き方が絶妙だった。その上何か喋るたびに少しだけ傾いて顔を寄せ、しっかり目を見つめながら話しては、引き込まれそうになる寸前で離れていく。

すぐに断ればよかったのだが、がそうやって逡巡している間に央二郎はしゃがみ込み、グリに手の甲を差し出した。そもそもが宗一郎と仲良しなのだし、グリは彼と同じ顔で似たような匂いのする央二郎に尻尾を振り、差し出された手に顔を擦り付けた。

「へー、かわいいじゃん。種類、なに?」
「たぶん、ミックス」
「えっ、ミックスってどこで買うの?」
「保護犬」
「へー! 初めて見た! なんで子犬にしなかったん?」

なんとなく物言いが癇に障る。だが、の目にも悪意は見えない。本当に疑問に思ったから言ってる、というくらいにしか見えない。グリは撫でられるままデレデレと舌を出して尻尾を振っているし、は自分の中の警戒心がボロボロと剥がれ落ちていくのを感じていた。

自分の悪い癖だと認識しつつも、央二郎が少し哀れに思えてきたのだ。

の長所であり短所でもあるのが「惚れた相手には弱い」である。その好意が向いているのはもちろん宗一郎なのだが、何しろ同じ顔だし、誠実な弟は兄の挫折を心から案じている。その点も央二郎に対しては「宗一郎目線」で見ていると言っていい。なので、同じように案じてやりたくなってしまう。

ボロを出さなければいい。宗一郎が困るようなことにならなければいい。

とりあえずのところ、目標はこの央二郎に邪魔されずに花火大会に行くことだ。そのためにも央二郎に「もっと邪魔してやろう」と思わせないことも必要であり、が頑なになればなるほどそれは遠くなる気がした。まあつまり、ご機嫌取りだ。機嫌を損ねられては困る。

……助けて、あげたかったから」

つい本音が出た。央二郎が顔を上げて、柔らかく微笑む。宗一郎より少し艶っぽいだろうか。彼は傾きながら立ち上がると、のすぐ隣まで近寄ってきて、猫背をさらに丸めて顔を近付けてきた。

「優しいんだね、って」

またの中でぐにゃりと認識が歪む。これは、宗一郎だっけ、それとも、央二郎だっけ……