灯りを消して

05

1月5日、新年会当日。

宣言どおり、江神は昼前にはの部屋へとやって来た。

「お昼一緒に」とが言ったからには、どうせ何か用意しているのだろう。今日は忙しくなるのだから、余計な仕事はしないでいいと釘を刺すのは簡単だが、どう考えてもの唯一の特技である料理については、江神は口を出さないことに決めた。

案の定というか、は昨夜から考えていた昼食の準備を朝から進め、それと同時に江神がやって来る時よりも厳重な私物の隠蔽やら掃除やらに追われた。相変わらず江神専用枕は洗濯機の中にあり、クローゼットは万が一開けられてしまってもいいように各所に覆いをし、散々考えたあげく、最重要機密にあたるようなものは下駄箱の空きスペース行きとなった。江神来訪時にはキャラクターもののビニールバッグで隠されていたに過ぎないトイレの生理用品などがその代表だ。

とにかく、2回生コンビに突っ込まれるような要素が1つでもあるものは見えないようにした。それでなくともはからかわれる事が多いのだ。それが可愛がっているという事の裏返しなのは解っているが、自宅という究極のプライベートエリアにあっては疑心暗鬼にもなろうというものだ。

「またずいぶんこざっぱりしたな」
「だって、余計な事でからかわれたくないですもん」
「そこは俺も気をつけるよ」

数日置いて2回生コンビのテンションがどう変化しているか、それはまったく見当がつかなかったが、予防策をとっておいて損はないし、江神が目を光られていてくれるなら大事には至らないだろうというのがの見解だった。江神もそれは承知しているらしく、真面目な顔で請け負った。

の用意した昼食を突付きながら、2人は再度作戦会議に入る。

「なにより面倒なんは事の経緯を説明しろ言われるんやな」
「あの、私アリスには少し話してあるんです」
「そか、俺もや。それはええやろ。ストッパーになってくれる事を期待するよ」

もちろんそこが一番知りたいところなのだろうという事は見当がつく。だが、がアリスに語ったように、自分の心情も混ぜつつ、2人の心の移り変わりが解るようにまで具体的に話すのは恥ずかしい。

「やっぱり、私が暴走して、江神さんが折れたっていうのが1番簡単ですよね」

はさも事実とは大きく隔たりがあるが、要約するとそんな風になるとでも言うように難しい顔をしたが、これこそが2人の馴れ初めとして正しい経緯だ。何も間違いはない。が暴走して、江神が折れてしまった、それが真実だ。

しかし厄介なのは、忘年会の帰り道とその後では少々事情が異なるという点だ。

スーパーで鉢合わせしてしまった時の江神とは、の言うような説明ではやや違和感が残る。さらに、それを経ての現在では、さらに様子が異なってくる。その点は主に江神に変化があるわけだが、その事をまったく感づかれずにいられるかどうかにかかってくる。

暴走されて折れてみたはいいが、ほんの数日でにメロメロになってしまいました。そんな風に説明できるわけがない。付き合っているのだから、手を繋ぐのも、寄り添ってスーパーでお買い物をするのも、特に何という事はない。それについて何か問題でも? そう押し切るしかないだろう。

「ああもう、なんだか公開裁判みたい」
「公開裁判て……

やはりどう考えても今日の新年会は恥ずかしさを伴う事ばかりだ。照れつつも唇を尖らせたに、江神は苦笑い。だが、これを無事に乗り越えられれば、EMCという枠の中でも2人はちゃんと存在していける。そう思えば、公開裁判も1つの甘い試練だ。

「私、モチさんや信長さんに彼女が出来たら絶対突付きまわしてやります」

その光景は想像するに難くない。江神は大笑いしながらひっくり返った。

昼食の片付けも終えて、江神が駅までEMC一行を迎えに行く時間までは少し余裕がある。それを確かめると、ピンクの陶器の灰皿に吸いさしを傾けていた江神に、は抱きついた。大した変化だが、江神にとっては軽く拷問である。

「何や、今日はずいぶん……
「私、何も隠さない事にしたんです」

この数日で、は何度決意をしただろう。数え切れないくらいの気持ちをしっかりと胸に刻みつけてきた。全て今でも胸にあるものだが、昨日の江神の言葉でそれはの心を抜け出して全身を覆うようになっていた。

「江神さんを好きな事も、話したい事も、触れたいって思う事も、全部。今でもやっぱり緊張するし、恥ずかしいです。でも、いいんですそれで。それも隠しません。私がまたヘマをしたら、江神さんは叱ってくれると思います。それに甘えるのはよくないけど、そうやっていくのが1番いいんじゃないかって、そう思います」

それ即ち、の本当の姿だ。妄想で暴走してしまうのもなら、その妄想が現実になる事など大歓迎なのもだ。それは、江神もよく解っている。だからが可愛いのだ。

「ああ、そうやな」

身体の奥底で燻るへの渇望は、今も消えていない。の理屈に沿うならそれも隠さないでいい事になるが、こそこそと言い訳を並べ立てて誤魔化しているのとは違う。江神は、その時をじっと待つと決めた。、本当は……。そんな風に言い出してしまいたいのを堪えて、江神はの頭を撫でた。

このまま時間が来るまでのんびりと――そうがとろけかけた瞬間、江神の手のひらがガッチリと頭を掴んで引き剥がした。何事か。

「いかん、忘れるところやった。、着替えろ」
「は、なんでですか」

江神は至極真面目な顔をして、緊急事態でもあるような言い方だ。

「なんでやない、お前スカート穿いとるやないか」
「はあ、穿いてますが」

やっぱりは江神の言う事が一度で飲み込めない。

「穿いてますが、やないやろ。スカート禁止や」
……タイツに、中には短いレギンスも穿いてますが」
「阿呆、ちょっとは頭を働かせろ。スカート自体が問題なんや」

スカート姿なら、学校にいる時は頻繁に見せていると思うのだが、と、は首を捻った。今が着ているのはゆったりとしたワンピースで、特に短いスカートというわけでもないし、タイツも80デニールという濃いものだ。素足を連想させるものではない。

「お前の頭はどうしてそう回転が遅い……。いつもの学校での距離感とを比べてみろ。しかも今日はどうせお前が立ったり座ったり、一番動く機会が多いやろう。テーブルに椅子ゆう視線の位置とは違うんやぞ。とにかくスカート禁止や。手首と顔以外何も出すな。靴下も履け」

江神は厳格な父親のような事を言い出した。

「みんな、そんな変な目で見ませんよ。私ですよ?」

それが問題なのだという事には気付かない。

「四の五のやかましい事を言わんでええ。意味が解らんのやったら、俺のわがままやと思うとけ。あいつらが顔と手首以外の肌を見るんは我慢ならん」

理解力に欠けるに説明してやるのも、今回に限っては面倒だった。江神は、自分の独占欲だと言えばが黙って頷く事を知っている。そのとおり、はひょいと頷いてクローゼットを掻き回し始めた。

着替えの間、きちんと後ろを向いていた江神は、煙草を一本灰にし、背後で響く衣擦れの音を極力意識しないよう努めた。しかし、はコーディネイトが気に入らないのか、何度もクローゼットをがさごそやり、江神がもう1本煙草を灰にしてもまだ終わらなかった。

「これでいいですか」
「どれ」

やっと終わったらしい。江神は座ったままくるりと身体を回転させて振り返った。

……却下」
「はい!?」

江神は寝ぼけたような顔をしてぼそっと言う。が選んだのは、裾幅の広いバキーパンツ。足は完璧に隠れている。だが、バギーパンツはサスペンダー付きであり、ぴったりした白のニットをトップスに持ってきたの上半身のラインをくっきりと浮かび上がらせている。要するに、サスペンダーのせいで胸が強調されているわけだ。

「下はまあいい、問題は上や上。そんなピチピチしたもんやめとけ」

そういう江神も少し照れくさそうだ。はようやく着替えの意味が解り始めてきた。

再度江神を後ろ向きにさせて、はクローゼットを掻き回した。江神の意図はなんとなく解ってきたが、かといって江神に見せるのに相応しくない取り揃えは我慢ならない。江神の要望に応えるだけなら、極端な話ジャージ上下でもいいわけだ。だが、それではの方が耐えられない。

露出しない、ボディラインも出さない、かつ、江神にも可愛いと思わせられるには。学生という身分であるは、少々頼りないワードローブの全てを思い返し、必死で考えた。

「これならいいでしょう! どうですか!」

大きく両腕を広げてはポーズをとった。今度はタートルネックをインナーに、腿まで隠れる大きなVネックのニット、ボトムは無難にジーンズだが、ちゃんと靴下を履いた。それを見た江神は、満足そうに微笑んで、と同じように両腕を広げた。

「合格」

許可が下りた上に、おいで、のサイン。は大仕事を終えた気分で江神の腕の中に舞い戻った。

が抱きついたまま過ごす事どれくらい経っただろうか。他愛もないお喋りをしていた2人だが、EMC一行を迎えに行く時間になった。歩きでは大変なので、江神は往復バスを使う事にし、はその間鍋の下準備に取り掛かる。

「帰ってくる間にも突付き回されそうやな」

げんなりと肩を落としてジャンパーを羽織る江神に、はもう一度抱きついた。

「何?」
「今日はもう、2人きりになれませんから」

そう言って目を閉じ、爪先立つ。相変わらず厳しい拷問だ。しかし、もうバスの時間が迫ってきている。惑わされる理性が本能に負けてしまう事もないだろう。江神はためらわずにの両頬を包み込んで唇を押し当てた。色々な意味で盛り上がりを見せている2人にとっては、丸24時間以上振りのキスという事になる。

それがよくなかった。キスくらいなら昨日もしておけばよかったのだ。

これまでよりは格段に緊張のないの唇は柔らかく緩んでおり、それに誘われるようにして江神は舌を押し込んだ。途端に強張るの身体にも気付いたが、江神はやめなかった。舌を引き抜き唇が離れても、またすぐに重ね合わせて同じ事を繰り返す。

ああ、どうして今日は新年会なんだろう。
ああ、なんで今日は新年会をしないといかんのやろう。

吐息も荒く絡まる舌は、同じ事を考えている2人の想いを言葉に出来なかった。

このまま、繋がってしまいたいのに。

無言で離れた江神は一言「行って来る」とだけ言い残しての部屋を出た。その背後で、すでに全身から湯気が立ち上るほどに興奮していたは、キッチンに積み上げた本日の鍋の食材を全てひっくり返した。