灯りを消して

01

しばらくEMCのメンバーには黙っておこう。そう決めていたと江神の関係だったが、ものの数日でバレてしまった。しかも、偶然にも遭遇した望月と織田に見つかるという、ある意味では最悪な状況で。は当然の事ながら、江神ですら何も言えずに固まっていた。

ろくに言葉も交わさずにのアパートへと帰り着くなり、江神は殆ど土下座でに謝った。

「すまん、俺が悪かった」

唐突に謝られて、は大いに慌てた。江神が謝る理由が判らない。

「何を言ってるんですか、やめて下さい、江神さんが謝る事なんか何もないじゃないですか」

大慌てで江神の腕にすがり、顔を上げさせようとしたを押しとどめて、江神はかぶりを振る。何やら心痛のために険しい表情をしているらしいが、には江神の言わんとしている事が読めなかった。

「いや、そうやない。すまん、正直に言う。あいつらに言わんでおこうと言うたのには、色々理由がつけてあったけども、実際のところ、俺が気恥ずかしかったからや。何も恥ずかしい事なんかないはずやのに、どうにもこそばゆくて、慣れるまでは内緒にしておきたかったんや」

一気に言ってから、江神は後頭部をガリガリと掻いた。

「お前に偉そうな事を言うてたくせに、俺もちっとも慣れてなかった」

は江神の告白にぽかんと口を開けていたが、それでも床についたままの江神の手を掴んで引き上げた。

「それがどうしたんですか、私そんな事気にしませんよ」
「そうは言うてもお前……どうするんや」
「しょうがないじゃないですか。ご飯食べながら対策練りましょうよ、ね?」

何やらしゃっきりとしているがキッチンに立ってしまうと、江神はがっくりと肩を落とした。

遡る事1時間前の事。運悪く2回生コンビに鉢合わせてしまった2人は、繋いだ手を慌てて解く事すら出来ずに硬直していた。何を言って、どう振舞えばいいのかさっぱり判らず、考える事すら難しいほどに立ち尽くしていた。それは2回生コンビも同じだったようで、時間にするならほんの十数秒といったところだっただろうが、お互い押し黙ったまま、ゆるやかに吹き抜ける風に身を晒していた。

おそらく、2回生コンビも思わぬ秘密に遭遇してしまった居心地の悪さから、どう出れば丸く収まるのかと考えていたのだろう。だが、が江神を恋い慕うというのはともかく、その江神がを受け入れるという事には大変な衝撃があった。とんでもない珍事だ。言葉は慎重に選ばなければならないが、どうにも難しい。

わずか数秒の間に煮詰まったと思われる望月と織田の結論は、芸人モードへの突入だった。

「いつの間にそんな事になってはったんですか、江神さん」
「確か忘年会の時はそんな風には……もしや、あの後ですか」
「まさか江神さん送り狼やないでしょうね」

やや茶化したような言い回しで畳み掛けたが、全くもってその通り。送り狼ではないが、状況は明白だ。

「しかし水臭いやないですか、言うてくれたらよかったのに」
「そうですよ、うっかり初詣とか誘うところやった」

へらへらと笑っている望月と織田に、やっとの事で硬直が少し解けた江神が言う。

……というか、お前ら、帰省しとるんやなかったのか」
「えー、だって江神さん、俺らどうせ成人式で帰りますもん」
「年末から成人式まで帰省してたっておもろないですからねえ」

そういえばこの2人は20歳だった。バレるようになっていたのだ。江神はそう思おうと努力した。しかもこの2回生コンビ、今日は同じ英都大学に通う友人宅に遊びに行った帰りだという。なぜの近所の友人宅にこんな正月から。

「この辺に実家住まいのヤツなんですけどね、年末に大掃除したら去年亡くなったお爺さんの蔵書が山のように出てきたらしいんですよ。それを漁りに来ないか、いうわけでしてね」

なるほど、2人の肩に下がるトートバックはごつごつと膨らんでいる。ちなみにその友人本人以外は、豪勢にも家族揃って海外旅行に行ってしまっているそうで、暇を持て余したゆえに2人を呼び出したとの事。何もかも仕組まれていたような気さえしてくる。

「何ですか、今日はの手料理ですか」

2人して手に食材の入ったビニール袋をぶら下げているのだから当たり前なのだろうが、敢えて望月が突っ込んだ。喋っているうちに緊張がほぐれてきたのだろう、立ち止まったまま動けず、通行の邪魔になっている江神とを望月と織田が両側から挟み込み、腕を引いてスーパーの入り口に据えられた自販機に並んでいるベンチの方へと引っ張って行った。

「いいですねぇ、は料理得意らしいやないですか」
……何で知ってる」
「ええ? だって昼飯に自分で作った弁当持って来る事あるやないですか」

江神はその事を知らなかった。どんどん調子に乗っていく2回生コンビとは逆に、未だ硬直の取りきれていない江神とはやはり手を繋いだまま、両側からはやし立てられるままになっていた。

「ええですねぇ、彼女の手作り料理。俺らもご相伴に預かりたいくらいですわ」
「いやモチ、それはさすがに失礼やろ」
「いやあ、それはそうやけど、でも色々話、聞きたいやんか」

さすがに失礼どころか、とんでもなく失礼な物言いだった。これが自分の事でないなら、江神は叱り飛ばしていたに違いない。だが、には見えていないであろう2人のささやかな表情を江神は読み取ってしまった。が手料理を作って江神に振舞うのだという事が解ってから、望月と織田に一瞬だけ過ぎった表情がある。

それは、羨ましいとか妬ましいとかいうものではなくて、寂しそう、だった。

瞬時に江神には2人の思いが見て取れた。同じ趣向を持つ仲間同士、和気藹々と仲良くやってきたところに、突然〝仲間〟以上の関係になってしまった者が現れた。年功序列はあったにせよ、ある程度は並列な関係であった仲間の中から、特別枠が生まれてしまったのだ。EMCの中から切り取られて派生する江神とだけの領域。それに混ざる事ができない寂しさ。からかう事でしか埋められない、取り残された感じ。

そんな2人の、よく言えば可愛らしい心情に江神は胸を痛めた。しかも、こんな状況になってしまって、も混乱しているだろう。そっちの方も気がかりだ。だが、痛む胸では、どうしても断りきれなかった。

「そうや、、今度みんなで鍋パーティしようや。アリスも呼んで」

そんな、望月の提案を。

はキッチンでくるくると立ち働きながら、少しだけ安堵していた。なにしろ、江神との取り決めがなかったらすぐにでも吹聴していたかもしれない2人の関係は、隠しておきたいものではなかった。少なくともには大声で触れ回ってしまいたいくらいのものだったのだから、全てバレてしまった今はとても気が楽だった。

確かに、勝手に盛り上がる望月と織田の言う「鍋パーティ」は気が重かったが、江神が駄目だと言わない以上は従うつもりだった。こうなれば内助の功よろしく、江神の面目を潰さないよう努めるのみだ。

がっくりと肩を落としていた江神が、よろよろとキッチンにやって来て壁にもたれかかった。

「なあ、本当にええんか」
「江神さんがいいなら、私は大丈夫ですよ」
「そうは言うても、お前の部屋やないか」

望月と織田の提案は、の部屋で、EMC全員が集まって鍋を囲む新年会、というものだ。の彼氏という立場の江神はこれを大変不愉快に思っている。しかし、EMCの部長としての江神はこれを広い心で許してやりたがっている。

「そりゃあ、江神さん以外の男の人をホイホイ部屋に入れるのは嫌ですよ。でも、EMCの下っ端としてはそんな事考えちゃいけないような気がしてます。江神さんがちゃんとお守りしてくれたらそれでいいんですよ」

この時のは健気と言うほかない。江神はおたまを片手にニコニコしているをそっと抱き締めた。

「ええ子やなお前は」
「でも心配は心配ですよ。江神さん、お願いしますね」

江神の背中をポンポンと叩きながら、は苦笑いしていた。

結局1時間以上かかっては雑煮とかやくご飯、焼いた銀ダラの3品を作った。

……うまいな」
「ほんとですか、よかった。お雑煮、間違ってません?」

ぼそりと感想を漏らしたに過ぎなかったが、実際のところ、江神はの料理の腕に驚嘆していた。もちろんそれはまだ10代であるという前提があった上での評価であり、この年にしては格別の出来だという程度のものだが、惚れられている特権としていつでもこの料理を要求できると思うと、嬉しかった。

それでも手放しで褒めなかったのは、もちろん照れくさいからだ。

「お鍋って、何がいいんですかね」
「はりはり鍋とかどうや」
……鯨とか鴨でやるっていうあれですか」
「そんな豪華なもんにするわけないやろ、鶏でええよ」

雑煮の碗が空になると、江神は大福茶を淹れた。洗い物を手伝おうとしたのだが、キッチンから締め出されてしまったので、ソファに背を、の肩に頭を乗せて寄りかかりながら、湯飲みを傾けて作戦会議だ。ただいまの議題は鍋の内容について。2人分の食器が積まれた流しに、水滴がぴちゃんと落ちた。

「5人分というと、どのくらいですかねえ。やっぱり男の子はいっぱい食べますか」
「そんなに大食いやいうわけやないと思うけどなあ」
「私が1枚肉じゃ多いくらいだから、4枚もあれば足りるかな……

はぶつぶつと鶏肉の値段の相場を思い返しながら計算を始めた。

「ポン酢でいいんですか」
「ああ、ええやろ。それと京菜な」
「京菜……ああ、水菜ですね」

どこまでもついて回るエリアギャップに江神は声を立てずに笑って肩を震わせた。

「予算、どのくらいで済みそうか?」
「そうですね、鶏肉の値段にもよりますけど、飲み物を入れないで5000円もあれば充分でしょうね」
「そしたら、1人につき2000円徴収やな」
「多いですよ」
「お前は払わんでええ。過分は場所代と迷惑料や。取っとけ」

はしつこく食い下がったが、江神は頑として譲らなかった。

……じゃあ、余った分でお茶しに行きましょうね」

どこまでも健気なに、江神は笑うしかなかった。暴走が過ぎて手に余る恋人だが、自分は幸せ者だ。そう思えてきて、大福茶の湯気をぼんやりと眺めながら、の手を取り、指を絡ませた。

そうして対策を練り上げ、10時を過ぎたところで江神は暇を告げて立ち上がった。が少し疲れているような気がしたし、何より、本日前半のヘタレさ加減とは打って変わって健気なをそばに置いたまま夜が更けていってしまったら、何をしでかすか判らない自分が怖かった。

そんな事をに言おうものなら、即座に沸騰してしまうから言わなかったが、今はどうにも自信がなかった。手を繋ぎ、体を寄せ合い、唇を合わせるだけでは、きっと物足りなくなってしまう。そうなってしまう自分が容易に想像できる。この部屋を出て、冷たい夜風に頭を冷やした方がいい。

おそらく、は抵抗しないだろう。緊張でパニックを起こすだろうが、それでも嫌とは言わないだろう、絶対に。それが解るから、余計に。付き合い始めてまだ数日だというのに、時間が経てば経つほどへの想いが膨れ上がってくる。だから自制の意味も込めてとりあえずは何も起こらないようにしておきたかった。それでなくとも、ゆっくりやっていこうと決めたばかりなのだ。

どうにも調子を狂わされっぱなしやな。

そんな自分の不安定さに少し恥じ入りながら、それでも帰り際にはを引き寄せ、時間をかけてゆっくりと別れのキスをした。への愛情表現というよりも、そうする事で自分が安心したかった。

波乱必至であろう新年会は、3日後だ。