灯りを消して

10

「一応、家族用にもう1組寝具はあるんですが……

望月を転がしアリスの横たわるソファを動かして、はクローゼットを開いた。普段が使用している寝具一揃いと、それとは別にもう1組あるといって圧縮されたセットを引きずり出した。半分程度引き出した所で交代し、江神は布団セットを担ぎ上げて取り敢えずは何もないところに積む。

「2組か。寒いしな……どうするか」

積み上げた布団を前に腕組みをしている江神の後ろで、はひざ掛けを2枚発掘した。こたつを買ってしまったので、この冬は出番がなかったものだ。

「これも使えますか」
「ああええな。よし、こうしよう」

江神は立ち上がって部屋を見渡すと、軽く頷いた。

「まず、モチと信長の枕はそれぞれのコートを使う。丸めて突っ込んどけばええやろ。アリスも枕に関してはそれでええ。次に、この掛け布団は、家族用の方はアリスに使おう。あいつは被害者みたいなもんやからな」

言いながら、江神は2回生コンビとアリスのコートを玄関から持ってきて床に置いた。

「次にこいつらやが……信長を横にして、モチと並べる。こたつ布団をギリギリまで引いて、信長に掛けて、はみ出すようならひざ掛けでくるんでおけばいい。モチの方はこたつの足ギリギリまで信長側に寄せて、胸まで引っ張り出す。出した分はひざ掛けやと薄いか。そんならひざ掛けを枕にしてコートを被せる」

は江神の指示にうんうんと頷いていたが、それではどうにも足りない気がして首を捻った。

「ええと、そうすると……あれ?」
「大丈夫、モチをギリまで寄せれば俺もこたつに足を突っ込める」

江神はそう言うが、足だけ突っ込むのではかなり寒い。

「最後まで聞け。俺もはみ出した分はジャンパーでええよ。こいつらのぺらぺらのコートと違うて綿入っとるし、長さもある。枕なんかなくても一晩くらい大丈夫や。お前はちゃんと自分の使うんやぞ」

そこでは弾かれたように部屋を飛び出し、洗濯機のある脱衣所に駆け込んだ。がばと蓋を開ければ、洗濯機の中には江神専用枕。丁寧にもパイル地のカバーがかけてある。はそれをおずおずと差し出した。

「あのう……これ、江神さんのです」

江神は突然枕を手渡されて、固まった。そして、手で口元を覆うとぷいと横を向いてしまった。

……気が早すぎるやろ」

目一杯照れているようだ。もつられてもじもじしたが、思わぬハプニングが起こってしまった今夜にはちょうどよかった。これで枕の問題はクリア。だが、には上半身ジャンパーだけというのは少なく思える。照れながら枕をポンポンと跳ねさせている江神に言った。

「江神さん、私フィールドコート持ってました。それをアリスに被せて、毛布1枚もらいましょう」

レディースサイズでもフィールドコートならそこそこの丈があるし、のものは内側がボア加工されている。それをアリスに被せ、その上から布団を掛けてやればいいだろう。そうすれば毛布が1枚確保できる。まだ照れていた江神だが、その提案に頷いた。

後は用に布団を敷いてしまえば完成だ。2人は作業に取り掛かった。

江神が2回生コンビには触らなくていいというので、はなぜだろうと思いながらアリスの準備に取り掛かる。その背後で、江神は思ったとおり、望月にも織田にも抱きつかれた。は声を殺して笑ったが、江神のこめかみには今にも破裂しそうなほど血管が浮き出ている。

はアリスの準備などすぐに終わってしまい、信長を横にしたり望月を移動させたりという作業に奮闘する江神に手を貸したかったが、当の本人は頑としてそれを許さなかった。それにしても、全員引っ張られたり転がされたりしているというのにまったく目覚める気配がない。と江神が考えているよりアルコールの量は多かったのかもしれない。

江神が2回生コンビを片付けている間に、は自分の布団も敷いてしまった。そこで1度手を止め、自分の寝床と江神の寝床予定地を見比べる。の部屋はフローリングに起毛のカーペットを敷いてあるので、その上に敷布団から敷けば寒くはないが、カーペットを挟んだだけで横になると、やはり冷たい。はクローゼットの中で覆いとして使っていた多目的カバーをあるだけ引っぺがして、江神の位置に敷いた。

「やれやれ、やな。この酔っ払いどもめ」
「江神さんのところ、これでどうですか」

ふうと息を吐きつつ悪態をつく江神に、は用意したスペースを指した。江神はそれを見ると、黙って手を加え始めた。の敷いた布団一組をまとめて掴むと、ぐいと引いて自分のスペースにぴったりと寄せる。

「江神さん!?」
「この状況で離す理由が解らんぞ」

ふんわりと笑いながら、布団の上にどっかりと胡坐をかいた。も真向かいにぺたりと座る。

「正直言うて、これでもなんとなく不安や。けど、掛けるものが足りん以上はこれが限界やからな」

防寒の心配がないなら、防波堤のように3人からを隔てる位置で眠りたかった。しかしいくら暖房を利かせたところで、真冬の夜は身体を冷やす。逆に、エアコンを利かせ過ぎれば喉がやられてしまう。江神としても苦渋の決断だったのだ。もこくりこくりと頷いた。

「よし、こんなもんでええやろう。、風呂入って来ていいぞ。こっちは見張っとるから」

はその言葉に、思わず爆発した。

江神に促されるままはクローゼットを引っ掻き回し、普段着ているパジャマではなく、出来るだけ肌を見せなくて済むゆるい服を取り出した。今日はそれがパジャマ代わりだ。ついでに、見せる必要もない下着は所持アイテムの中でも1番新しく、1番可愛いものを選ぶ。買ったはいいが、あまり使っていないナイトブラも今こそ出番だ。それらをパジャマ代わりの服にくるむとバスルームに消えた。

ドア1枚隔てた向こうに、江神はもちろんEMC全員がいると思うと、服を脱ぐ手がどうしても震えた。裸でシャワーを捻ると、今度は少し怖くなってきた。そんな自分の気持ちとは裏腹に身体は熱いシャワーで温まっていく。江神さんも入ればいいのに。無意識にそんな事を思い、は恥ずかしさのあまりスポンジを壁に投げつけた。

しかし、江神にも入ってもらうのは悪くない考えだ。パジャマは用意してやれないが、防犯用に母親が用意してくれた男物のジャージのパンツと長袖のTシャツがある。日常的に洗濯物と一緒に干して使うだけだから、汚れてもいない。もっとも、母親の用意してきたものだから、江神が〝つんつるてん〟になってしまうであろう事は避けられないだろうが、それでもないよりはいい。は手早く髪を洗うと、急いで風呂を出た。

「お待たせしました。江神さんもどうですか」

ドライヤーはキッチンでかけようと、タオルと共に掴んでは脱衣所を飛び出した。見張りのつもりか、部屋の入り口に座っていた江神が振り返る。の姿を認めるなり、ぎくりと身体を強張らせたが、は気付かずに続ける。

「防犯用になんですけど、メンズのジャージがあります。今出しますから使って下さい。タオルは私のものになりますけど、洗ってありますから。あと、これ! 早速使っちゃいましょうよ」
「お、おう……

何やら口ごもる江神に構わず、は2回生コンビからのプレゼントである歯ブラシを取り出して突きつけた。そこで初めて江神の様子がおかしい事に気付いたらしい。かくりと首を傾げた。

「江神さん? どうかしました?」
「いや、風呂上りいうのはええもんやな」

ほかほかと温まっている身体が、さらに熱くなる。照れつつも嬉しそうな、それでいて困ったような江神の笑顔がまともに見られなくて、は歯ブラシを掴んだまま俯いた。濡れた髪がはらりと束になって零れ落ちる。今更ながらに2人きりでない事が悔やまれてならない。

江神は江神で、まだあどけなさの残るの桃色湯上り姿に頬が緩む。2人きりではない事を惜しむ気持ちはあるが、それはそれだ。しばらくは現状維持と決めていたのだから、石鹸の香りが漂うを拝めただけでも満足だった。

、ちょっとだけ」
「は、はい……

江神がねだるように腕を伸ばし、は大人しくその中に納まる。しばしの柔らかい身体と優しい香りを堪能すると、江神は離れた。が猛スピードで用意したタオルとパジャマの代用品を抱え、言い残す。

「急いで使わせてもらうけど、その間ドア閉めて台所におれよ」

普段は開け放したままだが、キッチンと部屋はドアで区切られている。はドアに寄りかかってドライヤーをかけていると約束して、江神を風呂に送り出した。脱衣所から聞こえてくるであろう衣擦れの音には耐えられないと思ったは、ドアが閉まるとすぐにドライヤーのスイッチをオンにした。

宣言どおりカラスの行水で出てきた江神だが、それでも髪は濡れていて、と同じシャンプーの香りがした。いつも無造作に垂れている髪が水分を吸ってボリュームを失い、ややオールバックになっている。ああ江神さんオールバックも素敵です。湯上りが嬉しいのは女も同じだった。歯も磨き終えていたは、追ってキッチンで歯を磨く江神の髪にドライヤーをかけてやる。

「短いかと思ってましたけど、意外と長かったんですね」

これはジャージの話だ。サイドに2本ラインの入ったよくあるデザインのジャージは、きちんと江神のくるぶしを隠している。それに長袖のTシャツも手の甲を隠すくらいの袖丈があり、着丈に至ってはすっぽりと腰を覆っている。どうやらの母親は若者向けの商品を買ったらしい。

髪も乾き歯も磨き終えてしまうと、江神は寝しなに一服、とつい火を点けた。もそれに付き合ってキッチンで話していたのだが、吸い終わってから、慌てて部屋に入っていった江神は、これまたプレゼントの中にあったマウスウォッシュを掴んで戻ってきた。

「そんなに慌てるほど匂いませんよ?」

は不思議そうにそれを眺めていたが、とんでもない。いくら歯を磨いたからといって、煙草を吸ったまま何もせずに眠ろうものなら、翌朝の口臭は人知を超えた破壊力を伴う。きついメントールのマウスウォッシュを口に含みながら、江神は1人ほくそ笑む。は喫煙者と共に夜を明かした経験はないようだ。

「しかし面白くないな、大活躍やないか」

歯ブラシとマウスウォッシュを両手に持って、江神は不満そうに鼻を鳴らした。明日の朝、江神の説教を受けつつも、プレゼントが役に立ちましたねと反論する2回生コンビが目に浮かぶ。この様子では、に渡されたフェイスタオルも紅茶も、江神の方に入っていたシェーバーも翌朝使用する事になるのだろう。使わずに済むのは残りの爆弾アイテムのみだ。

その事にも2人は思い至っていたが、もちろん言葉にはしなかった。ドアを開け部屋に入れば、相変わらず熟睡している酔っ払い3人が出迎える。マウスウォッシュをしまう江神の横では収納棚の上に片付けてあったスタンドライトを引っ張り、ついでに思いついてデジタルオーディオプレイヤーにコンパクトスピーカーを接続した。

「それは?」
「まだ眠くないでしょう、小さく音楽かけてお喋りしませんか」

布団の上でアヒル座りのはにこにこ顔で言った。ついでにお茶でも淹れればよかった。そう思い立ち上がろうとしただったが、突然視界が回転し、気付いた時には江神に押し倒されていた。ゆったり寛ぎモードだったはずのは、上手く息を吸えなくて口をパクパクさせた。驚きの声すら出ない。

ああ、なんて事をするんですか江神さん、今この部屋にはみんなもいるんですよ。そんなに私の湯上り姿がお気に召しましたか、でもダメですここは我慢です、どう頑張っても絶対バレます、堪えて下さい!

声にならない叫びで一杯になりながら、は目を回した。見上げる蛍光灯が眩しい。

いくら私でも、こんなのは無理です!