昔日のフォーマルハウト

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ちゃんと首からIDをぶら下げているというのに、関係者だと分かりづらいからハロウィンぽい格好をしてくれと言われたは、渋々100円ショップに立ち寄ると、売れ残っていたかぼちゃのカチューシャを買った。フェルトで出来た小さいかぼちゃが3つ付いているだけなのだが、それでも鬱陶しい。

ハロウィンイベントは一応17時からとなっていて、はその1時間前に本部に到着した。一応編集長が取材の体で同伴していて、彼もまた悪魔の角のカチューシャをつけていた。

本日ののミッションは、大人が押し寄せてくる前の、子供の方が多い時間帯に集中してイベント全体を記録することである。キッズ・ファミリー・ティーンをターゲットにしていたイベントだったのに、2年ほど前から19時を過ぎると大人の集団の方が増え、乱痴気騒ぎが問題になり始めているので、あくまでも主役は子供であるというアピールをしていきたいとのこと。

「そうは言っても市内の公園じゃ、イベント引き上げた後に集まってくるのを止められないしな」
「意味も分からないのにお祭り騒ぎだけしようとするからですよ」
ちゃんはこういうの苦手だもんなあ」
「うるさいの、嫌いなので。節度を守って楽しむ分にはいいと思いますよ」

隣でかぼちゃクッキーをかじっている編集長は、の面接を15分で終わらせて採用した人だ。小学生の娘と幼稚園の息子を溺愛しているお父さんなので、今日は子連れでやってきている。悪い人ではないのだが、例の一族との癒着が激しいので親しくなりたくはない。

ちゃん今いくつだったっけ」
「年齢ですか、27ですけど」
「そっかそっか、まあまだツンツンしてても許される年頃だね」

さり気ないセクハラには久しぶりに喉を詰まらせた。こんなこと日常茶飯事で、だけどいつも不愉快に感じてきたし、でもこういう苦しさ、藤真先輩と再会してからは忘れてたな。

編集長も言うほど年齢が高いわけではないのだが、何しろ地元一族との癒着で稼いでいるような状態だし、それを疑問にも思っておらず、溺愛している子供についても「娘は医者と結婚させて、息子はスポーツ選手にしたい」と真剣に言うような人物なので、日々の言動もそれなり。

イベント内飲酒は禁止されているというのに、酒を片手に公園内で暴れまくる大人たちを嫌悪する気持ちで一杯になっていただったが、むしろそういう輩にどんどん悪さをしてもらって、中止になればいいのではないかと思い始めた。子供にはもっと安全な場所で子供だけで楽しんでもらえれば。

18時を過ぎたところで編集長と分かれて公園内を歩き、原則として子供がいる風景を撮影していく。遠景でなければIDを提示して撮影の許可を取り、必要なら名刺を渡し、お菓子の入った籠を大事そうに抱えている子供たちを収めていく。

そういえば私、子供の頃からこういうの嫌いだったなあ。

それを思い出したは俯いてちょっと笑った。嫌いというか、大はしゃぎしないことをよく周囲の大人たちに咎められたものだった。どうしてそんな面白くなさそうな顔をしてるのかと言われても、生まれつきこういう顔なんだよ。

そう考えたところで藤真を思い出し、また気持ちが萎えた。先輩と同じこと言ってんじゃん。

だが、撮影した写真を確認してみると、子供たちの楽しそうな表情が収められている。うんうん、みんな楽しそうでけっこういいじゃん。これなら今日の仕事は充分こなせたのではないか。

時計を見ると一時間半ほど公園内をうろついていたことになる。空はすっかり暮れ、冷たい風が木々の間を吹き抜けていく。橙色の明かりに子供たちのはしゃぐ声が混ざり合い、非日常の空間を作り出している。カチューシャを外すと髪がそよぎ、心の毒気が抜けていく。

どうせ最終的に使われる写真は4〜5枚、そのために必要十分な素材は確保できた気がする。そもそも日曜で休日出勤だし、そういうわけで明日は休みだし、かぼちゃのお菓子にも興味はないし、こう寒いと焼き鳥に日本酒とか、飲みたくなるなあ。もう帰ってもいいよね――

そう思いながら構えていたカメラを下げた時だ。背中にドスッと何かがぶつかってきた。

「カメラのおねーさん!」

振り返ると、顔に縫い目のメイクをした男の子がジャンパーにしがみついていた。こんな子供に知り合いはいないし、誰だこいつ――と思っていると、男子小学生の団体がゾロゾロと現れた。その真ん中にはマントを羽織って目を丸くしている藤真。ミニバスの子か!

「おねーさん今日も写真撮ってんの」
「そ、そう、仕事でね」
「撮って撮ってー!」
「オレも撮ってー!」

練習風景の撮影では緊張していた子たちだが、それぞれ仮装しているなら話は別らしい。押し合いへし合い、ポーズを決めながらの前に出てきては自分が先だと言い合っている。正直、撮ってやっても全員にそれをプリントしてやる義理もなければ、情報誌の方でも使わない可能性が高い。

だがぐいぐい押し寄せてくる小学生男子が2〜30人、は苦笑いでシャッターを切る。

「こら、お姉さんは仕事だって言っただろ、おい、聞けよ!」
「コーチも撮ってもらおうよ!」
「オレはいいって!」

はしゃぐ子供たちに押し出された藤真もやはり、黒の上下にパーティグッズのマントを羽織って取り繕っただけの、子守でしかないらしい。もカメラを下ろす。いやまあ先輩は本気で作ればさっき通り過ぎた血塗れメイド服のJKが腰抜かすとは思うけどね。

「今日休みじゃないのか」
「休日出勤」
「それちゃんと手当出るの?」
「パンプキンパイとクッキーとココアは無料」
「んも〜」

そもそも締め切り前になると休みだの残業だのと言ってもいられない職場だし、例によってとても古い体質の界隈の一部なので、その辺はとても曖昧だ。先輩たちは「地元にコネがあると暮らしていくのが楽だよ」と言うが、アパートでひとり暮らしの独身がそのコネを使う機会はあまり巡ってこない。先日の夜間撮影に場所を貸してもらえたくらいで、他に何で得をしたか思い出せない。

すると藤真はポケットに手を突っ込み何やら取り出すと、に差し出した。

「はい、あげる」

の手のひらに、小さなキャンディが転がり落ちた。

瞬間、はグッと喉を鳴らしたかと思うと、ぼろぼろと涙をこぼした。

「え!?」

当然藤真は仰天、慌てて大きな声を出した。するとの涙に気付いた高学年の男の子が藤真の背中をボスボスと殴り始めた。

「コーチ何したんだよ、おねーさん泣いてんじゃん!」
「おねーさん仕事頑張ってるのにそんな汚え飴もらったら泣くよ!」
「おねーさん大丈夫? コーチがごめんね!」
「えっ、ちょ、!?」

だが、そんな紳士な小学生男子たちに殴られている藤真も見ずに、は振り返って走り出した。キッズたちの制裁が加速する。

「コーチ、おねーさん行っちゃったよ!」
「謝れよコーチ、おねーさん可哀想じゃん!」
「いや、お前ら置いていかれないだろ!」

こんなんでも子供たちを預かる責任者である。プライベートなことで子供たちを放り出していいわけはない、のだが、現在最年長にあたる5年生のキャプテンが藤真の前に進み出て手を上げた。

「コーチ、オレ責任持ってみんなを見るから、おねーさん追いかけてあげなよ」
「だけど!」
「もうすぐ監督も来るし、みんなで広場から出ないようにする。約束するよ」

キャプテンは11歳ながら既に身長160センチ、翔陽高校のお膝元でバスケットを始めたというのに「海南大附属に入るのが夢」と堂々と宣言するつわものである。以下チームのキッズたちはこのキャプテンをリーダーとして慕っており、先日の事故の時も彼の指示に従っていた。

「本当に、絶対広場にいるって約束出来るか」
「おねーさん悲しそうだった。オレたちはみんないるけど、おねーさんひとりだから、行って」

藤真は大きく息を吸って頷くとマントを外し、キャプテンに預けると「すまん!」と言って走り出した。既には遠く、ゴミ箱にカチューシャを投げ捨てながら小走りに駐車場の方へ向かっている。

吹き渡る秋風に乗って子供たちの応援の声が藤真の背中を撫でていった。

本日ご来場の皆様には徒歩あるいは公共交通機関をご利用の上、仮装の際には周辺住民の方のご迷惑にならないようご協力をお願いします――というわけで、この日の駐車スペース5つはを含めた4人の撮影担当と地域の養護施設のマイクロバス専用となっていて、のポンコツ号はその端っこに停まっていた。薄暗く、ひと気もなく、枯れ葉だらけ。

その白いポンコツの相棒にたどり着いたところで、は藤真に追いつかれた。引退したとは言え、数ヶ月前まで現役のスポーツ選手だった足はの想像以上に早かった。

、待って、どうした」
「ち、違、大丈夫だから、平気だから」

藤真に追いつかれたは肩を掴まれて振り向かせられたが、車を背にしきりと顔を隠そうとしていた。大丈夫と言いながら涙は止まらないし、藤真は慎重にカメラを取り上げてミラーにぶら下げると、断りもせずにをぎゅっと抱き締めた。

「何があったの、ちゃんと話して。こんなに泣いてるのに大丈夫なわけないだろ」
「い、いいから、平気、子供たち、危ないよ」
「あの子たちは大丈夫、いいリーダーがいるし、監督も来るし」
「いいって、大丈夫だって、何もないから」

の声は懸命にこの状況を茶化そうとしていたのだが、動揺に震えたまま戻らない。藤真はことさらにぎゅっと抱き締め、頭を静かに撫でた。

、言ってみて、オレじゃ役に立たないかもしれないけど、力になりたい」
………………焼き肉、食べ放題」
「にく?」

藤真としては、ろくな手当もつかない休日出勤のの涙はもしかしてまた例の一族に関係した各種ハラスメントに傷付いたからなのでは、と思っていた。が、腕の中のは焼き肉食べ放題。つい腕を緩めて身を引くと、は嗚咽に唇を震わせながら目を逸らしていた。

「10年前、ライヴハウスの帰り、みんなで焼き肉食べ放題に行って」
「うん、行ったね」
「帰り、遅くなったから、先輩、送ってくれて」
……そうだったね」

それが最後だった。藤真高3、高2、夏休みの終わり頃に仲間たちのはからいでを地元駅まで送り届け、藤真は「またね」と言って別れた。それきり10年間、姿を見ることもなかった。

「あの時も先輩は焼肉屋でもらったミントの飴を、くれて、先輩はずっと優しかったのに、私みたいなつまんない人間なんかに話しかけてくれてたのに、私はそれを拒絶して、拒否したのに、今さらそんなこと思い出して、やっぱり一緒にいたいって思ったって、もう遅い、先輩はいなくなる」

俯いてまた涙を落としたを、藤真はきつく抱き締めた。

、どうして、遅くないよ」

藤真の声は震えていた。冷たい秋風に揺れる前髪の影で、瞼も震えていた。

言ってくれたじゃん、この間親父にキャッチボールしようって誘ったらすごく喜んでくれたんだよ、あの時はごめんて言えたし、色んなこと話せたし、全然遅くなんかなかった。オレ確かに引っ越すけど、そんなに遠い距離でもないだろ。オレも一緒にいたい」

背中にの腕を感じた藤真は一呼吸、覚悟を決める。

「オレは10年前も本当にのこと好きだったし、この間体育館で再会してからもずっと好きだったよ。でもはオレたちの関係のこと『友達』って言ってたし、今さらセカンドチャンスを貰えるとは思ってなかったから言えなかっただけだよ」

はそんな風に友達と遊ぶのですら不慣れで、それだけでも楽しそうだったから。再会したことで届くことのなかった気持ちが膨れ上がっても、にまた拒絶させて傷付けるくらいなら友達のままでいいと思って。それでもいいから繋がりを切りたくなくて。

「遅く、ないの、やり直せるの」
「遅くないよ、引っ越す前に間に合ったじゃん。10年分、一緒にいてよ」

10年前、いくら仲間たちが協力しても、藤真が何を言ってもやっても、は振り向くことはなかっただろう。もし状況に流されて藤真と付き合うようなことになったとしても、いずれ苦しくなって彼を拒絶しただろう。そして逃げ出していたはずだ。

けれどそれは17歳だったからだ。制服を着て高校に通っていただったからだ。

なりに10年という時間を過ごし、そして現在の27歳の自分というものを生きている。

……は、オレのこと、好き?」

見上げた藤真の目は潤んでいるように見えた。言ってほしい、オレを好きだと言ってほしい、10年前に諦めたその言葉を言ってくれないか。そんな風に言っているように見えた。

……好き。健司くんが、大好き」

それが今、27歳のの全てだった。