たまにはこんな夏の1日

「だからさ、変化があった方がいいと思うんだ」
「それはわかったけど、なんで私が呼ばれてるの」

翔陽高校体育館に併設された運動部クラブ棟の一角、男子バスケット部部室で部長の藤真はパチンと両手を合わせた。拝まれているのは現在のスタメンである高野の従姉妹である。同じく翔陽の3年生で、演劇部の副部長だ。従兄弟に呼び出されて来てみたらいきなり拝まれた。

彼らが生まれる前からバスケットが強い高校として有名だった翔陽だが、監督もコーチもおらず、なのに部員は100人近く、顧問の先生は素人という惨憺たる有様の中で数年ぶりにインターハイ出場を逃してしまった。

しかし経験豊富な指導者のいないバスケット少年たちは、自分たちに何が足らなかったのか、または余計だったのか、日々の練習以外に今何か出来ることはないのか、それがさっぱりわからない。

そこで主要選手が顔を突き合わせてだらだらと議論した挙句、変化が必要だという結果に落ち着いた。

「でもどんな変化がいいのかよくわからないんだ」
「ええと、一応突っ込んでいいのかな? 見た目が変化してもしょうがないんじゃないの」

この高野の従姉妹は普段ビジュアル系で学校では演劇部、眉は極限まで薄く、髪はツーブロックのロングで裾が3段という剛の者だ。変化という結論は出ても、さてどうしたらいいかわからない藤真たちは何も考えずに彼女を呼び出したというわけだ。

「あのね昭一、私あんたたちと違ってこれでも受験生なんだけど」
「まあ夏休みの1日くらいいいじゃないか。頼むよ麗姐さん」
「姐さんて言うな!」
「うらら? 姐さんの名前?」

まるで悪びれない高野に噛み付いた姐さんは、うららと言う名前らしい。花形は麗姐さんに聞き返したのだが、高野はへらへらと笑いながら手を振る。

「いやいや、本当は麗子ォフッ」
「どうも皆様、高野麗です。今このバカが言ったことは今すぐ記憶から消去するように」

本当は麗子ちゃんである麗は高野の腹に一発ブチ込むと、にっこりと笑って髪を跳ね上げた。そのせいで露になった耳には大量の穴が開いていて、話を聞いていた永野も長谷川もこくこくと黙って頷いた。

体は大きくて顔が怖いのもいるが、基本的に彼らは部活漬けの真面目な男の子である。麗子ちゃんの記憶は一瞬で宇宙のかなたに吹き飛び、麗姐さんは敵に回してはいけない人種だと記憶された。

「それで? 見た目変えてみるったって、どうせ毎日学校来てるんでしょ。限度があるじゃない」
「そこなんだよ。髪染めるわけにもいかないし」
「えっ、藤真それ染めてないの!?」

麗が素っ頓狂な声を上げると、藤真は遠慮がちに頷いた。彼の髪は薄茶色をしている。

「ていうかあんた目もちょっと茶色いよね? え、もしかして血、混ざってる?」
「い、いや、まったく」
「それでその色とかなんなの羨ましすぎるわ本当にもうちゃんに振られろ!!!!」

学校に通っている以上、校則に縛られてしまうビジュアル系女子は髪を染めたい欲求との戦いを強いられる。その目の前に赤みの少ない薄茶の直毛で美形で運動部のエースがいれば怒鳴りたくなるのも無理はない。

「う、麗さん落ち着いて落ち着いて。藤真はとりあえず措いておこう。オレらもどうかな」
「どうかなって何が。見た目の変化? 手っ取り早いのは髪型変えるとかじゃないの」

宥めてきた長谷川に麗は人差し指をピッと立てた。よく見たら爪にマニキュアの色が残っている。黒い。

「髪型かあ」
「そうだなあ、一志それ、仙道と被ってるもんなあ」
「いや藤真、向こうの方が後輩……
「夏だし、いっそ坊主にするとかね」
「初心に帰るか? 一志入学してきた頃坊主だったよな」
「いいんじゃないの。最近坊主好きって女の子多いし」

モテたくて変化が欲しいわけじゃないと長谷川は弁解したが、麗は聞いていない。

「だったらいっそ全員頭丸めちゃえば?」
「さすがに藤真を坊主にはしたくないんだけど」
「甘いな昭一、本当のイケメンていうのは髪がなくなってもイケメンなんだよ」
「だけど全員で同じことしてもってのもある」

校外にも及ぶ絶大な女子人気の礎である藤真のビジュアルはなんとかして保持したい。いわばそれも現在の翔陽のシンボルだから。もう全員坊主でいいじゃないかという気分になっている麗に口を挟んだ花形だったが、今度は自分が指を差された。

「まあ花形は簡単だよね、メガネ変えればいいんだし」
「そういやお前ずっとそのメガネだよな」
「メガネなんてそんなに頻繁に変えないだろ」
「坊主にメガネチェンジならまあ、校則も問題ないしね。昭一どーするよ」

ビジュアルアドバイザーとして呼ばれたにしては縛りがきつすぎて面白みがない。麗は早くも飽き始めている。

「あと校則にひっかからない範囲となると……何笑ってんだ麗」
「あったじゃ〜ん、割とすぐに元に戻って気楽なところが〜」
「どこ?」
「ま、ゆ、げ」

自身もほぼないに等しい眉を吊り上げて、麗はにたりと笑った。やっと面白くなってきた。

「え、そ、それは……
「まあまあ、いきなり私みたいに薄くしろとは言わんさ。昭一、顔貸しな」

麗はバッグから化粧ポーチを取り出して、手招きをした。が、眉などいじったことのない高野は若干怯えている。従兄弟が腰を上げないので麗は立ち上がって高野の頭を鷲掴みにした。以前に藤真を女装させた時にも使ったターバンをバチンとはめる。

「そーいや藤真は整えるまでもないキレーな眉毛してたっけね」

恨みがましい声で言いつつ、麗は高野の眉毛を整えていく。それを見ている4人はどきどきしつつも面白くなってきて、首を伸ばしている。藤真の女装も似合う似合わないはともかくとして、仕上がりはとてもきれいだった。眉用のハサミをちょこまかと動かしながら、麗はぼそぼそと付け加えた。

「外見の変化もいいけど、あんたたちは高校バスケットの世界の中でしか生きてないから、こんな突拍子もないこと思いつくんじゃないの。そりゃあ練習も大事だろうけど、部活以外の友達と出かけてみるとか、彼女作るとか、色々あるでしょうよ」

これは主に部とは関係ない、例えば家族などには散々言われてきたことだ。どれだけ華々しい活躍であったとしても、彼らが没頭している世界は狭い。行く末は大きく広がっていくだろうけれど、今いる場所がとても狭いので、他人にとっては目詰まりを起こしているように見える。

「まあでも、こんなんで気分転換になるならそれでもいいけど。ほらよ」

麗が体を翻すと、眉毛だけ妙にキリッと整った高野が現れた。場内大爆笑。

「ちょ、麗、鏡貸せ、うええええええ」
「なんか文句あんの」
「いやこれは明らかに顔とバランスが取れてないだろ!」

高野は鏡を握り締めて若干震えている。一方の藤真たちは笑いすぎて呼吸が出来なくなっている。

「じゃあほら、高野と永野ってどっちがどっち? って言われる相方、お揃いにしよう」
「いや、ちょ、オレは勘弁して下さい、麗さん怖いからハサミしまって!!!」

プルプルしている従兄弟からターバンを剥ぎ取ると、麗は今度は永野にターゲットを定め、眉用ハサミをチャキチャキと動かしながらにじりよった。怯える永野は椅子ごと壁際に追い詰められていく。

ところでこの麗さん、顔も性格も怖いので気付きにくいが、高校3年生にしては魅惑的な体をしており、なおかつ高野家のシンボルである厚めの唇の右下にホクロがあり、大変に色っぽい。それにチョークスリーパーをきめられた永野が途端に大人しくなってしまったのも無理はない。

それに気付いても突っ込まないでおいてやるのはチームメイトとしての礼儀であり優しさだ。

「まあおそろいというのもなんですから、こっちはちょっとセクシーに」
「か、鏡、鏡! 嘘だろおおお」

藤真と長谷川が笑いすぎてえづいているし、花形は涙を流しながら笑っている。永野の眉はハリウッド女優のようなクッキリと釣りあがった形に整えられていて、これはこれで気持ち悪い。というかそれが高野と並んでしまうと大惨事だ。藤真がこっちを見るなと言いながらとうとう涙を零した。笑いすぎ。

「麗、これは無理だろ、どうにかしてくれよ」
「どうにかって、んじゃ私とお揃いにする?」
「その方がマシだ。な、永野、これよりはいいよな?」
「しばらくすりゃ伸びるんだし、頼む」
「はっはっは、最初っから薄眉にしときゃよかったねえ」

そんなわけで高野と永野は麗姐さんとお揃いの薄〜い眉毛になった。かなり短く刈り込まれて細くもなったが、早ければ10月くらいには完全に元通りになっているだろう。余計顔が怖くなったが、それはまあ問題あるまい。女の子が近寄ってこなくなるだけだ。麗姐さんはそれを忠告してやる気はない。

「こんなに笑ったの久しぶりだ」
「私もあんたたちがこんなに笑うとは思ってなかったよ。よかったね、デトックスになって」
「デト……?」
「毒出しのことだけど、まあ笑っても泣いてもストレスは減るから」

真っ赤な目で鼻をぐずぐず言わせている藤真は、麗の言葉に目を丸くした。自分たちはストレスを抱え込んでいるのだという自覚がなかった。言われてみれば、なんだか気分が軽くて頭がすっきりしている。

「で、結局藤真はどーすんの」
「そういやそうだな」
…………藤真、耳貸しな」

ひとり変化の方向が定まっていない藤真に、麗姐さんはにやにやしながら囁く。

ちゃん、ブラッドリー・クーパー好きらしいよ」

それからしばらく後のこと。時間が出来た麗はバスケット部の部室へ顔を出してみた。ノックをして覗き込むと、高野がほっそい眉毛のまま出て来る。その向こうでは椅子にだらりと座ったヒゲ面の藤真が白っぽくなっている。

「あっ、麗! お前藤真に何言ったんだよ」
「あっらー、なんか大変なことになっちゃった?」
「大変どころじゃないんだけど、麗姐さん」
「姐さん言うなっつってんだろ永野かお前」

姐さんは後ろから聞こえてきた声に振り向きもせずに肘を突き出した。腹に肘打ちを食らった永野が呻く。

「おかしいなとは思ったんだよ、ヒゲなんて……
「いやー! 長谷川さっぱりしたねー! いいよー坊主いいよー」
「だから何言ったの」
「花形、あんたどーいうセンスしてるのそのメガネ」

麗は長谷川の坊主頭を触ろうとしてぴょんぴょん飛び跳ねつつ、花形の新しいメガネに吹き出した。

「てかなんであんな真っ白に燃え尽きてんのよ藤真は」
「ちょうど今朝、さんに会ってさ……
「うっひゃあ、やっちゃった!?」

がブラッドリー・クーパー好きだと吹き込まれた藤真は、さっそく画像検索をしてみた。激しい色気のイケメンで、大抵の画像でヒゲを生やしていた。そうかこれか、と何も考えていない藤真はヒゲを伸ばし始めた。普段なら先生に怒られるところだが、夏休みだし監督もいないし問題ない。

しかし悲しいかな髪も目も色が薄く、その上直毛である藤真にブラッドリー・クーパーのようなセクシーなヒゲが生えるわけもなく、だがの好みはヒゲと思い込んでしまった彼は後輩に悲鳴を上げられてもヒゲをやめなかった。そして夏休みも終わり間近のこの日、たまたま登校していたに鉢合わせた。

さん、汚いものを見るような目つきでさ……
「藤真のヤツ、にこにことブラッドリー・クーパーの名前を出したんだよな」

返って来た答えは「誰ですかそれ」だった。

「あっはっはっはっはっは」
「麗、お前ねえ」
「その上『ただでさえチャラついて見えるのに不潔感たっぷりですね』って言い捨てられた藤真の立場は」
ちゃんすっごい! ちゃんやっぱかわいいわー!」

麗は腹を抱えて笑っている。

「今、伊藤が髭剃り買いに行ってくれたからアレだけども……
「麗、藤真はあれでも普通の男なんだよ。それを心に深〜い傷を負ってしまってだな」
「いやーははは、悪かった悪かった、でもそんなことだろうと思って今日来たんだよね」

麗はバッグの中からぺろりと1枚のフライヤーを取り出した。

「今度の土曜、時間作りなよ。みんなもおいで」

4人が麗の手元を覗き込むと、なにやらライヴハウスのイベントのようだ。

「演者が全員高校生のイベントでさ。昼間なんだけど、ちゃんにカメラ頼んだんだ」
「へえ、よく引き受けてくれたな」
「当日、ちゃんには少し可愛くなってもらう予定なので、藤真ボティーガードすればと思って」
「なるほどね」
「演者はともかく客は本物のチャラついた不潔がいるから、藤真が王子様に見えるはずだよ」

フライヤーを摘んだ麗はにっこりと笑った。それを真っ白に燃え尽きた藤真は恨めしそうな目で見ている。

「そんなに遅くはならないけど、帰り送って帰れるよ、藤真。チャンス!」
「いいかもしんないな。たまにはこういうのも」
「でしょ。私もちゃんと最後まで付き合うから、なんとか都合つけなよ」

藤真に少し色が戻り始めた。それを見た麗はフライヤーを部室の掲示板に貼り付けると、パンパンと手をはたく。髪を払いながら振り返る姐さんは汗ばむ肌に髪が貼り付いていて、それはもう艶っぽい。可愛くなる予定のも見てみたいが、私服の麗も見てみたい。高野以外の4人は楽しくなってきた。

「高校3年生の夏休み、こんな日が1日あったっていいでしょ。要はメリハリよ!」

そう腰に手を当てて言うメリハリボディの麗姐さんに拍手が沸いた。

END