君のほうがかわいい

前編

開け放していた体育館のドアからひとりの女子が大荷物を抱えて入ってきた。体育館はただいまバスケット部が練習中である。その女子生徒は入ってすぐの場所に荷物を下ろし、きょろきょろと見渡す。だが、目当てのものを見つけられなかったのか、一呼吸おいて大声を出した。

「すみません、部長さんいらっしゃいますか!」

騒がしい体育館の中は男子しかいない。そこに女子の細い声が響き渡り、一瞬水を打ったように静まり返った。だが、部長以外の部員たちはすぐに練習に戻る。

「オレが部長だけど、なに?」

棒立ちになっている女子の横から、部長がやって来た。この翔陽高校における様々な「一番」の保持者である主将の藤真だ。練習中に水を差されたのが面白くないのか、普段教室などでクラスメイトたちに見せている陽気な笑顔はない。腕組みをして大荷物の女子を見下ろしている。

だが、女子の方もあまりいい顔はしていない。呆れたように目を細めて藤真を見上げる。

「写真部です。今日卒業アルバム用のスナップを撮影するとお伝えしているはずなんですが」
「あっ、ごめん忘れてたよ!」

翔陽高校の卒業アルバムの中の、学生生活の記録のページは伝統的に写真部が請け負うことになっている。修学旅行や文化祭、部活動などが主な内容。ただし、翔陽は部活動が盛んな校風のため、部活のスナップは早いうちからたくさん撮るのが慣例となっている。県や全国で実績のある部は尚更である。

……あれ、君3年だっけ?」
「いいえ、2年です。人手が足りないので」

写真部2年の女子は荷物の中から紙を一枚取り出して藤真に手渡した。写真部用の全体的な撮影スケジュール表だ。表には部活動と活動場所と撮影担当者の名が記されている。

「写真部の3年って今これだけしかいないのか」
「ついでに私以外全員男子ですので、女子の多い部に行っています」
「で、君は男バスに行かされてるわけか」

藤真は表の男子バスケット部の欄に目を落とす。担当者はとなっている。

「今日を含め3日間撮影します。出来るだけ意識せずに過ごして下さい」
「えっ、ええとさん、ひとりで?」
「そうですが」

全国区の知名度を持つ翔陽バスケット部の部長で主将で監督で顔も美形という藤真を前に、は真顔だ。顔を隠すように垂れた前髪に、堅苦しい着こなしの制服が余計に彼女を地味に見せている。

「大丈夫なの?」
……撮影したスナップはもちろん確認して頂きます。部長や先生の審査も入ります」

写真撮影の腕を疑われたと思ったはムッとした顔で早口にそう言った。

「ごめんごめん、そうじゃなくて、大変だねってこと」
「あ、すみません。でも大丈夫です。写真撮るだけですから」
「じゃあ、かっこよく撮ってくれよ」

労う意味も込めてにっこりと笑った藤真だったが、大概の女子の動悸が早くなるこの笑顔にも、は真顔のままだった。むしろ少し不愉快さが混じっているような気がしないでもない。女子からそんな顔をされた経験のない藤真は少したじろいだ。何か変なこと言ったかな。

よく見るときれいな白い肌をした、目元のきりっとした女の子なのだが、少し刺々しい。

「気を付けますが、お邪魔でしたら教えて下さい」

そう言ってはぺこりと頭を下げた。

「意識するなって言われても気になるよな」
「バズーカが出てきたのかと思ったよ」
「重くねえのかな、あれ。さんが小さいから倒れるんじゃないかと思っちゃったよ」

部活終わりの帰り道、藤真は副主将の花形と寄り道をしてぐうぐう鳴る腹を満たしていた。たまに利用する有料コートの近くにある昭和の匂いが残る喫茶店である。藤真はしょうが焼き、花形はチキンカツ丼のそれぞれ大盛をぱくついている。藤真はが重そうなカメラを構えていたのがなかなかにショックだったらしい。

「そりゃ女の子には重いだろうな」
「男子のみの部活、全部回らす気かよ」
「まあ、あいつはそういうヤツだ。男なんか撮りたくないだろうからな」

写真部の部長が同じクラスだという花形は、のように真面目腐った顔でそう言った。

「あの子も好きで写真部やってんだから可哀想ってことはねえけど、それにしてもな」
「2年だし、地味な感じだからあいつらのお眼鏡には適わなかったんだろう」
「お眼鏡って、何様だよ」

花形の言うあいつら、部長と3年の部員計4人はマイナーアイドルやコスプレイヤーの撮影が趣味らしいと花形は言う。藤真基準で言えばそんな掃き溜めに入部してきたは鶴にも等しく、もう少し大事にしてやればいいのにと思ってしまう。

「だいたい、3年が引退したらほとんど部員残らないだろ」
「たぶんな。まあ、部の存続なんて気にしてる様子はないから、いいんじゃないの」
「これだから文化部は」

藤真には「文化部は薄情」という偏見がある。きっと花形の知っている写真部の3年に言わせれば「運動部は暑苦しい」と言われることだろう。どっちもどっちだ。

「お前同じクラスなんだろ、ちょっと言っとけよ」
「なんだよ、やけにこだわるな」
「だって可哀想だろうが」

藤真は真剣だが、その顔を見て花形は鼻の辺りがむず痒くなった。笑いたいのに笑えないからだ。他校のバスケット部員には「ベンチではクール、コートではホット」だとかなんだとか言われている藤真だが、本来的にはホット寄りである。バズーカみたいなカメラを抱えた女子を目にして点火してしまったのかもしれない。

お前が口を出すことか? と言いたいのをぐっと堪えて花形は頷くだけにしておいた。

「失礼します、写真部です」

翌日、は昨日と同じ時間に同じ荷物を抱えて体育館にやってきた。荷物の中からカメラを出しレンズを出し三脚を出し、組み立てては調節し、ファインダーを覗く。あまりにてきぱきした一連の作業の様子は専門の職人のようだ。それが制服を着た女子高生だというのが面白い。

何度も調節を繰り返しては、ファインダーを覗いて確認している。そのレンズの真ん前に藤真がひょこっと顔を出す。は突然視界が真っ暗になったことに驚いて飛び上がった。

「おはよー。さん今日も大変だね」
「は、え、お、おはようございます。何か問題でも……

藤真としては挨拶をしただけなのだが、驚いて狼狽した上に部長に声をかけられる覚えのないは険しい顔でそう言った。もちろん問題はないので藤真は首を振る。

「問題はないよ。挨拶しただけ」
「そうですか、すみません。あ、昨日聞き忘れたんですが、3年生の方は区別が付きますか?」
「いやそれはちょっと……ジャージも皆お揃いだし、Tシャツも今日はバラバラだな」
「いつでも構いませんので1枚識別用に3年生の方だけ撮影させて下さい」
「今でもいいの?」
「はい」

翔陽高校のジャージは学年ごとの違いがなく、全員同一デザインである。当然部活ジャージも同じ。背中に名前が入ったとしても、1年で変わってしまう学年までは入れない。さらに普段の練習は部のジャージやTシャツでなくとも構わないので、学年の識別はつかない仕様になっている。

藤真はくるりと振り返ると大声を上げて3年生を集めた。

「誰が3年だかわからないから1枚撮るって」
「できるだけ散らばらずに顔の距離を近くして下さい」

練習を中断されてあまり機嫌のよろしくない部員たちは、それでも大人しく従った。は少し離れてファインダーを覗き、首を傾げ、きょろきょろと辺りを見渡し、バズーカを下ろすとそのまま走って体育館を出た。

「おい藤真、どうなってんだよ」
「いやオレもわからん」

苛ついた声を上げた永野に藤真も困った顔を返すしかない。1分ほど待ったところで、が何かを抱えて帰ってきた。体育倉庫になぜか置いてある踏み台だった。バズーカのあたりにそれを据えると、は何事もなかったかのようにカメラを拾い、踏み台に乗ってカメラを構えた。

「こちらを向いて下さい」

その堅苦しい声に、集まった3年生全員が吹き出した。この世の一切のことが面白くありません、という険しい顔をしたがちょこまかと動き回った挙句、踏み台によじ登ってカメラを構える様はなんとも言えず可愛らしかった。小さな女の子がお手伝いをしているみたいに見える。

「あ、笑って頂かなくて結構です」

何を勘違いしたのかはファインダーを覗いたまま、また堅苦しい声でそう言った。爆笑が起こる。

「ちょ、さんちょっと待って、すぐ戻るから待った」
「はあ」

一度火がついてしまった3年生たちは、それをひっこめるのに数分を要した。しかもそれを待つはバズーカを首にぶら下げて踏み台の上で棒立ちになっていて、その姿が余計に笑いのツボを刺激する。しばらくするとも自分が笑われているのだと気付き、いっそう不機嫌な顔になった。

だが、一応後輩なので何も言わないは3年生たちが笑い止むのを待って、今度はさっさとシャッターを切った。カメラを下げると「ありがとうございました」とだけ言って踏み台を降り、さっさと次の撮影の準備に取り掛かってしまった。

「よーし、もういいぞ戻れ」

まだ少しにやつきの残る3年生だったが、藤真の言葉にまた散らばっていった。それを見届けると藤真はバズーカを弄繰り回しているに近付く。背中から不機嫌オーラが激しく放出されているが、藤真はお構いなしである。なぜと言えば相手が女の子なら不機嫌マックスでも辛く当たられたことはないから。

さん、ごめんね」
……何がですか」

優しく声をかけた藤真だったが、はもう振り返りもしない。レンズを取り替えている。

「何も君のことカにして笑ってたわけじゃないんだよ」
「そうですか」
「なんか君があんまり一生懸命ちょこまかしてるから、つい可愛いなと思ってさ」

通常であれば99.9パーセントくらいの確率で藤真に恋する場面だろう。だが、は0.1パーセントに属する少女であった。勢いよく振り返り、しかめっ面で藤真を睨んだ。

「練習の邪魔になってることはわかってます。私だってやりたくありません」
「へ?」
「卒アルの撮影でなければこんな所来ませんし、それをなんでバカにされなきゃいけないんですか」

藤真は意味がわからなくて笑顔のまま固まっている。

「私が望んで男バスの担当になったわけじゃない。文句があるならうちの部長に言ってください」
「ちょっと待った、オレそんなこと言ってないだろ、可愛いと思ったって言っただけ――
「それがバカにしてると言うんです!」

語気を強めたの言葉に練習中の部員たちはつい手を止めた。翔陽が誇る我らのイケメン主将が地味なバズーカ女子とモメているのは、ちょっと面白い。完全に練習を中断してしまうと後が面倒なので、ちらりちらりと覗き見をする。

「いやそんな自虐的な。別にさんが可愛くてもいいだろ」
「よくありません。先輩の方が可愛いに決まってます!」
「ハァ!?」

はビシッと指差してそう言い、藤真は素っ頓狂な声を上げた。3年のスタメンあたりはもう完全に手を止めてしまっている。なんだか話がおもしろい、いや、おかしな方向へ転がってきた。

「可愛いってあのな、オレは――
「女装して化粧したらナンパされるって評判です!」
「ふざけんな! そんなバカを言ってるのはどこのどいつだよ!」
「3年の女子です! それには私も同意です!」
「同意するな! なんなんだお前!」
、落ち着いて、先輩も落ち着いて下さい!」

肩を怒らせて言い合うふたりの間に2年の伊藤が入ってきた。の肩を押さえて藤真から遠ざけようとしている。それを見てやっと花形が藤真の襟を引っ張る。ふたりは喧嘩中に仲裁に入られた猫のようだ。

「あっ伊藤くん、離して! こんなやつ――
「こんなやつとはなんだよ!」
頼むよ落ち着いてくれ!」

伊藤と花形に捕まってなお藤真とは鼻息荒く、今にも掴みかかりそうな勢いだった。

「なんだかよくわからんが、女装してやりゃあいいじゃねえか」

そう花形が言うと、遠巻きに様子を伺っていた部員たちが一斉に吹き出した。

「なっ、何言って――
さんは藤真の方が可愛いと主張している」
「歴然とした事実です!」
「だが藤真はふざけんなと反論している」
「当たり前だろ、おい花形お前何言ってんだよ」
「だから証明してやればいいだろ、女装して、どっちが可愛いのか」

もう部員たちに遠慮はなかった。歓声と拍手が上がる。そこへ高野が進み出て来た。

「幸いにもオレの従姉妹が演劇部だ」
「え、高野の従姉妹? 翔陽にいたのか」
「しかも副部長で、普段はビジュアル系のファンだ」
「完璧だな。藤真、腹括れ」

盛り上がる部員たち、ぽかんとしている藤真、その向こうでは伊藤に取り押さえられながら勝ち誇った顔でにんまりしていた。