「なんなんだよどういうことだよ、なんでオレがそんなことしなきゃいけねえんだよ!」
今日も馴染みの喫茶店へやってきた藤真は、向かいに座っている花形と高野に当り散らしている。高野は従姉妹に連絡を取っているので聞いていない。花形もそれが気になって、高野の手元を覗き込んでいるので聞いていない。
「花形、話ついた。放課後までに準備してくれるって」
「頼りになるな。てか従姉妹、可愛いの?」
「いやオレはわからん、従姉妹だし、普段ビジュアル系だし、怖えーんだよ」
「オレの話を聞けえ!」
明日の準備と高野の従姉妹の話で盛り上がるふたりに藤真はまた怒鳴り散らす。この店は中高生を含む学生が多く、19時にアルコールを出し始めるまでは騒がしい。19時になると基本的に学生は入れてもらえないはずなのだが、大盛メニューが豊富なので時間が来てもジャージ姿の若い男性客が多い。
腹の虫が治まらない藤真はお小遣いの残額が危ういにも関わらず、オムカレー大盛りの唐揚げトッピングをがつがつ食べている。冷静に事を楽しんでいる花形と高野は慎ましくサンドイッチをシェアしている。
「ほんとになんなんだよあの女! 可愛いから可愛いっつって何が悪いんだよ!」
「そうだなほんとにお前の言う通りだな」
「その棒読みやめろ!」
真顔で適当な返事をしていた花形は、背中を丸めてテーブルに頬杖をつくと、初めてにやりと笑った。
「はいはい、は可愛いんだよな、お前の言いたいことはよくわかったよ」
スプーンにオムカレーを乗せたまま、藤真はちょっとぽかんとしていた。だが、花形の言葉の意味がわかると怒り出した。オムカレーをもぐもぐやりながら毒づく。
「なんでそうなるんだよ! あんなクソ生意気な女、可愛くねえよ」
「ああそうだったな、お前の方が可愛いんだったな」
「高野、お前もいい加減にしろよ。オレは可愛くないし、も可愛くない、それが真実だ」
藤真は今日ののようにビシッと指を差し、ふんと鼻を鳴らした。
「いや〜、こんなチャンスが巡ってこようとはね」
「存分に腕を振るってくれ」
高野の従姉妹だという演劇部の副部長は、部員たちの淡い期待に反して眉毛を極限まで薄くしたツーブロック女子だった。しかもそのツーブロックでロングヘアであり、裾が3段になっている。藤真を女装させていいと聞くや、彼女は飛びつき、快く演劇部の部室に招いてくれた。
藤真は渋りきった顔で鏡台の前にどっかりと座っている。さすがに大勢の女子に目撃されては可哀想なので、判定はバスケ部とと高野の従姉妹だけで行う。
「それにしても、その写真部のちゃんて子、いい根性してるわー」
翔陽で一番顔の造作が良いとされている藤真を堂々と女装させられるとあって、高野従姉妹は上機嫌だ。面識はなくても藤真を知らぬ生徒はいない。パイル地のターバンで前髪を上げられてしまった藤真はいらいらと貧乏ゆすりをしている。
「そのはどうしたんだよ。来てねえじゃねえか」
「まあまあ藤真、はもうすぐ来るから」
「へえ、藤真、ちゃんお気に入りなの?」
「んなわけあるか! さっさとやれよ!」
高野従姉妹はにんまりと口元を歪めると、藤真の顔にバタバタとパフを叩き付けた。目を閉じている藤真の背後で、同じように花形と高野と永野がにんまりしていた。
そうして藤真に化粧を施すこと数十分、スカートを履かせ、ウィッグを着けて女装仕度は完了した。のだが――
「ええっと……おかしいな」
「だから言っただろうが」
高野従姉妹の困惑の表情に藤真はふんと鼻を鳴らす。結果として、藤真の女装は思いのほか可愛くなかった。
「まあなんだ、オレは気持ち悪いな」
「ナンパもされねえなコレは」
花形と高野も面白くなさそうな顔をしている。
「もっと可愛くなるはずだったんだけどなあ」
「何がおかしいんだ?」
「ええと、まあその、やっぱり女の子のサイズではなかった」
その証拠に、ウエストがゴムの衣装用スカートは履けたがトップスが全滅で制服のシャツのままだ。
「昭一たちの間に入ると小さく見えるけど、充分ガッチリしてたんだわ。肩幅も広いし、胸筋もある。顔も体に対しては小さいけど女の子と同じくらいってわけでもないし、普段から女装し慣れてるならともかく……」
確かに化粧はきれいに施されているのだ。目などつけまつげも付けないのにぱっちりとしていて、とてもきれいに仕上がっている。だが、他のパーツにしなやかさや丸みがない。事実、素顔ならとてもきれいな顔をしているのだが、化粧をすることで固さが浮き彫りになってしまった。伊達に運動部の主将をやっていない。
「こういうのは筋力のないモヤシじゃないとハマらないってことだね」
「ほら見ろ、昨日オレが言った通りだったじゃねえか」
藤真は勝ち誇っている。あまり似合っていない女装姿で仁王立ちだ。スカートの下のスネ毛が痛々しい。
そこへ部室のドアが開いて、伊藤がを連れてきた。
「お待たせしまし――ふ、藤真さん!?」
「やっと来たな自虐女」
は汚いものを見るような顔をしている。
「ほらみろ、オレが女装したって可愛くなかっただろ」
「……そのようですね」
目元だけは妙に美しく仕上がっている藤真はを見下ろしながらふんぞり返っている。の方は言い返す言葉がないというよりも、結果が芳しくなかったことが面白くないという顔をしている。
「さあ、じゃあ昨日の発言は撤回してもらおうかな?」
「……しません」
「ハァ!?」
有頂天だった藤真はまた素っ頓狂な声を上げた。
「先輩は私より可愛いと言いました。女装が似合うか似合わないかはどうでもいいです」
「なっ、じゃあなんでオレはこんな――」
「ちゃんより藤真が可愛い? まっさかあ」
試合に勝って勝負に負けた状態に動転する藤真の横から、高野従姉妹が顔を出した。
「だいたい、そんなバサバサの前髪で何言っちゃってんだかあ!」
「ああ、そういう……」
「な、なんだよ花形」
事態が飲み込めない藤真横で、にやにやしている高野従姉妹はの肩をガッと掴んだ。
「試合はフェアにいかないとね」
「な、なんですか離してください」
「いいから座りな!」
普段からデス声で暴れてるだけのことはある。高野が言うように「怖えー」従姉妹は迫力のある声でを押さえつけて鏡台の前に座らせた。察しのいい花形は藤真を捕まえ、部室を出る。演劇部の部室は視聴覚教室の準備室と併用なので、出た先は視聴覚教室であり、そこには3年生の部員が待ち構えていた。
スカートにウィッグで目元がお姉さんのような藤真の登場に盛り上がる。大騒ぎの視聴覚教室とドア一枚を隔てた準備室では、が藤真のようにターバンで前髪を上げられていた。
「ほら可愛い! 今時貞子なんて流行らないよ」
「そんなつもりありません」
「眉毛も形いいね、肌もいい状態だし、髪は少しパサついてるけど痛んでないのがいいね」
「あの、私もう……」
「藤真みたいなやつに可愛いって言われて、びっくりしちゃった?」
高野従姉妹は苛ついているに構わず、言いたいことを言う。たじろいでいるのを悟られまいとは背筋を伸ばす。高野従姉妹はさっさと髪をまとめると、コットンに含ませたトナーで顔をふき取っていく。
「そんなこと――」
「藤真、いいやつだよ。昭一もよく言ってる。ちゃんみたいな子には特におすすめ」
「ど、どうしてそういう話になるんですか」
「藤真ってさ、あんな顔してすっごい男くさいんだよね」
「それが――」
「それなのに女装付き合ってくれたじゃん」
「私がやれと言ったわけでは……」
肌を整えられたは藤真同様パフで顔をバスバス叩かれている。藤真と違って厚化粧をさせるつもりのない高野従姉妹は薄っすら色づくパウダーでベースを済ませる。はそもそもがとてもきれいな肌をしていたので、それだけでも充分だった。
「そりゃ騒いだのは昭一と花形だけど、体張ってちゃんの方が可愛いって教えてくれたんだと思うけどな」
「そんな風には見えませんでしたけど」
「だって照れるじゃんかー! 藤真だって男の子だよ」
「何でそんな風にくっつけようとするんですか。私のことなんて――」
「可愛くない私なんて藤真は好きにならない?」
先回りされたはウッと喉を詰まらせた。本当にさりげなくチークを、色がないにも等しいグロスを、マスカラもできるだけ控えめに。高野従姉妹は化粧を終えると髪にアイロンをかけて、ゆるい巻き髪にした。前髪は斜めバングで無難にまとめているが、きりっとした目元によく似合っている。
「私、普段ヴィジュアル系なのね。あの世界って、男も女もきれいな人がたくさんいるわけ。だからいわゆる美少女も美少年も見慣れてるんだけど、それでもちゃんは可愛いと思うよ。鏡、ちゃんと見てごらん」
高野従姉妹に顔を押さえつけられて、は鏡の中の自分を見つめる。
「恥ずかしい? そんなの慣れだよ」
「私、別に藤真先輩のことなんて……」
「うん、好きじゃなくたっていいけどさ、藤真、ちゃんのこと気になるみたいだし、優しくしてあげてよ」
さすがのもこう言われては嫌だと言い出せない。そして、高野従姉妹の迫力につい本音が漏れる。
「一昨日から……迷惑してるんです。男バスの撮影に行けって部長、クラスまで言いに来て、みんなにバレて、いつのまにか3年生にまで伝わってて、藤真先輩の写真を寄越せとか、そのために写真部入ったのかとか、レンズ、高いのに、ぶつかられたりとか……」
高野従姉妹は納得の様子で頷いている。やはり写真部の部長は花形にしばいてもらった方がいい。
「まあそれで可愛いとか言われればカチンと来るか」
「藤真先輩が悪いんじゃないのはわかってますけど、藤真先輩のせいで迷惑してます」
はまた俯いてしまった。その後姿を眺めていた高野従姉妹は少し考えていたが、の肩をぽんぽんと叩くと、準備室から出て行ってしまった。
「おっ、終わったのか?」
「昭一たちは後でね。藤真、来て」
「えっ、なんでオレだけ」
それでも大人しく高野従姉妹の元までやってきた藤真は、もうウィッグを外して口元も拭ってしまってスカートも着替えている、つまり高野従姉妹が普段見慣れているようなビジュアル系のお兄さんのようになっていた。それはそれで大変かっこよく見えてさすがの高野従姉妹も内心唸った。
「ちゃん、撮影のことを他の女の子にやっかまれて参ってたみたいよ」
「……そっか」
「あとね、マジで本当に可愛いから」
その言葉に藤真の両頬がぴくりと突っ張る。緊張と期待と照れが一気に来た。高野従姉妹は準備室のドアを開けて、躊躇する藤真をどついて押し込むと、自分は入らずにドアを閉めてしまった。
「なに、そんなにいい仕上がりなん?」
「そんなにいい仕上がりです」
「早く見てえな」
「ちゃん本当に可愛いけど、藤真に譲ってやんなよ。女装までしたんだから」
藤真同様頬が緩み気味の3年たちを高野従姉妹はまた低い声で牽制した。姐さん「怖えー」である。
さすがに緊張している藤真はそっと準備室に入ると、後ろから高野従姉妹にどつかれてたたらを踏む。その隙にドアが閉まってしまった。その意味はよくわからないが、が女子たちにやっかまれて参っていたというのはよくわかった。自惚れるようだが藤真をはじめバスケ部員はそのあたりの自覚がある。
「あのー、?」
また高野従姉妹が戻ってきたのだとばかり思っていたは、藤真の声に驚いて鏡台のスツールから飛び上がった。すっかり整えられたの全容が露わになる。きりっとした目元に険しい顔は変わらない。けれど、地味で固い印象はもうどこにもなかった。藤真の時間が止まる。
「た、高野先輩は……!?」
うろたえるは後ずさり、ウィッグや装飾品の入った棚にぶつかる。巻き髪がふわりと揺れて、藤真の世界もそれと一緒に揺れる。バサバサの前髪と不機嫌そうな目のバズーカ少女はどこへ行ってしまったのだろう。
「あ、あの、私、別に、こんなつもりは」
「やっぱり可愛いじゃないか、この嘘つき」
「は?」
藤真の時間が動き出し、照れくさいのと行き場がないのとで手をポケットに突っ込む。
「何が私なんかだよ、オレの方が可愛いだよ、わけわかんねえ」
そして少し斜めに向けた顔のまま視線だけを戻して、言う。
「の方が可愛いよ!」
妙な化粧をしているとは言え、藤真である。多少やけになってはいても、そのまっすぐな視線に射抜かれてはがたりと片膝が崩れ落ちる。これだけ自虐的な性格になったからには、おそらくこんな風に面と向かって可愛いと言われた経験は少ないに違いない。しかもそれが藤真では刺激が強いだろう。
「そろそろいい〜?」
「なっ、なんだよ、そろそろって!」
急に入ってきた高野従姉妹の後から花形と高野の顔がニュッと伸びる。
「うお、ほんとに可愛くなったな」
「こりゃの方が負けだな、藤真より可愛い」
その声に続々と顔が覗きこんで来る。は許容量オーバーで真っ赤な顔をしてガタガタ震えている。
「お、お前らなんなんだよ急に」
「そりゃ失敬、お前は最初っから可愛いんだもんな」
「何言ってんだ花形ァ!」
さすがにが可哀想なので、高野従姉妹が抱きとめてやる。
「ほれ藤真、これで落としなよ」
「へっ? メイク落としシート……あ、そうか」
「ちゃんも写真撮りに行こう、私も行くからさ。写真部の部長は花形がしばき回しといてくれるっていうし」
可愛い可愛い連呼されてパニックな上に優しい先輩の言葉には初めてやわらかく微笑んだ。それがとてつもなく可愛かった。メイク落としシートで顔を擦っていた藤真がかくりと顎を落としている。
「……花形ァ」
「なんだよ」
「やっぱアレ、オレに譲ってくれ」
花形と高野が吹き出す。誰も欲しいなんて言っていない。
「頑張って落とせよ。ついでに守ってやれば」
「そうする」
藤真を差し置いて横から欲しいと言い出す部員がいるわけがない。むしろ昨日大喧嘩寸前だったふたりを見ていると微笑ましく思えてくる。翔陽におけるみんなのアイドル藤真が、その対極にいるようなをどうやって落とすのか、それも楽しみだ。
とりあえずは、のバズーカにきれいにおさまってやることだ。
「、かっこよく撮ってくれよ、特にオレ!」
藤真はまだアイラインの残る目でそう言った。
END