縒り

04

冬の選抜の二次予選で敗北した翔陽3年生は、夏の雪辱を果たせないまま引退することになってしまった。それでも最後の最後まで粘れたので後悔はないらしい。残留5人は涙もなく、清々しい気持ちで引退、慣れ親しんだバスケット部を後にした。それが12月に入ってすぐのことだった。

「じゃあもう卒業まで何もないの?」
「有料コートとかは行くと思うけど、学校では何も」
「いいなー。超暇じゃん」
「だからいつでも呼んでいいよ」
「はい?」

また期末前なので一緒に勉強しているふたりだが、永野がそんなことを言い出すので、麗はついテレビドラマの警察官を真似て聞き返した。呼んでいいって、なんだそれ。

「予備校の帰りとか、遅いだろ。迎えに行くとか、そういうの」
「いやそれほぼ毎日じゃん」
「毎日でも平気だけど。部活ないんだし」
「そんなの、奴隷じゃあるまいし」

麗は呆れるが、永野はそんなつもりはまったくないらしく、不思議そうな顔をしている。

「まあ、レイちゃんの気分次第で構わないけど、ほんとに暇だからさ」
……クリスマスは?」
「クリスマスって、どっち?」
「イヴ」

また少し恥ずかしくなって不貞腐れる麗は、ぼそりと呟く。受験生たるものクリスマスなど忘れるべきなのだろうが、生まれて初めて彼氏のいるクリスマスなのである。

しかも今年は、一応メインで参戦しているバンドが24日にライヴを行うけれど、これは受験と思ってチケット予約の段階から諦めていた。その代わりというわけではないけれど、半日以上潰して騒いでくるライヴよりは、彼氏と過ごす方がいいんじゃないかという気もする。

「どっち、ってごめん。別にオレどっちも予定なかった」

ブハッと吹き出した永野だったが、麗が俯いているのに気が付くと、そっと覗きこんで声をかける。

「レイちゃん?」
「イヴ、私も予定ないんだよね。ライヴもチケット取らなかったし」
……うん」
「ど、どうせ暇なんでしょ。私ケーキ食べたいから手伝って」

麗は永野の方を一度も見ずに、ぶっきらぼうに言い捨てた。永野は静かに近寄ると、黙って麗を抱き寄せた。途端にギュッと抱きついてくる麗が可愛い。クリスマス、ひとりだから一緒にいて欲しいと言えない麗が可愛くて仕方なかった。

「じゃあプレゼント買ってこないとな」
「べ、別にいらないよそんなの。ケーキ食べたいだけだから」
「クリスマスなんだからいいじゃん、それくらい」
「じゃ、じゃあ好きにすれば?」

こういうのはツンデレというんだろうか。永野はまた吹き出してしまいそうになるのを堪えながら、麗の髪を撫でた。ツーブロックの彼女の髪はどんどん伸びてきて、うまく結ってしまえばわからないくらいになってきた。それが自分のせいとは知らない永野は、そっと麗の頭にキスした。

12月24日、この日、麗の方の高野家は朝から全員出払っていて、麗本人も午前中は予備校に行っていた。26日から冬期特別講習に入るので、この日はその確認もあり、準備を済ませてきた麗は午後になって帰宅した。

永野には帰り次第連絡を入れると言ってあったので、遅い昼食を取りながら麗は携帯をいじっていた。だが、いつでもいいよとメッセージを送ろうとして麗ははたと手を止めた。本日家族は全員不在で、唯一帰宅する姉も終電の予定。クリスマスにそれはもしかしてもしかするんだろうか。

一気に緊張が襲ってきた麗は携帯を放り出して頭を抱えた。だが、それはどっちでもいいような気がして、大きくため息をつく。想像すればするほど現実にはならないような気がするし、期待しているんじゃないかとは思いたくない。だが、だがしかし!

麗は携帯を引っ掴むと、2時間後着を指定した。そして、急いで昼食を口に詰め込むと、部屋に取って返し、色々準備をすると風呂に飛び込んだ。全身くまなく丁寧に洗い、髪はきちんとセットし、下着も手持ちの中で一番新品に近いものを引っ張りだして着けた。

もしかして、もしかするかもしれないから、一応。

風呂と一生懸命身なりを整えてヒートアップした体をクールダウンさせるために、麗はベッドに横になった。だが、それが余計に緊張を呼んで、麗はベッドから転がり落ちた。何なの、私、何なのこの余裕のなさ!

無理にでも少し落ち着いておかないと、発情していると思われる。そう考えた麗は秋に突然解散してしまったバンドのPVを見て強制的に気持ちを落とした。このバンドはメンバーが全員21歳、中心的存在のボーカルが突然留学すると言い出して崩壊した。いいバンドだったのに、もったいない。

ギターのファンだった麗は気持ちよさそうに歌っているボーカルを見ていると少し苛々してきた。お前が留学するとか言い出さなければ解散することもなかったのに。どうせ短期間で帰ってきて今度はソロデビューとかするんだろうが! 他のメンバーどうすんだ。突然放り出されて可哀想に。

そんなことを考えていたら、スッと緊張が消えていった。

惜しまれつつ解散したバンドのPVばかり延々と眺めていた麗は、家族が不在で静かな家の中に響き渡るインターホンの音に飛び上がった。永野だ。PVに没頭するあまりすっかり忘れていて、それはそれで恥ずかしい。

「ちょっと早かったな。大丈夫だった?」
「平気平気。片付けとかしたかっただけだから」

まさかPV見てて忘れてましたとは言えない。麗は笑ってごまかし、永野を招き入れた。一応ケーキは自分で用意したし、永野がノンアルコールのシャンパンジュースを買って来てくれるというので、クリスマスっぽい食べ物をちょこちょこと揃えておいた。ついでにプレゼントもちゃんと用意した。

「本当にひとりだったのか」
「誰かいるかと思ってた?」
「まあその、親父さんはいるかと思ってた」
「まあ普通はイヴにおっさんひとり出かけないわな」

だが、麗の父は学生時代のサークル仲間と未だに密な関係にあり、嫁子供がイベント日になると出払うので、これ幸いと仲間と小旅行を計画したりすることが多い。そんなわけで今日もサークル仲間と行きつけにしている店で飲み明かすとのこと。

「受験じゃなかったら私だってライヴだったろうし」
「そっか、そうだよな。受験終わるまで我慢だな」

料理を載せたトレイを手に部屋に入った麗だが、あとから入って来た永野の言葉にぎくりと足を止めた。いやいや、受験がなかったらクリスマスをどう過ごすかって話なのに、先にライヴが出てきて、それを「そうだよな」で済ます彼氏もどうなんだ。

だが、永野の場合小学生の頃から延々バスケット中心の生活だったのだから、クリスマスというイベント自体、それほど重要と考えていないのかもしれない。麗はそう思うことにした。昭一もそうだったし、それと同じだ。

麗の部屋の小さなテーブルにささやかな料理とシャンパンジュースが並ぶ。規模は本当にささやかだけれど、一応それっぽくなっていて、麗はテンションが上がる。こじんまりしてるけど、なんかこれはこれでいい感じ。高校生なんだし一応受験生なんだし、ふたりきりなんだから、このくらいでいいよね。

「あ、はいこれ。クリスマスプレゼント」
「いらないって言ったのにー。まあ私も買っちゃったけど」
「え!? 気にしなくてよかったのに」
……お互い言ってることオカシイな、これ」

吹き出しつつ、ふたりは手にしたプレゼントの包みを交換した。

「これ、開けていいの?」
「大したものじゃないからね」
「なんだろう。なんかモフモフしてる……おおー! かっこいい」

麗が用意したのはニット帽。夏のイベントの時に薄眉を隠す目的で被っていたキャップがダサいと思っていたので、少しいかついデザインのものを選んだ。顔は怖いんだし、体も大きいんだし、無難にまとめない方がかえって馴染む。そんな考えからだった。永野はニコニコしながら早速被る。

「どう?」
「うん、いいね。やっぱり大人しくしないで少し遊んだ感じの方がいいかも」
「そ、そうか? てかこれに合う服買わないとな」
「え。じゃ、じゃあそれも今度選んであげるよ」
「おお、頼むよ! てか春から制服ないし、ちょっと面倒だなと思ってたんだ」

永野はニット帽を両手でずっと撫でていて、たかがニット帽でそんなに喜ぶなよと、麗はなんだかむず痒い。なので自分がもらったプレゼントを勢いよく開く。小さいもののようだが、まあアクセサリーの類ではあるまい。ピンクのお花のペンダントをもらっても困るし。と思っていたのだが、

「うっそ、なにこれ超可愛い! 本当に自分で買って来たの?」
「一応。ただ売ってる店の見当がつかなくて、そこは花形に聞いたけど」
「どうしよう、ほんとに?」

完全に予想外のものが出てきた。イヤホンアクセサリーである。イヤホンのケーブルに付けるアクセサリーで、黒のメタルフレームに紫のガラスが入った蝶だった。音楽趣味必携のイヤホンだし、黒と紫の蝶なんて黒いビジュアル系の基本だし、麗は大喜びだ。

バッグの中からオーディオプレイヤーを引っ張りだすと、イヤホンを引き抜いてアクセサリーを付ける。そしてそのまま耳に嵌めた。とりあえず自分では見えないけれど、イヤホンに付けた感じでは、相当可愛い。ずらりと並ぶピアスにも合うし、そもそもイヤホンが黒ケーブルなので、あつらえたようだ。

「どう、どう? 似合う!? ちゃんと付いてる!?」
「うん、大丈夫。なんていうか、似合いすぎてちょっとウケる」
「まーじーかー! やばいすごい嬉しい!!」

手鏡も取り出して麗は自分の耳を眺める。垂れ下がるイヤホンのコードに黒と紫の蝶が揺れていて、ものすごく可愛い。こうなると永野のように、これに合わせたピアスが欲しくなる。揺れる蝶にスパイダーネットなんていうのもいいかもしれない。

「よかった、喜んでもらえて」
「いやほんと、その、なんかありがとう、すごい、嬉しい――

まだニット帽を被っている永野がニコニコしているので、麗は急に照れが来て俯き、イヤホンを外した。改めて黒と紫の蝶がきらきらと光っていて、そのきらめきと一緒に胸がドキドキしてくる。こんなプレゼント、まるで期待してなかったのに――

背中に永野の手のひらを感じた麗は、顔を上げると両腕を伸ばして飛びついた。そして、静かにキス。ああ、これが彼氏のいるクリスマスってやつなのか。プレゼントがある他はそれほど普段と変わらないというのに、なんでこんなに嬉しいんだろう。キスなんてもう何度もしてるのに、なんでこんなにドキドキするんだろう。

「オレも嬉しい。レイちゃん、ありがとう」
「そ、そんなの――食べよっか」
「よし、じゃあシャンパン開けようか」

日が傾いて薄暗い部屋に明かりを灯し、ふたりはシャンパン風のジュースで乾杯、なんとなく照れくさいけれど、麗も永野もどうしようもなく楽しかった。話していることなんて本当にどうでもいいことばかりなのに、ずっとこんな時間が続けばいいと思った。

が、もちろん、そんな楽しい時間は本当にあっという間に終わる。ジュースも料理も大した量ではなかったし、永野がその気になればひとりでも片付けられるくらいだったから。それでもふたりはしばらくは学校や高野の話題などでのんびり喋っていた。

「去年とかどうしてたの、クリスマス」
「この頃って新体制になってすぐだし、部活だったよ」
「それまでも遊んだりとか、しなかったの?」
「中学ん時はやってたよ。うちはバスケ部の男女合わせて合同でクリスマス会やる習慣だったから」

同じ高校で間に高野という存在があっても、麗と永野は知り合って半年程度の付き合いである。中学の話が出てきて、麗はなんだか肌がチリッとしたような感覚を覚えた。自分の知らない永野、きっとこんなに身長だって高くなかった中学生の永野、それはどんな感じだったんだろう。

「レイちゃんはずっとライヴ?」
「うーん、ていうわけでも。必ず行きたいバンドがクリスマスライヴやるわけじゃないし」

そして現在ご贔屓のバンドのメンバーたちの顔が浮かぶと、麗はなんだか気分が沈んだ。あのバンドもこのバンドも、その中の誰も彼も好きだ。かっこいいし可愛いし面白いし、大好きだ。だとしたら、今ここで寄り添っている永野は一体何だと言うんだろう。好きな人なんじゃないのか。

「好き」にはどれだけ種類があるんだろう。推しメンへの「好き」と、彼氏への「好き」はどこで区別をつけて、どう違うと言い表せばいいんだろう。というかそれ以前に、この「好き」はちゃんと違うものなんだろうか。まさか同じだったらどうしよう。推しメンも彼氏も同じ「好き」というのは、ちょっとマズいんじゃないだろうか。

「そうかあ。今年は受験だったけど、来年は見られるといいね」
「はあ!?」

永野に申し訳ないような気になっていた麗は声がひっくり返った。何言ってんだこいつ。

「えっ、だって来年はもう受験もないんだし、行かれるだろ」
「いやいやいや、なんでそうなる」
「は?」

麗の推測通り、永野は本当にクリスマスにこだわりがないんだろう。きょとんとした目をしている。

「じゃあ来年の今頃は私たち別れてるの確定ってわけ?」
「えっ、なんでそうなるんだ」
「だから! クリスマスなのに彼氏放置でライヴとかないでしょ!」
…………ライヴより、オレを選んでくれるの?」

お前馬鹿か、という勢いで鼻息荒くなっていた麗は、ガチンと音がしそうなくらいに固まる。

「オレは子供の頃からクリスマスで騒ぐような家じゃなかったし、レイちゃんがライヴ行ってても腹立ったりしないけど、女の子はこだわりがあるだろうし、ライヴの友達とかも大事にしないと、なんじゃないの。来年のクリスマスもオレと一緒でいいの?」

やっぱりこいつちょっとオカシイ。クリスマスなのに彼女がライヴ行って他の男にキャアキャア言ってたら腹立つだろ普通。私のライヴ友達なんか会ったこともないでしょ、あんたがそんなこと気にする必要ないじゃない! そう考えて、麗はなんとか気持ちを鎮めようとしたけれど、うまくいかなかった。

今にも湯気が吹き出そうなほどに体が熱い。麗はこっくりと頷いた。

「レイちゃん、無理しなくていいんだぞ、オレは――

本当にクリスマスにこだわりがないらしい永野がまるで普通な顔で覗きこんでくるので、麗は膝立ちになって抱きつき、ぎゅうぎゅうと締め上げる。なんでそういうこと言うんだ、なんでそんなことが言えるんだ。

「無理なんかしてない、クリスマスに彼氏と過ごしたいって思って何が悪いの」
「悪いなんて言ってないよ、ライヴとかあったら遠慮しなくていいんだよって話で」
「いいの、あんたと付き合ってる限りクリスマスはずっと予定入れないからいいの!」
「そ、そうなん……
「いいんだってば!」

抱きついたままジタバタ暴れた麗を永野がゆったりと揺らす。子供があやされるように麗は落ち着きを取り戻し、腕を緩めると、ニット帽の頭に手を添えて、ゆっくりと唇を押し付けた。永野の手が背中に伸びて、何度も撫でてくれる。麗は、ドキドキの種類が変わったような気がしていた。

唇が重なりあったまま、時間をかけて永野の手が降りていく。もう麗は叩き落としたりはしなかった。麗もどこかでそれを望んでいたから。今日はもう、言い訳に出来る理由もないから。麗が拒否しないので、永野の手はぎこちないながらも、あちこちを這いまわる。

やっぱりもしかしてしまった。麗はどこかそんな風に呆れる気持ちとともに、全身きれいにしておいてよかったと安堵もし、現実感のなさと緊張の入り混じった浮遊感に少しだけ酔っていた。

「本当にいいの?」
「何度も言わせないでよ、そんなこと」

永野がしつこいので、麗は勢いよく立ち上がって部屋の電気を落とした。そしてベッドサイドのルームライトを付け、ほとんどヤケクソで羽織っていたニットカーディガンを脱いで床に叩き付けた。さらにバンド関係のものをぎっしり詰め込んである棚からツアーグッズのコンドームを取り出すと、これもテーブルの上に叩き付けた。

「レ、レイちゃん、落ち着いて」
「しょ、しょうがないでしょ、したことないんだから!!!」

パニックだ。永野は慌てて麗の手を引き、頭やら背中やらを撫でる。麗は緊張が過ぎると攻撃的になってしまう性格らしい。宥めてくれる永野のパーカーを掴んで強く握りしめている。

「オレもしたことないから、よくわかんなくてごめん」
「いいってそんなの」
「あとこれは大事なものだろ。えーとその、持ってるから、いいよ」
「いつも持ち歩いてんの?」
「いやその、少し前に買っておいて、それからだけど」

きょとんとした顔で麗が見上げるので、永野は途端に焦った。

「狙ってたわけじゃなくて、いや、そりゃ期待してなかったと言えば嘘になるけど、備えというか」

それはもちろん言い訳だけれど、永野はたどたどしく弁解している。

……満、私と、したいの?」
「えっ!? …………それは、うん、もちろん」
「なんで?」
「なんでって……レイちゃんが好きだからだけど」

永野を見上げている麗の頭の片隅に「そんなわけねえだろ」という言葉が浮かんできた。確かに永野は麗のことを好きなのかもしれない。けれど男と女の「好き」は種類が違う、相手を求める気持ちも根本から違っている、「好きだから」なんて理由は全てではない――麗はそう考えたけれど、すぐにどうでもよくなった。

少なくとも麗は今、永野のことが好きだと一番強く自覚していた。好きだと言われたことが嬉しくて付き合っただけと思っていたけれど、いつの間にか私の方も好きになってたんだなあ。

「私も、満のこと好き」
「レイちゃん?」
「だから、しよ」

するりと抱きついた麗の体を永野はきつく抱き締めた。少し震えている麗の肩を撫で、髪に、耳に、頬にゆっくりと時間をかけてキスを繰り返す。そうして麗をベッドの上に横たえると、ぴたりと寄り添い、頬を指で撫でた。

「本当に好きだから、嘘じゃないから。――麗子」

ゆっくりと落ちてきた唇が触れるのと同時に、麗の左目から一筋の涙がこぼれ落ちた。