縒り

03

ひょんなことから付き合うようになった麗と永野だったが、しばらくそれは誰にも知られないままであった。夏休みが明けて新学期が始まっても麗は特に言い回ったりはしなかったし、どちらにせよ永野は部活なので一緒に帰ったりもしない。

その永野の方も従兄弟である高野には報告をしないままで、なぜかと言えば今年決勝リーグにも届かなかった翔陽から3人が国体代表に選ばれたので、それどころじゃなかった。永野と高野は選から漏れたのだが、それでも合同練習を見に行ったり、藤真が不在の間は部を任されていたりと、なかなかに忙しかったからだ。

麗は受験でこちらも忙しく、ふたりでまとまった時間を取って会うのは主に麗の自宅。それもテスト前になってやっと、という状態だった。テスト勉強兼家デート、という体である。

麗の方の高野家は、本人が言うように、本当に好きな時に誰かが帰ってきて誰かが出かけていく。食事も適当にバラバラ。時間のある人間が作りたいものを作り、置いておく。それが気に入らなければ自分で用意する。それが当たり前になっている。麗いわく、別にそれでも家族仲は悪くないという。

「唯一家族全員共通で好きなのが落語でさ」
「へええ、なんか意外だな」

普段がビジュアル系なので無理もない。だが、麗の方の高野家は年に数回家族で寄席に行くのを楽しみにしているという。そしてその帰りに決まったレストランで外食をして帰ってくるのが、いわば家族の間で恒例となっているレクリエーションでありイベントであり、じっくり話をする機会でもある。

「仲が悪いってわけじゃないけど、昭一んとこの方が殺伐としてるよ」
「殺伐!?」
「ほら、あいつ女に挟まれてるでしょ。父親もあんまり家にいないし」

永野は初耳だったのだが、高野は姉と妹がいて、母も含め女3人が家庭内で権勢を振るっているのだそうだ。ちなみに麗と高野は父親が兄弟。そこの上にもうひとり姉がいて、こちらも数駅先の場所に住んでいる。ここも子供は女ふたり。3家族計13人中、女が9人である。

「じゃあ高野っていとこの中で男ひとりじゃないか」
「そう。しかも年齢的には下から2番目。そりゃあ部活があった方がいいよねー」

お父さんとお母さんと僕、という家庭で育った永野にはけっこうな衝撃であった。高野が家族の話をしたがらないのも、女の好みがやたらと細かかったのもこのせいだったのかと、永野は納得する。

基本的に生活の全てが部活中心である永野だったが、一応成績は悪くない。というか翔陽はそもそもが進学率の高い私立で、偏差値もそれほど低くない。運動系の部活にも力を入れているが、それだけでは入って来られない学校でもある。

麗の方も自ずから大学進学を目指すくらいなので、勉強は苦手ではない。ふたりはだらだら喋りながらも一応真面目にテスト勉強をしている。

「そういえば、全員決まったの?」
「いや、まだ。決まったのは藤真だけ」

進路の話だ。スタメン5人は冬の大会まで引退せずに続けると決めているらしいが、高校卒業後の進路が決定しているのは藤真だけだという。麗だってまだ決まっていないが、彼女はとっくに部活を引退しているし、受験勉強はちゃんとやっている。

藤真だけでなく、スタメン全員バスケットを続けられる大学へ進むことを希望しているが、今年の夏にこれまでの翔陽には程遠い結果しか残せなかった彼らは少々条件が悪い。正規の監督を見つけられていない手前、学校側は手を尽くしてくれるというが、藤真以外は何も決まっていない。

……遠恋とか、無理だよ私」
「だろうな」
「あんたは平気なの」
「という気はする。浮気できるほどマメじゃないし、モテるわけじゃないし」

浮気にそんなこと関係ないと麗は思うが、それを言い返したところで始まらない。だが、永野は口をつぐんだ麗に気付くと、バスケット部員が見たら悲鳴を上げそうなほど優しい笑顔でにっこりと笑った。

「レイちゃんがいるのにそんなことしないって。大丈夫」
……最初はみんなそう言うんだよ」
「みんなって誰」
「知らない」

麗は照れているだけなのだが、ついそんな風にむくれる。途端に永野が困った顔をするので、そうすると麗はなんだか悪いことをしたような気がして、胸が痛む。普段バスケットしてる時はそんな顔しないくせに! しかし言い訳もしたくない麗がむくれた顔のまま両手を伸ばすと、永野はそれを取って近付く。

「大事にするって言ったじゃん」
「だから、ほら、大事にして」

そうしてキスをすれば、割と何でも丸く収まる。そしてたまに永野が背中や腕以外の麗の体に触れては怒られる。ふたりはそんなことの繰り返しだった。永野の方もいきなりスカートの中をまさぐるなんていうことはしないのだが、何しろ麗は姉御キャラの割に思い切りが悪くて、恥ずかしさのあまり拒否してしまいがち。

18にもなってキス以上はいけません、とは思っていない。だが、ほぼ条件反射の無意識なので始末が悪い。

今も首から肩、腕を通って、ほんの少し腿に指が触れたところでバチンと手を叩いた。これをやってしまう度にしまったと思うが、後の祭。そして毎回即座に謝る永野に対して申し訳なく思いながらも、それを素直に言えない。

しかも今日は都合のいい建前がある。

「テスト前なんだから、ダメだってそういうの」
「ごめん、そうだよな」

キスをねだったのは、自分の方なのに。へらへらと笑っている永野を見ていると、余計に胸が痛む。なんでこいつ、怒らないんだろう。そりゃ、最初にわがままだと宣言したけれど、それにしても、腹立たないんだろうか。というか、時間が経てば経つほど犬みたいになってきてるけど、大丈夫なんだろうか。

「満のMはドMのM」などとネタにされていることなど知らない麗は、しかしそれについては深く考えないことにした。

ふたりの関係が藤真たちの知るところになったのは、11月頃のことだった。

もう少しで冬の予選が始まるという頃になって、3年スタメン全員のバスケットが出来る進路が決まった。永野と高野はそれほど強いところではなかったけれど、それでも決まっただけで満足だった。先に決まっていた藤真も含め、それに安堵していた部室でのことだ。

永野は県内にキャンパスのある私大に決まったのだが、こちらも横浜にある私大を目指している麗と距離が離れなかったので、遠くじゃなくてよかったとつい零した。だが、今と大差ないだろと突っ込まれて、とうとう白状してしまった。部室は悲鳴に包まれ、高野は飲みかけの水を吹き出した。

「麗ってお前、正気か!?」
「どういう意味だよ」
「おい藤真しっかりしろ」

身内の高野はあまりの展開に慄いているし、夏のイベント以来、とは特に進展がないという藤真は真っ白になっている。今にも粉状になって吹き飛ばされていきそうだ。

「てかいつの間にそんなことになってたんだよ!?」
「ライヴの日の帰りに」
「ちょ、永野ストップ、藤真が死ぬ」

あの夜そういう展開を期待されていたのは藤真との方だ。だが、結果的にそちらは進展なし、まったくのノーマークだった麗と永野の方があっさりくっついてしまった。難攻不落の砦であるに苦戦している藤真は一瞬で風化しそうになっている。

「ながの……どーやったらOKしてもらえんの……おんなのこわけわかんねえ」
「お前にわからんものがオレにわかるわけないだろ」
「だけどおまえ、うららねーさんとつきあってんだろ、ねーさんなんでOKしてくれたん……?」
「藤真、なんかこっちが泣きそうだ。傷を広げる前にもうやめとけ」

高野と花形は詳しい話を聞きたいようだったが、長谷川ストップが入った。事実はどうあれ、は本当に特殊な例で、お前はものすごく困難なことに立ち向かっているんだと藤真は無理矢理慰められた。

が、この日部活が終わったあとに永野は高野と花形にとっ捕まった。

「藤真と一志はアレだし、ちょっとふたりのいないところ行こうぜ」
「ふたりのいないところって、どうせオーロラだろ」
「まあいいじゃねえか、手持ちが足りなきゃ助けてやるから」

なんとなく乗り気でない永野だったが、高野にヘッドロックをかけられたまま引きずられていった。

永野はもちろん、翔陽の3年スタメン5人がよく行く定食メニュー豊富な喫茶店「オーロラ」は常に男性客がおかずに白飯をかき込んでいるような店である。喫茶店だがお茶を飲んでいる人は滅多にいない。部活帰りの空きっ腹に効く上に、有料コートにも近いので、小遣いの都合がつく限りはよく立ち寄る。

乗り気でなくてもオーロラの店内はスタミナメニューの匂いが充満しており、永野もそれには逆らえない。しかし彼の場合、帰宅して母親の食事をちゃんと取ると決めているので、高野と花形ほどは食べない。しかもその方が安上がりだ。比較的量の少ないナポリタン(並)をオーダーする。

「まあ姐さん気になってんだろうなとは思ってたけど、急展開だったな」
「永野、引き返すなら今のうちだぞ」

身内とはいえ失礼な高野には一応花形がツッコミを入れておく。同い年の従兄弟にはそれなりに思うところがあるだろうが、今日の目的はそれじゃない。

「てか姐さんてビジュアル系のファンなんだろ。まったくジャンルが違くないか」
「そこはオレも詳しく突っ込んだことないから何とも。告ったのも勢いだったし」
「まあ、あいつああ見えて男いたことないしな」
「嘘!?」

さらりと言った高野に花形の声がひっくり返る。見た目だけなら麗はそうは見えない。

「ないよ。てかそもそも同世代の男に興味ないみたいな感じだったんだ、ずっと」
「ああ、そうか。藤真じゃないけど、なんでOKだったんだろうな。いや、お前がどうこうってことじゃないぞ」
「わかってる、大丈夫。考えてもしょうがないけど自分でもそれは思ってるしな」

藤真の顔を持ってしてもが落ちないように、この際外見は二の次と考えて差し支えあるまい。ただ、それを除外したとしても、生きる世界が違いすぎる麗がなぜ永野と付き合う気になったのか、それが高野と花形は気になる。というか出来ればそのあたり真相究明の上、参考にしたい。

しかもライヴの日からということは、そろそろ2ヶ月ということだ。1ヶ月の壁を乗り越えて続いている理由も知りたい。言葉ではあれこれ言いつつも、麗をよく知る高野ですら、彼女もまた少し特殊なのだという意識はまったくない。ふたりとも、すべての恋愛事例は自分にも当て嵌まると思っている。個人差という概念はあまりない。

「つか麗怖くね? いじめられてないか」
「てお前よく言ってたけど……そういうのは何も」
「まーまー高野、身内と彼氏で扱いが違うのはしょうがない」
「すまん、麗がそういう女だっていう意識がないんだ」

平気そうな顔をしているが、こちらはこちらで混乱しているのだろう。へらへら笑いつつ目がマジの高野はお冷を一口飲むと、背中を丸めて首を突き出した。

……ところで永野、もうチューしたか?」
「おっぱいは?」
「ヤッた?」
「お前ら……

仕方あるまい、これでも中身は普通の高校生だ。高野と花形が声を潜めたところに食事が運ばれてきたので、しばし黙ったけれど、すぐまた身を乗り出して「で?」と声を揃えた。

「キスはしたけど、その先は全部まだ。てかそんなことしてる暇なかったろうが」
「暇って、別にそんなに時間のかかることでもないだろ」
「オレは部活、レイちゃんは受験――
「レイちゃん!?」

永野はしまった、と思ったが手遅れだ。花形は口元を押さえて笑いを堪えているし、高野はまた未確認生物でも発見したような驚愕の表情で顎をがくりと下げている。

「高野、お前これ聞いても何も面白くねえだろ。何がしたいんだ」
「そりゃお前、怖いもの見たさといじりたいだけだろ」
「花形、オレはそんな意地の悪い人間じゃねえ。身内が事情を知ってた方が色々便利だろ」
「お前が何か助けてくれるとは思えねえけどな」

にやにや笑いながら言われてもな、である。だが、もし自分が高野や花形と同じ立場だったら、きっとまったく同じことをしたと思うので、永野はあまり嫌な気はしていない。ただちょっと詳しく話してしまうと麗が可哀想なのではないかと思うので、言葉は慎重に選びたいというところだ。

「まあそうだよな。さっき初めて付き合ってるって聞いたけど、別にお前の生活変わってねえもんな」
「夜に会ってるとか?」
「向こうが予備校だよ。テスト前に勉強したりとか、たまたま時間が合えばってくらい」

なので、1ヶ月の壁と言っても、忙しくしていたら気付かないうちに過ぎていた、というのが正しい。

「それで姐さん怒らないのか」
「怒るも何も、向こうは向こうで忙しいから、気にならないんじゃないのか」
「ああそうか、お前が忙しくて構ってやってないわけじゃないんだもんな」
「既にチケットを取っちゃってるライヴには行くみたいだし、ほんとに忙しい」

麗も難関校志望ではない。なので年内チケットが取れてしまった数本だけは参戦予定なのだとか。

「オレたちはどっちみち年内には引退して暇になるけど、姐さんはまだしばらくかかるもんなあ」
「そうだよなあ。そうかそうか、おっぱいへの道のりは厳しいな」
「高野、さっそくチクってもいいんだぞ」
「あ、ちょ、それはマジ無理、ごめん、もう二度とおっぱいとか言わない」

さすがに女系一族の男子、友達をからかうのはいいけれど、それで怒られるのは御免被りたいらしい。高野はペコペコと頭を下げながらコロッケカレーを食べている。

「それが悪いとかじゃないんだけど……チームメイトの身内とか、気にならなかったのか」
「最後は勢いだったしな。どうせ大学行けば別れるんだし」
「姐さんもある程度は勢いだったのかもな」
「たぶんそうだと思う。彼女の世界に入ってくる予定のない人間だったわけだし」

言わないけれど、永野の方もそれは同じだ。麗など、高野の親戚であっても藤真女装事件さえなかったら知り合いようがなかった。例え同じクラスになっても、特に会話などしないままだったに違いない。何しろ片や翔陽随一の実績を誇る男子バスケット部、片やなぜかオタクとバンギャの巣窟になっている演劇部。

「まあでも、夏に姐さん本人が言ってたみたいに、メリハリだよな、これも」
「女出来て辞めてったやつもいるけどな」
「逆によかったのかもな、この時期で」

花形のまとめに高野もうんうんと頷く。特に具体的な話をしないまま終わりそうだが、ふたりは満足したらしい。

「あ、だけど永野、高野家の女ってのはほんとにちょっとアレで、それはもう祖母さんの代からだから、もしうまくいかなくなったとしても、オレに気を使うとかするなよ。オレはいつか高野家を出てどっかの婿養子に入るから」

現時点で高野家唯一の子世代男子の昭一だが、よっぽど自身の女系一族が居心地悪いのか、真面目くさった顔で言い出した。高野家の女と言われても麗しか知らない永野は苦笑いとともに、適当に返事をしておいた。

身内の高野には厭わしく思うことも多々あろうが、永野は麗が好きなのだ。おっぱいが入り口だったとしても、今は麗そのものが好きなのだ。だから、うまくいかなくなったらとか、そんなことは一切考えていない。付き合いたてだからかもしれないが、麗を嫌いになることはないような気がしている。

もし麗の方が永野に飽きたとなれば、それは覆しようがないかもしれないけれど、その逆はまったく考えられなかった。想像がつかない。高野が言うように麗が怖くなっても、本人が言うようにわがままでも、それは麗と別れたいと思う理由にはならない気がした。

オレにとっては、レイちゃんは可愛い女の子だから。