続・七姫物語 神編

08

神の館は、持ち主の生活領域を真ん中に、左右対称の作りになっている。主の主寝室は窓が大きく高く造られていて、季節によっては月明かりが優しく差し込む。その主寝室は2階にあり、少し離れた場所に客室がふたつばかりある。通常、公的な客人であれば専用の館に宿泊になるので、ごく個人的な客人用だ。

その一室にて、総隊長は目が覚めた。それにすぐ気付いて近寄ってきたのはだった。

「おはようございます」
「殿下……
「無理しないでくださいね。まだ眠ければお休み下さい」
「いいえ……あの、私は」
「肩にお怪我はされましたが、命に別状はありませんよ。先生を呼んできますね」

目覚めたばかりの総隊長を気遣って、はほとんど囁き声だ。足音も立てないようにしている。そんな風にこそこそと部屋を出ようとしただったが、乾いた総隊長の声に足を止めた。

「すみません、医者の前に、私の話を聞いて頂けますか」
……お体が第一ですから、長くならないようにして頂ければ」
「そう長い話ではありません。殿下に知っておいて頂きたいことが、いくつか」

総隊長は少しだけ首を捻っての方を向き、も椅子を引いてきて腰掛ける。命に別条はないとはいえ大怪我をしたのだし、本来なら一刻も早く医師を連れてこなければならない。しかし、総隊長は目覚めたばかりだというのに真剣な顔をしていて、は断ることが出来なかった。

……私は、宗一郎様のご生母の、従兄弟にあたります」
「えっ!?」
「少々ややこしい関係になりますが、宗一郎様とも薄っすらと血が繋がっています」
「え、そ、それじゃ貴族とかいわゆる北町の」
「いいえ、軍人の家系です」

王妃に召し出された女性と血縁のある人物がどうして……と驚いただったが、それで納得した。

「それが縁でお城務めをすることになったんですか」
……いいえ、私は15年前までは軍属でした。諜報部の工作員でした」
……それがどうして」
「従姉妹が宗一郎様を守って殺されたからです」

神の母親の話はまだあまり詳しく聞いていない。というか神が4歳になるか、という頃のことで、本人は全く記憶がないのでには話しようがなかった。神と結婚できたら改めて墓所に花を手向けたいと考えていたが、思わぬところから当時の話が出てきた。

「彼女とは……10以上年が離れていましたが、私が23で軍に入るまでずっと一緒に育ちました。その頃あの子はただの軍人の家の子で、何も特別なことはなくて、もちろん特別に裕福でもなかったから、適当な職についた後に結婚をするんだろうくらいの認識しかされていませんでした。本人も同じです」

軍人の「家系」ということは、北町の西側、南町の工業地区との境にある軍本部とそれを取り巻く軍関係者の集まる町の住民だったということになるだろう。家長の階級にもよるが、生活水準は南町とそれほど変わらない。政略結婚もしないし、働くのも学ぶのも自由だ。

「頭のいい子でしたが、積極的な子ではありませんでした。どちらかというと引っ込み思案で、照れ屋でした。そういう性格だったからか、私が諜報部への配属が決まった頃に、わたしたちを結婚させようという話が出ました。彼女は17歳、私は29歳でしたが、軍人の間では珍しいことではありませんでした」

は返事代わりに頷くのも忘れてじっと聞き入っていた。それってもしかして――

「年は離れていても幼馴染のようなものです。私も嫌ではなかったし、彼女はむしろ喜んでくれました。私なら意地悪をされる心配はないし、両親とも近しいままでいられる、と歓迎してくれました。私もすっかりその気になって、急に花を送ったり、お菓子を送ったりしました。――彼女のことが、好きでした」

かすかにの喉が鳴る。現在を思うと、あまりに悲しい告白だった。

「彼女を王太子の妃にと選んだのは陛下本人ではありません。先代の国王です」
……なぜ、だったんですか」
……やはり貴族は娘を差し出すのを渋りました。分家の攻撃が執拗になってきてましたから」

捻っていた首を戻した総隊長は天井を見上げて深く息を吐いた。

「たまたま、彼女の父親が陛下の護衛隊の隊長だったんです。それが縁で先代の国王の目に止まったのですが、その理由と、いうのが、彼女は、5姉妹だったので、ひとりくらい欠けてもいいだろう、と――

は思わず口元を覆った。胸が抉られるような苦痛が彼女にも襲いかかる。

「案の定彼女は王太子を産んだことで狙われ、我が子を庇って殺されました。そして次に迎えられたのが、なんと、彼女の姉でした。彼女もまた子供を産みましたが、ふたりも殺されたので、少し正気を失ってしまいました。今は地方で生活をしています」

言葉が出てこない。は急に頭が重くなって支えていられないほどに感じた。改めてそんな環境で育ってしまった神が人間不信の暗黒王太子になるのも無理はない……と思う。それに比べて自分の故郷のなんと穏やかだったことか。それに感謝するとともに、少し疑問がわいた。

「それでは陛下は、王妃様ひとりとお子様ふたりを亡くされてることになるんですね? それにしては……
「陛下自身もご兄弟を何人も亡くされています。苦しんでいましたが、麻痺してるのかもしれません」
「麻痺……ですか」
「彼女が亡くなった時、それほど取り乱したりはしなかったようですから」

総隊長の目にサッと影がよぎった。

「ほどなく彼女の姉を妃に迎えてすぐに子を成しました。私にとっては彼も正気ではありません」

はまた頷くだけで言葉が出ない。総隊長の立場ではそう思っても仕方ない。

「彼女の姉との間に陛下は結局男の子ふたりと女の子をひとり、今の王妃の間に男女ひとりずつ設けました。しかし私は、次期国王は彼女の息子である宗一郎以外に認めたくありませんでした。いずれにしても分家は宗一郎を狙っていたし、陛下にも相談して私は彼の側近となることを決めました。そして、いかなる手段を持っても分家から彼を守り、王位につけてみせると誓いました」

普段何があろうと神のことは「殿下」や「宗一郎様」としか呼ばない総隊長が、呼び捨てにしている。彼にとって神は、妻になるはずだった愛する女性の忘れ形見であり、つまりそれゆえ自身の息子のように感じていたのだろう。はまたしっかり頷き、総隊長のかけている布団に手を添えた。

「私の誘導もあってか、宗一郎は怯えながら生き抜くより分家を倒す道を選びました。彼が成長期に不尊な性格に傾いていたのは半分くらい私のせいです。ですから、そのせいであなたにもつらい思いをさせてしまいました。申し訳ありませんでした」

弱々しく伸ばされる手をは取り、少しだけ笑顔を作って首を振った。確かに「お前なんか物々交換しただけの妻だ」と言われた時は絶望したけれど、後悔はないし恨みもない。だからこの国に来ても戦ってきたのだ。

「だけど様、宗一郎が自分から『あの腹が丈夫な姫はどうだろう』と言い出した時、私は彼女を失って以来失くしていた『喜び』という気持ちを取り戻し始めました。分家が壊滅することはもちろんですが、妃が来ないことには即位はあり得ない。分家を倒すことは死に向かう感情です。だけど妃を迎えることは生へ向かう感情、希望がわきました。宗一郎が自分から望んだのも嬉しかった。あなたという人が嬉しかった、喜びでした」

総隊長は弱々しいながらもしっかりとの手を握り、だるそうな目で見上げている。はつい涙腺が緩み、ぽたりと涙を零した。神や父がそう言ってくれるのと、総隊長に言われるのとでは、肌触りも重さもまるで違う。大変貴重な重いものを両手でしっかりと持っているような気がした。

「それに、あなたは何もかもがお強い。腕っ節のことではありません。お心や、愛情や、運まで強い。そういう方を宗一郎が愛し、またあなたも宗一郎を愛して一緒になるということが、どれだけ嬉しかったかわかりません。もうこれで宗一郎が孤独に怯えて夜中に泣き出すようなことはない、そう思ったら、本当に幸せでした」

彼は本当の意味で宗一郎のお父さんだったんだ――はまた涙をこぼし、片手でそれを拭うと、繋いだ手に重ねた。それならば、総隊長はもうすぐ夫になる予定の人を導き守り続けてきた父なのだ。この国で生きていこうと決めたにとっても、父となるべき人だ。

「さすがにあの射手には間に合わないと思った瞬間、宗一郎の前に飛び出していました。だけどこれでいいと思いました。私は充分に復讐を果たし、未来への希望も見出し、命がけで守ってきた宗一郎の盾となって死ねるならそれでいい、あとにはあなたがいるから何も心配はない、本当に空っぽになって死んでいける、彼女の元へ行こう……と思っていたら、生き延びてしまいました。だから様」
「はい」
「以前言われたこと、今からでも遅くないでしょうか。ばあやのように、あなたとも」
「もちろんです。私がお願いしたんです、ぜひそうして下さい」
「ありがとうございます。……私は果報者です。あと、このことはここだけの秘密にして下さい」

表情が緩んだ総隊長がぎこちなく微笑み、も鼻を鳴らしながら笑顔を見せた。と、その時である。カチャリと静かな音を立てて扉が開き、神の顔が少しだけ覗いた。総隊長の目が覚めるまではと神とばあやの3交代制で付き添いをしていたのだが、神はつい気になってはちょこちょこ覗きに来ていた。

……、どうだ様子は――
「宗一郎、来て」
「宗一郎様」
「ファッ!?」

総隊長が目覚めていることに驚いた神は慌てて扉を開けると、駆け出してそのまま総隊長に飛びついた。

「宗一郎様、驚かせてしまってすみませんでした」
「あんな、あんな安い芝居みたいなこと言い残して意識失うから、死んだかと思ったじゃないか」
「すみません、てっきりこれで私は死ぬんだとばかり」
「肩を怪我しただけだ、距離があったのと服のせいで骨も内蔵にも届かなくて、死ぬわけないだろ」
「はあ、そんなに浅かったのですか。すごく痛かったんですけど……
「当たり前だろ、後遺症は残る、死にはしないけどもう戦うとかそういうのは出来ないからな!」

言いながら神も泣いていた。真っ赤な目をして、総隊長に抱きついて泣いていた。その背中をはゆっくりと擦る。総隊長の怪我はすぐに命を奪うようなものではなかったけれど、矢が刺さったのは右肩で、医師の見立てによれば右腕があまり思うように動かせないかもしれない、ということだった。

仮にも王太子の側近の筆頭に立つ人物なので、万が一の時に戦闘不能状態では務まらない。本来なら引退して部下にその座を譲り渡すところだ。だが、がその重みを肌で感じたように、彼は神陣営にとってはなくてはならない人なのである。

「家族もいないんだし、趣味もないし、やりたいこともないじゃないか。引退なんかしたって毎日ぼけーっとテラスで椅子に座って庭を眺めてるしか出来ないだろ。腕が動かなくてもいいからここにいてくれ」

愛する女性が命がけで守った息子にも等しい神にそう言われて、つい総隊長はゆったりと微笑み、そして左手で神の頭を撫でた。右手で剣を持ち戦うことは出来ないけれど、こんな風に優しく撫でてやることは出来る――

「わかりました。ばあやと一緒に口やかましい年寄りになります」
「バカ言えまだそんな年でもないだろうが」
「それと、私だってやりたいことくらいあります。やりたいことというか、楽しみにしていることが」
「えっ、そうなのか。何だ、オレたちに出来ることなら協力するよ」

総隊長はにっこりと笑って神の頬をするりと撫でる。

「おふたりの、お子様です」

ぽかんとして固まってしまったと神に、総隊長はさも楽しそうに目を細めた。

「今さっきそれが楽しみになりました。私はあなたたちの子供が見たい。ぜひ協力して下さい」

総隊長を病院に運び、そのまま館へと戻ってきたたちだったが、さて引き上げてきて館の玄関広間にはお針子組が一列に並んで膝をついていた。元はといえば、王太子に忠誠を誓って働いていた身である。事情が事情とはいえ、一応主に背いて勝手なことをした自覚はあり、それを申し開きするつもりがないので一列になってじっとしていた。

「そりゃもちろんお針子組がお前を焚き付けたなんて思ってない」
「だからあんまり叱責とかそういうのは……
「さてそれはどうかな」

追いすがるには目もくれずに神は玄関口にカツカツと入っていく。

「さてお前たち、自分たちのしでかしたことはわかっているな?」
「宗一郎、お願いだから――
「申し開きはいたしません。自分たちの意志で様をお助けしたいと決めました」

中でも1番古株のお針子――というか神の衣服全般の管理をしている男性はまっすぐに神を見つめて言った。彼が率いるお針子組はこの2ヶ月というもの、しょっちゅうと一緒にいて、ある意味では苦楽を共にしてきた戦友である。忠誠心が芽生えてもおかしくはない。

「いいだろう、その意志とやら、どんなものか言ってみろ。処分はそれからだ」
「お国におられた頃からそうでしたが、様は我々に不尊な態度で命令するだけのお方ではありませんでした。どんな衣装も一緒になって作りました。様はいつでも裏表なくまっすぐで、そして殿下を1番に思っておられました。私たちは家臣として、殿下の妻となられるお方を誇りに思っています」

は急にそんな熱い台詞を言われたので真っ赤になっているが、お針子組は全員真剣な顔で頷いている。神はそれを聞くとサッと手を上げ、咳払いをした。

「よし、では言い渡す。全員に賞与と交代で休暇、それから金の指ぬきを贈るものとする。いいな」

とお針子組は一瞬何を言われたのかわからなくなって、ぼけーっとしていた。が、その意味がわかると、全員顔を赤くして口元を抑えたりきょろきょろしたりと落ち着きがなくなってきた。

「いつも部屋にこもって針動かしてるお針子とはいえ、お前たちが大会の間中を守ってくれると思うと心配はなかったよ。というかあの戦車競走を耐え切ったのは誰だ。君か、そんな小さな体でよく頑張ったな。君には特別手当を出そう。結婚式の当日、ドレスの介助係を命じる。心して務めよ」

あの常人には耐えられそうにない過酷な戦車競走、の操るチャリオットの車体の中で12周耐え切った小柄な女性はそれを聞くとはらはらと泣き出した。王族の結婚式、ドレスの介助係は衣装担当の晴れ舞台である。

「怒られると思ったか?」
「は、はい、全員クビを覚悟していました。その時はみんなで様の故郷へ行こうかと……
「バカを言うなよ。というかおしおきはする。――こっちにな」

すっかり和やかな雰囲気になっていた玄関口だが、お針子組が顔を上げると、神は最近ではほとんど見かけなくなった懐かしの「暗黒王太子」の顔になっての腕を掴んでいた。を含め、全員がサーッと青くなった。また「おしおき」という言葉が何ともいやらしいではないか。

「お、おしおきって」
「まあそれも総隊長の容体が安定したらな。覚悟しとけ
「何するつもりよ! そんな悪そうな顔して、ちょっと、離してよ、離してってば」

神は暗黒王太子の顔をしているが、の方はやっぱり真っ赤になっていて、お針子たちは立ち上がって一礼をすると足早にその場を後にした。もうふたりに障害は残されていない。総隊長の容体が安定するのを待つ必要があるが、ようやく結婚できる。

……もう離さない」
「え、そ、宗一郎あの……
「勝手にいなくなって、どれだけ心配したと思ってるんだ」
「それは、ごめん……
「目が覚めてお前がいなかったあの時、心臓が止まるかと思った」

神はを引き寄せると、額を合わせて目を閉じた。

「だけど、お針子たちと同じように、戦ってるお前を本当に誇りに思ったよ。お前は本当に王妃の器だ」
「そんな、私はただ――
「お前はあの一瞬でこの国をひとつに纏めてしまった。全ての民衆は様に夢中だよ」

それは嘘ではない。目下神の側近たちは南町各地区の代表と協力して城下の混乱を抑えるために走り回っている。あまりに強烈なの戦いぶりが興奮を呼び、狂信者を生みそうな勢いだからだ。叔父上を捕らえている軍部には南町から人々が押し寄せ、処刑しろと騒ぐ始末。

「だけどまあ、それは存分に利用させてもらう。お前には、おしおきだ」
……お手柔らかにお願いします」
「さあて、それはどうかな。オレはお前のことが大好きだからな、手加減できないかもしれない」

静かな館、ふたりの寝室のように高い窓から差し込む月明かりの中で、神はゆっくりとにキスをして、しっかりと抱き締めた。もう何も邪魔をするものはない。全てふたりで戦って勝ち抜いてきた。

それはきっとこれからも変わらないんだろう。ふたりで生きていくのだ。