続・七姫物語 神編

02

国王にも歓迎され、王妃も問題なし、この国の首脳陣にも適切な対応が出来ていただが、順調に見えていた結婚までの道のりに早速影が差した。翌日の昼頃のことである。

ばあやが朝から張り切って作った食事をのんびりとっていると、総隊長が青い顔をして駆け込んできた。

……悪い報せか」
「心情的には」
「食事の後じゃ遅いのか?」
「あの、私平気だからどうぞ」
「ありがとうございます。一部の貴族たちが今回の結婚に反対だと騒いでいます」

の手土産である大量のナッツを使った料理を突いていた神は、バチンと顔に手を叩きつけて仰け反った。やっと分家を片付けたと思ったら今度は内部から余計な騒ぎが出た。

「それは、分家が片付いたから今頃になって娘を嫁にっていうことか?」
「今のところ」
を迎えに行く前に通達を出したじゃないか。政略ではないって」

王太子が妃を迎える運びとなった旨を王族と貴族には書簡で、国民には街角の張り紙で報せたわけだが、その際にも神は政略のための婚姻ではなく、美しく優しい国の王女を愛するに至り、妃として迎えるのだということをちゃんと記していた。はまた照れるが、そう宣言しておかないとまた後で面倒だったからだ。

が、それをものもとせずに内部から反対の声が上がった。

「想像はつくけど一応聞いておこうか。何を理由に反対としてる」
「主な理由は国力の差です。次いで王族貴族筋の血筋の神聖さを強調しています」
「何言ってんだ。王家としての歴史はうちの方が浅いじゃないか」
「そうなの!?」

ふたりの話を黙って聞いていたが甲高い声を上げた。神と総隊長の説明によると、この国が初代によって興された頃、既にの国は王国として存在しており、当時だけで言えば立場は逆だった。の国はとても小さいがとても古く、起源がよくわからないらしい。

「うん、確かに神話ならあるんだけどね。ちゃんとした史料がないの」
「ちょっと不気味なんですよね。淡々と王家が続いているだけで野心もないし」
「なんというか、地味なのが気楽な国民性なんだよね」

一応王女なので自国の歴史については知識があるが、それが周辺諸国の中ではどういう捉え方をされているか――というところは少々怪しい。一応王女だが外交で役に立ったことはない。そんな必要もなかったので。

「問題は、騒いでる連中もそのことを知っている、ということです。国力の差に関しても現状法に照らし合わせて何ら問題はありませんし、記録を遡りましたら、180年前くらいにご縁がありました。王太子ではありませんが、国王の甥が当時の第3王女を妃にもらっています」

法的に問題なし、前例もあり、格は厳密に言えばカイナンの方が下。付け入る隙はないはずだ。

「文句を言いたいだけってこと?」
「大方はそんなところでしょう。適齢の娘がいる場合、一度は結婚を打診されて断っていることになりますし」
「その時はまだ分家が元気だったから、誰もうんと言わなかったんだ」
「その上殿下はひとりで分家を潰したという功しを立ててしまいました。逃がした魚は大きい」

はふんふんと興味深そうに聞いているが、神は腐りきった顔をしている。

「で? 反対ってことは、との婚約を解消せよっていうのか」
「そこは人によって割れているようですが、具体的には何も。ただ反対反対、と」
「それを受けて我々がどう出るのか、まだエサを投げたに過ぎないんだろうな」
「だけど反対したところで……
「そこなんです。陛下はこの結婚を大変喜ばれています。殿下も自分の意志でお決めになったことです」

陛下はあの通りフワフワしているし、神は自らを選んで妃に迎える。騒いだところでこの結婚が中止になるわけではないのだが――

……だけどそんなに青い顔してるということは、まだ何かあるんだな」
……反対の声を上げている貴族、まだ全員把握できていないのですが、上院議員が相当数いるようで」
「議会にかける気か」
「そうなると危ないです。殿下はまだ王太子なので、3分の2以上の反対が出たら裁判所行きです」

神はハーッとため息をつき、結婚反対の話が議会から裁判所まで飛んだのでも目を剥いた。

「婚約が裁判所まで行っちゃうの……?」
「内容がなんであれ、王族の為すことは議会にかけることが出来ます。素行の悪い王族を糾弾する手段ですね。議会で問題ありと結論付けられた案件は裁判所に送られ、例えば国庫を荒らすような王族であれば、罰金や謹慎の判決を下すことが出来ます」
「だけどよっぽどのことがなきゃそんなことやらない。騒ぐ方が損だ」

すると、それまで黙っていたばあやが口を挟んできた。

「だけど若、そこで裁判所に持って行かれても、国民の反対を受けたら拘束力はありませんわね?」
「まあな。だけど短期間にそれほど国民の支持を得るのも大変だぞ」
「若様……あなた様の何を見ていらしたの」
「はあ?」

ばあやはふわっと鼻の穴を膨らませてふんぞり返った。

「貴族の方は若様のお仕事でしょ、総隊長と何とかなさいませ。庶民の方は様とばあやの出番です!」

「結婚式って、元はいつ頃の予定だったの」
「どんなに早くても一ヶ月後くらいだな。オレが早く連れて帰りたかっただけだから」
「それまでには何も予定されてないの?」
「一応父からは今日の晩餐会と、富裕層向けの舞踏会と、南町向けのお披露目をやれとは言われてる」

総隊長が情報収集に出かけたので、残ったと神とばあやはさっそく作戦会議だ。経験も豊富で些細なことには動じない総隊長が厳しい顔をしていたので、彼の危惧したように裁判所まで持ち込まれてしまった時のことまで考えておいた方がいい。

「総隊長があの顔じゃ今日の晩餐会でさっそく突っつかれるぞ」
「若の出番ですわね。しっかり様を守ってさし上げるのですよ」
「大丈夫です、私も負けないから」
……おふたりはあれですわね、敵に回したくない感じのご夫婦ですわね」
「褒められてる気がしないな」

対策を取るにしても今夜の晩餐会はもうどうにもならない。ほぼひとりで分家を潰した暗黒王太子とはいえ、神ももまだ19歳だ。うまく切り返すことが出来たとしても、それはその場凌ぎでしかなく、根本的な解決にはならない。民衆を味方につける方が確実だ。

「若、お披露目はいつごろですの」
「舞踏会は準備に時間がかかる。お披露目の方が先になってもおかしいことはないから……
「お披露目って言うけど、こんな大きな街でどうやってやるの」
「うーん、南町の中央通りでお披露目をするか、城壁の上から顔見せるだけか」

街の規模が大きいので、の地元のようにはいかない。神の言うふたつが一般的な手段だろうが、中央通りのお披露目はそれこそ準備に時間が掛かるし、予算もかかる。も手持ちのドレスで出て行くわけにはいかない。この国の王太子に嫁ぐ以上、カイナンの様式に則ったドレスを仕立て直す必要がある。

となると、まずは手っ取り早いのは城壁からの顔見せであろう。

「そこからなら手持ちのドレスでも細かいところは見えないし、なんなら下で何かバラ撒いてもいい」
「バラ撒くって?」
「南町は外国人でない限りは本当に庶民ばかりだし、酒を振る舞うとか、子供にお菓子を配るとか」
「それですわよ!!!」

ばあやの素っ頓狂な声にふたりは目を丸くした。というかばあや何でそんなに乗り気なんだ。

「わたくし様に紹介していただいて、ナッツ農家の方と仲良くなりましてね。今回も荷馬車にいっぱいのナッツを仕入れてきたんです。それを使いましょうよ! 王太子妃様からおいしいお菓子を!」
……そんなのでコロッとなるのか?」
……様が作ったお菓子を知らずにおかわりした方が言えたことじゃありませんわね」

はゴフッと吹き出し、神はそれを思い出して呻いた。しかし、王宮にて美食には慣れてるはずの神はが作ったナッツのお菓子が気に入って、滞在している間はよく食べていた。悪くないかもしれない。

「実は私の国ではナッツは女性の食べ物なんです。美容にいいって言われてて」
「まあ! じゃあぴったりじゃないですか。女性が喜びそうな包みにしましょう」
「凄まじい数だぞ」
「そこは王太子陣営総出で行います。日持ちの関係もありますから、3日でなんとかしましょう」

民衆にナッツのお菓子作戦は妙に張り切っているばあやの指揮で進められることになった。幸いナッツは本当に荷馬車いっぱい。全て使いきれば相当な量のお菓子ができる。また、の国は森林が豊富なので、それを用いた蒸留酒が地味に名産である。お菓子に興味がない方々にはそれで対応する。

民衆の心をガッチリという戦法になると、の地元の例もあることだし、バラ撒きは悪くない。金を撒いているわけではないのだし、美味しいものや人々が楽しい気持ちになるものをバラ撒いて損はない。神は思い立っての父に手紙を書き、きれいな花をつける木を送ってもらうよう手配した。

「どうするのそれ」
「南町の住宅街に寄付する」
「まあ素敵。様が若に嫌味言われながらお掃除してた花をつける木ですわね!」
……ばあやは最近何でそんなに辛辣なんだ」
「そんなことありませんわよ。わたくしも負けたくないだけです」

ばあやはの芯の強さに感化されている、神はがいることで軟化している、そのため相対的にばあやが辛辣になってくるということだろう。だが、この調子なら本人が言うように民衆向けはふたりに任せてよさそうだ。神は総隊長の報告を待って対策を練ることとし、晩餐会の準備に取り掛かった。

晩餐会と言っても、の国で行われるような和気藹々としたものとはだいぶ趣が異なる。

城の大広間にテーブルがいくつもつなぎ合わされ、80人がけの席が出来上がる。その一番奥は国王、右側に王妃、左側には神とと並ぶ。そしてのすぐ隣に神の叔父という話だったが、例によって分家に命を狙われ続けてきた家系なので、彼は国王とは腹違いの弟ということになる。

すっかり正装の支度ができたふたりは館の玄関口で総隊長を待っていた。城までは歩いてもそれほどかからないが、ふたりは本日の主役なので馬車で向かう。神もの国に来た時より大袈裟な正装だ。マントが重い。

……王子様みたい」
……王子様ですが」
「褒めてるのに」
「だったらそういう顔しなさい」

は今日はじめてこの国の正装をしたことになる。準備はしていたものの、ばあやは着付けが終わると涙ぐんでいた。まだ婚約中という立場なのでは正確には「外国人」なのだが、いずれ迎える正式な結婚を間近に感じて感極まったらしい。

「お待たせしました殿下、馬車の準備が――
「おお、では行こうか。……どうした総隊長」
「これは失礼を。様が正装をされているので、その、感慨深くて。よくお似合いです」
「ありがとう。ばあやにも泣かれてしまいました」
「まだ問題がありますが、我々も全力でお助けいたします」

総隊長は感無量といった顔で頭を下げた。彼もまたばあや同様神が幼い頃より仕えてきた身だ。

「それじゃ行こうか。面倒くさい身内なんかさっさと片付けてこよう」

神は総隊長の肩を叩くと、の手を取って館を出る。まだ戦いは終わらないけれど、神陣営はこうした苦難を何度も皆で乗り越えてきた。結束は固い。その上2年の時を経てなお、は神を守る意味でも戦力であり信頼に値する妃であり、そして何より神の心の拠り所である。

ふたりの結婚はそうした人々の苦難の上に成り立つ目標であり夢なのである。神が無事に育ち上がり、妃を迎え、そして王に即位するまでが彼らの戦いである。現在の国王が死去しない限り即位はならないので、おそらくばあやはその夢を目の当たりには出来ないだろうが、それでも神が健康で成人し、妃を迎えられれば夢は叶ったも同然。分家も消滅したことだし、そのためにも結婚は絶対に成立させなければならない。

総隊長の操る6頭立ての馬車にて城まで乗り付けたふたりは、正装が重いのでゆったりと歩いて行く。1番重量があるマントは着席すれば外せるので、それまでの我慢だ。

巨大な広間に入り、国王夫妻だけがまだ現れていないテーブルに着く。ずらり並んだ本家筋の王族と貴族が神に手を引かれるをじろじろ見るけれど、は終始前を向き、時には神の顔を見るだけで、反応は一切示さない。このあたり繰り返すが武道に長けた猛者である。

ふたりが着席すると、国王夫妻が広間に入り、その際は一同起立で待つ。

「やあ、皆揃っているな。では、席に着かれよ」

これで一応晩餐会の開始である。今日の席は国王主催という建前だが、実際に料理や食器を決めているのは神であり、その上予算も王太子持ち。というか、この身内向けの晩餐会、富裕層向けの舞踏会、そしてお披露目、結婚式、全て神の金でまかなわねばならないので、莫大な出費になる。

さてそんなわけで、見栄えが良く味も良いながら実は低予算の料理で晩餐会は開始された。酒は例によっての父親に都合してもらった蒸留酒を果汁で割ったものを挟むなどしている。神曰く「1番の無駄金」だそうなので、とにかくケチった。

食前酒での乾杯が済むと、父親に促された王太子から婚約者の紹介があり、また国王自らこの結婚を認めるつもりであると宣言が下される。つまり結婚報告会なわけだ。そのため基本的には無言でよい。

だが、神や総隊長が心配していたような、結婚への反対意見が一向に出てこない。胆力のあるは黙々と食事をし、今日は主に上機嫌の国王陛下の質問に淡々と答えていた。むしろ神やその後ろに控えている総隊長の方がそわそわしていた。なので、デザートが来る頃になると取り越し苦労だったのかと逆に緩んだ。

その時である。の隣に座っていた神の叔父が身を乗り出して国王に声をかけた。

「陛下、少しよろしいですかな」
「おお、何だね」
「まずはこちらの署名を見て頂けますかな」

一瞬で顔色の変わる神と総隊長、その隙間を縫って神の叔父君から国王へ一巻きの紙が渡された。留めてある赤いリボンを解くと、ずらりと署名が並び、いずれも自筆で、紋章の判が押されている。

「これは一体……
「私が代表となりまして以下47人、此度の結婚に異議申し立てをする署名でございます」
……何だって!?」

ざわめく大広間、国王もまさかの事態にサッと顔色が青くなる。

「分家筋の執拗な妨害はもうないのですよ。こんな田舎から姫をもらわずとも、この国には次期王妃に相応しい姫がたくさんおります。我々もいずれその統治の下に生きるしもべですから、それなりの方に王妃になって頂きたいのです。こちらの姫では観光業は出来るかもしれませんが、政は不安が拭えませぬ」

国力の差、血統の神聖性、さらに「将来のあるじとして不足」という理屈で来たわけだ。まずは神の出番だ。

「叔父上、私は以前そのつもりで適齢にあるこの国の姫にお話を差し上げました。ですが全員何かしらの理由をもって私との結婚は出来ないと拒否されました。ですからこうして私自身が選んだ方と結婚をしようと考えたのですよ。反対をされたところで、陛下の許可は得ております」

もちろんこれで引き下がるとは思っていないけれど、陛下同様この件が初耳という者もいるのだし、少し回りくどいくらいに言っておいた方がいい――という神の判断である。神陣営の言い分も正しく表明しておかねば。

「当然でしょう、あの頃は分家の輩があなたに関わるものを見境なく殺害しようと暗躍していました。けれど今は事情が異なる。その間に適当な娘で手を打とうと安易な決断を下したのは殿下、あなたです。分家を片付けたのち、然るべき家から然るべき娘を妃に迎えるのが正しい選択だったというのに、愚かなことをしましたな」

平静を装う神の背後で、総隊長の目が吊り上がる。彼は、どんな申し立てで議会にかけるつもりなのかとずっと考えていたのだが、全て外れた。この言い分では「内政の状況も読まずに王太子が『王妃に相応しくない』女と結婚を逸っている」という、「女癖の悪さ」を糾弾するのと似た手口で持っていくつもりらしい。

これは神陣営にとって最悪の侮辱に当たる。神は本当にを愛しているし、または神陣営にとっては誰よりも王妃に相応しい姫なのである。どちらも大変な言いがかりである。

「然るべき家と言いますが叔父上、姫の御家は当家より歴史が古く、まあ当家が優っているものといえば自由になる金の額や兵士の数くらいなもので、家の格を持ち出すのであればそれは大変な誤認識ということになりましょう。また、姫は私がこれまで知り合ってきたどんな姫より強く賢く、そして愛情豊かな方です。部屋の中にこもって詩を読むくらいしか出来ない姫と違い、どんな苦難にも耐え得る王妃の器です」

わかっちゃいるけどつい照れるは、ぐっと頬を引き締めて姿勢を保つ。さすがに神はすらすらと反論しているが、仮にも彼は叔父なのだし、甥っ子が聡いことくらいは承知の上のはずだ。案の定、やれやれという顔で不敵に微笑んだ叔父上はまた身を乗り出す。

「古ければよいというものではありませんよ、殿下。その上、金も兵士も大事な要素です。それを軽く考えておられるようでは、殿下もまだまだお子様で御座いますな。姫が王妃の器というのも、そりゃあ姫にうつつを抜かしておられる殿下はそう思われるでしょう。ですが殿下、教育程度というものがあるのですよ」

総隊長の革手袋がギュッと音を立てる。教育を持ち出されると面倒なので余計に腹が立つのだろう。何しろ国が違うのだから、どこそこの学院で何を学んでいなければ――などということの全てには当てはまらない。事実、は故郷で専属の教師による高等教育を受けたに過ぎない。

「まあこんなところで言い合いをしても埒が明きません。陛下、このまま結婚を断行されるのでしたら、署名いたしました47名、速やかに議会に異議申し立てを提出させていただきますよ」

真っ青な顔で何も言い返せない陛下に叔父上はふんと鼻で笑い、隣りに座るに囁いた。

「そういうわけだから、早めに帰り支度をなさい。お家は遠いのですからな」

一応神の方を見て確認を取ったはにっこり微笑み、囁き返した。

「私の家はじき、この城になります。叔父上様こそ、亡命のお支度をなされませ」

この時、神と総隊長は改めて「この姫しかいない」と確信した。