続・七姫物語 神編

03

「まああああ何ですの何ですの、陛下とは腹違いの弟君に過ぎないくせに無礼な無礼な」

晩餐会の報告を受けたばあやは怒り狂った。足を踏み鳴らし、エプロンを掴んでキィキィ喚く。確かにばあやの言うように叔父上は陛下とは腹違いの弟で、先代の国王の3番目の王妃の子だ。現在も王家内の順位で言えば6番目、が正式に王太子妃となれば7番目に下がる身である。ばあやは間違っていない。

館の大広間では広すぎるし手間がかかるので、客人がない時は厨房のすぐそばのこじんまりしたテーブルで食事を済ませることも多い神だが、晩餐会疲れで今日も厨房に転がり込んできた。ばあやの縄張りなので気楽だ。

そこで温かいお茶を入れ、みんなで一息ついている。神陣営、今日は厄日だ。

「総隊長もいかがですか、お茶。お疲れになったでしょう」
「これはすみません、殿下」
「あの、ばあやのように接して頂くことは出来ませんか」

おそらく一番疲れたのが総隊長のはずだ。彼にお茶を差し出したは、ものはついでにそう申し出てみた。忠臣と名高いのはいいけれど、神相手ならともかく、自分はもう少し砕けて接してもらえたら、と常々考えていた。ばあやと仲がいいので余計にそれを望んでいる。が、総隊長は申し訳なさそうに首を傾げた。

様、これからあの叔父上たちと戦っていこうというのに、それはいけません。ばあやはいいのですよ、宗一郎様が生まれた時からそばに仕えておりますし、母君を亡くされてからは母であり祖母であり、とにかく宗一郎様をお育てした方です。お気持ちは大変嬉しいのですが、私はまた事情が違います」

総隊長はにこやかにそう締めくくった。なのでは彼と仲良くなることは一旦お休みとし、頷いた。

「わかりました。では、叔父上に勝ったらもう一度お願いしますね」
……かしこまりました」

一瞬ポカンとしていた総隊長だが、結局は困ったような顔で微笑むと、しっかりと頷いた。

「それにしても、格の違いだの教養だの、不適切な女にうつつ抜かすとか持ち出されると厄介だな」
「どういうことですの?」
「例のお菓子作戦と、政略でないというオレの主張が裏目に出る」

親しんでもらおうとお菓子をバラ撒くこと、政略ではなく愛情ゆえの結婚なのだということ、どちらも叔父上の主張を裏付ける形になってしまう。腕を組んで唸った神に、ソーサーを片手に進み出た総隊長が口を挟む。

「殿下、それこそ叔父上の策なのではないですか。こちらが何をしても向こうの反論が正当性を持てるよう、今後の展開を予測した上で理論武装していたように思います」
「じゃあこのまま計画続行した方がいいと言うのか」
「私はそう思います。最終的には民衆を味方につけた方が勝ちです。その点様は圧倒的に有利です」

総隊長の確信に満ちた声に、の首が傾く。

「私まだ何もしてないのに、それでも有利なんですか」
「はい。この国の王族は南町に対して開かれていません。国王夫妻と王太子のお顔くらいしか知らないのです」
様、それにお国でもそうだったように、王子様お姫様というのは強いのですよ」
「まあそうだな。実際、分家を潰せたのもオレが王太子だったからだ」
「最終的には王太子側に狼藉を働いたことが民衆の不興を買いましたからね」

は納得して何度も頷いた。この結婚に反対している連中には様々な策があるのだろうが、神陣営が民衆の心を掴む方法さえ間違えなければ、勝機は充分にある。

「もし今回の件が裁判所にまで持ち込まれて、そこでも様が相応しくないとされたとしましょう。その結論に国民は異議申し立てが出来ます。というか、そんなことを言い出した上院議員に対して退陣を要求できます。下院の方は過半数で通過させられますから、比較的容易です」

そこで再度の首が傾く。それは確かに有利だけど……

「なんでそんな不利な状況でこんな騒動起こしたの?」
「それは様をご存じないからです」
「そうか。例の襲撃事件、の件は詳しく報告してないんだったな」
様がどんな姫君だったのか、彼らはよく知らないのです。田舎娘と決めつけている」

もやっと事情が飲み込めてきた。まあ確かに現状ふたつの国を比較して対等と考えられる要素はあまりない。強いて言えばどちらも国王がちょっと弱い、ということくらいだろうか。いくら王家の歴史が古かろうが、神がよい姫だと言おうが、それは「惚れてるからよく見えてるだけ」としか思えないのだろう。

「彼らは選民意識が強いので北町ですら滅多に降りません。南町など覗きもしない。ですから彼らの前では静かにしていて、南町にだけ本物の様をお見せすればよいかと。議会にかけると言ったらかけるでしょうから、やはり民衆を味方につけねばなりません」

一同はうんうんと頷き合い、まずは舞踏会に先立って行う予定の南町向けのお披露目のため、神陣営総出でナッツと格闘することになった。総隊長は材料の確保に走り、ばあやは男女の別なく神陣営の者たちを振り分けてお菓子製作の段取りを組んだ。

一方神は叔父や貴族たちが寄り付かないような、南町と距離がとても近い城壁を選んで準備を進める。元々王宮の城壁はとても高いけれど、見張りのためのバルコニーがある。それならまだ距離が近いし、何か危険が迫ってもすぐに退避できる。ついでに飾り付けも手軽だ。

お披露目が近くなると神の館はナッツ地獄に陥り、はもちろん、最終的には神まで包装を手伝わされ、お披露目当日の明け方になってようやく予定数が全て出来上がった。お披露目を控えたと神は強制的に寝かされたのだが、略式な装いで出かけていくふたりを見送るばあやを始めとした神陣営の者たちは生ける屍のようになって手を振っていた。完徹である。

「既にすごい人数になっています」
、大丈夫か」
「平気。うまくいけばいいなって思っただけ」

今日のためにきれいに飾り付けられたバルコニーの向こうから人々の騒ぐ声が聞こえてくる。神の腕に手を添えたは深呼吸をして緊張を解しつつ、2年前には険悪な状態でお披露目をしたことを思い出した。

「そういえば、喧嘩みたいになりながら劇場でキスされたね。ほっぺただったけど」
「そんなこともあったな」
……ねえ、あの時って、したくなかったのにしょうがないからしたの?」

国民が喜びますからチューのひとつでも是非! と煽ったのは大臣だ。だが、しないで済ませられないわけではなかった。はそう考えていたのだが、神はしょうがないだろと言って頬にキスをしてきた。

……いや、してみたかったから」
「そ、そうだったんだ……
「真っ赤になったのを見て、今度は唇にしたいって、そう思ってた」

自分で聞いておきながら照れているは、そんな懐かしい思い出とともにバルコニーに出た。すると、眼下に見たこともない人数の人々が詰めかけていて、あやうく悲鳴を上げてしまうところだった。割れんばかりの歓声で埋め尽くされた広場は、普段は王宮への物資の搬入口である。

その上、日の高い時間帯だというのに、この広場は日陰で、あまりお披露目の場としては相応しくないように見える。だが、日が差さないことで王太子とその婚約者の顔はよく見えたし、陰気な場所なので案の定叔父の手勢や貴族たちが上から覗き込んでいる、ということもない。

手を振るふたりに民衆も歓声で応える。最初の印象は良いようだ。

、まだ人前でキスするの恥ずかしいか?」
「えっ、するの?」
「2年前もそうだったろ、ほっぺたにチュッとやっただけでみんな飛び上がって喜んでた」

地上ではお触れ役がの紹介をしたので、早くも「様」とか「姫」などという声も上がってきている。それに手を振って応えつつ、は頷いた。正直、こんな大観衆の前でのキスはまだ恥ずかしい。出来ればふたりきりの時にしたい。しかし、これも戦いのうちだ。

お触れ役の口上が終わるのを待ち、神はを引き寄せて顔を近付けた。ひときわ大きな歓声。

、あの時、本当はこうしたかったんだよ」
「え?」

民衆向けの演出と思っていたは、直後に熱いキスを食らって頭が真っ白になった。ただでさえ恥ずかしいというのに、あの時、2年前もこんな風に濃密なキスをしたかった――だって? そんなことで頭がいっぱいになってしまったは、解放された時には頬が真っ赤になっており、恥ずかしさのあまり俯いてしまった。

だがどうだろう、照れて真っ赤な王女が王太子に抱き寄せられている姿に、詰めかけた民衆は大歓喜。お姫様可愛い、王太子様本当に姫を可愛がってらっしゃる、と大騒ぎだ。そしてこの熱狂を見計らって人だかりの中に設えられたいくつもの木箱が開かれる。中身はナッツのお菓子と酒の小瓶である。

もはや広場は狂喜の渦の中、お菓子と酒は一瞬にしてなくなり、しかしそれを手にした民衆たちはお菓子や小瓶を手に持って打ち振り、と神の名を呼んで讃えた。

「予想以上の大成功でしたね」
「老体に鞭打って踏ん張った甲斐がありましたわね。明日は1日お休みを頂きます」

あんまり観衆が喜ぶので、おまけにまたの頬にキスをした神の嬉しそうな顔に、心配で追いかけてきたばあやは胸を撫で下ろしていた。総隊長も思った以上の好感触に達成感を得て満足気だ。

はまだ恥ずかしがっているが、まずは作戦その1、完璧な成功に終わった。

王太子が婚約者のお披露目でお菓子と酒をバラ撒き、南町に大変喜ばれたという話はその日の夜には王宮中の知るところとなった。が、とことん調査不足らしい叔父陣営は「ほれ見たことか、物で人を釣ろうとは浅ましい」と喜んだというから、神と総隊長も上機嫌だ。

ナッツ地獄のおかげで、ばあやを含む普段厨房を任されている使用人たちは全員沈没、しかし彼らがいなければ今日の成功はなかったので、神と総隊長はに食事を作ってもらって3人で食べていた。もう10年近く病弱な父のために尽くしてきたなので、食事を用意するくらいはわけもない。

「あとは舞踏会?」
「そうだな。そっちはまだ準備に時間がかかるけど、そこでボロを出さなければ問題ないだろ」
「婚約中ですから殿下以外の方と踊る必要もありませんしね」
「てことは、人の把握と、直近の時事問題の話題と、音楽の知識くらい?」
「それもいらないよ。オレが全部相手するから、黙ってて構わない」

神がにべもなくそう言い捨てるので、はちょっとカチンと来て身を乗り出した。

「会話もせずにただ黙ってろっていうの?」
「だから、北町方面はそれで行こうって決めただろ」
「だけどそんなの本当の私じゃないし、いずれバレることだよ」
「結婚してしまえばこっちのものなんだから、それまではしょうがないだろ」
「そうじゃなくて、うまくあしらうのと嘘をつくのは別じゃないのって言いたいの」
「じゃあどうしたいんだよ。次の王妃ですって顔したいのか?」

2年前もこうしてふたりはすぐ言い合いになり、結局どちらも傷付いて険悪になっていた。それを懐かしく思い出しながら総隊長はそっと食器を持って逃げ出す。あの時の家臣たちも、いずれ夫婦になるふたりなのだから、とことんまで言い合いをさせておこうと静観していたものだ。夫婦喧嘩は犬も食わぬ、放置。

言い合いをしていたらいつのまにか総隊長が消えていたので、神はため息を付いての腕を掴み、膝の上に座らせた。最近では何かというとこうして膝の上にのせる癖が付いているらしい。

、叔父や貴族たちは面倒だけど、北町の金持ちはもっと面倒くさいんだよ」
「私負けないよ。まだ時間もあるから名前も覚えるし――
「向こうはお前のことを『学もなく洗練されていない田舎娘』だと思ってるんだよ」
「だから、そう思われてるままを演じればいいっていうの?」
「思われてるんじゃないんだよ、『そう思いたい』んだ。訂正しても効き目がない」

がきょとんとした顔をしているので、神はゆっくりと背中を撫でつつ、丁寧に付け加える。

「もし何かの話でがちゃんとした王女なんだということがわかる、そんなことを言ったとする。だけど向こうは『田舎から来た学のない王女』だと思いたいから、それを否定されると余計に頑なになる。例えばそうだな、『わざと学があるように振る舞うなんてみっともない』――とかそんなところだ」

どちらにせよ思い込みから抜け出す気はないので、向こうの思う「像」を壊しにかかっても無駄、ということだ。むしろ余計な口を出せば付け入る隙を作ることになる。

「そういうやつらがコロッと手のひらを返す時は、どんな時だと思う?」
「ええと――劣勢に置かれた時とか、自分の財産が脅かされそうになった時とか」
「さすがです、王女殿下。だから北町は知らんぷりをしておいて、南町と仲良くしておいた方がいいんだよ」
「そっか、南町が完全にこっちについたらその時は簡単に考えを翻すのか」

意味はわかったが、幼少期より正々堂々勝負、という礼儀を仕込まれてきたである。

「卑怯な気がしちゃうんじゃないか」
「うん……
姫、王妃になるには少しくらいの卑怯さも受け入れられなくては」
「わかってます……

それはわかるのだ。自分の故郷のようなのほほんとした政と同じようにはいかない。しかしまだ王太子妃(仮)という状態で、そんな時から自分を偽っていかなければならないのかと思うと、少し悲しかった。

の本当の姿、その良さはオレがちゃんとわかってるから」
「そ、それはその、あの、ありがとう……
……最初に抱き寄せた時に、いい匂いがしたんだよな」
「はい?」
「この子すごいいい匂い、抱っこしてキスしてみたいと思ったんだよ」
「ちょ、いきなり何」

の首筋に顔を摺り寄せた神は、スーッと息を吸い込む。ああオレの嫁いい匂い。

さん、寝室行きたいです」
……食器片付けてからね」
「そんなの明日ばあやにやってもらえばいいじゃないか」
「宗一郎、それ本気で言ってるの?」
……手伝います」

警備にあたっている者を除き、今日は神陣営ことごとくナッツ疲れでぐっすりである。厨房に入れば総隊長は自分が使った食器はきちんと片付けており、発情王太子は仕方なくを手伝って片付けをし、それが終わったら終わったで風呂だのお披露目で着た衣装の片付けだの、普段人に任せていることを全部手伝わされた。

「オレしばらくナッツ見たくない」
「たぶんみんなそう思ってるから大丈夫」
「じゃあもういいですか、姫君」
「は、はい、どうぞ……

疲れてもいるが、ここまできたら半ば意地だ。何もせずに寝るのはもったいない。神はまたの首筋に擦り寄って存分に香りを楽しみ、そして疲れ果ててぐっすりと眠り込んだ。

翌朝、と神含め全員がぐっすり眠ってすっきり目覚めると、また困惑した総隊長が厨房に駆け込んできた。神は明らかに「またか」という顔をしてため息を付き、は背筋を伸ばして畏まった。今度は何だ。

「大変です、手紙のついでに聞きつけたか、様の父上がもうすぐ到着されるそうです」

一瞬の沈黙、そしてと神とばあやの悲鳴が館に響き渡った。