続・七姫物語 神編

05

「カイナンと戦争する兵力がどこにあるの!?」
「あるよ軍隊くらい!」
「カイナンの100分の1くらいの規模の、でしょ!」

舞踏会はもちろんそこでお開き。予算をかけた大晩餐会が飛んでしまったので、神陣営の経理担当が泣きながらそろばんを弾いている。の父に請求書を出したいくらいだとゴネていたが、から直接謝られると、絶対何とかしてみせますと逆ギレしていた。

さてここはいつものように神の館の厨房である。こんな緊急事態ゆえ、神の父も来ている。

というかその陛下の話によれば、マズいなと思いつつ、弟との父が話しているのを近くでちらちらと見ていたのだという。最初は無難な世間話だったのだが、それが途中での話になり結婚の話になり、叔父があからさまな嫌味を言い出した。すると、父上が彼をポクッと殴ったという。病弱なので力がない。

「それでキレた弟も大人げないんだけど……
「当たり前です。反対なのだとしても、それを父親に面と向かっていうバカがどこにいるんですか」
「いましたね、身内の中に」

父上が娘に説教されてる間、神と陛下と総隊長はげんなりしていた。

「父上がみっともなくキレたせいで余計に不利になったって、わかってるの!?」
「事前にきちんと話してくれなかったたちも悪いだろうが! お父さん悪くないよ!」
「こっちが地道に対策を練ってきたっていうのに、台無しだよ! 結婚できなかったら父上のせいだからね!」
「お父さんじゃないだろ! あの叔父さんだろ!!!」

そこで神にまあまあと宥められたは、腹が立つやら申し訳ないやらで、縋り付いて泣き出した。

「大丈夫だよ、どう考えても非は叔父にあるし、これが陛下の責任として我が国が武力行使を含む報復手段に出るということは絶対にないから。びっくりしたよな、大丈夫大丈夫」

そこへばあやがお茶を持ってきてくれたので、それぞれ少し飲んで気持ちを落ち着かせていた。

「謝罪とかそういうのは……
「する必要はないよ。むしろこっちが謝罪しなければ。陛下、改めて大変失礼を」
「いやいや陛下、舞踏会を荒らしてしまったことはこちらこそ謝ります」

叔父上をどうしたものかと問うたつもりのは、国王同士がペコペコしているのを見るとまた頭に血が上った。確かに上座で「一番偉い人が座るところ」にいるのは陛下だ。だが、この舞踏会を主催しているのは神だし、金も神が出しているのに。

「父上! 謝るのは宗一郎に、でしょ! なんで上で片付けようとしてるのよ!!!」
「なんでそんなに怒るんだ! お前がバカにされたからお父さんは――

また父娘が言い合いになったところで、人が駆け込んできた。神陣営では割と古株の側近で、総隊長のすぐ下の部下、という立場の人だ。彼もまた青い顔をして折りたたんだ紙を手にしている。総隊長が急いで取り出して開いたのだが、彼がまたサッと顔色を変えたので、その場の全員が息を呑んだ。今度は何だよ。

「叔父君のところから、陛下宛てです」
「何て?」
……戦争です」

しかしそう言う割に呆れ返った総隊長がぺらりと紙を垂らす。そこにはカイナン伝統の競技大会を示す印がでかでかと刷られていた。時期が近いので結婚式を後にするか先にするかと考えるほど大きな競技大会である。そしてその印の下には雑な字で何やら書き殴られている。

「戦争上等、競技大会で勝負しろ、と書かれています……

呆れ返った総隊長の声が厨房に力なく消えていった。

カイナンがここまで大きな国になったのは、かつては大陸で1番凶暴な軍事大国だったからだ。だが、大陸においては1番強大な国になってしまった頃に大変堅実な王が誕生し、彼の強引ともいえる方向転換でカイナンは侵略行為を控え、経済を中心とした政策に切り替わった。つまり、「維持」に回ったのだ。

それでもしばらくはちょこまかと武力衝突を抱えていたカイナンだが、富裕層が増えるに至り軍国主義の人気が低迷、やがて王族の本家と分家の諍いだけを残し、カイナンはいかなる点でも大陸一の超大国として君臨、現在に至る。軍隊は巨大だが、他国との戦闘行為は絶えて久しい。

そんなカイナンにて唯一残る軍事国家時代の名残が競技大会である。当時は軍の中で兵士だけがやっていた大会で、日頃の訓練の成果を発揮する場として、または王族の派閥の賭け事的意味合いもあって、内部では大変人気があった。それがやがて国民に広く開放され、現在出場資格に制限はない。

種目は様々、子供の部もあるし、数日かけてお祭り騒ぎとともに行われるこの競技大会は北町南町関係なく全ての国民が楽しみにしていると言っても過言ではない。

「父上が病弱なの、知ってたんじゃないかな」
「それはあるかもな。お前のことは知らなくても国王のことなら知ってて当然の範疇だ」

もう夜も更けてきたので、神陣営はひとまず相談を持ち越しにした。経理はまだそろばんを弾いているだろうし、総隊長以下神を直接補佐する側近たちは会議をしているかもしれないが、と神は休めと寝室に押し込まれた。月明かりの差し込む寝室でふたりはぼそぼそと喋っている。

「それにしても陛下はなんであんなに元気になっちゃったんだ」
「やっぱりわたしのせいかな……
「あんな冗談真に受けるなよ」

額にキスをしてもらったは、ため息とともに神の手のひらを胸に抱え込む。

「勝負、っていっても勝てるわけがないし、そんなことしたら本当に死ぬかも」
「本人が乗り気なのが困ったもんだな。勝負を受けるにしても、代理でいいのに」
「えっ、そうなの?」
「昔は王族貴族がお気に入りの兵士を使って勝負させて楽しんでたんだ」

そういう歴史があまり面白くないような神だったが、の父さえそれで頷けば何とかやり過ごせる。

……、お前が悪いわけじゃない。そういう顔をするなよ」
「だって、私が来てからこんなことばっかりで、みんなに迷惑かけて」
「よく考えてが何か問題を起こしたことは一度もない。全部誰かがやったことだろ」
「そうだけど……
「今更結婚やめますなんて言ってもオレは認めないぞ」

鼻をキュッとつままれたは「フォッ」と変な声を上げた。

「もう少しでお前が手に入るのに、こんな下らないことで逃がしてたまるか」
「に、逃げないよ、そんな、私だって2年も待ってたのに」
……オレは5年だ」
「はい?」

鼻をさすっていたはまた変な声を上げて目を丸くした。5年?

……言ったろ、暗殺計画から逃れてお前んとこの舞踏会に紛れ込んでたって」
「私が腐ったお菓子食べちゃったっていうアレでしょ……
「直接話したりはしてない。ちらりとすれ違った程度だ」

この時は神に食わせようと刺客が運んでいた腐ったお菓子を食べてしまい、しかし腹は微動だにせず、その後も体調を崩すことはなかった。それはも前に神から聞いている。

「そりゃ、その時はあの姫がいいなんて思ってなかった。だけど、オレを殺そうとしてるやつらが仕込んだものをペロッと食べちゃって、それでなにごともなくケロッとしてるお前に憧れみたいな気持ちを抱いてたのは事実だ。あの元気な姫に救われたのかと思うと、感謝の気持ちもあった」

しかしそれにしては婚約を申し込むまで時間があるし、実際に会ってからは「お前なんか物々交換だ」である。は枕に頭を置いたまま少し首を傾げた。話が見えない。

「だけどまさかその時はこれだけ規模の違う国の姫を妃に迎えるとは思ってなかったし、15を過ぎたあたりから少しずつ目ぼしい貴族や他国の姫なんかに見合いの申し込みなんかが出されてたんだ。だけどそれは全部断られた。政略で結婚することは疑問に思ってなかったけど、それでもそんなに拒否されるとは思わなくて」

神は男性にしては可愛らしい顔をしているので、同世代の女の子に人気の王太子さまであった。王太子としての才覚もまったく問題なし、むしろ父親である現国王よりも優秀なのではという評価があったほどだ。それなのに、30人以上の姫から結婚を断られた。情勢のせいだとわかっていても少年の心はズタズタ。

しかし分家を勢いづかせないためにも妃を迎えることは急務であった。そうして会議の中で神はを思い出し、まあ通らないだろうなと思いつつも提言してみた。ら、総隊長の賛成を受けて話がどんどん進んでいってしまった。いわく王家の歴史が古いことと、丈夫な姫という選択が良い、とのこと。

ちょっと思いついたから言ってみただけだった当時16歳の神は途端に恥ずかしくなってきた。オレ、あの腐ったお菓子食っても腹壊さない姫と結婚するの? あの病弱な国王と踊って振り回してた活発な姫と結婚して、夫婦になって、子供が出来たりするのか? オレ、あの姫のこと、愛するようになるの?

てんで進まなかった妃探しの中、やや女性不信に陥っていた神だが、急に目の前に迫ってきた「結婚」という事態に動揺してきた。王太子でも何でも16歳である。朧げに記憶があるだけのの顔がチラついて、それが逆に厭わしくなってくるほどだった。

話だけが進んで実感が伴わなかった神だが、誰に打診しても断られてきた結婚に、が頷いたという報せが来た。何度も書簡のやり取りはあったけれど、そのほとんどが「間違いじゃありませんか」「間違ってないです」の往復で、王女自身は快諾してくれたという。神は17歳になっていた。

「その時のこと、今でも覚えてる。またどうせ断られるんだろって思ってたのに、先方の王女から良い返事が来ましたって総隊長に言われて……一瞬ものすごく嬉しかった。あの子、オレでいいんだ、オレと結婚してもいいんだって思ったら、嬉しくて、安心して……だけど今度はそれが恥ずかしくなってきた」

仮にも王太子、南町の17歳とは少々事情が違うし、ただでさえ死と隣り合わせの17年間を過ごしてきたので気持ちが後ろ向きに傾いてからは早かった。周りが穏やかな国の王女でよかったですね、などとを歓迎していたので余計に不貞腐れる気持ちがムクムクと育ってしまった。

好きな女の子が周囲の大人にバレてしまい、別にあんなの好きでもなんでもないと強がったようなものだ。

「それで、これは政略なんだ、あんな元気なことくらいしか取り柄がないド田舎の貧乏王女なんかオレの盾でしかない、弾除けだ、妃を迎えなきゃいけなかったから結婚するだけだって、そう思い込むようになって」

今となってはそういう神の強がりや素直でないところも理解できる。は手を伸ばして彼の頭を抱え込み、頭にキスを落とした。大陸で1番大きな国の王太子様なのだから、きっと立派な王子様に違いないという思い込みがにもあった。

「総隊長たちにも何度もそう言った。しばらくするとそれに合わせてくれるようになったけど」
……ばあやも総隊長もわかってたんだね」
がまた素直に歓迎してくれるから、オレは余計に臍を曲げて」

にやりと笑った神は腕を伸ばしての体をゆったりと抱き締める。

「この間も言ったけど、最初に抱き寄せた時に、いい匂いがしたんだ。それで、また嬉しくなって」
「そういえばしばらく離れなかったね」
……あのままぎゅっとしてたかった。キスもしたかった」
「だから、最初にキスした時、あんな優しいキスだったんだね」

今頃になって照れ始めた神はの胸元で微かに頷いた。

「あんな風に駄々をこねて……それでもがめげないから、もしかしてこれは仲良くなってもいいんだろうかと思ったりもしたけど、今更なんて言えばいいのかもわからなくて。明け方に襲われた時も、とうとう終わりか、だったらと喧嘩なんかしなきゃよかった、あんなキスひとつで終わりかよと思ってた」

の夜着に埋もれていた神の口元がもぞもぞと這い出て、の胸元にそっとキスを落とす。

「そこに飛び込んできてオレの妻だとか言い出すんだもんな……あれは落ちるよ」
「あ、あれは咄嗟に……
「本気じゃなかった?」
「そういうわけじゃ……。だけど私は喧嘩したままでも結婚するんだと思ってたから」

どちらもこの結婚が中止になるとは思わなかった。これは政略ゆえの縁談で、そこに愛情が発生しようがしまいが、成されなければならないことだった。それに対してぐずっていたのが神、立ち向かおうとしたのがだ。

「縁組を受けてくれて嬉しかった。友達になろうって思ってくれて嬉しかった。何度も助けてくれて、あんな優しい国から、こんな面倒くさい国に来てくれて、嬉しい、

政略で一緒になるだけのはずだった。だけど神だけはもう5年も前に始まっていたのだ。その時に芽生えた憧れという名の思慕は途中おかしな方向へ曲がったりしつつも、元の場所へ戻ってきた。神はの頬に静かにキスを落とすと、ゆったりと微笑んだ。

「だから、オレも負けない。ここでふたりで生きていくって、決めたんだ」
「そうだね。結婚がどうとかじゃなくて、一緒にいるために、私も負けない」

どれだけ邪魔をされても絶対に折れたりしない、離れたりしない――気持ちを緩ませる優しいの匂いにそっと目を閉じていた神は、が決意に満ちた目をしていることに気付かなかった。

それから数週間後、結婚式どころではなくなってしまった神陣営対反対派は競技大会での代理戦争にもつれ込んだ。大会が近くなると反対派の声が大きくなってきて、どうやら王太子の結婚に意義を申し立てている王族がいるらしい、という噂はかなり広まっていた。

ナッツと酒のせいだけではあるまいが、南町は当然のようにそれを聞いて顔をしかめ、可愛さより先に「王太子があんなにメロメロなのに……」という神陣営の思惑とはまったく別の方向から同情論が出た。

ある程度の大人であれば、現国王が既に2度王妃を失っているのを知っている。今の王妃は3人目、もちろん愛情ゆえではなく政略だ。南町の人々はその度に新しい王妃の冷静な作り笑顔を遠くから見ていた。

実のところ、最初の王妃である神の母親は国内の家の出であり、それなりに国王と仲が良かった。順調に世継ぎも生まれ、本家は安泰……だったのだが、王妃は息子を守って命を落とした。そういう過去を知る南町の人々は、王太子が好いた相手と一緒になるというんだから、自由にさせてやればいいのに、と考えたようだ。

ともあれ南町は王太子とその婚約者を応援する気になっていたし、王家や上院議員との癒着が薄い富裕層も後々のことを考えると王太子側に付いておきたいという結論に至った者が多かった。数で言えば圧倒的に王太子が有利だ。しかし何しろ反対派には王家と上院議員が多い。

カッとなってしまったの父上は勝負を受けると言って聞かなかったし、これには国王も逃げても何も変わらない、せめて引き分けに持ち込めないといずれにせよ状況は悪化するのでは、という見解を示した。

というわけで総隊長とその部下は王太子に忠実かつ競技大会で勝てそうな人材の勧誘に奔走した。もし特に主義のないものであれば報酬を弾まねばならなかったし、経理担当はまたヒィヒィ言いつつも血眼になってそろばんを弾いていた。反対派も同じように人材確保に走っているし、既に戦争は始まっていた。

何とか人材を確保し、反対派が参加する競技の登録を済ませ、それらの観戦をと神が出来るように準備が全て整ったのは、前日の夜だった。またギリギリだとばあやが愚痴ったように、再度神陣営は疲れ果てて早々に休むことになった。競技大会の朝は早いし、しっかり休まねば。

だが翌朝、静寂の中にあった神の館はばあやの悲鳴で飛び起きた。全員夜着のまま飛び出してきた。

どうした、何があったんだと騒ぐ神陣営を抑えた総隊長は皆を抑えてばあやを宥める。

様が、様がいらっしゃらないんです!」
……いらっしゃらない? どういう意味ですか殿下」

今にも飛び出していってしまいそうなばあやの腕を掴んだ総隊長に問われると、神も真っ青な顔で答えた。

「起きたら、いなかったんだ。どこにも」

神陣営、常に館に詰めている者だけでも約数十人、全員が同じように真っ青な顔になった。