約束の海に

8

挙式披露宴当日に響くといけないからお酒はほどほどに――なんてことを言ったのは、おそらく頼朝だけだったのではないだろうか。しかし清田家の酒宴は前々日、前日、当日、翌日、と実に4日間も続き、のちに頼朝がまとめたところ、自宅に買い込んだ酒代だけで20万円にのぼったそうだ。

さておきと信長の挙式披露宴は良い天気にも恵まれて、葉山のリゾートホテルの一角で和やかに執り行われた。せっかくの挙式披露宴だから髪を切ろうかと言い出した信長だったが、いつも通りがいいというの希望できれいなハーフアップにまとめられていた。

当初……というにはもうあまりに実態のない家ではあるが、側の参列者は母親、祖父母、現在の勤務先の直属の上司だけという状態になっていた。なぜなら現在と親しい友人はほぼ全て元は信長サイドの人間であり、唯一高校時代の繋がりである水戸は仕事が多忙を極めるため出席できないとのことだった。現在寝る間も惜しんで出店準備中。

すると、じゃああたしらの友達で出席する! とミチカを始めとした尊の元カノ3人が鼻息荒く手を挙げてくれた。さらに、同じ理由でエンジュもの友人として出席すると言ってきた。

対する清田家側は、そういうわけで招待客にかなり偏りが出るため、親類縁者を極力抑えて、新九郎と由香里とおばあちゃん、頼朝と尊、ぶーちんとだぁの小山田夫妻、そして現在のチームの監督と沢嶋選手だけ、という非常にプライベートな席となった。

「ずいぶん地味なドレスにしたのねえ」
「えっ、地味!? お母さんそれ何を基準に言ってんの」

花嫁控室、孫育てでやつれた顔をした母親はのドレスをしげしげと眺めて首を傾げた。はブハッと吹き出す。アユルのお姫様ドレスと一緒に考えてはいかん。は色々悩んだ末に、パールとレースがふんだんにあしらわれたエンパイアラインのドレスを選んだ。新郎の背が高いので、長く見えるドレスの中にさらにヒールを履いてふたりで並んだ時のバランスも取りたかった。

ちゃんはしっかりした方だから、落ち着きのあるデザインが本当によくお似合いです」
「それにこの長く引きずる裾がロマンチックですよね。まるで海の波みたい」

横から口を出してきたのは企業の秘書課勤務のマユと料亭勤務のモエ。どちらも見知らぬ他人と円滑に喋るプロだ。さらに後ろから首を突っ込んできたのは現在接客で販売成績社内トップをひた走るエンジュだ。しかもこの3人は見栄えもするから、大抵の人はコロッと騙される。

「お母様こそ、もっと華やかな装いでいらっしゃればよかったのに」
「えっ、いや私は別に、こんな年だし」
「女性が美しく装うのに年齢は関係ありません。ぜひお目にかかりたかったです」
……ずいぶんお上手ですこと」
「社交辞令に聞こえましたか? では、今日は僕にお母様をエスコートさせてください」
「は!?」

の母もそれはそれで目立ちたいとか派手に振る舞いたいという気質ではない。都会で生きることに強い憧れを持つタイプだが、都会で生活をする自分にステータスを感じる傾向があるので、きらびやかなことには執着がない。真顔のエンジュに手を取られて早速籠絡された。

「ねーねーあの色っぽいの何者?」
「信長の大学ん時の同期でさ。私も仲いいんだけど」
「口が上手いけど、ナイト演じてるみたい。のこと好きなんじゃないの」
「好きだと思う」
「あんたウェディングドレス着て何言ってんの?」

コソコソと耳打ちしてきたのはミチカだ。はまた吹き出す。

「本当に好きなのは信長なんだけど、最近は私も好きってよく言うから」
「ああ、そっちなのね。じゃあ、を守ってるってことか」
……たぶん」

現在合コン26連敗を数えるミチカは、マユやモエと違って、関東で言うところのいわゆる「がらっぱち」である。きりりと締め上げたコーンロウにパンツスーツがクールな今日は、大人しくしているつもりなのだろうか。さっきからずっと囁き声だ。

……はさ、たくさん大変なことあったけど、色んな人に愛されてるよね」

それは、いつでも正直なミチカの嫉妬や僻みを含んだ言葉だった。はミチカの手を取る。

「だからそれを返していこうと思ってるよ」
「誰に? 信長?」
「ううん、誰にでも」
「あたしも?」
「もちろん」
「あたしも愛してくれんの?」
「もう愛してるけど。チュカのこと大好きだもん」

が母親との間に長く遺恨を抱えていることを知るマユとモエとエンジュが助け舟を出している背後で、朝からずっと静かにしていたミチカのハスキーな泣き声がワッと上がり、マユとモエが驚いて飛び上がった。あいつ何やってんだ!

「何やってんの!」
「ごめん……なんか泣かせちゃった」
「うえええあたしものこと好きいいい」
「お前まだ酒飲んでないよな?」
「ごめん、こいつ落ち着かせてくるわ」

泣きじゃくるミチカを連れてモエが出ていってしまうと、マユはわざとらしくため息を付いた。

「チュカと違って……ママさんは素直じゃないね」
「想像してた未来が全部壊れて、新しく作り直そうとしたんだけど、私が言うこと聞かなかったから」
「それはしゃーない。子供は親の道具じゃないもん」
「だからいいの。こうして近くにいてくれる人たちに色々返していければ」

冠婚葬祭慣れてます、というのがモロに装いに出ているマユはプリンセスラインのパーティドレスで首を傾げた。色からアクセサリーからメイクから、全て「招待客」として完璧。

「私も結婚式出る機会多いけど、あんたほど『主人公』感のない新婦初めて見たわ」
「そうかな」
「だって、今日はどういう日なの? あんたにとって」

マユはニヤリと頬を釣り上げて腕を組んだ。

「うーん、みんなのおかげでやっとここまで来れました、夢が叶いました、こんな風に結婚できましたって、みんなに見てもらって、美味しいお食事してもらって、それで、私たちこれからも頑張るので、みなさんにお返しできるようにしたいので、今後もよろしくお願いします、って、改まって言うというか、見せるというか、そういう感じ」

マユはケタケタと笑ってのヴェールを指で弾いた。

「だからミチカが泣いたのか。なるほどね」
……だって、ひとりきりじゃ、無理だったんだもん」
……そうだね」
「あそこにいるエンジュとか、おじいちゃんおばあちゃんとか、マユたちだって」

つい喉を詰まらせたの背をマユが優しく撫でる。

「いいの、一生に一度の結婚式、お姫様にならなくても」
「いいの。自由な町娘の方が好きなの」

そしては口に手を立ててマユに囁いた。

「それに、信長とふたりになればいつでもお姫様になれるから、それでいいの」

お前腹立つー! と言いながら抱きついてきたマユを、はぎゅっと抱き締めた。

さて、いわゆる「人前式」スタイルの挙式披露宴だったわけだが、新婦がヴァージンロードを通って新郎のところまで歩いて行くというスタイルだけは拝借し、ヴェールを下ろしたのエスコートをしたのはおじいちゃんであった。

の希望ではユキにリングボーイをやってほしかったのだが、ユキ自身が高齢で役目をこなせそうにないことと、犬を連れた挙式ができる会場にちょうどいいところがなかったので、これだけは断念せざるをえなかった。

そして親しい人々の前で永遠の愛を誓う……という演出はよかったのだが、この時既に新九郎とぶーちんとエンジュとミチカが号泣、誓いのキスの段階になってつられた両方のおばあちゃんとマユとモエも泣くという参列者席であった。

新郎と新婦は涙に暮れるよりは嬉しさの方が勝っていて、誓いのキスの後に思わずを抱き締めてしまった信長だったが、それは拍手でもって迎えられ、また参列者の涙を誘った。

さらに披露宴では、エンジュに引き合わされた沢嶋サムライが初めて同類と知り合ったり、そうとは知らない由香里が間近で見るサムライに大興奮だったり、なんだかそれぞれ親しげな参列者の中での上司だけがポツンとしてしまい、それに気付いた頼朝が声をかけて自宅のリフォーム相談を取り付けるなど、大変盛り上がった。

ひとり遠方のの母親は披露宴のお開きを持ってとんぼ返りだが、つきっきりでエンジュにエスコートされ、尊にも沢嶋サムライにも接待されて強制的に緩まされ、もうドレスを脱がねばならないという頃になってやっと一緒に写真が撮りたいと言い出した。

……おじいちゃんも言ってるけど、あんたはもう心配、ないわね」
「まあ、今はお母さんの方が心配事だらけだもんね」
「乗りかかった船だもの。責任持ってやり遂げるわよ」
「早い孫だったもんね〜」

イヒヒ、と笑ったに、母は少しためらってから言った。

……あなたにももし、子供が出来たら、その時は抱っこ、させてくれる?」

他にも言いたいことがありそうだったけれど、きっと彼女にとってもそれが精一杯だったんだろう。もそれをほじくり返したいとは思わない。道を違えた以上、深追いをしても互いが傷つくだけだから。はもちろん、と頷いて母の痩せた背中をぎゅっと抱き締めた。

そしての母は婿殿のヘルプコールに追い立てられるようにして帰っていった。

一方、前日前々日と酒盛りを繰り返していた清田家はこの日も大宴会。気分がいいし、急ぎ帰る用もないおじいちゃんとおばあちゃんが滞在を延長とする言い出し、上機嫌の新九郎が誰でも来いというので招待されなかった親しい人々や、ぶーちんとだぁ夫婦やエンジュ、ミチカたちも清田家に乱入、遅れて沢嶋選手まで来たものだから、当日と翌日の清田家は1日中酒を飲んでいた。

ドレスを脱いだはもはや新婦ではなく清田家の嫁、信長がおっさんらの接待を一手に引き受けてくれたので、由香里やぶーちんとともにキッチンで細々と働いたり、次々とやって来る清田家関係者に挨拶をして回っていた。

そうして23時、結局エンジュと沢嶋選手、マユとモエが酔い潰れてお泊りになってしまった。まあ、部屋数だけはあるし、何ならマユとモエは尊の部屋でもよかろう。困ることはない。

ソファセットやダイニングテーブルを取っ払って即席の宴会場になっていた清田家リビングでは、新郎新婦、由香里、そして頼朝と尊がげっそりしていた。楽しい席には違いないのだが、それでも早朝から長丁場なので疲れた。既に新九郎は犬たちと一緒にぐっすりである。

「いやあ、いいお式でしたね」
「お兄ちゃん顔が死んでる、やり直し」
も目の下クマが出来てるよ〜」
「みこっさん私が妹になった途端デリカシーがなくなったよね」
「何言ってんの、お式自体はよかったじゃないの。あんただって営業なんかしちゃって」
「はいはい、全員水飲もうね〜親父は明日二日酔いだろうけど〜」

信長がキッチンから水を発掘してきて全員のグラスに注ぐ。今日の癖で、そのまま乾杯。

「でもどうでした、お姫様? 結婚式、楽しかった?」
「そりゃもう、楽しかったよ。ドレスも気に入ったものを着られたし、ほんとに楽しかった」
「一生に一度のことだからな。後悔がないようにやらないと後でつらいよな」

兄ふたりに挟まれたは水を飲みながらへらへらと笑った。清田家で暮らし始めてから早数ヶ月、遠い日にそれぞれとこじれたことなど幻だったかのようにと兄ふたりは「兄妹」になった。それを眺めていた由香里が水を飲み干して大きく息を吐く。

「なんだか、信長が結婚したって気がしないのよねえ」
「ま、同居だからなあ。オレは大学出てからずっとここにいるし」
「そうじゃなくて、最初から男の子3人と女の子ひとりの4人きょうだいみたいな感じがしちゃって」

そんなことを言ったらのお母さんに申し訳ないし、自分の息子がそんな風に言われたら複雑に決まってるのに、どうしてもそんな風に思っちゃうの、と由香里は赤い頬で告白した。きっとそれは、新九郎も同じだったのではないだろうか。

そして、唐突に目を潤ませた。

「どうしても、自分の娘が帰ってきたみたいな感じが、しちゃうのよ〜」

酒も入っているし、特別な日だ。気持ちが盛り上がって言わずにいられなかったんだろう。

「こんなこと思ってたら罰が当たるってずっと自分に言い聞かせてきたんだけど、それでもダメだったのよ、信長がコマによく似た女の子を連れてきて、あらーなんかいい子だわーと思ってたら、いつの間にか、自分の子みたいに、感じて来ちゃって、何とか力になりたくて」

は水を飲み干すと、由香里の前に進み出て彼女の両手を取った。

「ありがとね、ゆかりん。でも一応私を生んでくれた母親はひとりだから、今日だけね」

そして由香里をぎゅっと抱き締めて、嬉しそうに鼻を鳴らした。

「ただいま、お母さん」

うええええと顔をクシャクシャにして泣く由香里に、息子3人は思わず吹き出し、泣き笑いのふたりを3人で抱きかかえた。今のところ頼朝も尊も信長とも、この家を出て行くつもりがない。半永久的に、一緒に暮らしていく家族になったのだ。

いつか、が父を亡くして苦しい戦いの入り口に立ったその日の夜、このリビングで尊は「ちゃんがノブと結婚してくれたらいいんじゃないの」と言って笑った。新九郎も由香里も頼朝もまさかと言いつつ頬が緩んでいた。だがそのまさかは現実になった。

「そしたら家族だ。ずーっと一緒にいられるね」 そして、その通りに。

通常であれば清田家の朝食は6時と決まっている。これが崩れたのはもう20年も前に一度だけ、新九郎の父親、信長の祖父が亡くなった時は6時に一斉に朝食、とはいかなかった。そういうわけで、朝6時になっても朝食が勢揃いしていない清田家は久しぶりだった。何しろダイニングテーブルがない。

前夜は全員酒が進み、比較的軽症だったに信長、頼朝と尊と由香里にしても、酒量が他より軽かった分、キッチンで忙しく働いていたりなどでぐったりと疲れていた。その上泥酔してお泊りになった友人たちを運んだりしていて、やっと休めたのは深夜2時を過ぎていた。

しかしそんな状態でも再度宴会する気満々であった。

……全員酒が抜けてないわね」
……しょうがないだろ、あの時間まで飲んでて」
「背に腹は代えられないわね。運転代行頼みましょ」

朝8時頃になって呻きながら起き出してきた由香里が冷蔵庫を開けると、すっからかんだった。そして、呆れた声の頼朝も含め、現在清田家に滞在中の誰ひとりとして運転できる状態になかった。大あくびの由香里は新九郎がよく世話になる運転代行に連絡をして、とふたり、買い出しに出かけた。

その間頼朝と新九郎が犬の散歩に行き、尊と信長は泥酔お泊りの友人たちと、のおじいちゃんおばあちゃんに声をかけたり、あれこれと面倒を見ていた。清田のおばあちゃんは本日デイサービスなので、それも送り出す。

買い出しから戻ったと由香里がキッチンに立つと、昨夜泥酔して潰れていたのおばあちゃんとエンジュが手伝うとやってきて、また宴会の準備が進んでいく。

さらに午前中だと言うのに「昨日ノブの結婚式だったんだって〜?」と清田家に関わりのある人々が続々とやって来た。こちらは昨夜気持ちよく泥酔して潰れてしまったマユとモエと沢嶋選手が進んで接待しはじめ、またリビングが騒がしくなってきた。

「マユ、モエ、仕事大丈夫なの」
「私は休み取ってあるもーん」
「てか、忘れてるだろうけど今日は日曜です」

はたと顔を見合わせたと由香里は、ああなるほど、と言いたげに頷いた。通りで平日なら仕事をしている人たちが午前中から続々とやってくるわけだ。昼が近くなるとまたリビングにはテーブルを埋め尽くす料理と酒が並び、昨日たっぷり飲んで帰ったぶーちんとだぁやミチカもまたやって来た。

それぞれのグラスに酒がなみなみと注がれれば、準備は完了である。新九郎が音頭を取る。

「それでは皆様、改めて信長との結婚を祝しまして! 皆様への感謝とともに!」

日曜の清田家、大勢の他人がひしめくリビングに、乾杯の声が朗々と響き渡った。

END