約束の海に

5

「ですからそのー、別にうちの看板プレイヤーがゲイだからってオレは何も思うことはないわけですよ。てか今年契約更改せずに帰国しちゃったジョージもゲイだったし、サムライがゲイでも何も思わないわけですよ。だけどね、それを『初めて他人に話した』とか言われるとですね、荷が重い!」

こっそりマリエ騒動の報告のつもりが、チーム内で1・2の人気を誇る先輩選手から未だどこにもカミングアウトしていない秘密をポロッと漏らされてしまった信長は、ミチカと飲んでいるであろうに助けを求め、結局アパートに転がり込んできた。

の方もミチカの目的はマリエ騒動の件だったので、そこで切り上げて帰ってきた。

「本当に誰にもカミングアウトしてなかったっていうの?」
「それがさ、沢嶋さん、『受け』なんだって言うんだよ」
「エンジュと同じ」
「だけどさ、あだ名はサムライで、頼れる看板プレイヤーで、身長は192あるんだよ」

は力なく相槌を打った。公的な自分のイメージと真実の自分がかけ離れてしまって、言うに言えない状況に陥っているんだろう。しかも現在プリンスと並んでチームの顔のようになっている。カミングアウトは怖いに違いない。

「そんなこと気にするなって言うのは簡単だけど、本人はしんどいよね、それじゃ」
「その上母子家庭でひとりっ子でご近所の期待を一身に背負ってチームに」
「それは……しんどい……
「という話を知っているのはこの世でオレとお前だけ」
「おっ、重い!」
、重い荷物はふたりで分かち合っていこうな」

既に床にぺしゃりと潰れていた信長に倣い、もばったりと倒れた。サムライの境遇には同情するが、そんな秘話を預かるにはまだ修行が足りない。そんな話聞いちゃってどうしたらいいの。何もしなくてもいいんだろうけど、それもなんかモヤモヤしない!?

そういうわけで、重い荷物をふたりで持とうとしたら荷が転がり落ちてしまったと信長は、それから数日後にサムライこと沢嶋選手をアパートに招くことになってしまったのである。

身近に本当の自分を受け入れてくれそうなカップルを見つけたと思ったか、以後急に親しく声をかけてくれるようになってしまったサムライを哀れに感じてしまい、つい彼女ん家だけどよかったらどうですかと言ってしまった。それも何だか上から目線みたいでどうなんだと直後に反省した信長だったが、意外にもサムライは喜んでOKしてくれた。

なあ……なんかオレたち新九郎と由香里みたいになってねえか……? と信長は半笑い。古橋兄妹の言動に耐えかねてエンジュの住まいに突撃した時は、確かに両親のような夫婦になりたいと思ったはずなのだが、改めてそういう自分たちを目の当たりにすると少し心に刺さる。

そしてのアパートにやって来たサムライは、玄関先で始めましての挨拶が済むと、お招きありがとうございますと頭を下げて、に手土産のケーキとシャンパンとフルーツの盛り合わせと花束を差し出してきた。やりすぎ!

「すみません、どうにもはしゃいでしまって。こんなことありえないと思っていたので」
「と、とんでもないです、こちらこそこんな狭いところに」
「外だと声を潜めなきゃならないと気を遣ってくださったんですよね?」
「そそそ、そうなんです、気兼ねなくお話ができればと!」
さん、お名前はさんでしたよね、本当にありがとうございます」

両手にケーキとシャンパンとフルーツの盛り合わせと花束のは目が泳いでいる。チームのスター選手が、寡黙でストイックで馴れ合いを好まない武士道アスリートの沢嶋が、こともあろうに自分のアパートでにこにこ満面の笑みだ。一方の信長はやっぱり目が泳いでいて笑顔が不自然だ。

着実に由香里化が進行中のはテーブルに料理をいっぱい並べていて、酒も取り揃えて準備をしていた。それを見たサムライはまた歓声を上げ、最近あまり実家に帰っていないから、こんなに嬉しいもてなしはないとベタ褒め。後輩夫婦(予定)は余計緊張してくる。

しかしサムライは本当に嬉しそうだ。の用意した料理を遠慮せずにパクパク食べ、酒も飲み、目に見えて緊張しているふたりにどうか無礼講で、と笑いかけた。

「友達がいないわけじゃないんだけど、親しい人はみんな体育会系で」
「それは……そうですよね、プロにまでなったんですし、お忙しかったのでは」
「それに、本当の自分を悟られまいとして身構えすぎたせいで変にキャラクターを作ってしまって」

例えばそれはセクシャルマイノリティでなかったとしても、本当の自分を表に出せずにいることは息苦しいだけではなかろうか。本当は違うんだと言いたくても、その一言が自分の世界を粉々に砕いてしまうかもしれない。本当の自分と引き換えにたくさんのものを失うかもしれない。

……ケーキも、好きなんです。だけど、一ノ瀬なら言えても、オレはマズいだろうって気がして」

一ノ瀬さんは例のプリンスだ。なぜかには敬語を使うサムライは、少し頬がピンク色に染まっている。そこに寡黙でストイックで馴れ合いを好まないサムライの姿はない。

「信長が彼女がいることを隠さないのを前からすごいなと思ってて、だけど自分には真似できそうもないし、その信長の彼女さんがファンの間で噂になっちゃってるって小耳に挟んだもんだから、気になって声かけただけだったんだけど……ゲイとか、気にするようなことかなって、言われて」

自分自身カミングアウトする気も出来る環境にもなかった沢嶋選手に、突然降って湧いた「気にするようなことすかね?」だったようだ。信長がきょとんとした顔でさも当然のように言うものだから、ついぽろっと言いたくなってしまったんだろう。本当の自分を。

……沢嶋さん、本当は公にカミングアウト、したいんすか?」
「いや、そんな熱意はないよ。誰かれ構わず知ってほしいわけじゃないんだ」

それを嗅ぎ取ったからこその信長の問いかけだった。本当の自分をさらけ出せるのは嬉しい。だけど見ず知らずの人にまで「オレはセクシャルマイノリティなんです!」と宣言したいとは思わない。ただ初めて本当の自分を見せても何も思わない人が近くに現れて、嬉しくなってしまっただけだった。

「このことは母親も知らないんだ。こういうのって上手く行かないよな、母親とオレはもう20年近くふたりきりの親子だったけど、あの人は息子がモテるかどうかが気になって仕方ないって人で、バレンタインチョコが10個突破した時はよくやった! って背中を叩かれたくらいで、もしこれでオレが女が好きで信長みたいに早々に結婚したい女の子を連れてきたりしたら、大喜びしたと思うんだ」

いっそ息子を溺愛していて、他の女にとられるくらいなら一生独身でいてほしいと願うような母であったら――沢嶋選手の優しげな言葉の裏にそんな景色が見えてしまったと信長は肩を落とした。

本当の自分を隠すな、自分に正直でいることは恥ずかしいことでも何でもない、全て混ざりあい、どんなものも区別差別されることなく陽の光の中で生きていこう! そう言うのは簡単だ。だが、こうして沢嶋選手のように、可能な限り隠れていたいと願うケースもあるわけで。

「あの、沢嶋さん」
「はい、何でしょう」
「もし、ケーキが食べたくなったら、いつでもいらしてください」

ぼそりと言うに、信長もカクカクと頷く。これじゃまるで新九郎と由香里だなどと苦笑いしていたけれど、そんなこともう構うもんか。

「こんな、狭いアパートですけど、誰も、見てないので」

真顔で固まっていた沢嶋選手は、そう言われると柔和な笑顔でこっくりと頷いた。

「ありがとうございます。ぜひ、そうさせてください」

気持ちが緩んだのか、沢嶋選手は思う存分飲み食いし、手土産のケーキ、フルーツがたっぷりのデコレーションケーキも半分くらい食べてしまい、と信長の馴れ初めから今に至るまでを聞きたがり、聞いたら聞いたで怒ったり感心したり考察してみたりと、陽気な人になってしまった。

そして日付が変わる頃になってようやくタクシーで帰っていった。

色んな意味で疲れたと信長は片付けを明日に持ち越してベッドでぐったりしていた。緊張がなかなか取れなかったし、いくら無礼講でと言われてもチームのスター選手だし、どこまで砕けていいかの判断に迷い、気力をゴリゴリと削られた。

「なんか、可愛い人だね、沢嶋さん」
「ついこの間までは怖い人だったんだけどな……
「どっちも本当の沢嶋さんなんだろうけど、私、ケーキ食べてる沢嶋さんも好きだな」
……こういうのって、声を上げる勇気とかそういう問題じゃないよな」
「受け入れられる土台がないと、無理だよね」

エンジュというオープンな友人がいるせいで気にしたことがなかったけれど、普段の厳格そのものなサムライとケーキ食べてるニコニコ顔の沢嶋選手の落差にも胸が痛む。というか自分たちの周囲にはこうした繊細なタイプが少ないので、後輩ながら守ってやりたい気持ちにさせられる。

新九郎と由香里化激しい夫婦(予定)はまた手を取り合い、重い瞼の裏で同じことを考えていた。障害は乗り越えてこそ美談が世の習いだが、ブレイクスルーも楽じゃない。自分たちがそういう土台になれたら、せめて身近な人が憩えるような存在であれたら――

プロポーズどころか、現実的な問題とリトルモンスターと覚悟の日々で精一杯だった信長とは、そういう些細なトラブルで毎日を消費するばかりで、準備は抜かりなく万端整えたい由香里と、の嫁入りと同時に実家に戻りたい尊だけがやきもきしていた。

あれ以後2度ほど沢嶋サムライはケーキを手に信長にくっついてやって来ては、まだまだ緊張の残る信長よりと会話を楽しむようになり、ピュア過ぎるエンジュがもう一人増えたような状況。

そしてミチカによれば、相変わらずマリエと思しき女性が清田選手の婚約者では? という噂が独り歩きしていた。それにはと信長のこれまでの話を聞き知った沢嶋選手が余計に心配をしていたが、一応マリエ自身は何も行動に移るようなことはなく、妙な静けさが続いていた。

これにエンジュは、たぶんシーズン始まったらそうはいかないと思うと予測していて、静観を決め込むのもいいけれど、信長がさっさとプロポーズすればいいのに、とに憤慨していた。

だが、そういうおかしな人をきっかけにプロポーズというのも何となくかっこつかない。

これは主に信長の考えだが、ニセモノが現れたので誤解が進む前に結婚しちゃいましょう! というのは、自分たちの本意ではない気がしたのだ。もうお互いに問題は何も残されていない、プロポーズするだけ、計画的に予定を立ててたくさんの面倒くさいことを片付けていくだけ。

だけど、タイミングが見つからない。

何が何でもドラマチックなきっかけがほしいわけではなかったけれど、日常の中でふたりで過ごす時間が増えるにつけ、よし、この日に言おう! という理由付けが見つからなくなっていた。

そんなシーズン開幕が近付いてきた頃のことである。例のスポーツ番組のコーナーの収録と、公開練習と、ついでに人気投票の結果発表が行われることになった。観客もそこそこ入っていて、ローカル局のアナウンサーがパネルと共にやって来た。

練習も見学できるが、収録の方も観られるとあって、この日の入場は抽選、日曜なので子供が多く、全体では半分以上が家族連れといった客層の中での収録だった。

……信長、ちゃん来てないのか」
「抽選ハズレたんすよ」
「初めての人気投票なんだから、見せてあげたかったな」
「いやー、ははは、5位以内に引っかかればいいね〜とか言っ――

近くにいたのでコソコソと声をかけてきた沢嶋選手とそんなことを言いながら、苦笑いで観客席をぐるりと眺め回したときのことである。信長はちらちらと手を振る女性に気付いて言葉を切った。

……どうした」
「えーっとーあのー例の古橋さんの、誤解の子がですね……

どうやら抽選に当たってしまったようだ。古橋兄妹が揃ってにこやかに手を降っている。

だけでなく、彼女たちの周辺の人々はそんな兄妹をちらちらと見ては、手を口元に添えて何やらこそこそと囁き交わしている。よもや、ねえねえあれってSNSで噂になってる清田の婚約者とかいう人じゃないの? えー、こんなとこにも来ちゃうんだー! なんてことではあるまいな。

「手を振り返すなよ。古橋に何か言われたらオレが言ってやるから」
「す、すんません……
「気にするな。ちゃんを知っていてあれじゃいずれ増長する」

のアパートでにこにこケーキを食べている沢嶋選手ではなかった。寡黙でストイックで自分にも他人にも厳しいザ・サムライの顔をしていた。そんな空気の中で収録が開始、普段このミニコーナーと言えば信長となりつつあるので、隠れているわけにもいかない。

馴染みのローカル局のアナウンサー、彼も県内の高校で競技に明け暮れた人物で、年の頃は信長より少し上。話は早いし、地元っ子ノリでトークが出来るのでコーナーの収録は盛り上がる。シーズン開幕が近い都合もあり、1ヶ月分をまとめて収録なので人気投票結果発表は最後。

子供がたくさん見守る中、イジりイジられボケてツッコんで、というバラエティ番組のような内容では信長は強すぎる。好き放題べらべら喋ってはプリンスやキャプテンに突っ込まれる彼を、観客は笑って見ていた。チームの中で信長のキャラクターが完成しつつあった。

「さてでは、いいですか? 5人しか発表になりませんけど、心の準備はよろしいですか?」

パネルにはでかでかとチームロゴに加えて人気投票結果発表と書かれていて、1位から5位までの枠がシールで隠されている。ベタだがそれを5位から剥がしていく発表スタイルらしい。ちゃんとドラムロールも入れて、アナウンサーは5位をめくる。今年3年目の外国人選手。湧き上がる歓声。

しかしこの外国人選手、現在チームの得点源であり、去年も一昨年も最多得点選手であった。当然人気も高い。それが5位となると、あとにキャプテンとプリンスとサムライがいて、4位に入れるもんだろうか――。信長はそれには自信を持てないでいた。

実のところ、自分のバスケット人生、「1番」にはあまり縁がなかった。

海南は確かに神奈川の頂点だった。そのチームに選ばれたトップ選手のはずだった。けれど、あの頃信長世代には化物のような選手がうようよしていて、海南の主将を恙無く務めはしたけれど、それでも自分が「頂点」をひた走っていたとは思えない。

10代の頃なら、「それが何だよ! そんなんお前らが見る目ねーからだろ! ナンバーワンはオレ!」と自信満々で言えたことだろう。しかしそれは近くて遠い、過去の話になってしまった。心のどこかで、引退までには一度、5位以内に入れたらな――という弱気な声が聞こえていた。

4位がめくられる。体育館に悲鳴とどよめきが起こる。なんと、プリンスだった。

「一ノ瀬選手、番組での予想では1位だったんですよ!?」
「いや、オレたちもそう思ってました。えっ、マジですか?」

思わず声が高くなるアナウンサーに、キャプテンも真顔だ。プリンス一ノ瀬はそれでも笑顔で手を降っているけれど、頬のあたりが強張っている。彼はキラキラプリンスだが、チームでも1・2を争うほどの負けず嫌いである。続けて3位、ここにキャプテンが入った。

歓声は湧くが、しかし、ということはサムライともうひとりが1位と2位。妙な緊張が走る。

「予想では一ノ瀬選手が1位、沢嶋選手が2位、キャプテンが3位ということだったんですが、キャプテンが3位という点では予想通りという結果になりましたが、上位が見えなくなってきましたね。ではそうですね、はい、1位と2位、同時にめくっちゃいましょうか」

番組が分析するまでもなく、誰でもその順位を予想していた。だからこそ4位5位が気になっていたわけだが、プリンスが4位に入ったことでランキングが全く見えなくなってしまった。しかもプリンスがトップ3に入らなかったので、スペシャルファンミーティングに彼は参加しない。

「では、いきましょうか、栄えある人気投票1位、そして2位は!」

長めのドラムロールが止まった瞬間、マイクを小脇に抱えたアナウンサーの両手がシールにかかる。観客は身を乗り出して結果のパネルを覗き込んでいる。そして、一気に剥がす。

場内は割れんばかりの大歓声、どよめきと笑い声とが入り混じって大騒ぎだ。

2位には沢嶋選手、そして、1位に、清田信長の名があった。