恋愛エクスペリエンス

02

「ええと、よくわからないんだけど、要はどっちも全国制覇はできなかったわけね」
「まあ身も蓋もない言い方をすればそういうことになる」

8月に入ってすぐ、幼馴染経由でインターハイの詳細をが連絡してきた。だが、緒方は短い合宿が終わったので、自宅でだらだらしており、の説明もあまり頭に入らない。細かいことはともかく、湘北の柔道部もバスケット部も、とりあえず優勝はしなかった。

もこれでやっと例の元ヤンくんとちゃんと話が出来るんだっけー」
「寿くんね。でもまだ引退しないらしいからなあ。せめて公ちゃんとは話したいんだけど」

1対1である緒方と違って、の場合は「彼氏と隣の家の幼馴染がチームメイトで付き合ってることを隠している」という面倒くさい状況にあるらしい。話を聞いている分には面白いが、自分だったらご免蒙りたい展開だなと緒方は思う。

「でもね、今年は夏祭り一緒に行ってくれるっていうからさ」
「へえ、あんたも見られてもいいの?」
「うん、別に今は見られて困ることもないし、寿くんかっこいいから大丈夫」
「お前ほんとにか?」

岡崎もそうだが、緒方ものダーリン「寿くん」には大いに興味をそそられている。翔陽男子が1年以上100人近くかかっても陥落させられなかったを、湘北でヤンキーという呪い装備で落としたのだから、これは気になる。はことあるごとにかっこいいと言うが、それもどうだか。

「でも龍っちゃんは引退かあ。寿くんも引退ならみんなで遊びとか行けたかもなのにね」
「嫌がりそうじゃない?」

なんだかはとても浮かれている。それほど夏祭りが嬉しいのだろうか。緒方も岡崎も詳しいことはまだ何も聞かされていないのだが、どうやらと寿くんの恋は1年生の時には始まっていたらしい。それがようやく実を結んだということのようなので、浮かれるのも無理はない。

しかしそれでも、まだ緒方には恋愛に夢中になる感覚はよくわからない。人を好きになることがわからないわけじゃない。誰かと付き合うということになり、それを自分の生活とどう折り合わせていくのかがまずよくわからないし、学校と部活と彼氏、それは均等なバランスで成り立つのか、少々疑問だった。

その上、早々に翔陽男子と付き合いだしたアナソフィアの同級生など見ていると、なんだかみんな口を開けば文句を言っていて、本当に相手が好きなのか疑わしい。しかも内容は、何かを「してくれない」というのがほとんど。その度に緒方はお前ら何様だよと思うのだが、自分も誰かと付き合ったらそんな風に感じるのだろうか。

そのくせイベントだけはものすごい力の入れようで、緒方にはそれもよくわからない。つい先月も七夕だと言って一部が騒いでいた。七夕はカップルあんまり関係ないだろうがと思ったが、平塚に行くのだとわかると、やっぱり七夕関係なく遊びに行きたいだけじゃないかと思ってげんなりした。

特に緒方の場合、いつも近くにいるのがアナソフィアの革命児と永遠のおじさま愛の岡崎なので、余計に感覚が鈍る。は寿くんとやらを一途に待っているし、岡崎は自己の性癖を甘んじて受け入れているらしく、最近では彼氏を作るという概念から脱却しようと試みているのだとか。

自分でもこのテンションの低さはどうだろうと思うのだが、青田をいい人だなと思う一方で、自分の周囲にいるアナソフィア女子たちのような恋愛ならしたくないと思う。誰もが皆「恋愛ってこういうもの」と決め付けている。そうじゃない形があったらいけないんだろうか。

青田を好きとまでは思わないけれど、同様、へらへら笑いながら擦り寄ってくる翔陽男子よりはよっぽどいいと思う。だけど、あの青田を相手にその辺の女友達のような恋愛をしなきゃならないのなら、自分は彼氏なんかいらない。自分のスタイルを曲げなきゃ恋愛できないなら、それも一生いらない。

青田はどうなんだろう? との通話を終えた緒方は、携帯のモニタに目を落としながら呟いた。

「夏祭り、かあ」

インターハイから帰ってきた青田の元に緒方から電話がかかってきたのは、お盆休みに入る直前のことだった。

「え。夏祭りってあの川沿いの、ですか」
「そうです。もしお約束とかなかったらどうですか?」

少しに触発されたなと思いつつ、緒方は青田を誘っている。追試のお礼をしたいと言っていたし、あまり大袈裟に考えて欲しくはなかったので、一緒に祭でも行ってりんご飴でも奢ってもらえればそれで済むのではないかという思惑もあった。

それは青田の方も同じで、追試の勉強を見てもらったお礼をするのにいいチャンスだとは思った。だが、

「緒方さんこそ約束ないんですか。とか……
「あれっ、聞いたことないですか? 私たち以前浴衣で出かけて警察沙汰になったので、女の子だけではちょっと」
「けっ、警察沙汰ですか!?」

それも中学1年の時だ。また緒方にに岡崎という特に目立つ3人組で固まって繰り出してしまったせいで、えらいことになった。中高生に絡まれているうちはまだよかったのだが、最終的に捕まった数人の様子がおかしくて、警察に助けてもらったのだが、おかしいのも当然、薬物を使用していた。

「だけど緒方さんたちは何も――
「もちろんそうです。だけど呼び出されて知り合いなのかとか取調べみたいなことされて」
「アナソフィアでそれはマズいのでは」
「だから大変でした。面倒なのでもう女の子だけで祭には行きませんと言って終わりにしましたけど」
「えっ、じゃあ」
「はい、青田さんがお約束があれば行きませんよ。でもそれはいつものことですし、弟と行ってもいいので」

実際のところ、姉の緒方がこのイケメン女子ぶりなので、弟の方もそれはそれはモテる。現在中3だが、夏祭りは彼女と行くことになっている。だから、青田に断られれば、今年も緒方は夏祭りには行かない。どうしても行きたければ、メイン会場のダンスバトルに出場するダンス部にくっついて行くくらいしか方法がない。

青田は迷った。小学生の頃から片思いし続けている赤木の妹への気持ちは未だにある。そんなものを抱えて、緒方と夏祭りなんか行っていいんだろうか。緒方に失礼だし、晴子への思いを断ち切れないのにぐらついている自分に嫌気が差す。

それに――緒方はあまりにきれいなので、自分なんかでいいんだろうかと思う。からスカウトされたことがあると聞いていたが、本当にファッションモデルになれるんじゃないかというくらい、緒方はきれいな人だった。そんな人なら、他にもっとかっこいい男がいるだろうに。

なのになぜ彼女はオレなんかを誘ってくるんだろう。

だが、そこにたどり着いた青田はひとつの仮説に行き着く。部活が忙しい緒方は特定の彼氏など持たないだろう、だけど緒方も17歳の高校生、夏祭りくらい行きたいに違いない、けれど美しい緒方には護衛がいる。自分なら護衛という点ではぴったりなんだろう。そうだ、それならわかる。

そう、別に緒方は自分に対して好意など持ち合わせていないのだから、赤木の妹への思いを抱えたままでもいいんだ。ナンパ避けの護衛でいい。それなら何も問題ない。美しいが故に夏祭りすら楽しめない緒方が可哀想だから、追試の時のお礼の意味も込めて。

「いえ、約束はないです。その、オレでいいんでしたら」
「ほんとですかー。もちろんですよ、だからお電話したので。じゃあ時間とか、前日までにまた連絡しますね」

緒方の嬉しそうな声に胸が痛んだ。

夏祭りの日の夕方、少し早めに待ち合わせ場所に着いてしまった青田は、まだ胸の痛む思いでひとり佇んでいた。赤木の妹、晴子のことはずっと好きなのだが、湘北の決勝リーグ最終戦以来顔も見ていない。あれは6月のことで、今はもう8月の半ば。噂によれば、とうとうバスケット部のマネージャーになるとかならないとか。

兄の赤木とは小学校からずっと一緒で、なんだかんだ言っても親友と呼べる間柄だとは思っている。しかし、晴子の方は距離が縮まらないままどんどん遠ざかっていくような気がする。晴子自身はバスケット部のエースのファンだというし、柔道部に勧誘できなかった1年も晴子のためにバスケット部に入ったというし……

晴子を中心に考えると、青田はひとりだけ輪の外へ放り出されたような気になる。

晴子への恋心は誓っていい加減なものではないし、充分に本気だったはずだ。だけど、青天の霹靂で目の前に現れた緒方は、その心をぐらぐらと揺さぶってくる。いつまで経っても晴子と緒方の間ではっきりしない自分を持て余す。ああ、どうしてこう、情けないんだ――

「こんにちはー! 今日も暑いですね!」

ぐずぐずと考え込んでいた青田の右側から突き抜けるような声が聞こえてきた。緒方だ。さすがに演劇部、声の通りがいい。慌てて顔を上げた青田は、ぎくりと体を強張らせて固まった。緒方は紺地に白抜きの藤柄の浴衣を着ていた。縦長の柄が長身の緒方によく似合う。

青田の目では気付かないくらいの薄化粧に、艶やかな髪、暑いと言いながら汗ひとつかいていないような首筋がまるで作り物のようだった。そして改めて、なぜ自分はこんなところでこんなきれいな人と待ち合わせているんだろう、と思う。

「青田さん?」
「えっ、ああ、ほんと、暑いですね。浴衣、お似合いですね」
「ほんとですかー! ありがとうございます! 下ろしたてなんですよー」

また青田は胸の辺りがぎくりと跳ねたように感じる。まさか今日のために買ってきたのか? いやそんなわけがあるまい、美しいが故に夏祭りも気軽に出かけられないせいで浴衣を着る機会がなかっただけだ。

「ああでも本当に私夏祭り4年ぶりです。付き合って下さって嬉しいです」
「いやいやそんな、そう、追試の時は本当にお世話になったので……
「ああ、そういえばインターハイ、残念でしたね。3年間お疲れ様でした」

軽く頭を下げる緒方の前髪がさらりと落ち、夕日を受けて輝く。その姿がまた古い映画の中のワンシーンのようで、もうどうしたらいいかわからない。こんなきれいな女の子がそばにいてくれたら嬉しいに決まってる。だけど逃げたい。今すぐ走って逃げ出したい。

「そしたら後は受験ですか?」
「あ、いや、実はスポーツ推薦をもらうことができそうで」
「ほんとですか!? よかったですね! でもテスト手を抜いちゃだめですよ」

緒方がにっこりと笑う。青田はもう気持ちがぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまって、苦笑いをするしかなかった。

「もう行きましょうか? まあ、何時に行っても混んでるでしょうけど」
「そ、そうですね、今日は緒方さんの行きたいように。お供しますので」
「時枝」
「は?」
「私、時枝っていいます」

まだ緒方はにこにこしている。それはに紹介された時に聞いた。

「よかったら名前で呼んでください」
「は、はい!? その、ですら――
「まあその辺は習慣になっちゃってたりもするので。できたらお願いします」

そんなことをさらりと言いながら改札を抜けた緒方は、駅のホームで青田に並んでまたにっこりと微笑む。青田の方は動悸が激しく息苦しい。だが、本人が名前で呼べと言っているのに嫌ですとも言えない。青田はもう腹を括るしかないと観念して、色々余計な思考を全て締め出した。

「わかりました。ええと、時枝さん」
「はい、ありがとうございます」

ホームに電車が滑り込んできて、緒方の前髪を煽る。そう言った緒方はそのまま青田の手を取り、繋いでしまった。さすがに驚いて身を引いてしまった青田だったが、夏祭り方面に向かう電車は朝のラッシュと変わらないくらい混んでいて、恥ずかしがっている場合じゃなかった。

地元の中高生がほとんどのため、青田はもちろん緒方も頭が飛び出るが、ふたりは手を繋いだまま電車に乗り込み、密着状態にパニック寸前の青田は、どうか今日夏祭りでよく知った顔に遭遇しませんようにと祈った。

そんなことは不可能だろうが、幸い湘北の知り合いには遭遇しないまま祭会場となる川沿いの土手までは辿り着いた。数年振りの夏祭りに歓声を上げる緒方は、人混みの中で手を繋いだまま青田にぺたりと寄り添ったが、飽和状態の青田は反応が鈍い。

「時枝さん、追試の時のお礼です。何か欲しいものありませんか」
「えっ、ほんとですか、じゃああれがいいです!」

緒方が指差したのは綿あめの屋台だ。ビニールパックもたくさんぶら下がっているが、割り箸に巻いてもくれるらしい。緒方はレインボーを買ってもらい、また歓声を上げた。青田にはああ言ったけれど、弟は土産すら請け負ってくれないので、実に4年振りの綿あめだった。

「他にも食べたいものあったら言って下さいね。今日は遠慮なさらず」
「えー、これだけでいいですよ。勉強って言ってもたかが1日じゃないですか」
「いやいや、それがなかったらインターハイに行かれなかったんですから」
「なんか申し訳ない気もしますけど……じゃあ、はい!」

追試の時のお礼という建前があれば青田も気が楽なので、つい畳みかけた。すると、緒方は手にしていたレインボー綿あめを青田の口元に押し付けた。文字通り泡を食った青田だったが、緒方が楽しそうに笑っているので、少し綿あめを食べると同じように笑った。綿あめは甘いのに少し苦くて、まだ少し胸が痛むが、楽しかった。

青田はあれこれと考えすぎては鬱々としてしまっていたが、緒方との夏祭りは本当に楽しかった。自分が話し上手だとは思わないが、会話が途切れることもなくて、部活の話やら、互いの学校の話やらでずいぶん盛り上がった。きっと緒方が上手く話を回してくれているのだろう。

いい子だな――。青田は素直にそう思った。

からは演劇部の看板女優でイケメン女子、豪快で後輩からの告白が絶えないと聞かされていたが、それはきっと外の世界で戦うための緒方の鎧なのではないだろうかと思った。だからといって、今がわざと可愛らしく装って振舞っているようにも見えない。相手に失礼のない振る舞いというものを心得ているといった感じだ。

女の子だらけの中に入ればイケメン女子でも、こうしていると元気な可愛い女の子だ。

「青田さんもっと食べなくていいんですか? それだけ体大きかったらいっぱい食べるんじゃないですか」
「あっ、今日は練習がないので、それほどは」
「えー、もっと食べましょうよ!」

緒方は青田をもっと太らせたいだけなのだが、青田は緒方がひとりで食べるのは恥ずかしいんだろうと都合よく勘違いした。それに乗せられて青田はあれもこれもよく食べた。口をつけたものを分け合って食べていても、気にならなかったし、もしかしたら誰かに見られていたかもしれないけれど、それももう意識しなかった。

そうやって夏祭りを楽しんでいたふたりだったが、緒方は前方によく知った顔を見つけて飛び上がった。

「青田さん、! あれが例の寿くんですか?」
「えっ」

緒方は嬉しそうな声を上げたが、青田は一気に顔が青くなる。確かに前方を歩いていたのはと三井だ。の方も浴衣で可愛らしくなっていて、三井と手を繋いでぴったりくっついている。三井も顔が青い。その様子を見てしまったのも見られてしまったのも、どちらも非常につらい。

「青田さん、大丈夫ですか。恥ずかしいですか?」
「え、あ、いや……

腕を引く緒方は優しく微笑んでいる。恥ずかしい? 彼女と楽しく過ごしていることが恥ずべきことだとでも?

そんなことは決してないのだけれど……