続・七姫物語 牧編

08

「結論から申しますと、あの櫃を地下に沈めたのはソロンの孫です」

衝撃の新事実が明らかになってから3ヶ月、先生がほとんど寝ずに奔走したおかげで、櫃の中身の調査は異様な速度で進んだ。その結果あの場所に住み着いていた牧家の初代は伝説の剣士・英雄ソロンであることが断定された。というか南方の言語で書かれた書にそう記されていた。

さらに先生は櫃の中の紙切れや布切れの調査と並行して城の書庫をひっくり返し、古文書担当を手伝わせてギルラ1世の時代の史料を全部改め直した。それらがひとつに纏め合わされて結論が出たので、本日は先生による説明会である。補修工事が終わったので、城の大広間だ。

「というかその孫はもう物心ついた時には『牧』の人間だと思っていて、祖父が死ぬ間際に証拠となるものを並べて突然告白をしてきた、と記されています。どうやら自分がソロンであることは隠しておきたかったようですね。家系図も出てきましたがソロンという名ではありませんでした」

牧家に伝わる話では、初代は貧しい身なりの流れ者で、しかし腕が立つので兵士として雇い入れられ、やがて出世した彼は騎士団を創設した……という程度しか説明されていなかった。対する先生の調査では、この国に賢帝と謳われるギルラ1世を訪ねた可能性が高い、というところで止まっていた。

「じゃあ何でソロンはここに住み着こうと思ったのですか」

手を挙げたが当然の疑問を口にすると、先生は乙女のように目を潤ませて嘆息した。

「運命の人に出会ったのです」
「妻になる方ですか?」
「いいえ、ギルラ1世の妹です。時の王女殿下」

先生はうっとりした表情で何枚かの紙を広げ、背後に立ててある板に貼り付けた。

「こちらがご当家の系図略図ですが、ここが陛下のご先祖である賢帝ギルラ1世、そしてこちらが彼の妹の王女。ギルラ1世は妃を早くに亡くしていて、しかし妃を愛しておられたのですね、後妻は娶らず、王妃の役割にあたるものは全てこの妹が担っていたようなんです」

そして先生は紅潮した頬を輝かせてに両手を差し出す。

「彼女がまた途轍もなく聡明な方だったそうなんです。陛下のようにね。というかこちらの歴史家の間でも実はギルラ1世が賢帝と讃えられるのは妹の方の働きによるものだったのではないかという意見もあり彼女は生涯独身で公務に身を捧げた方でありますが」

先生の喋る速度が一気に加速していく。先生が実はとソロンどちらもの熱狂的崇拝者だということは神しか知らなかった深い闇である。それを初めて目の辺りにした大臣たちは苦笑いしか出来ない。この先生ヤバい。陛下と婚約しませんかとか言わなくてよかった。

「んん、つまりもしソロンと王女が愛し合っていたとしても、一緒にはなれません。元から軍はちゃんとあるのに、わざわざ騎士団を創設したのは彼女を護ることに専念したかったからなのかもしれません。その証拠に、牧家家系図の初代には『女王護る鷲』という称号が添えられています」

生徒たちは身を乗り出して家系図に目を凝らした。だけど女王じゃなくて王女でしょ?

「ですから、現在こちらの歴史家の方々が大喧嘩しているわけです。ほらやっぱりギルラ1世は妹の方だったんだ、いやソロンが勝手に女王だと言っていただけだ、とね。しかしともあれ、ソロンはギルラ1世の妹のためにこの国に騎士として留まることを選んだのです」

先生はまた孫の書を手に咳払いをし、うっとりと天井を見上げる。

「この書によるとソロンは78歳まで生きたそうです。それが事実ならこの国を訪れたのは35歳の時で、やがて彼は家系図のここ、医師であった女性と結婚、それが牧家の始まりになります。もしかしたら『牧』の名も王女から授かったものかもしれませんね」

そうして牧家の初代は騎士団の初代団長として生を全うし、書によれば孫が少年部隊を卒業した時にすべてを語って聞かせ、自分がソロンだった頃の所持品を全て預けられたという。しかし孫は、彼がソロンという生き方を捨てて何かを護るという生き方を選んだものと考え、遺品は全て櫃の中に収めて隠すことにしたらしい。

「家系図の方は160年ほど前のもので、その頃までは一子相伝の牧家の秘密だったのではないかと思われます。家系図の一番下の方は城内の史料で確認が取れました。紳一様のご先祖でやはり騎士団長、しかし嫡子が10歳の時に亡くなられています。この秘密を伝えられなかったのではないかと」

とうとう牧が「紳一様」になってしまった。の隣に腰掛けている牧は居心地が悪そうだ。

「皆様、よいですか、このソロンが生涯をかけてお護りした王女が陛下のご先祖です。そして、ソロンのご子孫に当たられるのが、現在騎士団長の紳一様です。300年の時を経てもソロンの意志は血脈に生きて受け継がれ、今なお陛下をお護りしているのです……ッ!」

先生泣きそうだ。いよいよ本格的にヤバい。

だが、ひとまずそれはいいとして、今後一体この城下に何が起こるのかという話である。現在慌てて外に宿屋街を建設中だが、詳しい話を知らない者も多いので気味悪がっていた。

「まずは観光客ですね。次に紳一様が団長でいらっしゃる限りは、ソロンの血を引いた方の元で働きたいという騎士志願者が押し寄せるはずです。その殆どが青年から壮年の男性であるはずなので、男女比が狂います。女性を積極的に雇い入れた方が良いでしょう。つまり、皆様もっとお忙しくなります。のんびりしている暇はありません。無駄を省き、効率よく働かねば受けられて当然の恩恵を捨てる羽目になりますよ」

全員の脳裏に「脱貧乏」の文字が踊ったのは言うまでもない。

先生による説明会が終わると、と牧は彼に呼び止められて足を止めた。

「そういうわけですから紳一様、もう何も遠慮することはありません」
「先生、それは……
「それに、ソロンは女性人気も高いです。副団長を凌ぐ人気が出てしまうかも」

そして先生は胸の前で手を組み、まるで天の使いを目の当たりにしたように頭を垂れると、ふたりを残してそそくさと出ていった。うららかな日の差し込む大広間はがらんとしていて、音がよく響く。牧はの背を押して窓際に移動すると、向かい合って短く息を吐いた。

、こういうのって、運命だと思うか?」
「思わないけど」

思い切って尋ねてみた牧だったが、は即答。牧は思わず吹き出す。

「だって、先生の言う300年の時を経て、っていうやつも素敵だな〜って思うけど、私が紳一のこと好きだと思ったのなんか子供の頃だよ。ソロンなんて人のことも知らなかったし、もちろん自分が女王になるだなんてこと想像もしてなかったし、私が紳一のこと見てきた時間は運命とはまた別のものだと思う。それはただのきっかけにすぎないよ」

秘密の相伝はやがて途絶えたけれど、ソロンの意志は途切れることなく牧家に受け継がれ、王家に生まれたは彼の血を引く紳一の守護を受けることになった。それは確かに先生の言う「運命」なのかもしれない。しかしそれは運命が開いた入り口であり、ふたりにとっては遠い過去のことだ。

牧はの淡々とした口調にくすくすと笑いながら、彼女の頬にそっと触れた。

「ぼんやりしてる理由がなくなったな」
「最初から、焦りたくなかったんだけどね」
「自分たちのために自分たちが一番いい時に決断したいと思ってなかったか?」
「うん、思ってた」
「だけど、そんなの誰かが用意してくれるわけじゃ、なかったな」

いつか訪れたその時に、とゆったり夢想してるうちはまだよかった。だが、そのいつかが訪れる前に壊れてしまう可能性があることを思い知らされた。若いとか、仕事があるからとか、そんなことを理由に無駄な時間を浪費していたまま牧が死んでいたら後悔してもしきれない。

「なのに、オレとのことなんだから他人が口を挟むなよ、て少し思ってた」
「紳一は特にそう思ってたんじゃない? だって結婚してもしなくても変わらない気がしたし」

秘密結社を名乗って帰還してからというもの、牧はの部屋に起き臥し、騎士団の仕事もしていたし、それはもう結婚してしまったようなものだった。それをやれ女王の場合は夫の階級はどうするだのその場合の権限はどうするだの、他人が自分たちのごく私的なことについてしかめっ面で唸るのを見るたびに、消極的になってしまっていたのも事実だ。

女王の部屋でふたりで過ごすのは心が休まるし、一番自然な自分でいられるし、だけど仕事の話を引っ張り出すことも出来るし、そういう日々を法だの儀式だの式典だので引っ掻き回された挙げ句、さあ結婚したんですからお世継ぎを! と言われるかと思うと気が乗らなかった。そんなところだ。

は一歩下がると片手を上げ、人差し指を牧の胸に突きつけた。

……紳一、誰か他の人と結ばれた女王の私を騎士として護り続ける? それとも、死ぬまで私の女王という道を一緒に歩く? あなたにはその二択しかない。だから、選ばせてあげる」

真剣な眼差しのは女王の顔をしていた。牧がいつまでも守っていたかったリボンの付いたピンクのドレスを着たお姫様ではない。それはふたりの運命のように、過去のことだ。

牧はその人差し指を両手で包み込むと、そのまま跪いた。

……死ぬまで、一緒に歩いていきます。あなたの後ろから」

そして女王の手にキスをすると、胸の黒章に手を当てた。

「あなたが悲しまないように、苦しまないように、どんなものからも護りたい。オレが盾になって剣になって、あなただけの騎士でいたい。どうか――そばに置いてくださいますか」

修復され、美しいステンドグラスが蘇った大広間の窓から柔らかな日差しが差し込み、の顔を優しく照らす。頬に伝う一筋の涙は金色の陽に反射してきらめきながら、ぽたりと落ちた。

「その役目を、降りることは、許さないから」
「その役目を降りるのは死ぬ時です」
「あなたは私の夫や後継ぎの父親なのではなくて、私の騎士、それだけ」
「それで充分です」
「だけど私を護って死ぬことも許しません」
「心得ました」

に手を引かれたので立ち上がった牧はそのまま彼女を強く抱き締める。

「紳一が選んだんだからね。私と同じ道を歩くって、一緒に」
「それ以外に願ったことなんか、ひとつもなかったよ」

幼い頃に真似事で授けてもらった騎士の位。命がけでお姫様を守ろうと心に決めた。

「あの時からお前だけの騎士でいると誓ったんだ。、愛してるよ」

騎士になったその時から、もうずっと。

先生の調査が一段落したところで女王は婚約を発表、同時に騎士団長が最近話題の英雄ソロンの血筋であることも合わせて公表され、城下のみならず国内は一気に祝賀に沸くことになった。しかもソロン効果で仕事が増えるらしい! と余計に人々は盛り上がってきた。脱貧乏! 脱貧乏!

しかしそんな中でひとりがっくりと落ち込んでしまったのは先生である。

……ソロンの終の棲家にたどり着くのは、生涯をかけた夢でした」
「ずいぶん早く着いちゃいましたね」
「終わってしまいました」

ソロンの旅路を追うという生涯の目標はたかが30歳ちょっとで達成されてしまった。発掘調査に熱中しすぎたせいで余計に燃え尽きてしまい、先生は最近の執務室で例の第4王子様にお勉強を教えつつ、憔悴した顔ばかりをするようになっていた。

それを見ていたは隣に並んでいた神に手を差し出し、封蝋で閉じた書類を受け取った。今日は反対側に牧も来ていて、騎士団の団長副団長が揃っている。

「先生、それでは我々からひとつ提案をいたします」
「提案?」
「詳細はこちらになりますが、この国にお留まりくださいませんか」
「えっ?」

だらりと丸めていた背を伸ばした先生は書類を受け取って目を丸くした。どういうことだ。

「確かにソロンの調査には限界が見えてしまいましたが、先生、ここにその血を引いた人がいます」
「え、ええ、確かにそうですが」
「私はこの人と結婚して、子を残したいと思っています」
「はい、伺っていますが……

無駄に高性能過ぎるはずの先生だが燃え尽きてしまって頭の回転が鈍い。は続ける。

「いいですか先生、この国は次の代からソロンの子孫が治める国になるのです」

先生の顔が跳ね上がり、淀んでいた目に輝きが蘇る。なんですって……? ソロンの国……

「我々は先生にこの国の執政官になって頂きたいと考えています。私は生涯女王の座を下りるつもりはありませんが、出来れば夫とふたり、よぼよぼの年寄りになりたいとも考えています。その前には次の世代に政を託し、一線は退いてもいいと思っています。ですから、ソロンの血を引いた次の世代を育て、導き、支えてくださる方がほしいのです」

両脇に騎士を従えた女王の熱い言葉に先生は陥落、その場に膝から崩れ落ちた。

そういうわけで先生は移住、他所の国の執政官になるということで出身国の家格による手当ては全て失われたが、そもそもそれら全てソロン研究に充てられていたものなので、不要になってしまった。しかも資産を片付けてきただけでも相当な額を手にやって来たので、国内に残る牧家初代の細かい調査には当分困らない様子。

のみならず、無事に執政官としての右腕になった先生は、いつの間にやら例の第4王子様の母上と心を通わせていて、女王の支援を受けて彼女を嫁した国から引き取り結婚した。ソロンの子孫はいるわ、それがと結婚するわ、自分も結婚するわ息子も付いてくるわ、先生は自分が願ってもない環境にいることに気付くとまた燃え上がり、仕事に邁進するようになった。

その後改めて色章の授与式が執り行われ、無事に計119人へ勲章が贈られた。

そして、最後に黒章とともに赤青緑白の色章も授かった牧は、新たに執政官となった先生から銀色の星をひとつ授かった。と牧がまだぼんやりしている頃から法律家たちが奮闘し続けた結果、女王の夫にはこれも新たな「称号」が与えられることになった。

何しろ彼らの頭を悩ませたのは「権限」だった。女王の夫に君主の代理を許してしまうと将来的に悪用されかねない恐れがあったし、だが王族が減ってしまった今、君主がその権限を行使できない時に代理に立てる役職がなかった。だから執政を置いて政の権限を分散、女王の夫には結婚前の職ないしは階級以上の権力を持てないようにした。しかし王族となることには変わりなく、公務には女王と同等の待遇を要する、かつての「王妃」と同じ立場にまとめ上げた。

牧は恥ずかしがったが、銀の星はその額に置かれることになった。は新たに作られた軽やかなマントをまとい、細身の王笏を手に夫となる人の頭に輝く星が降り立つのを見つめていた。

「この星は、女王の夫となる者のみに与えられるものです。民の導き手であり妻である女王の行く先を照らし続ける星となり、ありとあらゆる災厄から命を護る希望となり給え、『女王の騎士』よ」

額に星を抱いた牧は立ち上がり、の手を取って片手を上げた。

温かい南風が吹き上がり、牧の黒のマントを、の白のマントを翻らせる。の白が、牧の頭上の銀が陽にきらめき、観衆から惜しみない拍手と歓声が上がる。

ふたりの背後には先日完成したばかりの「騎士の丘」がある。戦火に散った全ての騎士と兵士たちが眠る丘を中心に南門の周辺は広大な公園に整えられた。本日はここで中断したままになっていた授与式と、そしてそのままと牧の結婚式が行われる。

そういうわけで家臣団から騎士団から城下の民までみんな勢揃いの授与式、そして結婚式となった。

大いに沸く観衆の声の中、女王の騎士は妻の体を引き寄せてそっとキスを落とす。それに合わせて王家の旗が、そして新たに作られた「女王の騎士」の旗が翻る。図柄は頭上に星を抱いた鷲、女王の騎士の紋章としても使われていく予定だ。

は温かい風に吹かれながら牧を見上げて微笑んだ。

「愛しの騎士様、これであなたは永遠に私のものですよ」
「願ってもないことです、女王陛下。何もかも、お望み通りに」

あまりに多くのものを失ったふたりだったが、だからこそ、今自分たちを取り巻くものを全て守っていきたいと願った。全てを慈しみ、生え育つものに心を寄せ、怠けることなく共に歩いていこう。運命が開いた扉の向こうにある場所にたどり着くまで、同じ速度で。

有史以来初の女王、そして女王の騎士ふたりが治める国はやがてこれも有史以来の栄華を極めた。

しかし長い戦争で辛酸を嘗めた君主は同じ過ちを繰り返すことなく生涯を女王として生き、当時の執政官が予見した通り、ギルラ1世よりも大陸に広く知られた賢帝となった。後世その物語が語られる時には必ず、初代女王の騎士の物語も共に語られたという。

女王とその騎士にはたくさんの子が生まれ、富み栄えていく国を守りながら数々の冒険をし、家臣や騎士たちと共に生きたと物語は伝えている。しかしそれはまた別のお話。

ひとまず、みんな幸せに暮らせることを祈りつつ、めでたしめでたし――

END